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第零話・憧憬(上)

いわゆる過去編です。


    0



 子供のころ、父は滅多に帰ってこなかった。

 たまにしか帰ってこないけれど、私の自慢の父親だった。

 父はみんなを守るための仕事をしているということを私は知っていた。祖父も同じ仕事をしていた。銀灰色のドラゴンに乗って。


 私も、父のあとを継ぐ。それが当然だと思っていた。

 ところが、あるとき父はこういった。


「おまえは戦争にかかわってはいけないよ」

「どうして? 父さんはみんなを守ってくれてるのでしょ。私も、みんなを守りたい」


 私は本気だったのだ。でも、父は大きな手で私の頭を撫でてくれただけだった。


「おまえが大きくなるころには、剣を把らずともよい世界になっているよ」

「戦争はもう何十年もつづいているのに?」

「父さんがこの戦いを終わらせてみせるよ、リフィア」


 いま思えば、このときの会話がなければ、父はまだ健在だったかもしれず、私も真竜使ドラグーンになることはなかったのかもしれない。


    ++++


 私は十四歳になっていた。空戦騎乗りになりたいと、はっきり希望を伝えたが、父は首を縦に振ってはくれなかった。士官学校には高級将校の紹介状がなければ入れない。北部連合軍の大佐である父がうなずいてくれないなら、ほかに一筆したためてくれる人を探さなければならないのだが、伝手つてを頼って訪ねた先でもよい返事は聞けなかった。みな、父にいい含められていたのだろう。


 士官学校へ進むことはあきらめたが、私はライダーになるのを放棄するつもりはなかった。フリーランスでやっていくには乗騎を自弁する必要があるが、志願して軍にもぐり込むのはそんなに難しいことでもない。見習で雑用をやっているうちに才気を見いだしてもらえる自信はあった。正式に任官するよりすこし余計な時間がかかるだけだ。

 私の決心は動かないとわかっただろうが、父の態度に変化はなかった。親の七光で士官学校へ進むのではなく、見習から地道にやりなさい――そういうことだったのかと、そのときの私は思っていた。


「お父上は、お嬢さまのことを心配しているのですよ」


 と、父の騎竜であるベルグリューンが話しかけてきたのは、地元の学校を卒業するまであと二週間ばかりとなったある日のことだった。父は一緒ではなく、ベルグリューンは鞍を乗せずにわが家へやってきていた。父は軍でそれなりの地位にあるので、竜に乗って空を飛ぶだけが務めではないのだろうけれど。


 わが家はそんなに広くないので大きなドラゴンが入り込んだりはできない。ベルグリューンは人型形態をとっていた。人間なら千人にひとりもいないような美丈夫に見えるが、私は真の姿でいるときのベルグリューンのほうが好きだ。

 ベルグリューンが最初に契約を結んだ相手は私の祖父だった。なんでも、祖父にはけっこうな恩義があるのだという。父がドラグーンになると決めたとき、祖父は第一線を退いて、息子に騎竜を引き継がせようとした。だが、ベルグリューンは簡単にはうなずかなかったらしい。契約はあくまで祖父とのあいだに結んだものであって、父が自分にふさわしい乗り手であるかわからないといったのだ。


 それからどの程度の紆余曲折があったのかはわからない。なにせ私が生まれる前の話だ。それでも、ベルグリューンと父は正式な契約を交わし、今日にいたっている。前線から身を退いた祖父は後方の幕僚本部で十年ほど参謀務めをして、それから気楽な隠居生活を満喫し――三年前の冬に凍結した玄関先で滑って頭を打ち、亡くなった。現役のころは連合軍史上で十指に入る特級エースといわれた人でも、死にざまというのはそんなものである。


 父は祖父のあとを順調に追っているらしい。私がドラグーンを志望したとしても、祖父から父へベルグリューンが引き継がれたときのようにはいかない、それくらいは承知している。父はまだ引退するような歳ではない。しかし父にベルグリューンを譲ったときの祖父も、そう老け込むような歳ではなかった。

 やはり、端的にいえば私が女だからだろうか。


「私が男だったら、父はあとを任せてくれる気になったのかな」

「そういうことはないと思いますよ。女性の空戦騎乗りはめずらしくありませんし」

「ならどうして」

「ローパクト家が、戦ごとに専従する一族になってしまうのではないかと懸念しているのですよ、お父上は」


 真竜とドラグーンの契約が三代つづいた場合、その関係は個人とドラゴンではなく、家とドラゴンのあいだに結ばれたものだと看做みなされる――そんな話は聞いたことがあった。

 ふと気になって、私はベルグリューンの表情をうかがう。ダイニングのソファに私たちはならんで座っていた。私はいつもの指定席で、ベルグリューンは父や母の席に座ることを遠慮するのでこうなる。真竜が契約主に対して払う敬意のゆえなのか、彼自身の性格によるものなのかはわからない。

 見るだけではベルグリューンの感情を読み取れそうになかった。思い切って訊いてみる。


「もしかして、あなたのほうがうちの一家に縛られるのはわずらわしいと思ってる?」

「そんなことはありませんし、このさいわたしの意思は関係ありませんよ。そしてお嬢さま、あなたには才能がある。あなたのお父上のときは、本当にドラグーンとしてやっていけるのか、わたしも半信半疑でしたが。お嬢さまはまちがいない。だからこそお父上は悩んでおいでなのです」


 私に才能があるというベルグリューンの言葉は意外だった。たまに私を乗せてくれることはあったが、戦闘訓練の真似事などをした憶えはなく、街まで買い物に行くときくらいだ。それだけでドラグーンとしての適性がわかるのだろうか。


「私に才能があるというなら、安心して送り出してくれてもいいじゃない」

「才能あるライダーが乗騎に恵まれず、あるいは乗騎の強さを自分の実力と勘ちがいして――そうやって死んでいく若者の姿を多く見すぎたのです、あなたのお父上は。いかにお嬢さまに天稟があるといっても、しかるべき騎竜と組まなければ実力を発揮することはできません。士官学校へ進んで国軍の序列に完全に組み込まれてしまえば、お仕着せの装備と割りあての乗騎でやっていくしかありませんからね。中央軍の竜舎に、娘を安心して預けることのできるドラゴンの心あたりがないのでしょう」

「あなたじゃ駄目なの、ベルグリューン」

「そうなると、今度はお父上が飛べなくなってしまいますよ。娘が前線で戦っているのに、安全な幕僚卓で座っている気にはなれないのでしょう」

「祖父は飛ぶのは父に託して参謀務めをしていたけど」


 やっぱり女だから任せられないということじゃないのか、私はちょっと不満に思う。

 それはちがう、というかのように、ベルグリューンはゆっくりと首を横に振った。


「当時といまとでは、すこし事情が異なります。あのころは、戦争は最終局面を迎えていると、みな信じていた。志ある若者たちは、こぞって平和を勝ち取るために軍へ身を投じました。いま、戦争が終わりに近づいていると考えているものは少数派でしょう。戦場と日常の世界ははっきりと切り離され、交わることはなくなっています。お嬢さま、あなたは何故に戦場を望むのですか?」

「それは――」


 もちろん、家族や友人たちの平和な日常を守るためだ、といいさして、私は言葉に詰まった。戦争はもはや戦いたがりたちだけのものである――ベルグリューンはそういっているのだ。


 二年前の「中立令」によって、真竜族は、南北両陣営の指導的立場から身を退くことを申し合わせた。以後真竜たちは、兵器ツールとして振る舞うようになっている。なんとも剣呑で、怜悧な道具だが。それと同時に、真竜は監視者として新たな立ち位置を占めるようになっていた。

 戦争と直接かかわっていないものや、戦いに倦んだものへ、戦いに飽くことなく、争いを望むものが、暴力や脅迫でもって干渉するのは認められない。参謀本部に座していたころから、真竜たちは道義的に問題のある作戦を裁可しないうるさ型の幕僚だったが、表向き戦争遂行に口出ししないことになっているいまでも、その影響力は隠然たるものがあった。


 要するに、私には「戦いたいから」という以外の理由で空戦騎乗りになるみちはありえないのだ。私が戦わないことで、身代わりにほかのだれかが望まずして戦場に駆り出されたりはしない。そんなことは許されなくなったのである。それでも、私は自分が空戦騎のライダーに、もっといえば真竜使ドラグーンになるのだと疑ったことはなかった。

 もちろん、その理由はひとつだ。


「私は父のことを誇りに思ってる。あとを継ぎたいと考えたらいけない?」

「たしかに、わたしもカーレッジに――あなたのお父上に、申しあげたことはあります。己の務めに自負を抱いてもよいのではないか、我が子が同じ途を往きたいといってくれるのはよろこばしいことではないのか、と」


 口ぶりからすると、ベルグリューンは私がドラグーンになるのに問題はないと思っていて、実際に父へ話したこともあるようだ。父は相棒であるベルグリューンの意見を受けてもなお、娘の私が自分のあとを継ぐのを肯んじていないということになる。父はこの戦争にかかわることに意味を認めていないのだろうか。私が誇りにしてきた父は、自分の務めに価値がないと考えているのか。


 父がどんな理想を抱いて戦いに臨み、そしていかなる現実を見てきたのか、私は知らない。父の口から戦争にかかわる話が出たことはなかった。私が憶えているかぎり、父の語りの内容は、異国の情景や、遠い世界の空の色に風の匂い、そんなところだ。

 当然だが、私は父の話を聞くのが好きだった。ベルグリューンの鞍上から仰ぎ見る、はるかな穹窿と、全身を包む大気の息吹――だから私は空に憧れ、もっといえばドラグーンになることを夢見てきたのだろう。戦争という陰惨なイメージの抜け落ちた、絵空事の望みなのかもしれない。


 父のことを思い返していると、


「お茶淹れたわよ」


 という声とともに、ティーカップの載ったお盆を手に、母がダイニングへ入ってきた。母は祖父と同期だった将校の娘だ。母の姉も空戦騎乗りに嫁いでいたが、新婚早々寡婦になってしまい、ドラグーンが亭主なら大丈夫だろうと、親どうしが決めた縁談だったらしい。


「ありがと。ねえ、母さんはどう思ってる?」


 お茶を受け取って、私は母へ尋ねてみた。そういえば母は私の進路に関して、とやかくいってきたことがない。


「どうって? なにについて」

「私がドラグーンになりたいってこと。父さんとなにも話してないの?」


 母はお盆を手にしたまま、私とベルグリューンのはす向かいに腰かけた。そこが母の定位置なのだ。


「そうね、あんたが普通の女の子に育ってくれていれば面倒がなくてすんだのに、とか。お義父さまの血なんだろうね、とか。そういうことなら話したかしら」

「母さんも反対なの?」


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