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第五話・過去からの娘(下)


 ――ベルグリューンの話は途切れたが、昔語りにすぎないように私には感じられた。

 いまの世界情勢に直結する過去のことではあるのだろうけれど、私の父やレヒーティタとはどういう関係があるのか。レヒーティタは、まだ百歳にはなっていないベルグリューンよりもさらに若い。私と同じくらいか、あるいは実年齢でも私より下かもしれない。何百年も前の話となにがつながるのか。


〈ルゲルゼオンに殺戮されたものたちは、ただ狩られるに任せていたわけではありません。己が一門の悲運を悟った鉄竜《アイアンドラゴン》のユースクラスヴィヌは、いままさに産まれるところだった一家の末子を、裏取引を持ちかけてきた相手へ、卵のまま預けることにしたのです。休眠状態の真竜の胚は、数世紀に渡って生きることができます。そして六百年の時を経て、最近孵化した〉


 ベルグリューンは、今度ははっきりと示唆的だった。私は鉄竜の少女を見遣る。


〈それがレヒーティタ?〉


 レヒーティタの表情には、その幼い貌《かお》に似つかわしくない憂愁の色がたたえられていた。


〈ぼくはなにも知らないまま目醒めてしまった。両親のことも、兄姉《きょうだい》のことも、そして自分の身に禁忌の術が施されていることも。知っていれば、卵の中で眠りつづけていたのに〉

〈それはあなたが責を負うことではないけれど。そういえば、あなたたちはどうして面識がなかったの?〉


 さきほど出会うまで、ふたりはお互いの存在を知ってはいたが顔を合わせたことはなかった様子だった。父の最期の戦いにレヒーティタは浅からぬ関係があるようなのだが、なぜともに飛んでいたベルグリューンは彼女と会っていなかったのだろう。


〈あなたの父上――カーレッジは、とある地方領主の招きで、客員防空顧問として赴任したさいに、レヒーティタのことを知ったのだそうです。ユースクラスヴィヌがレヒーティタを託した人間は、六百年のあいだに不死貴族《デスレスクラート》の中でも有力者となっていた。デクタジールという名に心あたりはありませんか、リフィア〉

〈デクタジール――戦死者名簿で父と同じページに載っていた将官のこと?〉

〈たしかに彼は連合軍の中将でしたが、同盟との戦闘を指揮していて斃れたわけではありません。デクタジールは、自領の北部連合《ノーザンユニオン》からの離脱、新王朝の開闢《かいびゃく》を宣言したのです。そして消された。カーレッジとわたしはその戦いでデクタジールの側についていました〉

〈……なぜ、父はそんな企てに加担したの〉


 はっきりいえば、信じられなかった。私の父はそんなに浅慮な人間だっただろうか。とめてくれてもよかったろうに、とすら思ってしまったが、いちおうベルグリューンも納得した理屈はあるらしい。


〈レヒーティタが陰謀に巻き込まれるのを黙って見ていられなかった、という面はあったでしょう。しかしそれ以上に、デクタジールの策が戦争を終わらせることのできる有望な手立てであると、カーレッジは認めたのです〉

〈たった一地方を独立させて、王朝を名乗ることが?〉

〈不死貴族が不死王を僭称した、というだけではありません。デクタジールは合同君主としてレヒーティタの名をあげ、中立国として、南北の和平を仲介すると表明したのです〉


 壮大だが無謀な話に、私は歎息をついた。竜と人とをひとしく治める統一王朝――とはそういうことだったのか。デクタジールの誇大妄想というべき野望に、どうして父は手を貸すことにしたのだろう。たしかにレヒーティタは世界で唯一不死法を吹き込まれたドラゴンかもしれない。しかし卵から産まれたばかりの彼女は雛竜にすぎず、永劫に君臨する不死竜の存在を、真竜の長老たちが認めようもないことくらい、父にもわかっていたはずなのだが。

 レヒーティタが充分に力をつけてからなら成算もないではなかろうが、すくなくとも千年はかかることだ。


〈不死貴族《デスレスクラート》だったのでしょう、デクタジールは。なぜことを急ぐ必要があったの。卵からレヒーティタが孵るまで、六百年は待っていられたのに〉

〈デクタジールは、支配欲に取り憑かれた愚かな人間というわけではありませんでした。戦いの早期終結を望む気持ちに偽りはなかったのです。そして、ユースクラスヴィヌ亡きいま、レヒーティタが罪を問われることはないと、真竜長老会の公式見解を信じていた。現に長老会は表立って動いてはいません。ヴァリグナットが大物のうちのだれかの意を受けていることはまちがいないと、わたしは思っていますが〉


 間接的にではあるが、父の仇であり、そして私の生命を狙っていると公言した竜の名が出た。お互いに、仇であり獲物であると気づかないで一度戦っている。いずれ、決着をつけなければならない相手だ。

 赤銅《カッパー》竜《ドラゴン》の欺瞞者――


〈ヴァリグナット……あいつは、いったいどんな詐術を働いたの?〉

〈まずひとつ、デクタジールの独立に、真竜の長老会は関知をしない、と。もっとも、これは表面上嘘ではありません。そしてふたつめは、北部連合《ノーザンユニオン》が独立を認めずに武力介入するなら、南部同盟《サウザンリーガ》はデクタジールの支援をする用意がある、と。こちらは空手形でした。ですがヴァリグナットの有罪を断じることはできない。実際には、デクタジールの宣言に対する公式見解を南部同盟が出す前に、連合軍によって独立は潰されてしまったのです〉

〈なぜ、デクタジールや私の父は戦死者として扱われているの? 叛逆者とされていてもおかしくないのに〉


 どうにも腑に落ちないことだらけだが、私は一番わからなかった点を訊いてみた。父はいまでも、北部連合軍を代表するエースのひとりとして顕彰されているのだ。私自身にしても、正式任官していた父とはちがう、傭兵の立場とはいえ、これまでカーレッジ=ローパクトの娘であるということで有利になった場合はあれど、不利になった憶えはない。


 ベルグリューンは中身がすっかり冷めてしまっているティーカップをかたむけた。渋い表情になっているのは、お茶のせいではあるまい。


〈ことの真相をあきらかにする気がないからですよ、真竜長老会にも、不死貴族たちにも。南部の上層部も一枚噛んでいる、と考えるのが自然でしょうね。北部を政治的に攻撃するには最適な事件であったのに、黙っている。ヴァリグナットはただ口約束をしただけではなかったのですから、南部でそれなりの地位にあるものが知らなかったというのはありそうにない。信用に値する書面はあったのです。そうでなければ、デクタジールのわずかな手勢と、わたしたちだけで決行はしなかった〉


 私の見たところ、デクタジールの計画が潰えたのはあたりまえのことだった。不死者となった人間とドラゴンが並び立つ王国など、真竜の長老たちが許容するわけはない。北部の首脳陣からしても、デクタジールの裏切りは言語道断であるし、南部の視点からすれば、しょせん不死貴族《デスレスクラート》のうちの一員にすぎない輩に仲介されての北部との和平などありえない。


 ようするにだれも望んでいない建設事業だ。突きとおすなら、すべてをねじ伏せることができるだけの実力を伴っていなければ不可能ではないか。

 そんな無謀な計画に、父が自ら進んでかかわったというのか。どうしてだろう。私があのとき、あんなことをいったからなのか?

 ふと気づくと、ベルグリューンが私の目を見ていた。彼もあの日の父と私の会話は知っている。いまは追想に浸っている場合ではなかった。私はひとつうなずいて、つづきを促す。


〈カーレッジが、あなたが戦場に赴く必要のない世界を望んでいたことはたしかです。しかし、デクタジールも時を待って悠然と構えているわけにはいかなかった。彼は自らの意にそわず死に追いやってしまった盟友の忘れ形見を、なんとしても守りたかったのです。カーレッジとデクタジールは、娘を想う気持ちで一致した、ともいえるのでしょうね〉

〈レヒーティタを傀儡に据えることが、どうして彼女を守ることになるの?〉

〈仔竜にとって、卵の中というのは外よりも安全なのです。真竜の卵は物理的にもそうとうに頑丈ですが、魔法的感知を遮断し、敵の目から守ってくれる。しかしひとたび卵殻から出てきてしまえば、最低でも十年は生きないと仔竜自身が魔力を扱えるようにはならない。レヒーティタはずっと狙われていました。デクタジールは知らぬ存ぜぬでとおしていましたが、卵から彼女が孵ったことで、言い逃れができなくなるのは時間の問題だったのです〉

〈レヒーティタが闇から闇へ葬られないようにするには、不死法をその身に受けた真竜がいることを広く公にする必要があったというわけ?〉

〈そういうことです。真竜長老会と不死貴族を、政治的、道義的に縛って身動きのとれないようにできるはずでした。ですが実際には、デクタジールは叛逆者としてすら扱われず、一局地戦で生命を落としたことにされた〉


 それは父も同様ということになる。私はなにも知らず、今日まで北部連合《ノーザンユニオン》の旗の元で戦っていたのか。南部同盟《サウザンリーガ》も承知だというのであれば、私はどちらを向けばいいのだろう。

 ライクィレーハやアルヴァレディルムのような、長老会に席を持っている年嵩の真竜たちも父とデクタジールの死を当然のことと思っているのか。そのうえで、これまでおくびにも出さずに私と接してきたのか。考えたくない。


〈……いまになってこんなこと、知りたくなかった〉

〈ベルグリューンを責めないで、リフィア。あなたを守るためだった、あなたのお父上の頼みでもあった。ベルグリューンはそれに従っていただけ。ぼくが今日になって、のこのこあなたたちの前に姿を現したのが悪い〉


 と、レヒーティタにいわれるまでもなく、私にもわかっている。竜が重んじるのは契約だ。判断をしたのは父であって、ベルグリューンはその範囲内でずっと最善を尽くしてきてくれているだろう。父がデクタジールとともに真竜を重心にした世界秩序へ叛したといっても、その父が斃れ、契約が失効すればベルグリューンには関係ない。つぎの契約者にすぎない私も父の行状と関係はないのだが……


〈いえ、わたしは過ちをおかしていました。レヒーティタ、きみが落ち延び、生命長らえているとは考えなかった。いえ、可能性はありうるとわかっていたのに、そちらへ懸けようとしなかった〉

〈あなたはリフィアを守りたかったのでしょう。竜が契約者を優先するのは当然のこと、絵空事の理想郷建設にかまける必要はない〉


 ……ベルグリューンとレヒーティタの会話が、なにか重大なことのような気がして、私は自分のまとまらない思考を振り払った。


 ルールが治めている内部では、物事は秩序だって処理される。協定にしろ契約にしろ、ルールとして取り決められるものだ。ところがレヒーティタの存在は、ルールが拠って立つ大枠そのものを壊して書き換えてしまう。私に父の累がおよぶことはないが、現に不死術を受けてしまっているレヒーティタは、世界がいまの形であるかぎり排斥される。


 唐突に、自分にできることが見えた気がした。私はレヒーティタへ話しかける。


〈レヒーティタ、あなたこれからどうするの〉

〈これまではひとりでやってこれた、あと五百年や千年はどうにかなるよ〉

〈私たち、あと三日は休みなんだけど、そのあいだはうちにこない?〉

〈え……〉


 私の提案に対し、レヒーティタは戸惑いを隠せないようだった。けれど嫌がっているようには見えない。異議を唱えたのはベルグリューンのほうだ。


〈人間の城市にまぎれているほうが安全です。竜族の刺客に見つかっても、そうそう手は出せないでしょう。周囲を巻き込むおそれが小さいとなれば、破壊的な手段に訴えてくる可能性も否定できません〉


 といって小難しげな顔になったベルグリューンだったが、私のつぎの科白でその表情も固まる。


〈ねえベルグリューン、ひとりのドラグーンが複数の真竜と契約するのって、協定違反だったっけ?〉

〈リフィア……きみは、なんということを〉


 完全にベルグリューンの意表を衝《つ》いたのは、もしかしたら生まれてはじめてのことかもしれない。我ながらこれは快挙ではなかろうか。

 私は自己確認をかねて、思いついたことを述べてみる。


〈竜族が騎手を乗せずに戦うことは禁じられている。逆をいえば、ドラグーン不在の竜を襲撃することは許されないはず。契約者がいない野良ドラゴンならともかく、そうではないのだから、私闘だという言訳は通じない〉

〈そんなことをすれば、きみが狙われます〉

〈刺客としてだれを差し向けるの? ヴァリグナットは、真竜が地上で人間を襲うことは事実上不可能だと認めた。そんな罪を犯した同族をのうのうとのさばらせるようなら、もう真竜にこの世界を支配する権利はない。かといって人間の刺客に、真竜ふたりと契約しているドラグーンを暗殺なんてできると思う? 戦うために飛んでいるのだから、空が危険なのはあたりまえのことだし〉

〈待って。ぼくは一度あなたたちに頼った。これ以上迷惑はかけられない〉


 そんなことをいうレヒーティタへ、私は笑顔を向けてみせる。


〈ドラゴンとドラグーンのつながりは一方的な依存とはちがう。お互いに信頼し合える関係でなければ契約は結べない。あなたにその気がないというなら、それも仕方ないけれど〉

〈だけど、ぼくは……。ベルグリューン、あなたはそれでいいの?〉

〈あとはきみ次第ですよ。わたしはリフィアの決めたことになら従います〉


 遠慮がちなレヒーティタへ、ベルグリューンは鷹揚に応えた。それから、私のほうを見る。私がいままで見たことのない顔だった。


〈やはりプラクの孫ですね、そしてカーレッジの娘だ。リフィア、きみなら、わたしたちにできなかったことが、果たせるかもしれない〉

〈私はそんなに大それたことは考えてないよ。戦争を終わらせようとか、真竜の長老会と対等に渡り合おうとか。ただ、飛ぶときは無心でいたいし、父の名に恥じないドラグーンでありたいと思うだけ〉


 もちろん、いうほど気楽でないことくらい、私もわかっているつもりだった。だが、運命の女神の差し出す誓約書に軽々しく血判を捺していたのだと私が気づくのは、もうすこしあとになってからのことになる。


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