第零話・憧憬(下)
いわゆる過去編です。
どうやら、両親から見ても私は普通ではなかったらしい。
ちいさいころ、空飛ぶドラゴンを見かけたら乗せてもらいたいと思うのがあたりまえじゃない、といったら、女の子どころか男の子の大多数からも賛同をえられなかったことがある。周囲の大人たちにいたっては、契約者の人間と一緒でない竜が人里のあたりを飛んでいるときは悪いことを企んでいるのが相場だから、すぐ防空官の人に通報するように、まして自分から見つかりにいくなどもってのほかだ、と、きつく怒られてしまった。
私の口調はややトゲっぽかったかもしれない。母は夏の夜空のような深い色の眼で私を凝っと見つめた。幼いときから嶮の強かった私が剛情の気を出すと、母はいつもこうするのだ。母のきれいな眸を向けられると、私の頑なだった心はすぐに融かされてしまう。
おとなしく返事を待つことにすると、母は穏やかに微笑んで口を開いた。
「ベリューが一緒なら心配ないとわかっているけれどね。でも、カーはお義父さまやあんたとちがって、天才ってわけじゃないの。半分はベリューのおかげで、もう半分は努力の賜物。娘が空で戦っているのに地べたで座りこんでいる、そんな情けない父親ではあってほしくないと思うけど、あたしにとっては、リフィーもカーも、どちらもたいせつな娘と夫なんだよ」
ベリューというのはベルグリューンのことで、カーとはカーレッジ、つまり父のこと、そしてリフィーが私のことだ。母はひとをうしろを伸ばすように呼ぶので、相手によっては妙な略しかたになる。
母は、私より父のことのほうが心配らしい。私がベルグリューンに乗るのなら、父はどうするのかが気がかりなのだろう。
たしかに私がドラグーンとしての自分を思い描くとき、相棒として想定しているのはベルグリューンだったが、そもそも飛ぶのが好きなのだ。私はべつに、ベルグリューンにこだわるつもりはなかった。
「つまり、私が父さんからベルグリューンを奪っちゃわないようにすればいいってこと?」
私としてはそれなりに実行力のある代案だと思ったが、
「それはだめよ、だめ。ベリューがついていてくれるなら安心できるのであって、肚の裡がわからないドラゴンに大事な娘を預けたりできないわ」
と、母は強い口調でいいきった。私にはいまいち納得できかねる。
竜にとって契約というのは神聖なものであり、ひとたび交わせば最善を尽くして守ってくれるのだ。それゆえに軽々とは結んでくれないが、契約までこぎ着けてしまえば、どんなドラゴンでも信用に欠けるということはない。とはいえ、父もベルグリューンのほかには私の相棒候補を見つけかねているという話だったので、理屈ではないのだろう。たしかに私も、たとえ契約がなくともベルグリューンには全幅の信頼を寄せることができる。しかしそれは、たんに時間が培ってくれた関係だと思うのだが。
父も母も、ベルグリューンは信頼しているがドラゴンという存在そのものに信を置くことはできないらしい。そうなると、両親を納得させるには、当のベルグリューンに信用に足る竜を紹介してもらって、相棒とするくらいしかなさそうだ。
「ベルグリューンはだれか心あたりいないの、真竜の知りあい」
そう尋ねてみたのだが、父の相棒はめずらしく困ったような顔になった。
「わたしはひとり立ちするようになってから、かなり早い段階であなたのお祖父さまと出逢っています。それ以降はずっと騎竜をしていましたから、あまり同族とのパイプというのがないのです。とくにドラグーンと契約はしていないけれどその意思はある、というような真竜には、まるであてがありません」
「遊びまわらずに働きどおしだった、ていうわけ。青春は無駄にしちゃだめよ」
母は笑ってそんなことをいったが、真竜の青年期はすくなくとも三世紀くらいはあるはずだ。人間である私たちが心配する必要はないだろう。
しかしベルグリューンにも候補の目星がないというなら、私の相棒はそうそう見つかりそうにもない。
内心でため息をついていると、ベルグリューンがこういった。
「お嬢さまは、空を飛びたいのであって、べつに戦いたいわけではないのですよね?」
「自分がそんなに野蛮だとは思ってないけど」
「それでしたら、郵便部隊に所属してみるのはどうでしょうか。飛行するのは安全な後方空域ですが、ときには機密文書を運ぶこともありますから、襲撃を想定して空戦の訓練は課されます。いずれ空戦騎乗りに転向することがあっても無駄にはなりません。いろいろな飛行魔獣に乗ることができて面白いと思いますよ。戦傷療養あけの真竜がリハビリとして郵便係をすることもある」
そんな部隊があるとは初耳だったが、そういえば戦地の父から手紙が届いたことは何度かあった。考えてみれば軍に郵便物を配送する部署があるのは当然だ。
私は父を尊敬していて、同じ仕事をしたいと思っている。しかし父に取って代わりたいわけではない。それに、やはりできればベルグリューンと一緒がよかった。ことに戦場へおもむくのならば。
そう考えてみると、何年か郵便配達で飛行経験を積むのは悪くない気がしてきた。虫のよい展開があれば、ひょっとしてベルグリューン以外の相棒が見つかるかもしれない。契約してくれる真竜を求めて何年も浪人遍歴を重ねるドラグーン志望者というのは、けっこうな数がいるのだ。
ベルグリューンは、もしかしたら父にいわれて私を説得しにきたのだろうか、と思わないでもなかったが、けっきょく覚悟不徹底なのは私のほうだった。私の空への想いは漠然としたもので、みんなを守るためには戦いが必須である、というわけではないと聞かされてもなお、敢えて危険を冒す途へ進む気概までは持ちあわせていなかった。
それに、父が本当に戦争を終結に導いてくれるのかもしれないと、私は素直に信じていたのである。そうなったら、ベルグリューンと郵便配達をするのなら両親とも快く許してくれるだろうと、私は他愛もない無害な空想をしばし楽しんだ。
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結果からいえば、私は軍の郵便部隊には入らなかった。軍のほうでは私を空戦騎乗りとしてほしがったのだ。どうしたことか、私のライダーとしての適正は軍の管理官の知るところとなっていた。父やベルグリューンが話したはずはない。
父がそれとなく横やりを入れてくれて、私はとある退役将校が運営する郵便商会に所属することになった。
空輸というのは高くつく上に一度に運べる量はごくすくない。一般からの速達便も扱っていたが、空域の多くが軍の管理下にあり、自由に民用騎が飛べないこともあって、やはり軍から委託された郵便業務がほとんどだった。
戦いが嫌いなのだという穏やかな性格の猛禽獅子や、もう空戦機動はできなくなったけれど人を乗せるのが好きなのだという老いた翼肢竜など、短い期間だったがさまざまな飛行獣たちと空を駆けった。私は新しい仕事がすっかり気に入っていたのだが。
――その日、商会の寮まで私を迎えにきたのは、見たことのない真竜に乗った、しかし顔には憶えのある父の同僚だった。
「ローパクト……准将は、名誉の戦死を遂げられました」
沈痛な面持ちとともに告げられたその言葉の意味は、最初ぜんぜんわからなかった。家には怪我をしていたがベルグリューンが戻っていて、心からほっとしたが、ではなぜ父はいないのかすっかりわけがわからなくなってしまい、いま思えばずいぶんひどいことをいってしまったような気がする。
本当の用件は父の葬儀が終わってから切り出された。
祖父と父、二代にわたって北部連合のエースと契約し、多大な貢献をしてきた――裏を返せば連合軍の内情を知りすぎた――ベルグリューンを、軍は今後も厚遇していきたいのだと。私にベルグリューンとの契約を引き継ぎ、祖父、父と同じ務めをこなしてもらいたいと、白金地の将官バッジをつけたお偉いさままで居並んで、十四の小娘相手に大のオトナの男たちが懇請するのだった。
正直なところ、私はそのときなにも考えていなかったと思う。母は決して覚悟ができていなかったわけではないだろう。姉が夫に先立たれたのを見ているし、空戦騎乗りに嫁ぐということは、そうした心構えが必要だとわかっていたから。しかし私は生まれたときから父の娘だった。人は死ぬものだという事実を知らないわけではなかったし、戦争とは生命のやり取りだとわかっていたが、それと父が帰ってこないことは別問題だった。
泣いてもいなかったし震えてもいなかったので、うわべにはしっかりしているように見えたかもしれないが、私はまともな状態ではなかった。私は父の見えない裾をずっと握りしめている甘ったれだった。かならず帰ってくると無根拠に信じていたから、離れていることのほうが多くても平気なだけだった。ベルグリューンとは一緒にいられる、というだけで、私は自動人形のようにうなずいていた。もうベルグリューンに取りすがって、離れたくなかった。
私の身分を正式な軍人にはせず、フリーランスのドラグーンとして北部連合軍と契約する、という形に整えてくれていたのは母だった。なにかあったときにそなえて書類を準備していたのは父だったのだと私が知るのは、ずっとあとになってからだ。
軍は完全にベルグリューンと私を隷下に置きたかったのだろうが、すくなくとも敵にはまわらない――しかし待遇が悪いと見れば連合との契約を打ち切ることができる――という条件でひとまずは満足するしかなかったようだ。私が祖父や父のように激戦区を転々とする過酷な任務ではなく、比較的重要度は高いものの辺境域の防空に就いている理由は、そのあたりにあるのだと思う。もっとも、人事官に直接問いただしたことはないのではっきりとはしていない。
私はいまの真竜使としての仕事も嫌いではない。楽しいかつまらないかと問われれば確実に楽しい。やりがいも充実感もある務めだ。戦争や政略を高度なゲームとして楽しむ、連合の不死貴族や真竜の心境も、ほんのすこしはわかるような気がする。生命をチップにしてまでやるようなことでもないだろうとは思うのだが。
もちろんこの余裕は、相棒が真竜であるおかげであって、翼肢竜や半馬鷲、ましてや大蜻蛉や飛剣魚に乗っていたら、生き抜くだけで必死でそれどころではなくなってしまうだろう。
私は運がよかっただけだということは承知している。それでも、父と祖父、そしてベルグリューンがいなければ、私はこの途に踏み込むことはなかっただろうから、やはり必然なのだ。
運命を恨むべきなのか感謝すべきなのか、それはまだはかりかねている。




