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『封建的搾取のリアル』を目の当たりにし、四束の麦を持っていかれて普通に腹が立つ

【授命暦842年 9/15 朝】


 春に蒔いた大麦の種が、ようやく穂をつけた。


 夏の乾いた日には賦役のあとで水を運び、夕立のあとは倒れかけた茎を起こした。水をやり、雑草を抜き、虫を取り、何ヶ月も見続けた区画だ。直営地の穂はもっと太い。春から続く土と種の差は、秋になっても埋まらなかった。


 そして秋の風が吹く朝、僕は初めて麦を刈った。



 賦役を終え、道具小屋から鎌を借りて実験区画に走った。


 朝露が畝に残っている。足元の土は冷たく、靴の裏から湿気が伝わってくる。


 風が穂を揺らしている。黄金色とまではいかない。やや痩せた、薄茶の穂が畝に沿って並んでいた。だが、何も育たなかった石だらけの土地から、これだけの穂が立った。


 鎌を握り、穂に刃を入れた。


 ざくり、と乾いた茎が倒れる音。掌に伝わる手応えで、本当に刈れたのだと分かった。刈った穂を左手に受けると、確かな重さがある。小さいが、粒は詰まっている。


 刈れたのは、全部で四束だった。ひと束ずつ麻紐で縛る。あの石だらけの地面からなら、上出来だ。鼻先に干し草と土の混じった匂いが届く。


 息を吐いた。両手が震えていた。


 母さんを呼ぼう。今朝、家の畑を片付けてから来ると言っていた。


 顔を上げると、畑道の向こうから、すでにイェニーが歩いてくるのが見えた。鎌の音で察したのか、こちらは見通せる位置だ。


 穂の束を掲げた。


「母さん、刈ったよ。——見て」


 駆け寄ってきたイェニーが、穂を手に取った。指先で粒を一つ弾き、重みを量るように束を持ち直す。


「……粒、入ってるね。思ってたより」


 イェニーは小さく頷いた。僕も同じだった——石だらけの地面から、これだけ詰まった粒が出るとは、母も僕も半信半疑だった。


「冬、少し楽になるかもしれないね」


 イェニーの声は静かだった。派手に喜ぶのではなく、粒を確かめながら、少しずつ採れたことを受け止めているようだった。


 穂の束を両手で抱え直した。掌に茎の硬い感触と、粒の重さが伝わってくる。目頭が熱くなりかけた。——いや、こらえろ。芽が出たときも泣きそうになっただろう。


 だが、こみ上げるものが抑えきれなかった。つい口が滑った。


「……ここから先は、うちに残る分をちゃんと数えなきゃいけない」


「何束残るかってこと? ——ムーア、それより穂を踏まないで。粒が落ちるから」


 イェニーは穂を大事そうに抱え直した。母さんは僕の言葉の意味より、穂が傷まないことを気にしていた。



 その日と翌朝は、四束を畝の脇に立てて乾かし、乾いた分から少しずつ叩いて粒を落とした。


 収穫の翌日から、教会にも通い始めた。


 扉の内側は蝋燭の匂いと羊皮紙の埃で薄暗い。敬虔なふりをするたびに、後ろめたさで腹の底が冷えた。嘘をついている。嘘をつかないと、字は学べない。祈りの文句は半分も分からないのに、口だけは合わせた。


 三度目にようやく聖典を見せてもらえた。司祭は奥で写本に向かっていて、代わりに若い見習いが出てきた。ケルンと名乗った。痩せていて、指が長い。聖典を広げる手つきは丁寧で、紙を汚さないように僕を少し下がらせた。祈りに通う子に聖典を開いて見せるのは自分の役目だと、少し得意げな気配だった。


「この字は、神さまの字です。畏れてご覧なさい」


 頷いて、視線を伏せた。伏せた目で追っていたのは字の形だった。覚えられたのは、まだ数えるほどだ。嘘をついてここにいる後ろめたさが、喉の奥に残った。


 そして、気づいたことがあった。聖典の字とグリュンの羊皮紙の字は、同じ字のはずなのに、書き手の癖で角が崩れている。聖典で覚えた形は、そのままでは羊皮紙に当てはまらない。



 教会に通い始めて四日目、帰り道で実験区画に寄った。覚えた字を、忘れる前に一度なぞっておきたかった。小屋の中だと母さんの目があるので、干し束の陰を選んだ。床下から、芽が出た日に拾った平たい石を取り出す。教わったばかりの字を一つ、小石で刻んだ。曲線の多い字で、小石の先がすぐに滑る。何度もこすり直して、ようやく白い溝になった。


 畑道の端から、足音が近づいてきた。


 顔を上げる。グリュンが、僕の区画の前に立っていた。刈り取ったあとの畝と、畝の脇に立ててある束を見下ろしている。


 石を畝の土で素早く覆った。


「ムーア」


 名前で呼ばれた。グリュンが名前を出すのは、ろくなことがない時だ。


「端の畑でも育てば、領主さまに出す分は増える。束の数は先に数える」


 掌が、冷たくなった。


 束の数を数えられた時点で、その中から領主と教会に出す分が決まる。四束のうち、どれだけが自分の口に入るか——どれだけ残るかを決めるのは、僕ではない。


「まだ全部は——」


「全部で何束だ」


 グリュンが羊皮紙を開いた。


 僕は反射的に目を走らせた。教会で覚えた文字と照合する。


 品名の欄は——追えない。書き手の癖で角が崩れて、聖典で覚えた形が当てはまらない。


 グリュンが親指で紙の端を押さえ直した。


 数字の列は三つ目まで追えたが、四つ目の記号は聖典にはなかった。羊皮紙独自の略記か。


 追えたのは一部だけだった。


 グリュンが羊皮紙を閉じた。片手で僕の襟元を押し、半歩下がらせる。


「何を覗いてる」


「……何も」


「俺の羊皮紙に顔を寄せるな。次は殴るぞ」


 視線が一拍長く止まった。僕が字を読めるとは考えてもいない目だ。顔を寄せた、その無礼だけを咎めている。


 握った指先に汗が滲んだ。読めると知られていない今は、その油断を利用できる。字を覚えさえすれば、顔を寄せなくても、羊皮紙の数字は目の端で拾える。


 グリュンが短く舌打ちした。


「数えた分だけ粒が揃わなければ、叱られるのは俺だ」


 口の端から漏らすような低さだった。「俺が叱られる」。その一言で、あの男もまた上の者に逆らえないのだと分かった。


 喉が、かすかに渇いていた。


「グリュン、一つだけ。——四束のうち、どれだけが僕らの分なんですか」


 グリュンは鼻を鳴らした。


「領主さまに三分の一、教会に十分の一。残りがお前らの食い扶持だ。昔からそうだ」


 それだけ吐き捨てて、背を向けた。


 去り際、グリュンは束をもう一度だけ見た。育ち具合を確かめる目じゃない。いくつ取れるか数える目だった。


 唇の裏を噛んだ。


(三分の一と、十分の一——)


 頭の中で、すぐに計算した。四束なら、手元に残るのは、二束と少し。しかも大麦は小麦より安い。外へ出しても、塩や雑穀に変わる量は少ない。採れる量が増えても、そのまま冬越しが楽になるわけじゃない。


 止められなくても、せめてどれだけ取られるのかは知りたい。字も、相場も、まだ足りない。



 夜。小屋に戻ると、鍋から夕食の匂いが漂っていた。湯気の中に、かすかに甘い香りがある。今日叩いて落としたばかりの麦の匂いだ。


 イェニーが戸口のほうに一度目をやり、外の音がないのを確かめてから、手元を指さした。声が低くなっている。


「ムーア。端の束から先に叩いて取った粒を、一握りだけ鍋に入れたよ」


「先に?」


「明日の朝、グリュンは皿で粒を量るからね」


 イェニーは手早く蓋を戻した。


「束じゃなくて、粒。叩いたあとの粒。その前なら、少しだけ抜けるよ」


「束の数は数えられても、一握り抜いたくらいじゃ、粒では分からないでしょう」


「……ばれたら、鞭だけどね」


 イェニーは平然とは言わなかった。もう一度戸口を見て、喉の奥で押し殺すような声で言った。


 初めてじゃないのだろう。そうでもしなければ、冬の鍋はもっと薄かったはずだ。


「母さん、それは——」


 口が動きかけた。やめた。言ったら伝わらない上に、飯が冷める。


「……ありがとう。助かるよ」


 椀を受け取って、すすった。舌に麦の粒が当たる。噛むと、ほんのりと甘みがした。自分の畑から採れた麦の味だ。


 翌朝、叩いて集めた粒を粗布の上にあけたところで、グリュンが大小の木皿と、二つの空袋を持ってきた。大きい袋と大きな皿が領主用、細い袋と小ぶりの皿が教会用だ。


「今から量る」


 返事をする前に、大きな木皿が粒をすくった。さらさらと音を立てて、三杯分が領主用の大袋に落ちる。粗布の上の山は、ちょうど三分の一だけ低くなった。それから小ぶりの皿——大皿の三分の一ほどしか入らない——に持ち替え、教会用の細い袋にひと杯だけ落ちた。自分で刈って、自分で叩いて落とした麦なのに、皿が傾くたびに、家の食い分が減っていく。


 四束から落ちた粒の山が、二つの袋に分けられた。領主用が大きく膨らみ、教会用はそれよりずっと細い。壁際に残ったのは、粗布の上にあった元の山の半分強。数の上では一番多いのに、朝に思っていた量より、ずっと少なく見えた。冬じゅうを支える量じゃない。薄い粥が何日かましになる、その程度だった。


 グリュンは膨らんだ二つの袋を肩に担いで戻っていった。四束も刈ったのに、持っていかれる時だけやけに早い。ただ、普通に腹が立った。


 しばらくは、その場に立ったまま動けなかった。粗布の上に残った粒を、指の腹で拾う。小さく、丸く、爪の下にくっつく。拾うたびに、持っていかれた袋の重さを思い出した。


 麦は食えば減る。しかも見える形で置けば、先に持っていかれる。塩や雑穀に替えるには、もっと軽くて、袋にまとめて外へ持ち出せるものが要る。


 イェニーが言っていた、秋の終わりに来る行商人——バスティアのことを思い出した。明日か、明後日には村に着くはずだ。


 芽が出た日の帰り道、ローザの麻袋からのぞいていた糸の束を思い出した。



 粗布を畳んで畑道に出ると、道の先で赤い髪が揺れていた。ローザだ。腰に括った麻袋が、前より明らかに膨らんでいる。


「ローザ」


 声をかけると、ローザが足を止め、振り向いた。


「何」


「その袋、糸?」


「見ればわかるでしょ」


 ローザは袋を軽く叩いた。


「この秋で、束にして二十くらい。……手が空いたぶん、紡いだだけ」


 二十。想像していたのは、せいぜい五つか六つだった。思わず袋の膨らみを見直す。さっきまでただの袋に見えたのに、急に二十束という量に見えてきた。


「多いな。予想よりずっと多い。凄いな、ローザ」


 ローザの頬が、わずかに赤くなった。


「大げさ。ただ紡いだだけでしょ」


 言い切った直後、袋から一束を引き抜いて、僕の胸に押しつけてきた。軽いが、手に受けるとしっかり詰まっている。


「そんなに気になるなら、一束持っていきなさいよ。どうせ、見て引っ張るだけでしょ」


 ローザは袋を結び直して、先に歩き出した。赤い髪の先が、朝の光に一度だけ光った。


 手の中の束を見下ろす。指で一本をつまんで引くと、撚りは揃っていて、途中で切れない。軽く巻けば、麦みたいに嵩張らない。袋に入れておける。


 小屋に戻り、壁際の小さくなった麦袋と、手の中の糸を見比べた。四束刈れた嬉しさより、取られた悔しさのほうがずっと大きかった。四束も刈ったのに、腹を立てているだけでは何も変わらない。

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