『生産力基盤の改善』と偉そうに言いつつ、やっていることは地道な石拾いである
【授命暦842年 3/18 朝】
朝のうちに、やることが決まった。
ローザの糸を売る話を本当に進めるなら、まず、ローザが糸を紡ぐ時間を作らないといけない。
行商人は秋の終わりまで来ない。来たとしても、許可ひとつで村に入れない年がある。
僕らは殆どの時間、領主のための労働か、食べ物を作るために時間を費やしている。
反乱を起こして一発逆転で革命だ!と息巻くこともできるかもしれない。だが、ローザや母の命を危険に晒すなんてことはできないし、そもそも成功する可能性もない。
食う分に少し余裕が出るか、少しでも金が入れば、ローザは糸を紡ぐ時間を取れるし、売り先も探せる。
鐘が鳴れば領主の畑へ行く。戻れば家の畑の手入れがある。粗末な夕飯を食って寝る。
売れるものも売る相手もない。となると、今から手を付けられそうなのは村の端の石だらけの荒れ地だけだった。
朝、うちの畑で雑草を抜いているイェニーに聞いた。
「母さん、東の端の石だらけのとこ、まだうちの分だよね」
「うちの分って言っても、畑とも呼べないけどねえ」
イェニーは雑草を引き抜いて、土を払った。
「石をどけるだけなら、グリュンは何か言うかな」
「どけるだけなら言わないよ。でもどけるだけじゃなくて畑を作るんでしょ?」
「そうなるね。何かを育ててみようと思って」
「好きにしなさい。ほどほどにね」
イェニーは呆れたように笑って、抜いた雑草を畝の脇にまとめた。
「そういう土地はどこにもあるけど、手を掛けてどうにもならなかったら大損だから、誰もやらないんだよ」
——そこそこの労力をかけて畑を作っても、何かが実るかは運次第。うまくいくか分からない土地に手間をかける余裕は、村の誰にもないだろう。
子どもの僕なら、夕方に少しは手が空く。石をどけた下の土が、まだ畑にできそうかどうかくらいは、前世の知識で見当がつく。まるきり運任せでもない。
「やってみることにするよ」
イェニーは少し黙った。
「あんたがやってみたいなら、それでいいよ」
止めなかった。
昼の賦役で隣で石を拾っていた老人に、試しに聞いてみた。
「拾った石、畝の下手に寄せたら、雨で土が流れにくくならないかな」
老人は石を持ち上げたまま、しわだらけの目で僕を見た。
「やめろ。領主さまの畑で勝手な真似するな」
「悪くなったら罰を受ける、良くなっても何も良いことがない」
石が地面に落ちた。重い音だけが残った。
そりゃそうか。勝手なことを試すには、罰の危険が大きすぎる。
畝の先を、グリュンが歩いていた。
「そこ、手を止めるな」
低い声。目だけがこちらを向いた。
「……申し訳ありません」
僕は鍬を振り直した。
畝の隅に、丸い石が転がっていた。
ひびは見えない。白い筋もない。泥で濡れて、鈍く光っている。
老人がそれを拾い上げる前に、親指の腹で表面を二度なぞった。
またそれか、と思った。前にも賦役の畑で見た、石の表面を指先で確かめるあの手つきだ。
次の瞬間、石は老人の指が通った線で、ぱきりと二つに割れた。
落としたからじゃない。叩いたからでもない。持ち上げただけで、そうなった。
老人は割れた石を片手ずつに持って、畝の外に投げ捨てた。何でもないことのように。
「……今の、前にも見た。どうやってるの」
「何がだ?」
「石。割ったよね」
「ああ、でかいと邪魔だからな。割っておくと面倒がない」
老人は次の石に手を伸ばした。
「石の筋が分かるってこと?」
「そんなもんだ。長く触ってりゃ誰だってできる」
老人は鼻を鳴らして、次の石を手の中で返した。石を割ってそのまま畝の外へ放る。真っ新な断面に日の光が反射している。
前に見たときは、この世界の妙な力の方が気になった。今は違う。自分の畑でも使えるなら、身につけたかった。
それが技術なのか何なのかは気になるが、今はそれどころではない。畑を作る準備をしないと。
夕方、小屋に戻ると、イェニーが鍋の前にいた。椀によそい、僕に差し出す。
暖かいがあっという間に胃の中に消える。明日の朝とは言わず、数時間もすればまた腹が減るだろう。
もう少しだけ食事で満足感を得たい。旨くなくても良い。
搾取される農奴は常に空腹だと、前世では一行で教えていた。あの頃は短く書かれていただけの空腹のつらさを、今は自分の身で知っている。苦笑しか浮かばなかった。
食事のあと、小屋を出た。
東の端まで歩く。
そこは確かにひどかった。
家の畑のいちばん端で、石がごろごろしている。拳大の石から、頭ほどの石まで。雑草がまばらに生えているが、作物の痕跡はない。
しゃがんで、土を手で掘った。指の間に小石が混じる。冷たくて、湿っている。
石の下の土は黒かった。指でこすると、湿り気のわりに固まりきらず、ぽろりと崩れる。根を張った雑草も浅い。
悪くない。石に覆われていたぶん、水分が残っていたらしい。酸っぱくもないし、腐った匂いもしない。使えない土じゃない。ただ、石が多すぎて畑にできないだけだ。
今日の目標を決めた。大きめの石を全部外に動かす。それだけだ。
最初の一つに両手をかけた。びくともしない。腰を落として揺らす。土が少しずつ崩れ、爪の間に泥が入る。もう一度力をかけると、ようやく端が浮いた。膝で押し、肩で支えて、転がすように脇へ出す。たった一つで息が上がった。
前世では机に向かって文字を書いていたのに、今は土まみれで石を抱えている。先の大きなことをいくら考えても、今日やることは石をどけることだった。笑うしかない。
そのとき、砂利を踏む足音が聞こえた。
赤い髪。薪の束。
ローザだった。
こちらを見て、立ち止まった。石だらけの地面にしゃがんでいる僕を、数秒だけ見ていた。
「何してるの。見りゃ分かるけど、なんでそこ」
「石、どかしてる」
ローザは眉をひそめた。
「そこ、畑にする気?」
「……うん。食う分が少しでも増えれば、そのぶんローザは糸を紡ぐ時間を取れる。石さえどければ、下の土はまだ畑にできる」
「そんなに広くなんないよ。それで何食えるの?」
「夕飯が一回ぶん増えるだけでも、今はそれだけで助かる」
ローザは薪の束を地面に下ろした。縄が乾いた音を立てる。
「で、今日中にどのくらいやるの?」
「目につく大きいの、全部」
ローザはしゃがんで、足元の石を一つ拾って脇へ放った。
「……手伝ってくれるの」
「暗くなるまでいられないから、ちょっとだけ」
もう一つ。もう一つ。
ローザは小さめの石だけを選んで、慣れた手つきで地面の端へ寄せた。しばらく経つと、薪の束を背負い直した。
「続きは一人でやってね。あんた、大きい石を動かす時の腰の入れ方が下手。脚で押しなさいよ、手で抱え込まないで」
ローザは立ち上がりざまに、僕の肩を指の背で軽く小突いた。薪の束を背負い直す。
「ありがとう。凄く助かった」
ローザは無言で、そのまま振り返らず、畑道を歩いていった。少し小走りだった気がする。
薪の束を縛っている糸が、夕日に光っていた。
ローザが去ったあと、いちばん大きな石にもう一度手をかけた。少し浮く。だが、持ち上がらない。膝で押し、肩でずらして、やっと土地の外へ転がす。腕が痺れて、しばらくその場に座り込んだ。
半年後に行商人が来る。それまでに、自分たちが食べる分より少し多く収穫できる畑にしたい。その余りがあれば、ローザは糸を売る余裕ができる。村で言えば、粥を少し濃くできるだけの余りが欲しい。
外へ出せたのは、大きい石がいくつかと、小石の山だけだった。目につく大きい石はあらかた片付いたように見える。けれど、土を払うたび中くらいの石がまだ顔を出す。終わったとはとても言えない。それでも、最初の晩としては進んだと思うことにした。




