書く物も必要
当日書いて当日出すという無茶をずっと続けていますが、多分しばらく解消されることはありません
【授命暦843年 10/15 朝】
九日経った。
ローザはあれから何度か小屋に顔を出していた。来れば手は動かす。もう素っ気ない感じはしなくなった。何故なんだ。
今日は朝から小屋に行った。
作業台の上に、板ごとローザの紙が立てかけてある。先日の炭で書いた『紙を作り上げた日 ムーア、ローザ』が書かれており、少し恥ずかしくなる。
失敗作の紙に炭で適当に字を書いてみる。かなり繊細に書かないと、炭は折れてしまうし、太さも一定ではない。
これでは清書はできないし、簡単に書くことはできない。
紙だけ作っても駄目だな、と思った。書く道具がいる。ボールペンほどの書き心地は無理にしても、最低でも手が汚れない筆記具が必要だ。
「ローザ、炭で字を書くのは大変だな」
「石で削るよりは楽だけど、細かい字は書けないね」
「そこで、書く道具を作ろうと思います!」
「また何か思いついたの?今度は曖昧じゃないといいけど」
前世で読んだ産業労働史の一節が浮かんだ。鉛筆の前身、コンテ・クレヨン。フランス革命のあたりで、戦争で輸入が止まったグラファイトをどうにかしようとして、木炭の粉と粘土を混ぜて棒にした、という話だった。
混ぜて、固めて、乾かした上で焼けばいいはず。それほど問題無いだろう。
「炭を、そのまま持つんじゃなくて、粉にして、粘土と混ぜて、棒にする」
「は?」
「そうすれば、折れにくくて、もう少し細い線が出るはずなんだ」
「今回のは何となくわかる」
「まぁ、炭を粘土で固めたもんだからね」
ローザは作業台の黒い帯を見て、それから僕の指を見た。
「じゃあ、まずその手、洗ってから」
⸻
【授命暦843年 10/15 昼前】
軒先に出ると、婆さんが家の方から鍵を提げて歩いてきた。腰の紐から下がった鍵が、足の運びに合わせて軽く揺れている。
その後ろから、洗った布を抱えたイェニーがついてきた。
「あんた、また何か始めるのかい」
婆さんは小屋の前で足を止めた。
「紙を作っても書く道具が微妙だから、書けるものを作るつもり」
「そんなもんかね」
イェニーが布を作業台の端に置きながら笑った。
「ムーアさん、今日は朝から働いてらっしゃるのね」
「働いたっていうか、汚しただけ」
「同じよ、汚れるのも仕事のうち」
まずは炭を選んだ。
火鉢の灰の中から、燃え残りの黒い欠片をいくつか拾い出す。脆そうなものを除いて、芯までしっかり黒いものだけを残した。
それから板の上に置いて、別の板で叩いた。
ぱき、ぱき、と音が立つ。指の腹で潰せば割れる。
すり潰せば問題無いだろう。
「母さん、これ、すり潰して貰って良い?細かい方が助かる」
「良いわよ。どのくらいが良いの?」
「よく分かってないので、感覚で……」
「あなたはいつもそういうところは大雑把ね」
母は口に手を当てて笑っている。
次は粘土だった。
小屋の裏手の壁際に、村の土を取って固まりにしたものが置いてある。少し削って椀に入れ、井戸から汲んだ水を加えた。
婆さんが横から覗き込んだ。
「そんな水っぽいくていいのかい?」
「これから漉して、上澄みを捨てて、沈んだ方を使うんだ」
「なるほどねぇ。重たいものが沈むのか」
婆さんは指先を椀に入れた。少しだけ水を含ませて、土の柔らかさを確かめている。
「布で漉せば、もう少しなめらかにできます」
「土にそこまでする必要があるかねぇ」
「書き心地に関わりそうので、丁寧にやりたいんです」
婆さんは木枠の上に布を広げ、土水を流し込んだ。布の目を抜けて、灰色がかった水が下の桶に落ちていく。布の上には、粒の粗い砂と小石が残った。
「これで、置いておけば沈みますよ」
桶を軒先の隅に置いた。日陰で、揺れない場所。
あとは沈むのを待つだけだった。
しばらく経つと、土が沈んだ。
上澄みの水を捨てて、板に土の部分をあけて乾かす。
天気も良いし、一日あれば大丈夫だろう。
⸻
【授命暦843年 10/17 朝】
粘土は乾いており、問題なさそうだった。
今日はローザと二人で仕上げをする。
「でもって、これで、粉にした炭と混ぜます。ではローザ——」
「手が真っ黒になりそうだからやらない」
チッお見通しか。自分でやろう。
最初は同量で混ぜたらかなり色が濃い。何となく折れそうなので、2:1くらいにしておく。これは微調整だな。
手で混ぜると、爪の隙間に侵入して真っ黒になった。
途中くしゃみをして盛大に吸い込んだが、炭の粉塵ってダメだったような気がする。
「でもって、糊をいれながら捏ねます」
捏ねると、まとまってきた。何となく柔らかい気がするが、どうせ乾燥して焼くしいいか。
「もう、手は汚れないから棒状にするのを手伝って」
「どれくらいの太さにする?」
「細い方が書きやすいけど、折れると微妙だから、指の半分くらいかなぁ」
「均等にできるかはわかんないわよ」
そう言いながら器用に丸めていく。鉛筆の芯みたいになってきたな。
「じゃあ切って、乾かそうか」
「長さは?」
「どれくらいが使いやすいかわかんないので、とりあえず指くらいでいいんじゃないかな」
「何か適当なのに、できるのは確信してるの変だよねあんた」
「何事も挑戦してみないと分からないからね」
空気が入って折れるとかはあるかもしれないが、完成することは分かっている。
完成するかも分からないのに、試行錯誤した先人の発明を盗用しているが、仕方ない。
「では乾かして、焼けばいいかな」
数日はかかるので、少し時間を持て余した。畑をやっても少し余裕がある。
思えば体力がついたものだな。紙の方も足りない。
昨日まで残っていた粗い紙片はもう書く前に汚してしまったし、作って置く必要があるな。
「紙、もう少し作っておいた方がいいかも」
「今からやるの」
「沈むの待つ間に、できる」
「え、またやるの?」
「うん」
ローザは肩を落とした。
「あんたって、休むって発想がないよね」
⸻
【授命暦843年 10/18 昼〜夕方】
水場に降りた。
いつものぼろ箱を引き寄せたら、横に別の桶があった。中に水が張ってあって、麻ぼろが浸かっている。
「昨日の夕方に、浸しておいたの。前の日から浸けたら、叩くのが楽になるんじゃないかと思って」
「いつから?」
「夕方。日が落ちる前」
「ええと、それで、楽になった?」
イェニーは桶からぼろを一枚すくい上げて、両手で軽く揉んだ。
繊維が、ぐしゃ、と崩れる。少し叩いただけで、すでにほぐれかけていた。
「とっても」
昨日の夕方から、僕の知らないところで、もう一段話が進んでいた。
「いつ思いついたの」
「先週、ムーアさんが帰ったあとに、なんとなく」
「それ、最初から言ってよ」
「言うほどのことかと思って」
水に浸かっているだけで、叩く手間がはっきり減るというだけの話だが、紙作りの何工程も後ろにある「叩きほぐし」が、最初から半分済んでいるのはありがたい。
ローザが水に浸かっていないぼろを一枚もってきて言った。
「同じ幅と長さで切ったら、一定均一になるんじゃない?」
ローザはイェニーに目をやった。イェニーは頷いて、台の上に布を広げ、刃物で端から端まで一本の線を入れた。布端を裂くと、まっすぐ同じ幅の帯になった。
その帯を、また同じ長さで切る。指の幅二つ分くらいで揃えた。
「これくらい?」
「それくらいで良いと思う」
四人で並んで、ぼろを切り、水に浸し、叩きほぐした。
ぼろの幅が揃っていると、叩く回数が見当をつけやすい。一枚ぶんの目安も決めた。
漉く段になって、また工夫がいるなと思った。
前回は厚みが偏った。一枚目で穴が空いて、二枚目で破れた。
「板で押そう」
「板?」
「漉いたあと、上から板を当てて、石を載せる。水が抜けて、厚みが平らになると思う」
乾燥用の板の上に、漉いた繊維を移した。
その上にもう一枚、平らな板を被せて、井戸の脇に転がっていた手頃な石を載せた。
しばらくすると、板の隙間から水が滲んで落ちていく。重みで、繊維が均された。
石を退けて板を外すと、前より平らな繊維の層が残っていた。
「これは、いいかも」
「貼るときも、揃えたい」
ローザが乾燥板を持ち出してきた。
板の角に、刃物の先で四角く印を付けた。同じ大きさの四角を、四枚分。
「この中に貼れば、同じ大きさになるでしょ」
「うん」
「ばらばらだと、あとで面倒」
印に合わせて貼ると、四枚の紙が同じくらいの大きさで揃った。
ローザは自分の貼った一枚を端から目で追って、首を傾げた。
「ここ、端が薄い」
「直せる?」
「貼り直せばいいでしょ」
ローザは紙を一度剥がして、端の方に少しだけ繊維を足してから、もう一度貼った。今度は端まで均一になった。
婆さんは自分の一枚を指でなぞった。
軒先の乾燥板を見渡した。
四枚の紙が、似たような大きさで並んでいた。前回の凹凸ほど派手ではない。穴空きもない。表面は、まだ粗い。だが、指でなぞって引っかかるほどではなかった。
一旦はこれで大丈夫な気がする。
「これ、乾いたら、いろいろまとめられるな」
「なにを書くの」
「畑のやり方と、酒の作り方」
ローザが眉を寄せた。
「なんでその二つなの」
「畑は、村の隅で老人と続けてきたやつ。骨を撒くとどう変わるか、覚えてるうちに書いておきたい」
「忘れるの?」
「人が増えたら、僕の口じゃ追いつかない。書いておけば、見て覚えられる」
「ふうん」
「酒は、婆さんの手順。婆さんがいなくなったら誰も再現できない」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「そういうことじゃないんだけどね」
ローザは軒先の方に目を向けた。あの予備板。担当表が書かれている板で、もう書く場所が残っていない。
「あの板、もう書けないよね」
「うん」
「整理はして書いておきたい」
「わかった」
いろいろ書ける、というのが、なんとなく気持ちのいい感じだった。
今までは、思い出すたびに口で繰り返していた。
頭の中の知識を、紙に乗せて、誰でも見られる場所に置けるのは気分が良い。
……まあ、まずは乾くのを待つだけだ。
「それで、最初は何から書くの」
「畑か、酒か、担当表か」
「決めなさいよ」
「うーん」
「決めないなら、私が決める」
「決めて」
「全部必要そうだから、全部かな」
「欲張りだなあ」
「あんたが言い出したんでしょ」
次に何を書くか、その次に何を書くか、を考えるのは、もう少し先でいい。
まずは棒が乾くのを待って、紙の上に手順を一つずつ並べる。
そこから先は、また考える。
軒先に並んだクレヨンは、まだ少しつやがあって、指で触れると湿っていた。
来週には、乾いている。




