表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/29

普通って何?

【授命暦843年 10/30 昼】


 朝のうちは家の手伝いをして、昼前に小屋へ来た。婆さんは家で繕い物、母さんは畑にいる。


 今日はローザと二人で、作った紙に、今までのノウハウを書き残すことになっていた。


 紙を作れたなら、次はそこに何を書くかだ。ぼくの頭の中だけに置いておくと、忘れるし、説明するときにも毎回言葉がばらつく。


 作業台には、乾いたクレヨンが数本並んでいる。


 軒先の板で乾燥させていたものが、十二日経って、表面のつやはもう消えていた。念のため朝のうちに火を起こして、近くでさらに乾燥させておいた。


 一本つまんでみる。指に少し粉がつくけれど、形は崩れない。


 そのままでは滑るので、細い麻紐を巻いて、鉛筆のように持てるようにしてみた。見た目はかなり不格好だが、指で直接持つよりはずっといい。


 紙の余白に線を引いてみる。


 細い。


 思ったより、よく書ける。



「おお」


 思わず声が出た。


「なに、その声」


「いや、ちゃんと書けたんだよ」


「ちゃんと書くためのものじゃないの?」


「そうだけど、実際に書けると別だよ」


 ローザに渡してみると、ローザは少し慎重に持って、紙の隅にさらさらと自分の名前を書いた。


「おお!」

「ローザも言うじゃん。炭とは段違いだよね」

「手が真っ黒にならないのがいい」

「あと、こすってもすぐには消えない」

「間違えたら?」

「流石に消せないので、二重線とかで消すくらい」

「それは仕方ないか」


 二人で顔を見合わせて、しばらく紙の上の線を眺める。たった一本の線なのに、妙に大きなことをした気分になる。


「で、何から書くの」

「農法からにしようと思う。酒造りは、そのあと」

「農法って、畑のこと?」

「そう。ぼくが今やってることを、あとで見返せるようにする」

「じゃあ、最初から紙に書くの?」

「いや、清書する前に整理したい」


 ぼくは小屋の床の、固く踏まれた土の上に、細い棒で字を書いた。


 土を耕す。

 種を選ぶ。

 種を蒔く。

 肥料を入れる。

 育てる。

 刈り取る。


「これが大枠」

「項目だけ見ると、普通だね」

「普通のことは書かないようにしよう」


 そう言うと、ローザはすぐにこちらを見た。


「普通って何?」

「えーと、種をまくとか、畝を作るとか」

「種をまくときに工夫してないの?」


 言われて、ぼくは口を閉じた。

 している。

 かなりしている。


「……塩水で、詰まっている種を選んだり、事前に水に浸したりしてる」

「それ、普通じゃないよね」

「そうだね」

「あんたにとっての普通は、みんなと違うでしょ」

「確かに。間違いない」

「最初から信用できない」

「そこまで言う?」


 ローザは棒を受け取って、地面に書き加えた。

 塩水で種を選ぶ。

 水に浸したあとに蒔く。


「塩水で選ぶって、どうやるの」

「水に塩を溶かして、種を入れる。軽くて浮いたやつは捨てる。沈んだやつを使う」

「浮いたら悪い種なの?」

「全部がそうとは限らないけど、軽い種は中身が詰まってないことが多い」


 ローザの目が細くなった。


「書き残す意味ある?」

「ある。たぶん」

「たぶんじゃ困るでしょ」

「でも、まだ正確には決められてない。だから、今は『浮いた種は捨てる』『沈んだ種は洗って使う』って書く」

「洗うの?」

「塩が残るとよくなさそうだから」

「それも書く」


 ローザは、少し考えながら地面に線を足した。

 沈んだ種を洗う。

 その後、水に浸す。


「どのくらい水に浸すの」

「一晩くらい」

「一晩くらい、って何?」

「夕方に浸して、朝に蒔く」

「最初からそう言って」

「はい」


 ローザはうなずいて、棒を地面にこつんと置き直した。


「畝はどうしてるの?」

「水はけが悪いから、高くしてる」

「どのくらい?」

「ぼくの肘の少し下くらいかな」

「わたしの畑より高いじゃない」

「そうだと思う」

「なんで言わなかったの」

「隠してるわけじゃなくて、聞かれると出てくるんだよ」

「じゃあ、全部聞く」

「お願いします」


 もう一行、〈畝・肘の少し下の高さ〉と書き加わった。


「畝を高くすると、何がいいの」

「雨が降っても、水がたまりにくい。根が腐りにくくなると思う」

「思う?」

「そこは、ちゃんと比べたわけじゃない。でも低い畝よりは育ってる」

「じゃあ、『水がたまりにくい』までにしておく」

「慎重だね」

「あんたが雑だからでしょ」

「返す言葉がない」


 ローザは棒の先で、地面の字を軽く叩いた。


「種はどんな感じで埋めてるの」

「えーっと、指二本分くらい」

「指二本分」

「浅すぎると鳥に食べられるし、深すぎると芽が出るのが遅い」

「それも普通?」

「言ってない」

「言いそうな顔をした」

「顔で判断しないでほしい」


 ローザは無視して、〈種は指二本分〉と追記した。


「間隔は?」

「作物による」

「はい、だめ」

「だめ?」

「それだと後で読んでもわからないでしょ」

「そうか」

「麦なら?」

「麦は、詰めすぎない。手のひら一つ分くらい空ける」

「豆は?」

「豆はもう少し広い。育つと葉が広がるから」

「根菜は?」

「根が太る分、さらに広くしたほうがいい」


 ローザは途中で手を止めた。


「これ、作物ごとに紙を分けたほうがよくない?」

「そのほうがいい」

「最初から大きく分けすぎ」

「ぼくも今そう思った」


 紙を使う前に地面へ書いておいてよかった。いきなり清書していたら、すぐにぐちゃぐちゃになっていた。


「あとは骨粉を肥料として撒いてるかな」

「肥料?」

「植物が育ちやすくなるもの」

「それはどう作るの?」

「動物の骨を焼いて、粉にしてる」

「焼くのはなんで?」

「砕きやすくなるのと、生のままだと臭うし、腐るから」

「それを、そのまま振りかけてるの?」

「いや、種を蒔く前に土に混ぜてる。根に直接当たりすぎるとよくない気がするから」

「気がする」

「そこは、まだ確かめてない」

「でも、混ぜてるんだね」

「うん」


 ローザは、〈骨を焼く・砕く・土に混ぜる〉と書いた。


「量は?」

「畝一本に、両手でひとすくいくらい」

「両手って、あんたの?」

「ぼくの」

「わたしの手だと少ないね」

「じゃあ、器で決めたほうがいいか」

「そういうのを書き残すんでしょ」

「その通りです」


 言われっぱなしだった。

 ただ、ローザの言うことは正しい。

 ぼくは知っているつもりで、実際にはかなり感覚でやっている。自分だけでやるならそれでもいいが、人に伝えるなら全然足りない。


「それで次は?」

「あとは、雑草を抜いたり、土寄せをして、倒れにくくするとか」

「いつ抜くの」

「芽が出たばかりのころ。作物と雑草の区別がつくようになってから」

「早すぎると?」

「間違えて作物を抜く」

「遅すぎると?」

「雑草に栄養を取られる」

「それも書く」

「はい」


 ローザは、こちらに棒を返さずに字を増やしていった。

 雑草は早めに抜く。

 作物と見分けてから。

 土寄せをする。

 倒れにくくする。


「土寄せは、どれくらい?」

「茎の根元が隠れるくらい」

「埋めすぎたら?」

「たぶん、よくない」

「たぶんが多い」

「研究途中なんだよ」

「便利な言葉だね」

「使っていきたい」

「だめ」


 二人して笑った。

 しばらく地面に書いたものを見下ろす。

 最初は六行だけだったのに、今は文字があちこちに伸びて、矢印まで生えている。整理するために書いたはずなのに、むしろ畑の中みたいになっていた。


「二度と普通とか言わないで」

「努力する」

「努力じゃなくて、禁止」

「禁止か」

「禁止」

「……わかった。普通は禁止」


 ローザはうなずいて、ようやく紙のほうへ目を向けた。

「これ、紙に書くとしたら、どう分ける?」


「まず、共通のこと。種の選び方、畝の作り方、肥料」

「作物ごとのことは別?」

「別。麦、豆、根菜で分けたい」

「紙、足りる?」

「足りない」

「最初から問題じゃない」

「だから、最初の一枚は見本にする。全部は書けない」

「紙作りも、もっとやらないとね」

「そうなる」


 ローザは少しだけ嫌そうな顔をした。


 紙作りは楽ではない。水も使うし、叩く作業もあるし、乾かす場所も必要だ。書けるようになった瞬間に、書くための紙が足りないとわかるのは、少し皮肉だった。


「じゃあ、酒造りは?」

「それも書こうと思ったんだけど、婆さんに聞かないと正直わからんところ多いよね」

「……まぁ確かにそうね。わたしもなんとなくになっちゃう」

「酒のほうが、危ないしね。失敗すると飲めない」


 ローザは笑って、棒を置いた。


「思ってたより、書けることが少ないね」

「ぼくも、思ってたほど知らなかった」

「知らないっていうより、ちゃんと言葉にしてないんじゃない?」

「それはある」

「明日聞くよ」

「あんた、休むって発想やっぱりないでしょ」

「あるよ。たまには」


 ローザは短く息を吐いて笑い、クレヨンの先を布で拭いた。


 それから、折れないように一本ずつ作業台の端に並べる。


 紙にはまだ、ローザの名前と、試し書きの線しかない。


 でも、床の土には、畑と酒のことがごちゃごちゃに広がっている。


 ぼくはそれを見て、ようやくわかった。


 知っていることを書くのは、思ったより難しい。


 けれど、書こうとしなければ、何を知らないのかもわからない。


「まずは、畑の共通部分から清書しよう」

「普通禁止で」

「普通禁止で」


 ローザがうなずいたので、ぼくは最初の一枚を、作業台の真ん中に置いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ