見えない労働
文体を試行錯誤してます。
共産主義となろう小説の愛称が最悪なのでは?と10万文字以上書いてから気が付きつつあります。
【授命暦843年 8/5 朝】
「ムーア」
「はい」
「梨の金、いま何枚残ってるんだ」
井戸端には、水桶だけでなく、梨の金の使い道を聞きたい顔が増えていた。
井戸端に着いてすぐ、シュテファンが声をかけていた。大柄で農民の割に色が白い。
「残りは十二枚ですね」
たまたま近くにいたヨーゼフが、肩の桶を下ろして横に並んだ。小柄で色が黒い。オセロみたいだなと少し思う。
「酒作り道具に使ったって聞いた。で、残りはどうするんだ」
ついに来たか、と思った。当然の疑問で、いつかは答える必要があるとは思っていた。
その時、向こうから婆さんが歩いてきた。
婆さんはいつも止まっている所しか見かけないので、移動するんだなぁとどうでも良いことを考えてしまっていた。
「ここで立ち話するより、皆に伝えな。みなは小屋に集まってるだろう」
婆さんは端的に言った。
婆さんはそれだけ言って、小屋の方へ歩き出した。立ち止まる気配はない。ついてこいということだろう。
僕は歩き始めた。シュテファンが桶を縁石に置きっぱなしのまま、僕の三歩後ろをついてくる。ヨーゼフも、肩の桶を地面に下ろして、後ろをついてきた。
気まずいなと思いながら、僕は黙って歩いた。
⸻
【授命暦843年 8/5 朝〜昼】
酒造り用の空き小屋の前には、低い藁束が二つと、欠けた木桶が一つ置いてあった。
いつの間にか来たローザが、薪を桶の脇に下ろした。
「どうしたの?」
「お金の使い道をちゃんと皆に説明しようと思って」
「今更?そんなにちゃんとしなくても良くない?」
「……婆さんに言われたから」
ローザはそれ以上は何も言わなかった。
シュテファン、ヨーゼフ、それから家の用事の合間に出てきた三、四人の村人が、集まってきた。
「梨酒で受け取ったお金は最初は十八枚でした。樽に二枚、搾り器に三枚、鉄輪に一枚払いました。残りは十二枚です」
「この、残り十二は、どうするんだ」
もちろん、その話が来る。
家内生産から共同作業場への移行、労働時間の節約、道具への再投資と言いたいところけれど、意味不明過ぎるので分かりやすくする必要がある。
「家ごとだと、仕込みの日も、見る人も、ばらばらでした。なので、いつセイに渡せるか、そもそも飲めるのかも分かりませんでした。だから、小屋に集めることにしました。小屋に集めると、まとめて管理ができるようになりました。ただ、畑仕事に行く人が減っちゃいました。だから、効率を上げるために道具を作って貰いました。樽と、搾り器、鉄輪。人手を増やさない代わりに、道具で時間を縮める形にしました。これは効率のためには必要なことで——」
「長いよ。学習しなよいい加減」
ローザが刺してくる。
僕は、口を閉じた。閉じてから、息を吐いた。
「……小屋に集めてまとめて作ると楽になったんです。でも、人が小屋に取られます。だから道具を入れました」
ローザは少し満足して言葉を繋ぐ。
「で、残りはどうすんの?皆で山分けする?」
少し笑っている。これはローザの優しさだ。それに乗っかることにする。
「残りは十二枚ですけど、これはそのまま置いておきます」
藁束の前で、ヨーゼフが少し顎を引いた。シュテファンは欠けた木桶の縁を見たままだった。
「お前が持ったままなのか?どうするんだ」
当然の疑問だ。それほどの強い信頼関係はない。婆さんが任せろと言ったことに何となく流された人しかいないので当たり前だ。
「布も足りていません。桶も壊れてます。次の仕込みの前に、もう少し要ります。十二枚は、この、足りないものを買うために使おうと思います」
婆さんは、藁束に座らないまま、短く言った。
「分けて食えば、そこで終わりだよ。樽は残るし、絞り器もそこに残るからね」
ヨーゼフが、息を吐いた。短かったが、聞こえた。
シュテファンは、少しだけ顎を引いた。
「そうだなぁ。でも、みんな豊かなわけでもない。今そこにあるなら使いたくなるな」
「道具を増やせば、少ない人数で酒が造れます。そうなれば、もっとお金を稼げるはずなんです」
何で僕がお金を増やすことなんかしないといけないんだ。資本家かよ。
しゃべりすぎた、と思ったところで、婆さんがまた口を挟んだ。
「次も作るし残しな。村には明日が必要になる」
「だから、残しな」
シュテファンが、桶の脇に視線を落とした。それから僕を見た。
「分かった」
「うちも、まあ、聞いといていいだろ」
ヨーゼフは、晴れた顔ではない。とりあえずは納得した顔だった。
僕はほっとした。どうにか前に進むことができた。資本を増やす方向なのは全く不本意だが。
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【授命暦843年 8/5 昼】
昼に近づくと、戸口の前に、家の用事の済んだ村人がもう一人加わって、藁束の前は六、七人になった。ハインリヒが小屋の中から軸の前を離れて、出てきた。手の甲で額の汗を拭って、藁束の脇に立った。
「ムーアさん、これからどうするんですか」
「うん。これから、誰が何をするか整理しようかなと」
僕は地面に、新しい列を作った。上から、軸、布、桶、水、梨割り、運搬、と縦に書いた。少し空けて、その下に、壺を見る、と書いた。
僕とローザくらいしか読めないので、単なる思考整理でしかないが。
ローザがちらっと地面を見て口を開く。
「今、ハインリヒが絞り器をずっとやってるよね」
「そう、なので休んだりすると全員が止まっちゃいます」
「なるほど、椅子に縛り付けて休ませないようにすればいいわけね」
「待ってくれ。死んじまうよ」
「死んでから文句は聞く。まずは試してみよう」
「おい、この女、人を殺そうとしてるぞ、ムーアなんとか言ってくれ」
ローザは容赦が無い。死なないにしても現実的な話として、それではまずい。風邪をひくこともあるし、休憩も必要。そもそもいつも酒蔵にいられるわけでもない。
「軸は、ハインリヒだけにしないつもりです。一人だと、いろいろ問題があるので」
ハインリヒは、汗を拭いた手をそのままにして、苦笑いに似た顔をした。
「いやー、まあ、確かに、もたねえっすね」
「軸は、半日交代を二人で。布と濾しは、布を持ち寄れる家から二人。桶は、運ぶ手と置く手で二人。水は、井戸端から運ぶ人と、小屋で替える人で二人。運搬は、男衆。見張る人もいるね」
「壺を見る係なら、俺でもできます!」
元気にハインリヒが答える。そもそもお前は絞り器の仕事があるだろうが。
婆さんは、そこから戸口の柱の方へ視線を戻して、ハインリヒではなく井戸端の方を見ながら、短く言った。
「見てるだけで酒が増えるなら、今ごろ村中が酒樽だよ」
藁束の前で、誰かが噴いた。シュテファンだったかもしれない。ハインリヒは、汗の手を腰の布で拭って、藁束の方へ顔を向けた。
「いやー、婆さん、ちゃんと見られるって、俺でもさ」
「本気で見てるだけだと思ってるなら、お前の頭は梨みたいに腐ってる」
ハインリヒは口を尖らせて、何か言いかけて、やめた。
「軸、半日、おまえだ」
「いや、ちょ、待って——」
「半日でいいんだから、いいだろ」
ハインリヒは口を開けたまま二秒止まって、肩を落として「……半日、はい」と言った。
誰かが小さく噴いた。
井戸の方からイェニーが布籠を抱えて歩いてきた。籠を藁束の脇に下ろして、僕にではなく、シュテファンに、声の高さを変えずに聞いた。
「壺を見てただけの日は、働いてないことになるのかい」
藁束の前の声が、止まった。
イェニーは返事をしなかった。
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【授命暦843年 8/5 午後】
午後、半分の人数が畑へ戻った。残ったのはシュテファン、ヨーゼフ、ハインリヒ、婆さん、ローザ、僕。イェニーは小屋の戸口の脇でしゃがんで、布を畳み直していた。
ローザが、僕の書いた地面の列の前にしゃがんだ。
「ここ、同じ人が二つある。シュテファン、軸の半日と、桶の運ぶ手、重なるよ」
「あ、それ、僕が——」
ローザは石を取って、桶の方を線で消し、別の村人の名前を上から書いた。それから、壺を見る、の横で石を止めて、しばらくしてから、
「ここは、空けたまま」
と短く書き足した。
シュテファンが、ローザの手元を見て、口を開いた。
「じゃあ、これからは、決まった奴が毎回やるのか」
「当面は、そうします。夏のうちで、一度見直します」
実際のところ、細かいところは調整しないといけないが、今はこれでいい。
「夏のうちは、まあ、いいか」
ヨーゼフが、軽く頷いた。
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【授命暦843年 8/5 夕方】
夕方の光が、小屋の戸口を半分だけ橙色にした。
残ったのはシュテファン、ローザ、婆さん、それから僕。地面の列は、薄くなった光の中にまだ残っていた。
シュテファンが、肩から布を掛け直した。
「これで、決まったのか」
決まった、というより、書かれた、という方が近い気がしたが、口には出さなかった。
ローザが、地面の列から少し下がって、もう一度しゃがみ直した。それから、僕の方を向かずに、聞いた。
「なんだか、これ人を部品みたいにしてるみたいだね」
これは分業表だ。ただの手順ではない。労働時間を誰に配分し、誰の手を空け、誰の手を縛るかを決める。銀貨袋よりも、地面に書いたこの列の方が、村の権限に近い。
生産関係、配分、管理、権限。前世で読んだ言葉が、地面の字とそのまま重なる。
共同作業の段取りを整えているだけのはずなのに、やっていることがだいぶ小さなブルジョワだ。
「人は人だよ。部品じゃないから」
「そんなムキにならなくてもいいじゃない。思ったことを言っただけよ」
いらだちをローザに向けてしまった。申し訳なさそうな顔を見て申し訳ない気持ちになった。
シュテファンは肩の布を掛け直して、家の方へ歩き出した。婆さんは、藁束から立ち上がらなかった。
「明日は、軸の半日、最初はあなたです」
「ああ」
明日から、小屋で誰が何をするかは、あの列を見て決まる。決まってしまう。
ローザは、まだ地面の前にいた。
答えは、出さなかった。




