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生産手段と鍛冶屋

ローザのキャラがぶっきらぼうというかロボかよって気がしてきたので全体的に修正しました

【授命暦843年 3/24 朝】


「じゃあ、行ってくる」


 井戸端の脇に立てかけておいた小ぶりの石版を脇に抱え直し、僕は懐の麻紐に手を当てた。壺の口に巻いてきた紐だ。今朝のうちに、家の壺で口回りを測っておいた。


 ローザがうなずく。


「……鍛冶屋」


 昨日の夕方、ローザが井戸端で「鍛冶屋、行こう」と言ったのを、僕はまだはっきり覚えている。両手を赤くして、桶の縁を握ったままで、低い声だった。


 今朝のローザの手は、もう赤くない。長靴の紐を結び直す仕草も、いつもの調子だ。それでも目だけは、まだ少し硬い。


「ギーセンなら俺も行くっすよ。鍬、見せに行くついでなんで」


 横合いから声がした。ハインリヒだ。欠けた鍬を肩に担いでいる。


「ヴィルヘルムさんとは顔見知りっす。俺が先に声をかけるんで。初対面の子どもだけで行ったら、親方もびっくりすると思うんすよ」


 ありがたい申し出だった。子ども二人だけで職人の工房へ押しかけるのは、たしかに具合が悪い。同い年のローザにそれを言うと「あんたも子ども」と返されそうなので言わない。


「気をつけて行きな」


 婆さんが家の戸口から声をかけてきた。


「日が落ちる前には戻ってね」


 イェニーがその後ろから付け足す。


 懐には麻紐と、村の銀貨。脇には石版。荷物には残り酒の小壺。横には鍬を担いだハインリヒ。


 準備は完璧。つまり、そろそろ何かが崩れる頃だ。



【授命暦843年 3/24 昼前】


 ギーセン村への道は、思ったより歩きやすかった。馬車の轍が固く乾いていて、足の裏が滑らない。ハインリヒが先を歩き、その少し後ろを僕が、いちばん後ろをローザが歩く。


 ローザは黙っている。歩くのは速い。家にいるときよりも、外を歩いているときの方が、肩の力が抜けて見えた。


「鍛冶屋で、何を頼むの?」


 しばらく歩いて、ローザが横に並んでから言った。


「梨を搾る道具と樽。あと、壺の口に使う鉄の輪」


「樽の人も、知ってるの?」


「たぶん。鍛冶屋なら、そういう人も知ってると思う」


 道筋はつくはずだ。鉄を扱う職人なら、村と村を行き来して、桶屋や木工職人の顔も覚えている。鍛冶屋に行けば、関連する職人の名前くらいは出てくる。そう僕は踏んでいた。


「ヴィルヘルムさん、口は悪いっすよ」


 ハインリヒが振り返って、軽く笑う。


「腕は良いんすけど、金にもあんまり興味はない。普通に怒鳴るんで、あんま気にしない方が良いっす。弟のヨハンってのが炉の番をしてるっすけど、こっちは大人しいっす」


「……うん」


 怒鳴られる前提で行くのか。少し気が重くなったが、こちらは銀貨と、味見用の酒を持っている。いきなり追い払われることはないはずだ。


 鍛冶屋で聞くのは、そもそも作れるのかということ。あと、樽を作れる人を紹介してもらうこと。それだけだ。


 道の先に、煙が一筋、細く立っているのが見えた。炉の煙だ。



 ギーセン村の入口で、ハインリヒが歩を緩めた。


「あそこっす、ヴィルヘルムさんの工房」


 言われた方を見る。低い屋根の、土壁の小屋。煙突が太く、屋根の上に煙がふわっと広がっている。鎚の音が、かあん、かあん、と外まで届いていた。


 工房の戸は半分開いていた。ハインリヒが先に入って「ヴィルヘルムさん」と声をかける。僕とローザはその後ろに続く。


 中は、暑かった。


 炉の口が赤い。鎚を握った男が、台の前で鉄棒を打っていた。前掛けの胸元が煤で黒く、汗が首筋を伝っている。背の高い、肩の張った男だ。


 奥に、もう一人、若い男が見える。炉の脇にしゃがんで、ふいごの取っ手に手を置いている。手の甲に小さな火傷の痕が三つ並んでいた。あれが弟の方だろうか、と思う。


 壁際では、別の若い職人が刃物を研いでいた。こちらを一度見たが、すぐに手元へ視線を戻す。


「ヴィルヘルムさん、こっち、トリーアのムーアとローザっす。頼みがあるそうっす」


 ハインリヒが言った。


 ヴィルヘルムは鎚を一度、台の縁に置いた。


「またお前か」


 視線はハインリヒの鍬に向いていた。


「俺の鍬はあとでいいっす。今日はこっちの顔つなぎっす」


 ハインリヒが鍬を壁際に立てかけ、一歩退く。


「で、坊主。何しに来たんだ」


 ヴィルヘルムは前掛けの胸の煤を、手の甲で払った。


「頼みたいことがあって来ました」


 僕は、慣れない敬語で答える。背丈の差もある。怒鳴られる前提で来てはいるが、最初から地の口調で返すのは違うはずだ。


「お前がか? 金はあるのか」


 予想していた問いだった。


「あります」


 懐から銀貨を出して、見せる。


「これを、もっと作りたいんです」


 残り酒の小壺を、作業台の縁にそっと置く。蓋を取ると、匂いが立った。


 ヴィルヘルムは鼻をひくつかせた。指で壺の縁をなぞり、その指を舐める。


「変わった味だ」


 舌の上で転がして、また小さく頷く。


「だが、悪くない」


 壺を作業台に戻して、僕の方を見直す。呼び方が「坊主」のままなのは変わらないが、目つきが、仕事を聞く目になった。


 僕は石版を出して、作業台の端に置いた。線が三つ、書いてある。壺、樽、梨を搾る道具。麻紐の方は懐に残したまま、口を開く。


 ヴィルヘルムは石版に走った線を、ちらりと見た。何も言わなかった。


 味は通った。仕事の話を聞いてもらえる。今日最初の山は越えた気がした。


【授命暦843年 3/24 昼】


「壺の口に、鉄の輪をつけたいんです。家の壺は口が広いので」


 まずは簡単なものから行く。


「口の大きさはどれくらいだ」


「これです。今朝、壺の口に巻いて測りました」


 懐から麻紐を出して、作業台に置く。


「まず五本、お願いします」


 ヴィルヘルムは麻紐を手に取り、作業台の上にまっすぐ伸ばした。


「置いていけ。五本だな」


「……はい」


 ここまでは予定どおり。少し安心した。一つ目でつまずかない、というのは大事だ。


 次に行く。


「あと、口の合う樽を作れる職人を、紹介してほしいんです。村にあるのは、大きさがバラバラで」


 樽屋のところへ行くつもりで言った。


 ヴィルヘルムは、鼻を一度鳴らす。


「こっちで手配して、樽で納めてやる」


 違う返事が来た。


「金は別で払えよ」


「……お願いします」


 ありがたい。職人同士の繋がりがあるんだろう。手間が省けて、こちらも助かる。


 鍛冶屋は鉄だけを打つものだと決めていた僕の線が、少し外へ押し広げられた。


 最後の一つに行く。


「梨を搾る道具が、欲しいんです」


「どんなのだ」


 来た、と思う。これは、形を言葉にするのが難しい。


「軸を回すと、押し板が下がるような——」


 言葉を選ぶ。前世の言葉が出ないように、噛んで止める。


 ヴィルヘルムは鎚を持った手を止めた。


「……回すと、下がる?」


 僕は土間に膝をつく。指先で、地面に簡単な絵を描いた。立てた枠、上から下りる板、その真ん中を貫く太い軸。


「太い軸の外側に、ぐるぐる溝を切って——」


 指で、軸の側面にぐるぐる線を入れる。


「枠の上の梁に開けた穴にも、同じ向きの溝を作って、噛み合わせます。軸を回すと、軸が下がって、板が梨を押すんです」


 ヴィルヘルムが、鎚を作業台に置いた。


「待て」


 声が、一段、低くなった。


「それは、ねじか」


 僕は、口を止めた。


 ——ねじはこの時代にもあったのか。危なかったな。


「そうです。ねじ……みたいなものです」


 控えめに頷く。


 ヴィルヘルムは鼻をこすった。それから、しばらく黙る。鎚が止まり、工房から鉄を打つ音が一瞬消えた。


「こんなもんは作ったことがねぇ」


「無理ですか?」


「舐めんなよ。できるよ」


 即答だった。


「ただ、全部鉄で作るもんじゃねえな。重すぎるし、値も張る。木で作った方が良いところもある」


 顎を一度引いて、僕の地面の絵を見直す。


「……面白えな」


 ヴィルヘルムが豪快に笑った。


 壁際の職人が、何事かという顔でこちらを振り向く。鎚が止まった工房というのは、珍しいんだろう。楽しそうな親方というのも、意外なんだろうか。


「受け金と帯金は俺らが打つ。木枠と軸そのものは木工だ。木工の職人に話を回す」


「木枠は——お願いします」


 鉄の部品は鍛冶屋。木の枠と軸は木工。石版の三行目に、新しい矢印が増えた。


 一つの宛先だと思っていたものが、一回の会話で二つに割れる。しかも僕が村を回る前に、職人同士の段取りに変わっていく。


 道筋をつけるつもりで来たのに、道筋の方からこちらへ伸びてきた。



「いつ、できますか」


 三つの相談がまとまったあと、僕は当然の問いをした。


 ヴィルヘルムは答える前に、工房の隅を顎で示した。


 刃先の欠けた鋤や鍬が、束ねて積まれていた。腰の高さまである。何十本もありそうだった。


「今は無理だ。新しいもんは夏まで待て」


 短く、続ける。


「本当は今すぐやりたいところだが」


 目の端だけ、ちらと笑う。


「親方、勘弁してくださいよ。直す金物が山になって崩れ落ちそうなんすよ」


 壁際の若い職人が、聞こえないつもりでぼやいた。鎚の音が止まっていたせいで、妙に大きく聞こえた。


「……夏」


 僕は繰り返した。


「まあ、坊主、これは機械として面白い。覚えとくよ。また何か思いついたら言いに来い」


 ヴィルヘルムは鎚をまた手に取って、構える。


 夏。今は三月だ。


 胃の奥が少し冷えた。セイの「来月、八つ」は守れない。それは事実として動かない。


 ただ、今ここで粘っても、目の前の鋤と鍬の山は減らない。手作業での酒造りを続けていれば、それまでに現金も多少は貯まるだろう。


 粘らない、と決める。



【授命暦843年 3/24 昼過ぎ】


 話が一区切りついて、ヴィルヘルムは別の鉄棒を炉に入れた。木工職人へ話を通すのは、明日にでも自分が行ってやる、と短く言って、また鎚を握る。


 僕は、立ったまま工房を見回した。


 ローザは、奥の方に立って、ヴィルヘルムの手元をじっと見ていた。鎚が落ちる。鉄棒の先が平たくなる。また鎚が落ちる。今度は、平たくなった先が長くなる。鎚が落ちた方に、鉄が少しずつ伸びていく。


 ローザは、黙ってそれを見ていた。


 炉の脇では、ハインリヒの言っていた弟——ヨハン——が、ふいごの取っ手から手を離して、火箸を持ち直していた。


 その時だった。


 炉の口から、燃えた木炭が一つ、ころりと転がり出た。


 土間に落ちて、二度、転がる。


 ヨハンが屈んで、その木炭に、そっと手をかざした。


 ふいごは、もう誰も動かしていない。


 木炭は、真っ赤になった。さっきよりも、ずっと赤く。


 ヨハンは火箸でその木炭をつまんで、何事もなかったように炉に戻した。


 ヴィルヘルムは別の鉄棒を打っていて、こちらを見ていない。


 僕は、横目でそれを見ていた。


 ……気のせいかもしれない、と思った。


 ローザは鉄棒の方を見ている。ハインリヒは壁際で、自分の鍬の柄を手の中で回している。誰も、何も言わない。


 たぶん、僕の見間違いだ。


 ——ということにした。



「……あの」


 ヨハンが、火箸を炉端に置いて、こちらに一度だけ声をかけた。


「……うん」


 僕は、それだけ返した。


 ヨハンは唇を動かしかけて、結局、首を横に振った。


「……なんでもないです」


 それ以上は、何も言わなかった。


 工房を出る前、ローザは、水桶のそばに置かれた黒く冷めた鉄片に、指先で一度だけ触れた。



【授命暦843年 3/24 夕方】


 ハインリヒは鍬の調整がもう少しかかると言って、ギーセン村に残った。日が落ちるまでには戻る、と言うので、僕とローザは先に発つ。


 帰り道。


 日が西に低くなり、道の端に長い影ができていた。村と村の間の畑は、まだ茶色く、芽の出ていない畝が並んでいる。


 ローザは、僕の少し前を歩いていた。家を出るときと同じくらい、口数が少ない。


 しばらく歩いて、ローザが不意に口を開いた。


「……鉄って、叩いた方に伸びるんだね」


 それだけだった。


 言ってから、ローザは前を向き直して、また歩く。


「……うん」


 僕も、それだけ返した。


 僕が説明を一つひねり出す間に、ヴィルヘルムはもう次を打っていた。ローザは、それを見て、もう分かっていた。


 僕だけが、少し遅れて追いついている。


 なんだ、これ。


 ぼやきが、口の中だけで止まった。



 トリーア村に戻ったのは、日が落ちる少し前だった。


 家の戸を開けると、土間にイェニーが立っていて、こちらを一度見て、また鍋に向き直る。何も聞かない。聞かれるのを待つでもない、いつもの姿勢だった。


 僕は石版を膝に乗せて、土間の隅に座った。尖った小石を拾って、書き足す。


「夏まで」

「樽は手配」

「木枠は木工」


 三行。仕事は増えた。けれど、道も増えた。


 ローザは、土間の縁で、自分の手のひらをじっと見ていた。さっき冷えた鉄片に触れた指を、まだ確かめているように見えた。


 石版を、土間の壁に立てかける。


 今日は、ここまで。


どこで見るか知らなかったんですがブックマークが徐々に増えてました。思った200倍嬉しかったので、気になったらお願いします。

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