*28* 謝られましても。
約束の時間通りに部屋を訪れてくれたヨハナさんは、お昼に見せてくれた紅茶を淹れてくれたのだけど、その琥珀色をした紅茶のカップに口をつけ、一口飲んだ瞬間に感じたのは“参ったな。こういうときって、どういう反応をとればいいんだろう”だった。
「アカネ様、お味は如何でしょうか?」
優しいお姉さんの表情そのままに微笑む彼女が、本当にこの紅茶擬きの効能を知っているとはどうしても思えない。もしも分かっていてこの微笑みを浮かべられるなら、世間って怖いものなんだなぁ、なんて。
「――あの、アカネ様?」
ヨハナさんの淹れてくれた紅茶からは、味というものがまったくもってしない。要するに、そういうことだ。これはアルの言い分が半分正しくて、半分間違っていたということでいいんだろうか。
だとしたら、私が取るべき行動は――……。
①比較的安らかな顔で気絶して見せる。
②喉をかきむしりながら苦しんで倒れる。
①ならその後の反応次第では共犯者のところへ連れて行ってもらえそう。②だと本当に個人的な恨みかどうかの反応が読みやすいかな。よし、方針は決まったぞ。
紅茶を持ったままテーブルに突っ伏したら大惨事なので、しっかりソーサーに戻してから「う、うぅ~……ん」とちょっと苦しげに唸って、パタリとテーブルに突っ伏した。
選んだ選択肢は無難に①。だって②を選んでもしも“ずっと目障りだったのよ”とか言われたら、この後の人生で人間不信になりそうだし。
――さぁ、ヨハナさんはどう出るだろうか?
目蓋を開けられないから物音でしか確認できないけど、ひとまず脈を測っている。ホッと溜息をつく気配が感じられたものの、これだと安心したのか残念がっているのか判断が難しい。
次いでテーブルから引き起こした身体を椅子にもたれかけさせられる。なるべく気絶してる感を出すために力を抜いているものの、自分の意志に反して身体の向きを変えられるのは怖いなぁ。
――と、ヨハナさんがぽそぽそと何かを呟いたとき、急に身体がフワリと椅子から浮かび上がった。びっくりして目蓋を持ち上げそうになってしまったけど、すんでのところで持ちこたえた私、偉いぞ。無重力状態ですうーっと横移動したかと思うと、カーテンを開ける音に続いて窓を開ける音もする。
厨房で王城のメイドさんはほとんどが貴族の娘さんだと聞いたから、ヨハナさんも魔法が使えるようだ。イドニアさんを見ていたから、こういう使い方は思いつかなかった。
どうやらバルコニーに連れ出されたのだと分かったのは、強烈な寒さ。温かい室内で、温かい紅茶(?)を飲んだところだったから、一瞬で全身に鳥肌が立っちゃったよ……。
目蓋を持ち上げることはできても身体が震えることまでは止められない。すると宙に浮かんでいる私の身体に、毛布か何か、モフモフと温かいものが巻きつけられる。そんな優しい配慮に、内心どうしてこんなことをするんだろうかと小首を傾げてしまうけど、相手にも言い分があるに違いない。
せめて攫われるならウィルバートさんと同じ場所であったら良いなと思いながら、ゆっくりと身体が下降していく感覚を背中で味わう。
バルコニーからそのまま雪面の上に降ろされるのだと思って気合いを入れた背中に、男性っぽい腕が添えられて、そこで浮遊感が途切れた。成程、犯行は少なくとも男女二人で行われているのか。
モフモフ毛布ですまきにされた状態でふむふむと事態を纏めていたら、私を抱き抱えている人物が歩き出す。一応お姫様だっこで運んでくれるなんて紳士的な誘拐犯だなぁと、何だかマヌケな感想を抱いてしまう。
サクサクと小さく雪を踏みならす音がしそうなものなのに、雪を踏むような音が一切しない。これも何か種と仕掛けがあるのだろうけど、残念ながら目蓋を開けられないので謎は謎のままだ。
そもそも目を開けていないと距離感や時間の感覚がまるで駄目になる。逃げるときにこれは結構問題になりそうだ。刑事ドラマで目隠しをして攫われた人が逃げる段階になって戸惑う理由が分かったかも。
しかしいくら何でも王城の敷地内でこうも簡単に攫われるとは、どうなのだろう。城内の警備は不充分なようには見えなかったのに、やっぱり衛兵さん達も得体の知れない私の警備につけられるのは面倒だったのか……と。
身体が上下する感覚があり、階段を使っているのだと分かった。それに身体は上下するけど、体感は降りていく感覚だ。
地下室かどこかに運ばれているのかとあたりをつけていたら、上下の揺れと、抱えている人物の体温のせいで本格的な眠気がしてきた。誘拐犯に抱っこされている間に眠たくなるとか、とんでもない。
喝をいれようにも両手は塞がっているし、何より頬をバシバシ叩いて眠気を覚ませるような状況でもない。おまけにこの紳士的な誘拐犯は、時々私の姿勢が息苦しいものになっていると、それに気付いて抱え直してくれるから我慢できなくて。
つい“気絶したふり”が“寝落ち”の状態になってしまっても、仕方が、ないと、思うん、だ――……。
***
ゆらゆら、ゆらゆらと何かが私の身体を遠慮がちに揺さぶっている。
でも今はとても気持ちよく寝ているところだから、用事はあとにして欲しい。諦めてもらおうと寝返りをうてば、今度はゆさゆさに変わり、それも無視するとがくがくに変わった。
諦めて目蓋を持ち上げると、そこには見覚えのない石の壁と床に、鋲が打ちつけられた頑丈そうなドアが見える。カビとあまり質の良くなさそうな蝋燭の臭いに、眉間に皺が寄った。
寝起きでぼんやりとしたまま、もぞもぞと蠢いて寝返りをうてば、そこには心配そうにこちらを覗き込んでいるウィルバートさんの姿があった。
彼は猿ぐつわを噛まされていて、その姿に自分がどういう経緯でここにいるのかと思い出し、慌てて“無事だったんですね!”と言おうとしたら、当然のことながら私にも猿ぐつわがされている。
ひとまず無事が確認できたので声をかける必要もないかと思い、ウィルバートさんの全身を確認した。
目の下の隈は未だに濃く、最後に会ったときよりも痩せている。監禁されている間に中性的な美形から、薄幸そうな美人さんになってしまったようだ。両手と両足を縛られてはいるものの、暴行を受けたような感じはない。まずはそのことにホッとした。
あと私の身体を揺すっていたのは足だったようだ。巻き付けられた毛布に無数の足跡が残っている。
私の視線の動きに気づいたのか、彼が頭を下げてくれるので“気にしないで”と首を横に振っていたら、部屋のドアが軋んだ音を立てながら開かれて。
厳しい視線でドアから現れた人物をウィルバートさんが睨んだ。先に入ってきたのはウィルバートさんと同じくらいの年頃の見知らぬ青年と、私がよく知っているヨハナさんだった。
ダークブラウンの髪を撫でつけた神経質そうな青年は、同じ色の瞳を眇めてこちらの様子を窺っている。青年に寄り添うように立っていることから、二人は共犯者なのだろう。
思わずジッと彼女の顔を見つめていると、私の視線に彼女がビクリと肩を揺らした。そのことに気づいた青年が、私の視線から彼女を庇うように立ち塞がる。
そして、青年は鬱々とした表情で静かにこう言った。
「そちらの女性に個人的な恨みはないが、すまない。君にはこの男の共犯者として死んでもらう」




