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もう少し、この街で

男が扉を三度、軽く叩く。


「コン、コン、コン」


「入りなさい」


「失礼いたします」


扉が静かに開く。


男は黒い燕尾服に身を包み、白い手袋を着けている。

銀色の髪は整然と撫でつけられ、背筋は一分の隙もなく伸びている。

表情は穏やかだが、その目だけは冷静に相手を観察していた。


「ライラ様、失礼いたします」


男は一礼すると、音を立てずに部屋へ入った。


「ご報告がございます」


アシュは椅子に座ったまま、ゆっくりと顔を上げた。

ティーカップをそっと置き、男へ視線を向ける。


そして、口元に小さな笑みを浮かべた。


「いい報告なのでしょうね」


執事は部屋にいる侍女たちへ視線を向ける。


「皆さん、少し席を外してください」


侍女たちは一礼すると、静かに部屋から出ていった。

最後の一人が扉を閉めると、部屋にはアシュと執事だけになる。


執事は扉の方へ視線を向け、誰もいないことを確かめてから、アシュへ向き直った。


そして、自信に満ちた表情で答えた。


「それは、もちろんでございます」


執事は懐から一枚の紙を取り出した。


「先ほど、南門の兵士から報告が入りました」


「まあ」


アシュは嬉しそうに目を細める。


「それで?」


「ショア様とリア様は、まだ帝都に滞在するようです」


「そう」


アシュはティーカップへ手を伸ばす。


「帰らなかったのですね」


「はい。山賊の件について、兵士から帰郷を止められたようでございます」


「ふふっ」


アシュは小さく笑った。


「それはよかったですわ。手を回した甲斐がありましたわ」


「はい。ライラ様の手配通りに進んでおります」


アシュは満足そうにカップを傾けた。


ショアたちが帰郷できない理由も、帝都に留めておくための手段も、すでに用意してある。すべてが思惑通りに進んでいることに、アシュは満足していた。


執事は続ける。


「それと、もう一つございます」


「何かしら?」


「グラン様が...」


アシュはすぐに振り向き、満面の笑みを浮かべた。


「お、お父様が!」


「はい。グラン様からお言葉を預かっております」


「まあ!」


執事は一度言葉を切り、アシュの反応を確かめてから口を開いた。


「『私の娘に相応しい。見事、貴族の務めを果たした』と仰っておりました」


アシュはティーカップを持ち上げる。

そして、優雅に一口飲むと、微笑んだ。


「そうですの」


その表情には、嬉しさが滲んでいた。


____________________________________________


僕たちは、帝都の大通りを歩いていた。


「今日はどうしようか」


「どうしようって言われても……」


リアは少し困ったように周囲を見渡し、しばらく考え込んでいた。けれど、通りを行き交う人々や、両側に並ぶ店を眺めているうちに、何かを思いついたように表情を明るくした。


「そうだ! 帝都を回ろうよ、ショア!」


「帝都を?」


「うん! せっかく帰れないんだから、楽しまないともったいないでしょ?」


僕は返答に困りながらも、なんとか答えた。


「そうだね...」


帰れない。その言葉を聞くと、少しだけ複雑な気持ちになった。山賊の件が解決するまでは、村に戻ることもできないらしい。


でも、いつまでも落ち込んでいても仕方がない。リアの言う通り、せっかく帝都にいるのだから、今しかできないことを楽しむのも悪くないだろう。


リアはそう言うと、僕の手を引いて歩き始めた。


「ちょ、リア!」


「ほら、早く!」


僕はリアに引っ張られながら、大通りを歩いていく。


道の両側には、村では見たこともないような店がいくつも並んでいた。店先には色とりどりの商品が並び、あちこちから店員の呼び声や、買い物をする人たちの話し声が聞こえてくる。


その中で、リアが突然足を止めた。


「ショア、あれ!」


「ん?」


リアが指差した先には、串に刺さった肉を焼いている店があった。


香ばしい匂いが辺りに広がっている。

肉の脂が鉄板に落ちるたび、じゅうっと音が鳴る。焼き上がった串を受け取った客が、歩きながらおいしそうに頬張っていた。


「おいしそう...」


リアは目を輝かせている。


「食べてみる?」


「いいの?」


「うん。僕も食べたいし」


「ほんと、なら買ってみましょう!」


「うん。じゃあ、リアはあそこのベンチで待ってて」


リアは一緒に買いに行くつもりだったようだが、僕が店の近くにあるベンチを指差すと、少しだけ名残惜しそうにそちらへ向かった。


僕はリアを待たせて店へ向かい、焼きたての串を注文する。


「はい。いらっしゃいませお客様」


「あの、これを2つ」


店主は僕の服装を上から下まで眺めると、口元にニタニタとした笑みを浮かべた。


「1本で銅貨20枚になります」


「えっと...あの、もう少し安くなりませんかね」


店主は一瞬だけ笑顔を止めたものの、すぐに肩をすくめた。


「いや〜、銅貨10枚かな」


「もう少しなんとかなりませんか」


「なら、銅貨5枚で」


…えっ、そんなに下がるの?


最初は二十枚だったのに、もう五枚になってしまった。僕は驚きながらも、少しだけ楽しくなってきた。


「あの、もう少しでいいんですけど」


店主は笑顔を消し、今度は僕の顔をじっと見た。


「お客様...ご予算の程を伺いたいのですが?」


どうやら、これ以上値段を下げる前に、僕がいくら持っているのか確かめたいらしい。


僕はポケットから銅貨を取り出し、片手に握れるだけ握って見せた。店主は銅貨を数えるように目を動かす


「こ、これは申し訳ございませんお客様!」


店主は大げさに腰を低くし、両手を揉み合わせ始めた。さっきまでの態度とは大違いだ。


「では、一本銅貨4枚で」


僕も負けじと、大げさに驚いてみせた。


「え〜!2本で4枚じゃないの!なら他の店で買うか。ざんねん」


僕は肩を落とし、わざとらしく店に背を向ける。

店主は、立ち去ろうとする僕に声をかけた。


「ちょ、ちょっと待ってください、お客様! 二本で四枚は厳しいですが、二本で六枚ならお売りいたします。それと、ほかにもおすすめしたい商品がございます!」


僕は嬉しさを隠しながら振り返った。


「分かりました、ならそれで。後、他の商品はいらないです」


「そうですか...では、こちらを」


僕は二本の串焼きを受け取ると、代金を支払った。店主は肩を落としていたが、僕が振り返ると、すぐに営業用の笑顔に戻った。


「また来ます!」


店主は満面の笑みで答えた。


「またのご来店、お待ちしております!」


やったぁ! 上手くいったぞ。これもジルさんの言っていた通りだ。



 ーギルドの雑魚寝部屋ー



「ショア覚えておけ!ぼったくられず、出店を回る方法を」


「出店を回る方法ですか?」


「ああ、奴らはまず、客を見て値段を変える」


「えっ?」


「お前みたいな田舎から出てきたばかりの奴は、特にな」


「僕、そんなに分かりやすいですか?」


「分かりやすい」


即答だった。


「服装もそうだし、歩き方もそうだ。帝都の人間から見れば、すぐに分かる」


「...」


「だから、店で言われた値段をそのまま払うな」


「でも、それって失礼じゃないですか?」


僕が聞くと、ジルさんは笑った。


「フッ、失礼?」


「あの...値段を下げてくれって言うのは」


「別にいいんだよ」


「値段を決めるのは店だ。買うかどうかを決めるのは客だ」


「...」


「高いと思ったら、安くならないか聞けばいい。それで店が嫌だと言うなら、買わなきゃいい」


「なるほど...」


「ただし、何でもかんでも値切ればいいってわけじゃないぞ」


「そうなんですか?」


「相手にも事情がある。材料費だって、人件費だってあるんだからな」


ジルさんは少し考える。


「だから、まずは相手の反応を見るんだ」


「反応?」


「ああ。最初の値段から簡単に下げてくるなら、まだ余裕があるってことだ」


「なるほど...」


「そして、あまりにも値切ると奴らは本当にコイツは金をもっているのか?と疑ってくるはずだ」


「そこで、絶対にやっちゃいけないことがある」


「なんですか?」


ジルさんは僕を指差した。


「そこで金を全部見せるな。『これしか持ってません』って顔をしながら、まだ持ってそうに見せるんだ」


「どうしてですか?」


「持ってる金を全部見せちまったら、店側にまだ金があると思われるからな。そうなれば、それ以上値を下げてもらえなくなるかもしれない」


「なるほど…」


「だから、相手に手の内を全部見せないことだ。交渉ってのは、そういうもんだ」


「分かりました」


「ここまでやれば、店側もまた来てほしいと思うはずだ。今回の儲けが少なくても、別の商品を買ってくれたり、次も利用してくれたりすればいいからな」


「そうなんですね」


「まあ、そんな店ばかりじゃないんだがな」


ジルさんは真面目な顔を崩し、いたずらっぽく笑った。


「お前も彼女。というか、リアと回る時に必要になるだろう」


僕は首を傾げた


「なんで、リアが出てくるんですか?」


「??? えっ...おま、えっ?ショアとリアって...違うのか?」


ジルさんは、信じられないものを見るような目で僕を見ていた。


あのとき、どうしてそんな顔をされたのか、僕には今でもよく分からない。


そんなことを思い出しながら、僕は串焼きを二本持ってリアの元へ戻った。



「はい、リア」


「ありがとう」


リアは嬉しそうに受け取る。


「いただきます!」


「いただきます」


二人で一口食べる。


「...おいしい!」


「うん。おいしいね」


リアは嬉しそうに笑っている。


その顔を見ていると、僕まで嬉しくなった。

けれど、リアは僕と目が合うと、なぜかすぐに視線を外した。


「次はあっち!」


「え、もう?」


リアは僕の返事を待たずに片手に食べかけの串焼きを持ち歩き出した。


今度は果物を使った甘い菓子の店だった。


「これも食べたい!」


「リア、まださっきの肉を持ってるよね?」


「だって、帝都に来ることなんて滅多にないんだもの。

それに、並んでるうちに食べるの!」


「それもそうか」


僕は笑いながら、店の前に並んだ。


今度は値段を確認してから買った。店主は普通に値段を教えてくれたので、無理に値切ることはしなかった。ジルさんの言っていた通り、どの店でも同じようにすればいいわけではないらしい。


それから僕たちは、気になった店を見つけるたびに立ち止まり、二人で何を食べるか相談しながら店を回っていった。


「ショア、あれ見て!」


「今度は何?」


「あの店、変なもの売ってる!」


「本当だ……何に使うんだろう?」


村では見たことのない道具や、見たこともない食べ物がたくさん並んでいる。


リアは店を見つけるたびに足を止め、そのたびに僕も一緒になって商品を眺めた。


「これ、村に持って帰ったらみんな驚くかな?」


「たぶん驚くと思う」


「じゃあ、今度買って帰ろうよ」


「そうだね」


そんな話をしながら歩いていると、時間が経つのも早かった。


大通りを歩いている人も、昼間とは少しずつ変わってきている。


「...あれ?」


「どうしたの?」


「もうこんな時間なんだ」


空を見上げると、太陽が少しずつ傾き始めていた。


「早いね」


「うん」


僕たちはそのまま歩き続ける。


大通りから少し外れた場所には、建物の間を通る細い道があった。


大通りの賑やかな声が少しずつ遠ざかり、代わりに、どこかから鳥の鳴き声が聞こえてきた。


その先には、小さな広場がある。


「こんなところあったんだ」


「私も知らなかった」


周りにはベンチがいくつか置かれていた。


さらに奥には、帝都を見渡せそうな少し高い場所がある。


「ショア、行ってみようよ」


「うん」


二人で階段を上っていく。


高い場所まで来ると、帝都の街並みが一気に広がった。


僕たちが歩いてきた大通りも見える。


遠くには大きな建物が並び、その向こうには僕たちが入ってきた門も見えた。


「わあ……」


リアが小さく声を漏らす。


僕も言葉が出なかった。


昼間とは違い、街全体が夕焼けに照らされている。


建物の窓が夕日を反射して、ところどころが赤く輝いていた。


「綺麗...」


「うん」


リアは隣で夕焼けを眺めている。


しばらく、二人とも何も話さなかった。


今日一日、僕たちはずっと話していた気がする。どの店に行くか、何を食べるか、村に帰ったら何を買って帰るか。けれど、こうして景色を眺めていると、何も話さなくても心地よかった。


隣にいるリアの手が、そっと僕の手に触れた。そして、リアは僕の手を握った。


「ねえ、ショア」


夕日に照らされたリアの頬は、いつもより赤く見えた。


そして、僕を見つめるその瞳も、どこかいつもと違って見える。


僕は、思わずリアの顔を見つめてしまう。


いつも見ているはずなのに、今日はなぜか目を離せなかった。


「...どうしたの?」


「え?」


「さっきから、ずっと私のこと見てるけど」


「...あ」


僕は慌てて目を逸らした。


「ご、ごめん」


「ふふっ。何で謝るの?」


リアは少し笑った。


もう一度、リアを見る。夕日のせいだろうか。


いつも一緒にいるはずなのに、今日は少しだけ違って見える。


リアは僕の手を握ったまま、何かを待つように、ゆっくりと目を閉じた。


「...リア」


「なに?」


「綺麗だね」


「うん...」


リアの頬が、一気に赤くなる。



「あ、いや...夕焼けが」



リアは勢いよく目を開き、頬を膨らませた。


「もう、ショアのバカ!」


リアはそう言って、僕の肩を強く押し、尻餅をついた。


「いったぁ...」


「もう!」


リアはそう言って、僕から顔を背ける。


「...?」


どうやらリアを怒らせてしまったようだった


「ご、こめん。リア」


「...」


リアは返事をせず、夕焼けの方を向いたままだった。


せっかく楽しく過ごしていたのに、僕が何か変なことを言ってしまったらしい。どうしよう。


僕は雰囲気を変えるべく話題を変えた。


「えっと...リア、今日楽しかった?」


「うん。すごく楽しかった」


リアは少し間を置いてから、こちらを向いた。


「こうしてショアと帝都を歩けて、よかった」


「僕もそう思う」


リアは、さっきまで怒っていたのが嘘みたいに、穏やかな顔で笑った。


少しだけ風が吹いた。夕日がゆっくりと沈み、街の向こう側から、少しずつ夜が近づいてくる。


僕たちはしばらく何も話さず、並んで景色を眺めていた。


「...もう少しだけ」


「ん?」


リアが小さな声で呟く。


「もう少し、この街にいてもいいかもね」


「...」


僕はすぐには返事ができなかった。


早く村に帰りたいと思っていたはずなのに、リアの言葉を聞くと、僕の中にも同じ気持ちがあることに気づく。


「...もう少し、この街を見てみたい」


少し迷ってから、僕はそう答えた。


「ショア、本当?」


「うん...」


本当は、早く村に帰ってカイに会いたい。今日見たものを家族にも話してやりたい。


それでも、今は。


今だけは、すぐ帰りたいとは思わなかった。


リアは嬉しそうに笑っていた

その笑顔を見ていると、胸の奥が少しだけざわついた。


なんだろう、この感じ。


僕はその理由が分からないまま、リアの笑顔を見つめていた。


そして、僕も自然と笑っていた。

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