↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こゝろのこり  作者: 黒森 冬炎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/16

八、来るべきものの為に

 夜明けの太陽が、森の広場に射してきた。灰色がかった金髪の少女が、苔むした大岩に張り付くような姿勢で寄りかかっている。顔は岩に押し付けている。おまけに長い巻毛を垂らしているので、どんな容貌なのか全く見えない。


「ああ、また夜が明けてしまう」


 唸るような呪うような声が少女から漏れる。夜明けの鳥が囀りかわす。何かが落ち葉を踏む音がする。何処かで川が流れている。水の匂いが届く程ではないが、沢音ははっきりと聞こえていた。森は生命(いのち)の気配に満ちている。だが、少女のいる広場に姿を見せる生き物はいなかった。


「今夜こそは、ヴォルフェンヴルムを捕まえないと」


 灰金色の巻毛から、どす黒いもやがたちのぼる。


「そうよ。必ず捕まえなくちゃ」


 少女の声には、奇妙な熱気がこもっていた。高級なレースでたっぷりと飾られた空色のシャンタンが、朝焼けに染まって神秘の波が立つ。まるで魔法の湖に広がる漣のようだ。ふっくらとした少女らしい袖に包まれた両腕は、岩に抱きつく形で広げられていた。石に抱きつく少女の髪が、どす黒い靄と共に膨らんでゆく。


「いけない。もう朝陽は昇っている」


 怨めしそうな少女の言葉を聞く者は、枝を広げる木々と苔むした大岩だけだった。



 森に日暮れが訪れた。赤や黄色に色付いた木の葉で華やぐ森の小径では、虫の音が聞こえ始めた。カサカサと軽やかな音を立て、カナコの下駄が落ち葉を分ける。片手に持った水色の絵傘では、赤い金魚が二匹、尾鰭を揺らしていた。足を前へと運ぶごとに、ちりりんと涼しい音がする。美しい指に付けた白銀の指輪で、小さな鈴が鳴っているのだ。


 一本道である。木の根や岩が行く手を阻む時もあるが、獣道へと誘う傍道はなかった。カナコは迷うことなく広場へと向かう。秋の森は夕暮れ時に風が冷たい。カナコは抜けるような白い頬に秋風を受けて、肌寒さを感じた。夜空を映す闇色のおかっぱがサラサラと風に流れる。傘を持つ右手のほうから、急に蔓植物が伸びて来た。カナコはかるく膝を曲げ、両足を揃えてぴょんと跳び越す。蔓はウネウネと蛇のように地を這って、足元を掬おうとした。普通の植物ではない。妖怪や魔物の類であるようだ。


 カナコは落ち着いて蔓植物の攻撃を避ける。茶色い蔓から、見る見る緑の葉が生えた。蔓が立ち上がり、生えたばかりの葉っぱを飛ばしてきた。傘を回してカナコは刃のような葉を弾く。伸びては疾る蔓の数が増えた。無数の葉が、手裏剣の若く幹、枝、地面に突き刺さる。運悪く通りかかった小鳥が、羽を斬られて落ちて来た。小鳥の魂は、恨むことなくただ悲しげに飛び去った。


「可哀想に」


 茜雲に向かう小鳥の魂を見送りつつ、カナコは軽快に蔓と葉を躱す。森の奥へと続く小径に導かれるまま、カナコは開けた場所に足を踏み入れた。追って来ていた数本の蔓は、広場の手前で動きを止めた。



「お迎えにあがりました」


 カナコは、苔むした大岩にしがみついている灰金色の巻毛に声をかけた。交差する枝葉の隙間から見える空は、みるみる暗くなっていった。もうすっかり夜である。晴れた夜空に、鋭い牙のような月が蒼白くかかっていた。


 巻毛頭がゆっくりと振り向いた。灰金色の柳眉を不機嫌そうに顰めて、薄緑色の双眸がカナコを見つめる。十六.七の美少女だ。視線は鋭く、刃物かと疑うほどだ。


「迎え?」


 口から溢れた疑問は、少女らしい高い声であった。


「因果を辿って参りました」


 カナコは事務的に告げた。少女はのろのろと岩から腕を離して、身を転じた。


「何を言っているの?」


 少女は、緩慢な動きでカナコに近づいて来た。カナコは足を止めて少女を見ている。


「まだやる事があるのよ」


 少女は断固とした態度を取った。


「どうしても、ヴォルフェンヴルムを捕まえなくてはならないの」


 薄緑色の瞳が見開かれ、反り返った睫毛が持ち上がる。夜風が梢を渡ってゆく。葉擦れの音に囲まれて、カナコは川底にいるような錯覚に襲われた。


「アイスゼーの公女、クララ・マルガレーテ・ハイネマン、妄念を捨てて旅立ちなさい」

「いやよ!」


 少女は噛み付くように叫んだ。夜風が足元の枯葉を巻き上げる。


「憐れなクララ。ヴォルフェンヴルムは、五百年前に絶滅しました」

「うそよ!」


 クララの眼が据わる。


「そんなはずない!お昼間に三班のウルスラさんが捕まえたもの!」

「その時から、もう五百年が過ぎたのですよ」


 カナコは諭す。クララは頑として聞き入れない。


「騙すつもりね?首席から引き摺り下ろそうたって、そうはいかないんだから!」

「クララよ、よくご覧」


 カナコは厳かに命じた。同時に、空中に渦巻く枯葉を片手で掻き分けるような仕草をした。枯葉が寄せられて、出来た隙間に人影が映る。クララはそれに、敵意の籠った眼差しを向けた。



 枯葉に縁取られた空中に映し出されたのは、少女その人である。魔獣遣いの名門アイスゼー公爵の三女、クララ・マルガレーテ・ハイネマンは、どんよりとした空気を漂わせていた。ここオーバーカッツェンガウ郊外の森では、十六、七の生徒達が休憩している。この森には、比較的弱い魔獣が生息している。魔獣生態学授業で毎年行う飼育実習のため、幼体や卵を探しに来たのだ。苔むした倒木に独り座るクララとは対照的な光景も見えた。開けた場所のひとところ、黄色い花の咲く茂みの前に、賑やかな人だかりが出来ていた。


「ウルスラ、触らせてー」

「可愛いなあ」

「ふわふわー」

「おめめキラキラだあ」


 人混みの中心には、小柄な青髪の娘が立っていた。愛くるしい焦茶色の瞳が、丸顔の中で輝いていた。腕には子犬のような金毛の生物を抱えている。犬と違うのは、額から翡翠色の角が二本生えているところだ。この角は宝石のようにも見える。小枝のように細く、それぞれが二股に分かれていた。肩の辺りをよく見ると、金色の毛に埋もれて小さな翼が生えていた。翼は翡翠色の羽毛で覆われていた。


「ウルスラさん、おめでとう。ヴォルフェンヴルムの幼体ですね」

「わあー、ウルスラ凄い」

「ありがとうございます」


 ウルスラは、はにかんで頬を染めた。



 独り離れて座っていたクララが立ち上がる。実習用の無骨なブーツは、優雅なシャンタンのドレスと合わない。ドレスは最高級の魔坊加工を施した特注品だ。しかし靴は、一年生の安全を考慮して、学校指定の物を履くことになっていたのだ。ファッション性は度外視である。カスタマイズは禁止だ。出発前に、紐の結び方まで厳しく点検される。優等生のクララは、そのあたりに抵抗を感じない。真面目にきちんと重たそうなブーツを履いていた。


 無骨なブーツが落ち葉を踏み砕く音は、ガサガサとかなり大きい。だが、その場にいる生徒も引率の教員達も、誰一人としてその音を気にしなかった。みな珍しい魔獣の幼体に夢中だ。開けた場所から木々の中へと入る時、クララは一瞬だけ立ち止まった。振り向けば、人だかりの興奮は一向に冷める様子がなかった。ヴォルフェンヴルムの手触りや鳴き声に、いちいち歓声が上がる。


「魔獣の可愛さを褒める暇があったら、優秀なウルスラさんにコツを聞けばいいのに」


 クララは嫉妬したわけではなかった。同点主席でも構わないのだ。輪の中に入らないのは、課題に取り組む時間が惜しいからだ。ウルスラが友達なら、声くらいかけたかもしれない。だが、ウルスラとは親しくなかった。気が合うか合わないかも分からない。互いに好意も敵意もなかった。ウルスラは魔獣専攻ではなく班が違うので、今まで交流がなかっただけだ。



 クララは、人を蹴落とすという発想がなかった。絶対的な実力をつけるため、ひたむきに努力してきた。幼い頃から、コツコツと真面目に学んできたのだ。並び立つ者があれば、むしろ嬉しかった。故郷のアイスゼーでは、突出した才能を持つ馬方の息子と仲が良かった。アイスゼー公領は、凶暴な魔獣が多い為、実力主義社会だ。身分はあってないようなもの。だから、クララに身分差別の意識はない。ウルスラは貧しい家の出身だった。今、その才能を目の当たりにしても、プライドからくる憎しみなど無縁であった。クララはウルスラの活躍に、健全な向上心を刺激されていた。


「あの幼体は元気いっぱいだわ。この森はヴォルフェンヴルムに適した環境なのね」


 木々の間を縫って歩きながら、クララは声に出して分析を始めた。


「つまり、幼体は迷子がたまたま捕まったんじゃなくて、他にもいる、ってことよ」


 クララは、油断なく前後左右と頭上や足元に気を配っていた。


「他の珍しい魔獣を闇雲に探すより、ヴォルフェンヴルムに的を絞ったほうが効率的だわ」


 ブーツの側面を、発光キノコが擦った。


「しまった」   


 発光キノコは、オーバーカッツェンガウ特有の魔法物質だ。キノコに似ているのでこの名がつけられた。しかし、菌類ではない。これは、オーバーカッツェンガウの妖獣が鳴子代わりに設置しているのだ。妖獣は魔獣と違って悪意の塊である。魔獣は魔法生物というだけで、邪悪な意図は持たない。凶暴であっても、獰猛であっても、善悪とは関係がない生物だ。


「やはり焦りは禁物ね」


 発光キノコの擬似胞子が舞い上がる。幻想的な青紫色の粒々が、明滅しながらクララの周囲を埋めていった。クララは腕で口と鼻を覆い、空いた手で透明な髪飾りに触れた。髪飾りから風が噴き出す。胞子が吹き飛ばされて脱出の道が開けた。


「ケケケケケケ」

「逃げろ逃げろー」

「ほらほら、そっちに道があるよ」


 嘲笑う声が響く。姿は見せない。クララは無視して前へと走る。しばらくして、小さな流れのほとりに着いた。クララは立ち止まって地図を開く。


「妖獣のせいで方向感覚がめちゃくちゃだわ」


 不満そうに口を尖らせ、皆のいる広場との位置関係を確認した。


「随分駆け回った気がしたけど、あんまり離れてないのね」


 ぐるぐる走らされたのか、時間の感覚を奪われたのか。何れにせよ、現在地は判った。クララは気を取り直して、飼育実習用の魔獣を探すことにした。


「あ、あの木。菩提樹モドキね。ヴォルフェンヴルムが巣に敷き詰めるものだわ」


 幼体が現れる季節なら、成体が巣の材料を採りに来るだろう。


「やっぱり、成体が這った跡があるわ」


 菩提樹モドキの近くには、何かがのたくったような痕跡が残されていたのだ。ヴォルフェンヴルムの成体は、腰から後ろが毛むくじゃらの蛇のような姿になるのだ。通り過ぎると、幅広の筋がつけられる。


 クララは件の木のそばで待つことにした。流れの近くにあるシダの陰で、ヴォルフェンヴルムが来るまでしゃがんでいるつもりだ。成体がやって来たら、そっと跡をつけるのだ。巣を見つけ、幼体だけになる隙を待つ。うまく捕まえることが出来れば、クララも最高評価点を貰える筈だ。魔獣からすれば幼児誘拐なのだが、この世界にそんな概念はない。


「ここで待つのが良さそうね」


 クララは来るべきヴォルフェンヴルムの成体に備えて、気配を薄める魔法液をスプレーした。彼女のブーツは、分厚い靴底の側面が微かな青紫色でチカチカと瞬いていた。



「どういうことなの?」


 青紫色の点滅を目にして、情景を観せられていた現在のクララが顔色を変えた。


「もう気づいただろう?」

「何に?」


 クララは逃避を試みた。


「どんな備えをしても意味はないのだ」


 カナコが厳しく告げた。


「備えに意味がないなんて、あり得るのかしら?」

「クララさん、潔く認めるのだ」


 カナコがたおやかな手を差し伸べて、指輪に並ぶ白銀の小さな鈴を鳴らす。ちりりんちりりんと澄んだ音色が夜の森に広がった。


「違う、違う、違う」


 広場を吹く風が強くなり、灰金色の巻毛が乱れた。


「クララさん、貴女は妖獣の幻覚に囚われて、八百年前に命を落としたのだ」

「違う!」


 カナコはクララを指差した。


「クララさん、貴女がヴォルフェンヴルムを捕まえたいという妄念が、オーバーカッツェンガウの森を呑み込んで、ついには、ヴォルフェンヴルムに適した環境がこの世界から消滅してしまったのだ」

「そんな!違うわ!私はアイスゼーのハイネマン一族だもの。そんなことになる筈ないわ!」


 魔獣遣いの名門に生まれた自負心が、クララの正気を蝕んでゆく。


「アイスゼーでは、魔獣の害になる行動を取るなんて、小さな子供だってしないのよ!」


 クララは右手の肘を回した。手編みレースがたっぷりと飾られた袖が、衣擦れの音をたてた。手首の動きも柔らかく、指は親指から小指へと流れるように握られてゆく。カナコが絵傘の柄を握る手に力が籠る。クララは、三度同じ仕草をしてから親指を曲げて唇に当てた。刹那、鋭い指笛が森の闇を切り裂いた。


 カナコは絵傘を盾にして、横様に跳んだ。カナコがいた場所は、大きく抉られていた。


「魔獣遣いは罪なき者を襲うのか?」


 カナコの目付きがキツくなる。


「実習の妨害をする異界の邪神め!この世界から速やかに去れ!」


 クララは声を荒げた。その隣には、銅色(あかがねいろ)に燃え盛る毛皮を身に纏った、一頭の馬が立っていた。クララが召喚した魔獣である。飼い慣らした魔獣をそのまま連れ歩く者もいるが、飼育空間に入れておくほうが一般的だった。クララも、故郷で慣らした魔獣たちを飼育空間で飼っていた。その中から呼び出したこの馬は、かなり気が荒いようだ。鼻息も荒く、蹴爪で地面を削っていた。


 邪神と言われてカナコは眉間に皺を寄せた。


「クララさん、お迎えにあがりました」


 眉間の縦皺をそのままにして、カナコはクララに通告した。


「次の人生へ旅立つ時が来ています」

「まだだ!ヴォルフェンヴルムを捕まえなくては!」


 クララは叫びながら、燃え盛る馬の背中に跨った。


「モルゲンローテ!あいつを踏みつけてしまえ!」


 クララの指示に従って、燃え盛る馬が突進した。カナコは背筋を伸ばして垂直に跳ぶ。水色の絵傘を差したまま、少し窄めて飛び上がった。再び獲物に逃げられた馬は、腹を立てて地面を踏み鳴らした。火の粉が散る。森の木々や草花があちこちでチラチラと小さな炎を上げた。枝の上に足を置いたカナコは、邪魔になる傘を閉じた。


「待っていても、ヴォルフェンヴルムはもう来ないんだ。絶滅したからな」


 カナコは繰り返した。クララは聞く耳を持たない。燃え盛る馬の背に乗って、カナコめがけて飛び掛かる。


「このままでは、いつかはこの世界も消えてしまうぞ」

「騙されはしない!」


 何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘である。カナコは凪いだ眼差しでクララを見た。


「聞き分けのない幽霊もあったもんだ」


 カナコは下駄を鳴らして枝を蹴る。執拗に襲ってくる燃え盛る馬は、幽霊ではなく実体だ。飼い主が幽霊になってもなお、離れることなく力を貸している。絆の深さは感動的だ。しかし燃える馬は、この世を滅びへと招く幽霊と手を組んでいる。命ある世界にとっては迷惑千万なのだった。この馬は、半永久に生き続ける魔獣である。寿命が尽きれば話は別だが、生きている今、本来はカナコの管轄ではなかった。


「よく観なさい!」


 カナコは再び枯葉の額縁を作り出し、クララたちの住む世界を映し出した。先ずは演習の日、クララの遺体が見つかったところが映された。それから、クララの葬式、幽霊となったクララ、オーバーカッツェンガウ郊外の森に残るクララ、霊障で枯れてゆく森、それが原因で絶えてしまったヴォルフェンヴルムが、次々と映し出された。


「違う!私じゃない!うそだ!」


 クララの怒りと怨念が燃える馬の精神と同調した。馬の炎が通常の数倍にまで膨れ上がる。


「うわあああっ!」


 慌てて絵傘を開いたものの、一歩及ばず、カナコは熱風に吹き飛ばされた。バランスを失い、縦横斜めに回転させられる。絵傘の真っ直ぐな竹の柄を、必死に両手で掴むだけで精一杯だった。


「がはっ」


 カナコの背中に衝突の激痛が走る。強い打撃と熱を受け、カナコの口からは鮮血が吹き出した。


「ハヤセーッ!」


 ことここに至っては、専門家を呼ぶに越したことはない。ハヤセは時空を渡る捉妖師である。普通の人間でありながら、時間にも空間にも拘束されない存在だ。つまり、手が離せないということが起こり得ない。ハヤセ本人が拒絶しない限り、呼べば必ず助っ人に現れるのだ。


「おっと、こりゃまた派手な炎だねぇ」


 期待通り、ハヤセはすぐにやって来た。カナコが叩きつけられた大木の根元に、無頓着な懐手で立っていた。祭り見物でもするかのように、現場の状況を眺めた。


「なんだ貴様は」


 クララが敵愾心を露わにした。ハヤセを強者として認識したようだ。


「カナコ、コイツは倒す必要がなさそうだけど?」


 チラチラ燃える下草や苔を、下駄の歯で踏んで火を消しながら、ハヤセはカナコに尋ねた。


「足止めしてくれりゃいい。飼い主が旅立ったら宥めてやってくれ。それでまるく収まる筈だ」


 カナコも、燃え盛る馬を退治する意図はないのだ。


「ただ、飼い主が見ての通り、わからず屋でねぇ」


 クララの跨る馬魔獣が、倒れているカナコに踊りかかった。三度目の攻撃である。


「おわわ、待った、ストップ、タイム、停止ー!」


 ハヤセが闇雲に叫び、帯を叩いて和蝋燭を飛ばした。黒い焔が灯り、和蝋燭が一列になって燃え盛る馬の前に立ち塞がった。馬が足を止め、騎手のクララは怒りのあまり赤を通り越して紫の顔色に変わった。


「どけぇっ!」


 クララが、生前の生真面目さを微塵も感じさせない怒声を上げた。和蝋燭が円を作り、燃え盛る馬の首に通った。馬は脚を折ったかと思うと横向きに倒れた。ハヤセの和蝋燭で眠ってしまったのだ。急に横たわったので、背に乗っていたクララが投げ出された。カナコは腹を抑えて起き上がると、絵傘を開いた。水色の絵傘がくるくると回る。回転をかけて、カナコは傘を飛ばした。よろめきながら地面に足をついたクララの頭の上で、絵傘は回りながら浮かんでいた。


 カナコの絵傘の明るい水色と、クララのドレスの清涼な空色が、対立しながらも響きあう。


「ハヤセ!」


 カナコが短く叫ぶ。


「おうよ!」


 ハヤセが陰陽針を放つ。未知の動きにたじろぐ優等生クララは、まんまと陣法に捉えられた。


「銀月光雨(ぎんげつこうう)陣は如何?」

「破邪ではないのだな?」

「気持ちを落ち着かせるだけの陣法だよ」


 ハヤセが糸の束を引くと、糸の上を銀灰色の光が走る。最初の点と最後の点が重なると、灰銀に輝く光の粒が飛び出して、クララの頭の上に並んだ。クララが不審そうに見上げた時、粒が弾けて光の雨が降り出した。


「小賢しい」


 憎まれ口を叩きながらも、クララの顔は紫色から、薄紅がさす白磁へと戻って行った。


「気が済んだか?」


 カナコが静かに尋ねた。クララは観念して寝ている馬を飼育空間に帰した。ハヤセが慌てて声をかける。


「あ、まて!そこに入れちゃうと、永遠に出てこられないぞ」

「あ、開ける者が居なくなるからか」

「そういうことだ」

「それじゃ、この子を頼めるか?」

「元の生息地域は幸い無くなってないようだから、そっちに送っとくよ」

「それだけしてくれるなら,安心だ」


 クララは優雅に感謝の礼をした。それからカナコに向き直る。


「案内人とやら」

「はい?」

「お願いするよ。しかし、絶滅したんじゃ、待ってても来ない筈だな」


 クララが無意味にドレスのレースを整えた。


「では、参りましょうか」


 カナコは絵傘を手元に戻す。受けとめる時、ぐらりと揺れた。ハヤセが慌てて横から支えた。


「カナコ!」

「悪い」

「おい、肩貸してやるから慌てるな」


 ハヤセは蹌踉めくカナコの腕を自分の首に回して、肩と背中に手を添えた。


「ありがとう。助かるよ」

「そんなのいいから。さっさと送り届けて休め」


 ハヤセが不安を隠して唇を噛んだ。魔獣の炎を浴びて、カナコは内傷を受けていた。神力の流れに乱れが出たのだ。大事である。ハヤセは必死の形相でカナコを運んでゆく。カナコは一足一足踏み締めながら、ハヤセの気遣いに胸の奥が温まるのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。