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こゝろのこり  作者: 黒森 冬炎


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六、替嫁怨焔





 紋付袴の青年が婚礼の席についていた。背筋を伸ばし、緊張した面持ちで主賓席に座っている。温度のない目で真っ直ぐ前を見ている。青白い肌は滑らかで、ゾッとするような美しさを湛えていた。座敷の襖が開いた。引き手には三角形の鱗模様がデザインされている。向かい合わせに並べられた祝膳を前にした人々は、体温が低そうな者ばかりだ。彼等が一斉に戸口を見る。


 花嫁は真紅の色打掛を羽織っていた。重たい裾を廊下に曳いて、檜の敷居をするりするりと越える。襖の外は薄暗い。廊下には灯り一つなく、花嫁を先導する侍者二人が掲げる手蝋燭のみが足元の頼りだ。廊下の闇を背景に浮かび上がる赤い影を、花婿はじっと見つめた。俯いて顔が見えない花嫁は、促されるまま座敷に入る。燭台には幾つもの蝋燭が燃えていた。花婿の紋付は、黒に鱗の地紋が焔を受けて煌めいている。


 花嫁が席に着いた。それまで動かなかった花婿が唐突に動いた。帯に挟んだ扇をバサリと開き、一閃。


「あ?」


 小さく溢れる花嫁の声。静かに畳へ倒れ込む。煌びやかな縁には、三角の鱗紋が織り出されていた。青々とした畳の目に、鮮血が染み込んでゆく。横一線に赤く開いた喉元を、抑える暇もない花嫁が赤い錦の袖を乱して横たわっていた。


「身替の偽花嫁を運び出せ」


 ゆったりとした低い声が、婚礼の席に響く。座敷の襖が次々に開き、数しれぬ続き間が現れた。障子窓が軽やかな音を立てて開け放たれる。無数の蛇が屋内へと侵入した。白、青、黒、赤、緑など、様々な色の鱗が、月光を受けて艶かしく畳を這う。蛇たちは忽ち花嫁に到達した。花婿は無表情で、蛇が花嫁の骸を運び去る様子を眺めていた。



 花嫁衣装の色や形は、国により時代により、さまざまである。不思議なことにどこの国でも、花嫁はある種ゾッとする存在だ。怪談の主役として、ひとつのジャンルを築くほどである。贅を尽くした挙式こそが花嫁の虚栄心を満たし、自分がこの世で一番幸福な存在なのだと確信する。金に糸目をつけず、容姿を磨き上げ賞賛の声に恍惚とする。


「くだらん」


 カナコは、賑やかな鳴物入りの花嫁行列を見下ろして吐き捨てた。


「えー?綺麗な花嫁さんを眺めて美味しい振る舞い料理や祝い酒をいただくってのも、乙なもんだろ?」


 酒楼の二階で手摺にだらしなく寄りかかり、ハヤセが徳利を傾けた。カナコは袂を片手で押さえて、青い切子の小盃で酒を受けた。最後の一滴が盃に収まると、酒から銀色の光が溢れ出た。


「おい、なんだこれは」

「カナコが呑んでも害はないよ」


 カナコが鼻に皺を寄せて、不審そうにハヤセを見る。ハヤセは糸目をますます細めてケケケと笑った。


「魑魅魍魎と縁が深いも(・)の(・)が近くにいると光るのさ」

「あ(・)れ(・)か?」


 カナコは窓の下を目線で示す。ハヤセは頷いて、自分の盃にも酒を注いだ。眼下では、金の鈴を飾った仔馬が花嫁を運んでゆく。花嫁が着た打掛は、鮮やかな紅色の重そうな織物だ。翼を広げた鶴が、金糸銀糸で刺繍されていた。花嫁は、宝石や螺鈿の櫛笄(こうがい)で飾り立てられた文金高島田に、角隠しをつけて俯いている。


 花嫁の表情は見えない。楽器を鳴らす人々は無表情だ。花綱を握る馬方も、姿勢正しいおつきの人々も、強張った顔で歩いていた。



 カナコとハヤセのいる部屋に、料理が運ばれてきた。テーブルに刺身の皿を置くと、女中が小走りに窓際まで寄ってきた。


「お客さん!窓早く閉めなすって」


 小声で促す女中の方へと、カナコとハヤセは同時に振り返った。


「見ちゃ駄目ですよ。連れてかれちゃいますから」


 早口に告げると、女中は答えを待たずにそそくさと部屋を出ていった。



 花嫁行列が進む通りには、行列以外に人影がない。通りに並ぶ建物は、窓や扉を閉め切っていた。町は恐怖に染まっている。


「まだ行かないのか?」


 カナコは切子の盃を指先で弄びながら訊いた。


「屋敷に着いてからでも遅くはないさ」


 ハヤセは立ち上がると、黒塗りの卓を前にして胡座をかいた。今しがた運ばれてきた刺身は、透き通るような白身である。螺鈿の箸を無造作に持ち、ハヤセは刺身を一枚持ち上げた。


「カナコは?もう行くのか?」


 カナコはハヤセを眺めながら、窓辺に座って盃を傾けた。白い喉が微かに動いて、酒が飲み下される。ハヤセの箸は薄い魚を小皿へと運ぶ。濃紫の醤油に添えた鮮やかな山葵を器用に掬えば、白身の端に染みた醤油と香り高く調和する。ハヤセは無頓着に、薄い白身魚を口の中に放り込む。


「いや?彼等が留まっているのは、自分の意思ではないからな」

「さもありなん」


 ハヤセは酒を飲み干して、盃と揃いの切子徳利を傾けた。自分の盃を満たすと、カナコの方へと掲げて軽く振る。


「注ごうか?」

「まだある」


 ハヤセはちょっと笑って、また悠然と刺身に箸を延ばした。カナコはしばらく眺めていたが、やがてつまらなそうに窓の外へと視線を戻した。



 刺身の大皿が空になり、ハヤセは金子(きんす)を卓上に置いた。白いカスリの裾を整えて、裸足を窓から外へ出す。カナコも窓枠を蹴る。いつの間に履いたのか。通りに並ぶ建物の屋根は、二人の下駄で瓦を鳴らす。風のように走る二つの影が目指す先には、白く塗り上げられた屋根の屋敷があった。


 真昼に開いた水色の絵傘を握る手で、ちりりんと涼やかな音がする。たおやかな指を飾る白銀の指輪が、飾りに付けた小鈴を鳴らしているのだ。二人が飛び降りたのは、豪華な門の前。黒塗りの大門を、鱗紋のお仕着せを纏った門衛が二人で守っていた。


「振る舞い酒はないのかい?」


 ハヤセは門衛に話しかけた。門衛は目を吊り上げて、手にした長槍を突き出してきた。ハヤセとカナコは飛び退(す)さる。


「なんだい、豪勢な祝膳でも楽しめるかと思ったのに」

「花嫁行列の祝い囃子はまだ聞こえているな」

「内門まで送り届けて、振る舞いに与るんだろう」

「そういうものか?」

「おそらくな」


 油断なく槍を向ける門衛を居ないもののようにして、カナコとハヤセが話し合う。門衛は苛立ち、一歩前に出た。カナコが片手を突き出せば、観音開きの重たい門扉が苦もなく開く。閂が外され蝶番が軋む音に驚いて、門衛たちは振り向いた。その脇をすり抜けて、カナコとハヤセは門内へと進入した。


 楽器の音がピタリと止んだ。内陣へと通じる扉の前に、鈴で飾られた馬がポツンと取り残されていた。人々は振る舞いの会場へと案内されたのだろうか。馬だけが大人しく立っている。ここには見張りさえも見当たらない。カナコが手を前に突き出して、扉を開き先へと進む。飛び石のある庭を抜けると、玄関が見えてきた。庭木の陰から何かが二人を監視している。二人の下駄は、石の上で小気味よい音を響かせた。


 ガサガサと下草を鳴らして、監視している者たちが着いてくる。二人は気にもとめずに玄関口までやってきた。扉はカナコが触れずに開ける。屋内は薄暗い。広い玄関から奥へと続く細長い廊下を進む。両脇には閉め切った襖が並んでいた。薄暗闇の向こうで、衣擦れが遠ざかってゆく。カナコは足を速めた。


「カナコは急がないんじゃなかったのか?」

「止められる悲劇は止めたい」

「生きてる人は管轄外だろ?」


 ハヤセが揶揄うように問いかけた。


「時々ハヤセが人間だってことを忘れるよ」

「冷血人外みたいに言わないで欲しいなあ」


 小走りに暗がりを進みながら、二人は軽口を叩く。前を行く花嫁らしき衣擦れには、なかなか追いつけなかった。


「掟に縛られて生きる者は、少なからず冷血だろう」

「妖怪悪鬼の類い絡みは俺の仕事だから。カナコは関わったらお咎め受けるだろうと思って、心配してるのにさあ」


 天井の高い廊下を、カナコは絵傘を開いたまま進んでいた。二人とも土足で屋敷に上がり込んでいた。しかし、誰も止めにこない。両脇の襖を隔てて、畳の上を何かが這う音が絶え間なく聞こえて来る。


「化け物どもに仕事を邪魔されるのは気に食わん」

「そういう意味では、逸脱してるわけでもないのか」

「まあ、そういうことになる」


 闇の中を幾度か曲がり、とうとう行手に灯りが見えた。ぼんやりと浮かぶのは蝋燭の焔だ。ジジジと灯芯が燃える音がする。薄っすらと赤い人影の上で、金糸銀糸が煌めいた。次の瞬間、廊下を眩い光が満たした。襖が一箇所、開け放たれたのだ。襖の奥には煌々と灯りが点る座敷が見えた。真ん中を空けて向かい合わせに祝膳が並ぶ。正装した人々が無表情に座っていた。皆青白く、つるんとした顔立ちだった。


 赤い裳裾が敷居を越えた。ハヤセは身軽に花嫁の頭を飛び越えた。回転して座敷へと踊り込む。座敷の客が一斉にハヤセを見た。後からカナコも入ってきた。紋付袴の花婿が、じろりと温度のない瞳で二人を睨む。


「何事だ」


 花婿が苛立っている。客人も腰を浮かせた。ハヤセは、飛んできた扇をひらりと避けた。カナコは絵傘を回して扇を逸らし、花嫁を庇う。扇の縁で切られかけた案内人の着物が、抜け殻のように畳に落ちた。蝋燭も落ちて着物に火が燃え移る。着物の下から、緑色の蛇が慌てて這い出した。


「ひいっ」


 尋常ではない光景に、花嫁が腰を抜かす。


「カナコ、この場はまかせろ」

「分かった。一旦預けとく」


 ハヤセの申し出を受けて、カナコは花嫁を外へ連れて逃げた。足腰が立たない花嫁は、重たい打掛ごと引き摺られてゆく。急に開いた襖の内側から、大量の蛇が襲いかかってくる。カナコは花嫁の打掛を剥がすと、床を一掃した。豪華な絹織物が磨き上げられた廊下をよく滑る。座敷から這い出して来る蛇を巻き込んで、婚礼の宴席へと押し流す。


「ひゃあああ!」


 花嫁は裏返った悲鳴をあげた。蛇の大きく開いた口から、先が割れた赤い舌が見えている。カナコは絵傘を回転させて、蛇たちを左右に吹き飛ばしつつ走った。空いた方の手で花嫁の腕を掴んで、暗い廊下を猛進した。蛇はシューシュー言いながら追いかけて来る。カナコの下駄はほとんど廊下に触れないで、蛇を蹴散らして玄関まで辿り着いた。


「ひぇぇぇ!」


 花嫁の情け無い泣き声を道連れに、カナコは庭を抜け、門を抜け、表通りまで戻った。相変わらず窓や扉は閉め切りで、ひとっこひとり見当たらない。


「家は?」

「は、あの」

「一人で帰れますか?」


 カナコは淡々と訪ねる。カナコの素っ気ない態度に、花嫁は怯えた。


「悪いが、お札の類は持ち合わせが無い。結界やら陣法やらも専門外だ。あとは自力でなんとかしろ」


 カナコは花嫁を道端に放り出し、屋敷へと戻っていった。花嫁はぐずぐずと泣き出した。



 カナコが花嫁を避難させている間、ハヤセは座敷で飛び跳ねていた。カナコが吹き飛ばした蛇達を相手に、陰陽針を飛ばしていたのだ。銀色の細い針に通された黒い糸と白い糸が、無数の座敷に張り巡らされる。順序正しく打ち込まれた針は、陣を完成して銀色の光を走らせた。


「カナコのやつ!こっちに投げてくることないだろ」


 ハヤセは苦笑いを浮かべた。花嫁を追いかけていた蛇たちの逆流に対処していると、花婿が扇を投げて攻撃してきた。列席者は皿や盃を投げてきた。ハヤセはほんの一瞬足を止め、白地絣の裾を払って走り出す。飛び交う食器や燭台の間を駆け抜ける。身を低くして右へ左へ障害物を避ける。青い畳を下駄の歯で無慈悲に削る。背中を下にして飛び上がり、身を捻って銀の針を投擲する。宙返りしながら、黒い帯に並んだ和蝋燭の柄に触れた。和蝋燭は帯から浮かびだし、一列になって黒い焔を揺らした。


「静かに寝てな」


 ハヤセは呑気な声を蛇達にかけた。


「者ども、蝋燭だ!黒い焔の蝋燭を叩き落とせ!」


 花婿は魅惑的な声色で指示を出した。


「ちょっと遅かったねえ」


 花婿の鼻先にぬっと顔を出したハヤセが、糸目をニッと僅かに開く。ゆるく波打つ黒髪が、針に跳ね返る燭台の光を纏って生き物のように畝った。ハヤセの和蝋燭は、続き間の蛇達を悉く眠りに落としていた。


「そうか?」


 花婿の瞳孔が縦に窄まった。ハヤセは後ろに跳んで難を逃れた。大白蛇の原型を現した花婿が、尻尾で陰陽針を叩き落としてゆく。宴席の間に張り巡らされた糸は、絡まり合って畳に落ちた。瞬きする間の出来事だった。打ち込んだ針があらかた抜かれてしまった。糸を伝って走っていた銀の光は霧散して、陣は発動しなかった。


「へえ?やるねぇ」


 ハヤセはちょっと嬉しそうに言った。


「ふん、小賢しい人間め」


 蛇はチロチロと赤い舌を出す。


「まあでも、みんな寝ちゃったよ?」


 ハヤセが相手取るのは、今や大白蛇一匹である。


「貴様など、ひと呑みにしてくれるわ」


 鎌首をもたげた白い大蛇は、幾間も続く座敷に、長い身体をくねらせていた。多数の燭台は巨体に薙ぎ倒され、畳に炎が這っていた。炎の舌は襖を舐め、蛇の瞳を血色に染めた。


「怖いねぇ」


 ハヤセは、大口を開けた白蛇の首から軽々と逃げた。同時に首元へと針を投げる。蛇は鎌首を揺らして避けようとした。細雨の如く銀色の針が降る。蛇も避けきれず、数本が刺さった。ハヤセは蛇本体の他に、畳や襖、柱や壁にも針をばら撒いていた。


「陰険な人間め」


 蛇は尻尾で針を落とすが、これも全ては阻止できない。少しの針があちこちに刺さっていた。


「お前たち人間は、懲りもせずに身替りの偽花嫁を送りつけて、時々刺客まで寄越すが、我ら誇り高き蛇神(へびがみ)一族の相手にはならぬ」


 燃える屋敷の中で、大白蛇は平然としていた。対するハヤセはそうもいかない。和蝋燭を一本ずつ両肩の側に浮かべて、熱を防いではいるようだ。だが袖を使って火の粉を払っているところを見ると、炎そのものを無効化しているわけではないらしい。下駄の歯も薄っすらと焦げている。


「燃えすぎだねえ」


 炎は天井に届いた。ハヤセは見上げて、困ったように腕を組む。白蛇は勢いよく半身を起こし、燃え盛る天井を破った。火のついた木材がハヤセの頭に降って来る。


「わわっ」


 ハヤセは畳を蹴って上へと逃げた。落下する天板や梁を足掛かりにして、ハヤセは屋根の上に出た。白蛇の半身が、青空を背に屋敷から伸びていた。


「おのれちょこまかと」


 襲って来る蛇を髪の毛一本ほどの距離で躱し、ハヤセは蛇の背中に乗った。蛇はハヤセを振り落とそうとする。屋根に開いた穴が広がる。広がった裂け目から、炎が勢いよく上がった。


「あちち」


 裾に移った炎を叩き消し、ハヤセは白い瓦屋根にガニ股で着地した。そこへ、カナコの絵傘が飛んできた。


「新手か?」


 蛇は傘の持ち主を探す。水色の絵傘は回転して、絵の中から水を降らせた。大量の水が燃える屋敷に降り注ぐ。炎がみるみる勢いを失った。焼け落ちた屋敷の一部は、まだ柱を保ち屋根が高い。ハヤセはそこに立っていた。蛇は水流の中で身をくねらせ、尻尾は焼け焦げた木材の上を這っていた。



 カナコは鋭い目付きになって、白い手で水面を浚うような仕草をした。忽ち水面に御殿の風景が映し出される。数回折れ曲がった橋が、菖蒲田にかかっていた。若い貴公子姿の大白蛇が、橋をのんびりと渡っていた。抜けるような白い肌、すらりと細身な立ち姿。腰に下げた印籠には、三角の鱗紋が光っていた。


 向こうから来た少女の一団に、大人しそうなお嬢さんがいた。元気な友達にふざけかかられて、可愛らしい簪が落ちた。縮緬の芍薬が小手鞠を作って、若苗色に染め上げた絹糸の房を垂らしていた。白蛇は優雅にかがみ、袂を押さえて簪を拾った。少女は落としてしまった失態を恥じるように、友達の陰に隠れてしまった。大白蛇は無言で花簪を差し出したまま、困ったように笑った。少女の頬がほんのりと染まった。


「若旦那さん、ありがとうございます」


 元気な友達が、焦ったそうに受け取った。花簪の少女はがっかりしたように眉を寄せた。大白蛇はふっと笑って、少女たちに手を振った。


「いいえ。桐の花が見頃ですから、近いうちに白川邸の庭へ皆さんでいらっしゃい」


 少女たちが囁き合って、一斉に頭を下げた。


「えっ、白川様!」

「ばかね、鱗紋よ」

「はい!是非に」

「ええ。お待ちしておりますよ」


 白川の若様は、走り去る少女たちをしばらく見送ってから、またぶらぶらと橋を渡り始めた。



 白い瓦の白川邸に、少女たちがやって来た。磨きあげられた廊下を通り、涼しい座敷に通された。窓の外にある立派な桐の樹を眺めていると、若様が顔を見せた。羽織紐には桐の花の色を選んだ、わさび色を基調とした小粋な出たちである。少女たちが、花簪の少女を前に押し出した。


「やあ、いらっしゃい」

「こんにちは」


 黒漆の脚付膳に載せられた菓子が運ばれて来た。蒔絵の器に注がれたのは、仄かに竹の香りが漂う冷水であった。


「お酒はいただきませんのよ」


 元気な友達がツンとして断った。


「お酒ではございませんよ。まあ、おひとつ」


 若様に勧められて、少女たちはおっかなびっくり液体に口をつけた。


「あら、美味しい」

「香りがいいのね」

「ふふ、面白いものでしょう?」



 少女たちと白い大蛇の昔語りが映し出されている間も、蛇はカナコとハヤセを攻撃し続けていた。二人は身軽に交わし、ハヤセは蛇の腹に針を打つ。大量にいた眷属は、ハヤセの和蝋燭に眠らされたまま、水に押し流されて行った。


 白い大蛇が、水鏡を尻尾でパシャンと崩した。目には怒りが満ちている。カナコが再び傘を回す。新しい水鏡には、縁日が映っていた。若様と花簪の少女が、肩を寄せ合って祭り屋台を覗いていた。蛇は再び水鏡を壊した。カナコが作った次の水鏡には、竹藪が映っていた。ほろ酔いの若様が、気持ちよさそうに流れに足を浸していた。ちょうどその時、岩陰で水を汲んでいた若者がいた。ふと岩の向こうに目を向けて、目玉が飛び出さんばかりに眼を見開いた。若様の足が、蛇の尻尾になっていたのだ。


「コイツだったのか!」


 白蛇は恐ろしい声を響かせた。


「もうこの世にはいないよ」


 カナコが告げる。水鏡には、逃げた若者が花簪の少女に知らせている様子が映されていた。花簪の少女は、婚礼の準備をしていた。


「だからなんだ?」


 白蛇は魅惑的な声で言った。


「末代までも呪ってやろうぞ」

「ハヤセ、なんとかしてくれ」


 カナコが面倒臭そうにハヤセを見た。


「もうちょい待って」


 ハヤセは、せっせと何かの陣を準備している。


「いやしかし、この町の連中は、なんで何百年もの長きに渡って身替花嫁を送り続けてるんだ?」

「生贄だろ」


 カナコの疑問に、ハヤセは素っ気なく答えた。


「生贄、拝み屋、坊主、武者、いろんな奴らが花嫁のフリをしてやって来おった」


 蛇は瞳を血色に光らせた。


「どいつもこいつも偽物だった!」


 蛇は桐の大木に絡みつき、屋根より高い位置から二人に襲いかかった。


「おお、ちょうどいい」


 ハヤセが糸目でニヤリと笑った。手にした糸の束を軽く振る。銀色の光が蛇の腹を走った。


「貴様、何をした!」

「邪気破砕の陣てやつさ」

「ほう。これが」


 カナコが興味深そうに陣法を観察する。


「そう。これが」


 ハヤセは軽い調子で答えながら、黒糸と白糸を均等に操って、今度こそ有効な陣を起動した。


「舐めた真似をしおってからに!」


 蛇は抵抗を試みたが、完成した陣の針を抜くことはできなかった。


「グワアアア!」


 白い大蛇が上げる断末魔の叫びと共に、屋敷に散らばっていた蛇たちも悲鳴を上げた。蛇たちが黒い煙となって消えてゆく。屋敷も同じように消えてゆく。


「うええ」


 ハヤセがひらりと桐の枝に移って顔を歪めた。桐の大木だけは、実体を持って数百年の時を生きて来たようだ。


「酷いもんだな」


 カナコも眉を顰めた。屋敷の床下だったところには、一面に白骨が積み重なっていたのだ。骨の山には、数えきれない花嫁達が佇んでいた。悲しそうな者、恨めしそうなもの、苦しそうな者、虚な者。皆一様に赤い打掛を着て、白い角隠しを付けていた。離れの床下だった場所には、花嫁を送って来た人々と馬達の幽霊が、思い思いの姿勢で漂っていた。花簪の少女は、どこにもいない。始まりの花嫁は、まんまと逃げおおせていたのだ。


「そりゃ怨念も溜まるってもんだよな」


 ハヤセが気の毒そうに手を合わせた。


「図々しい奴は、いつの世にもいるもんだ」


 カナコは、不愉快そうにおかっぱをゆすった。手元にストンと水色の絵傘が落ちてきた。傘の中では二匹の金魚が楽しそうに泳いでいる。カナコは絵傘を差したまま、颯爽と地面に降り立った。


「因果を辿って参りました」


 幽霊達に向かって、カナコが淡々と告げた。


「蛇妖怪に閉じ込められていた憐れな魂たちよ」


 カナコは幽霊一人一人に向けて、白銀の指輪を振った。ギラギラと照りつける真昼の太陽の下だというのに、身替花嫁と花嫁行列の幽霊達は隠れようともしない。


「お迎えにあがりました」


 カナコが歩き出すと、幽霊たちは無表情で列を作った。屋敷の建っていた高台を、町とは反対側へと降りてゆく。カナコを先頭にした大行列が、音も立てずにぞろぞろと進む。


「こりゃ大仕事だねえ」

「ハヤセ、わざわざ言うな」


 カナコはハヤセを睨んだ。


「ごめん、カナコ」


 ハヤセはニヤニヤしながら、カナコの隣を歩く。


「仕事が済んでもさっさと帰らず、他人のことを冷やかしている奴は」

「あああ、待った!解ったよ。じゃあ、またな」

「また」


 ハヤセは烏鴉嘴(ウーヤーツイ)を辛くも躱し、一目散に逃げ去った。

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