十二、血煙清風(後編)
晩清と暁風は、初めは同じ場所で戦っていた。乱戦のなか、いつしか別々の場所に流されていった。皇宮が揺れるかと思う程の戦いだった。最初の報告が来たのは、暁風が証拠を揃えて謁見した時だ。家督乗っ取りにより、暁風は一族から外れている。処刑対象ではない。
「鉄証がある。即刻葉一族宅へ迎え!満家滅門、誅九族!」
「報!蕭家軍一万騎、北城門より押し入り皇宮に迫っております!」
「何だと!者共!賊軍に備えよ!」
「はっ!」
晩清は、仲間の早馬で緊急事態を知った。彼女に手下はいない。馬より速い歩法を駆使して、単身、鮮血飛び散る皇宮に乗り込んだ。叛乱軍は一万もの大軍だ。中には手練れもいる。当然だが、歩法で躱せない相手とは対戦することになる。晩清は抗戦よりも、暁風との合流を優先した。相手の戦力を削ることには労力を割かず、隙を見て離脱した。
「老葉!」
皇宮の奥深くにある廊下で、晩清は暁風を見つけた。暁風はギョッとした。
「小蘇!何しに来た!」
「助太刀!」
背中合わせの位置に飛び込んで、晩清が刀を構えた。
「バカ!危ないから家に帰ってろ!」
「ひとりでも多い方がいいでしょ!邪魔にはならない!」
四方から切り掛かる叛乱軍を、ふたりは薙ぎ払い、蹴り飛ばし、斬り捨てた。廊下に倒れた蝋燭から火の手が上がる。味方が慌てて消火にあたった。叛乱軍は火のついた燭台を槍のように振り回す。
「援軍はまだかっ」
「報!市街戦が結束致しました!」
叛乱軍が騒めいた。
「へっ!いつ叛乱が起きても応戦出来るだけの配置は済んでいたさ!」
暁風が叛乱軍を挑発した。
「私の入宮で行動を早めたんだろうが、残念だったな!」
禁軍の兵士も勝ち誇った。
「たかが町中を鎮圧した程度で大きな顔をするな!」
叛乱軍の指揮官が部下を鼓舞する。鎧が重たい金属の音を立て、危急を知らせる太鼓が鳴り止まない。直進し、回転し、また横ざまに跳び、晩清と暁風は別れ別れになった。顔や腕に傷を追いながら、二人はそれぞれに鬼神のごとき活躍をしていた。叛乱の狂騒が最高潮に達した頃、援軍が次々と到着した。場外で演習中だった官軍1000人、皇后の実家の衛兵500人を初めとする、市中の官僚たちの護衛総勢6000人、最後には、各地から呼び戻されて集結した葉家軍旧部3000人。宮中で応戦していた兵士たちを含めると、形勢は逆転した。
「ぐあっ」
戦況が落ち着いて来た矢先、晩清が背中から刺された。柱の影から飛び出して来た長槍遣いにやられたのだ。晩清は逆手に持った刀を後ろへ飛ばす。槍遣いは声も立てずに崩れ落ちた。
「チッ!」
腹を刺し貫かれたまま、晩清は落ちている刀や弓を投げまくる。彼女は軍人ではない。身につけていたのは、道すがら拾った下級兵士の鎧だ。既に穴が開いたりへこんだりしていたのだ。今まで持ったのは、ひとえに晩清の実力ゆえだ。
暁風と側近は、不運にも炎の勢いが一番強い区域に取り残されてしまった。炎と賊軍に苛まれ、ついに帰らぬ人となった。薄れゆく意識の中で、暁風は人生を思い返していた。父母と兄が戦場に散った。まだ五歳だった暁風は叔父一家に預けられた。成人したら家督を継ぐ筈だった。しかし、叔父一族はその頃既に謀反を企む太后と手を組んでいた。謀反の資金を得るために、叔父は将軍家を乗っ取った。母と二歳だった妹は、不審な事故で命を落とした。大将軍の次男、葉暁風は、成人前に、密かに一族から除名されていた。暁風は復讐を心に決めて、旧部と連絡を取り始めた。
宮中に黒幕がいると知り、特に後宮が怪しいと睨んだ。だが、信頼できる高官の女性家族が知り合いには居なかった。晩清と出会ったのはそんな時だった。濁った血の淵に首まで浸かっていた暁風にとって、晩清は汚れを吹き飛ばす突風だった。
「小蘇。通りを埋め尽くす程の贈り物を持って求婚するつもりだったのに。どうか君は生き延びてくれ。天帝よ、私の最愛を守りたまえ」
床に横たえた頭は兜で覆われている。簪はどうしたのだろうか。暁風は震える指で、靴の中から女物の簪を取り出した。灯籠市の晩、晩清から奪った仕込み簪だ。暁風の口元には微笑が浮かび、頬に涙が一筋伝わった。やがて叛乱軍は制圧され、功労者には賞が与えられた。戦死者は手厚く葬られた。
「葉暁風も、あの謀反で倒れたのか」
晩清の幽霊は冷静だった。
「そうです」
カナコは端的に答えた。晩清は丁寧なお辞儀をした。
「そういうことなら、致し方ない。お手数ですが、水先案内をお願い致します」
晩清は、どうなったのか解らないことが旅立ちを妨げていたのだ。顛末が知らされたので、素直にカナコの後に従った。カナコは水色の絵傘を開いて、皇宮を歩いてゆく。
「あの」
幽霊が遠慮がちに声をかけた。
「何です?」
カナコは事務的に対応した。
「私は旅立つことになりましたのに、風景は数千年前のままなのですね?血だまりも倒れた兵士もそのままですが」
そうなのだ。現在の風景に戻っていない。晩清は確かに未練を断ち切って、次の人生へと向かうところなのに。
「もうすぐ解りますよ」
カナコは穏やかに答えて、格子扉を開いた。途端に、炎が吹き出して来た。中は広い廊下だが、炎の海となっていた。晩清は、ハッとしてカナコを観た。
「血鏡に映っていた場所ですね?」
カナコの答えを待たずに、晩清は炎の中に入って行った。
「老葉ーっ!」
カナコは絵傘を差して、燃える廊下に足を踏み入れた。水色の絵傘の中で、金魚が二匹泳いでいる。水草が揺れて、微かな水音がした。カナコの指輪で鈴がなる。晩清は、炎の中で暁風を探し回っていた。
「どこだ!老葉!返事しろー!」
カナコは静かに歩いてゆく。行先に迷いなく、燃える廊下を進んで行った。やがて、大柄な武人が倒れているのが見えた。晩清は駆け寄って抱き起こした。
「小蘇?無事だったか!随分とやられたみたいだな。ここは息苦しい。早く離れよう」
暁風は気力を得て、燃える廊下から出ようとした。
「老葉、落ち着いて聞け」
「なんだ?」
暁風も、先走って話を遮るようなことはしなかった。
「私達は、遥かな昔に命を落としたんだ」
「えっ?」
「でも、同じ戦で今生を終えて、同じ式典で英霊として祀られたんだよ」
「そうか」
二人は乱世の武人である。生き抜くことが第一であるが、友や愛する者と同じ日に息を引き取ることや、同じ墓穴に収まることは、非常に幸福なことと考えていた。
「盛大な結婚式は実現出来なかったけれど、この上なく立派な葬式は出来たんだな」
「そうだよ」
二人の幽霊は向き合って、互いに肩を掴んで涙した。
「小蘇、その腹」
暁風が、槍に刺し貫かれた傷に気がついた。
「なに、過ぎたことだ」
「でも、痛かっただろう?」
暁風は、心配そうに傷を見つめた。
「死んだ時には槍が刺さってた筈なんだが、気がついたら傷だけになってたよ」
「ひとりで、さぞかし辛かったろう?」
「お互い様だろ?老葉は炎と煙で苦しんだんだろ?」
ふたりは労わりあった。暁風が自然に晩清を抱き寄せ、晩清も素直に頭を預けた。カナコは、二人とも状況を認識したと見て、暁風に声をかけた。
「お迎えに上がりました」
「貴女は?」
暁風が怪訝な顔をした。カナコは指輪についた白銀の鈴をちりりんと鳴らした。
「因果を辿って参りました」
「因果を?」
暁風は、まだよく解らないようだった。
「そろそろ次の人生に旅立つ時なのです」
淡々と告げるカナコを見上げて、暁風はゆっくりと理解した。
「ああ、冥府からのお迎えですか」
「ええ、その通りです」
「お世話をお掛け致します」
「いいえ、仕事ですから」
暁風は晩清を支えて立ち上がった。
「あ、ちょっとだけお待ちを」
もう一度屈むと、靴から簪を取り出した。
「小蘇、差してくれないか?」
期待を込めて、暁風は簪を差し出した。
「うん、いいよ」
晩清は少しはにかみながらも、迷うことなく受け取った。晩清は丁寧に簪を差し、少しの間二人は見つめあっていた。それから手を繋いでカナコのほうを振り向いた。
「お待たせ致しました」
「お願いします」
滝を臨む岩棚に、清らかな風が吹いている。滝の上には、葉っぱのような形の月が輝いている。
「生きている時に会ってみたかったよ」
カナコが珍しくしんみりとして言った。
「清風明月を払い、明月清風を払う」
ハヤセは古人の言葉を口ずさみ、翡翠の脚付き盃を月に向かって掲げた。国家転覆に発展する程の骨肉の争いを繰り広げながら、高潔な魂を保った二人には、献杯せずにはいられなかった。
「しかし、そんな人たちでも、黄泉路に迷うことがあるんだねえ」
ハヤセは糸目を向けて、カナコに擦り寄った。
「心遺りはさまざまだからねぇ」
寄りかかってくるハヤセに目を落とし、カナコは盃を傾けた。
「彼らは互いの無事を案ずる余りに、相手の安否を知るまでは旅立てなかったのさ」
「純愛だねえ」
ハヤセはカナコに寄りかかったまま、再び明るい月を見上げた。滝から吹く夜風が、やや畝りのある濡羽色の髪を掻き上げた。形の良い額が剥き出しになる。
「ハヤセは昔の髪型も似合いそうだね」
カナコがしなやかな指でハヤセのおでこをつついた。
「わっ、なにすんだ」
ハヤセは額を抑えて跳ね起きた。
「痛くはなかっただろう?」
「促妖師の額は禁域なんだぞ」
ハヤセが口を尖らせる。
「嘘ばっかり」
カナコはコロコロと笑った。沢音に混ざって、清涼な月夜に美しい声がこだました。
「まったくの嘘って訳でもないんだよ」
「そうなのか?」
「法力や仙力の封印は、額に陣を組む事が多いんだ」
「へえ?じゃあ、迂闊に触らせたらダメじゃないか」
言いながら、カナコがまたつつこうとする。ハヤセはひらりと躱した。
「カナコ!」
「ハハハ、無敵のハヤセの弱点見たり!」
カナコは勝ち誇って盃を高く上げた。ハヤセは素早く背中に回り込んだ。
「乾杯」
片手はカナコを抱き込んで、もう片方の手に持つ盃をカナコの盃にカチリとぶつけた。
「乾杯」
カナコも応えて、二人はにこやかに酒を飲み干した。風は岩棚を渡り、二人の袖がはためいた。




