十、場所取り百景
滝を臨む岩棚で、カナコは冷たい麦茶をかき混ぜていた。黒砂糖の粉を入れて、少し甘くするのが好みなのだ。甘すぎるのは良くない。その加減が難しかった。漸く満足のゆく甘さになり、カナコは満足そうにため息をついた。そこへ、烏の羽が一枚落ちてきた。冥府烏の羽である。岩棚に音もなく横たわる。カナコは白くしなやかな指で拾い上げた。
「ふーん。今回も変わった現場だね」
冥府烏の羽の表面には、神術で仕事の指示が書かれている。最近カナコの元には、ただの先導役ではない仕事が多く舞い込んでくる。一度、二度と問題なく終了させると、信頼が育つのは解る。だが、面倒な案件ばかりを回されるようになるのは承服しかねる。カナコは神族だ。神族の仕事に報酬はない。強いていえば、生きていられることが報酬である。感謝や尊敬の気持ちを受け取る事により、存在が確かなものになるだけだ。
「ありがたがるとでも思っているのか?」
特殊な現場で功徳を積んで長く存在し続けられるのは、天帝やその側近達には良い事なのだ。だが、カナコは生に無頓着である。生身の人間としての有限な人生もあるし、いまの仕事は烏鴉嘴を使い過ぎたことへの罰なのだ。仕事ぶりを認められたところで、所詮は半端な立場である。それならば、楽で単純な案内業務だけにしてくれたほうが、カナコとしては余程ありがたいと思うのだ。
「ちっ、断る隙も与えないのか」
見渡せば、指示書を落として行った冥府烏は、遥かな空で黒い点になっていた。
「全く、逃げ足の速いことだ」
指示書を忌々しそうに振りながら,カナコは飛び去る烏を睨みつけた。
「指示書をまともに渡そうともしないような伝達係は、突風に煽られて木の枝にぶつからないように、御用心あそばせ」
遠くの黒い点に向かって悪態を吐く。冥府烏のいる空に突風が吹いた。風に巻き込まれて、冥府烏はバランスを崩した。そのまま雑木林まで落ちて、複雑に交差する枝に激突した。
「ぎゃあああ、痛い!不吉なおかっぱ女め!」
冥府烏は人の形になって腕や背中を摩った。黒い着物があちこち敗れて、血が滲んでいた。筋肉質のイケメンである。三途の川で、カナコとハヤセに指示書を渡そうとしていた三羽のうちの一羽だ。冥府烏は、ただの配達係ではない。業務についての説明義務がある。単純な案内業務ならば一羽で来るのだが、特殊な業務の場合には、間違いを防ぐために複数で派遣される。羽に指示書を書いて渡す伝達係、仕事の説明をし、その場で質問を受ける解説係、この二羽の護衛係を含めて、三羽一組で行動する。今回、一羽だけで来たのも、きちんと指示書を渡さずに落として逃げたのも、通常では考えられないことだった。
「なんかあったら上に報告してやる」
カナコは遠くの空を威嚇して、絵傘を開いて出発した。
カナコは、黒と銀が多いモノトーンの部屋に入る。棺桶のような金属製の箱があった。カナコはじっと箱を見下ろした。絵傘は畳んで抱えていた。
「お迎えにあがりました」
箱の中へ声をかけるが返事はない。
「ハヤセに手を貸して貰ったほうが良さそうだ」
機械に繋がったまま動かなくなっただけなら、魂は箱の外で待機している筈だ。今回は、魂が箱から出てこない。
「私の権限では対処が難しいな」
案内すべき霊魂がどこにいるのかも解らない。カナコは専門家に応援を頼む事にした。
「呼んだか?」
ハヤセが窓から入ってきた。
「うん、呼んだ」
カナコは落ち着いた態度で頷いた。
「なんだこの箱?棺桶か?」
「全身ダイヴ型のゲーム機というものがある」
「ふうん?」
「ハヤセ、コンピューターゲームって知ってるか?」
「いや、知らない」
「そもそも、こういう金属の家具や、電気で動く道具は知っているのか?」
「それは知ってる」
「そうか。この箱も電気で動く道具だと理解しておけば、とりあえずは充分だ」
「ふーん?」
ハヤセはこだわらない性格なので、解ったような解らないような状態を受け入れた。
「で、この中に入ったきり、息を引き取ってしまった男がいてな」
「箱の開け方が解らないのか?」
「いや、私の仕事は箱を開けなくてもできるんだが、魂には出てきて貰わないとならん」
それを聞いて、ハヤセはカナコの指輪を見た。白銀の小さな鈴がたくさん付いている。
「それで呼べば出てくるんじゃないのか?」
「頑固なやつは、現世にしがみついて出てこようとしないんだ」
「命が尽きた事に気付いて無いのかねえ?」
「中にはそういうのもいる」
カナコは淡々と説明した。
「だが、今日のはそうじゃない」
「もうこの世のものではないことを知っていながら拒否するってことは」
「うん。隠れていようが現れていようが、悪霊コース待った無しだな」
つまりは急ぎの案件である。悪霊は様々な被害を出すのだ。なるべく早く対応しなければならない。魂が完全に悪霊化したら、浄化するしかない。魂は消える。少しでも人の心が残っていれば、浄化の後にカナコたち案内人が三途の川の船着場まで連れてゆく。
「それに」
カナコは冷静に箱を見下ろした。
「私が取り出したいのは骸ではなく魂だ。この箱を開けても、出てくるのは骸に過ぎない」
「ああ」
ハヤセは合点がいったようだ。
「魂を取り出すのに、箱を開ける必要なんてないよな、確かに」
カナコは頷き、話を継いだ。
「それで、頼みたいんだが」
「うん?」
ハヤセは眼だけ動かしてカナコを見た。
「コンピューターというのは電気で動かす法具みたいなものだ。コンピューターゲームはそれを使って出来る遊びだ。ゲームを動かす為のシステムは、陣法の一種だと思ってくれればいい」
「なんとなく解った」
「まあ、そこはたいして重要ではない」
「そうなのか?」
カナコは説明を続ける。
「この箱のような機械そのものが、付喪神になって霊魂と融合したのか、それとも、霊魂はただ機械が作り出す幻郷に囚われているのか、どちらにしても、ハヤセの力が必要なんだ」
「妖怪変化か、幻郷に囚われただけの普通の魂か」
「うん。そのどちらかだと思う」
ハヤセは腕組みして箱を見た。
「入ってみるか」
陣法の一種だと言われたので、ハヤセは干渉出来そうだと踏んだのだ。暫く箱を観察してから、おもむろに陰陽針を取り出した。カナコは一歩下がる。準備が出来るまで大人しく待つつもりなのだ。ハヤセの針が箱の周囲に刺さる。灰銀色の光が走る。陣が完成して明るく光った。箱の上には、素朴な木の扉が現れた。
「ここから入れるのか?」
「理論上は。扉の陣法は、幻郷にも入口を取り付けることができる」
電子空間に入るのは初めてなので、ハヤセは少し緊張していた。
「カナコも行ってみる?」
「行く」
ハヤセが扉を開く。扉は内開きで、ハヤセは身を屈めないとくぐれなかった。
扉の向こうは、閑散としていた。緑の丘に桜の木があちこちに生えている。人間の姿は見えない。鳥が草地で跳ねている。ハヤセとカナコが歩いて行くと、黄緑色の兔やら、紫色の羽虫やらが飛び出してきた。そうしたものたちは、ハヤセが手で払うとすぐに消えた。
「ここでは陰陽針もいらないのか」
カナコが物珍しそうにキョロキョロしている。ハヤセも電脳幻郷は始めての筈なのだが、慣れきった人のような態度で歩いてゆく。
「いや?どこでも、単なる幻影なんて、わざわざ陰陽針で幻覚を破る必要もないよ」
「システムが作り出してる幻影なら、その中に入っている私達にも影響がありそうだが?」
「まあね。幻影を消すには陣を破る必要があるけど、今回、完全に陣を破っちゃうとまずいでしょ」
ハヤセは桜の幹の陰や枝の間を覗いて歩く。
「陣を破るってことは、今回の場合だと、機械を止めるか壊すかする事になるだろ」
「うん、そうだろうと思う」
「もしも魂が機械と融合してたら、連れてくことができなくなる」
ハヤセは悠然と丘を進んだ。
「だから、扉の陣を使って、いくつかここのルールを書き換えといたのさ」
「手で払えば怪物が消えるとか?」
ハヤセは糸目でニカッと笑った。
「そういうこと!」
丘は幾つか連なっていて、坂道は登ったり降ったりしていた。どこまで行っても、ひとっこひとり居なかった。
「あっ、いた」
ようやく見つけたのは、紫色の髪をした人間だった。緑色のフード付きチュニックに焦茶色のズボンを履いて、腰に質素な鉄の剣を差した少年である。
「えっ、誰?」
少年が怯えた。カナコは白銀の指輪を嵌めた手を延ばした。
「因果を辿って参りました」
指輪の鈴がちりりんと鳴る。涼しい音が誰もいない丘を越えてゆく。風が丘の草にさざなみを起こした。風景が刷毛で塗り変わるようにして変わって行った。ここは幻郷である。鏡ではなく、全景が変化するようだ。
どこかの大学構内だ。カフェテリアで学生が五人集まっていた。
「ミラージュやってる?」
「やってるー」
「なにそれ?」
「ミラージュカルチャーって言うゲームがあってさ」
「知らない」
三人目は興味がなさそうだ。
「聞いたことあるけど、面白いの?」
五人目は食いついた。
「まあまあかな」
「へー」
「今度、お花見イベントがあってさ」
「そんなんあるんだ」
「うん。それでさ。特定の木の下で特定の行動すると貰えるアイテムがあるんだよ」
「ふーん」
「桜の木は結構あるけど、その中の数本しか対象じゃないから、アカウント作って場所取り協力してくんない?」
「ははは!リアルの花見みたいだな」
五人目の少年は、家に帰ると自室のゲーム機に横たわった。棺桶のような金属製の箱である。内側にあるパネルを操作して、蓋が閉じた。検索するとミラージュカルチャーのアイコンが見つかった。早速ダウンロードして、適度なアバターを作成した。緑色のフード付きチュニックを着た少年だ。お花見はニュービーでも行かれる場所でのイベントだった。行ってみると、会場は閑散としていた。
「なんだよ。場所取り必要なさそうじゃないか」
ぶつくさ文句を言いながら、教わった特徴に当てはまる桜の木を探す。歩き回るうちに少しレベルアップした。気さくな人が話しかけてきた。
「こんにちはー。はじめましてー」
「あ、どうも」
「お花見ですか」
「はい」
「報酬は普通だけど、まあ日本人だからねー」
それだけ言うと、気さくな人は手を振って立ち去った。五人目の学生は、もたもたしてしまい動作が間に合わなかった。
「あった」
目的の桜につく。リアルならレジャーシートを敷くところだ。事前に聞いた話では、立っていればいいとの事だった。ID検索してみても、友達はまだオフラインだ。皆が来るまで、木下にアバターを立たせておく。箱に入って脳と機械を直結してしまうフルダイブなので、画面を放置してカップ麺やビールを楽しんだり映画を観ながら友達のログインを待ったりは出来ない。ぼんやりと待つ。場所取りなので、当然その場から動けない。退屈である。
情景が塗り変わった。学生の姿はリアルの五人目であった。広い公園で、友達と楽しく花見をしていた。目まぐるしく場面が変わるが、どれも花見である。子供の頃に行った、有名な桜の老木も出てきた。整理券が出されて、入場規制された思い出もあった。高校生の時。習い事の仲間達に誘われて行って見たら、場所取り係が酔っ払って寝ていた。隣で場所取りをしていた人と仲良くなる人も見た。資格試験のテキストに集中している人もいれば、ゲームに夢中な人、写真を撮る人、楽器を爪弾く人などもいた。一口に場所取りと言ってもさまざまである。場所取り禁止で、巡視員までいる会場もあった。
どこも花見客で賑わっていた。笑い声がして、美味しそうな匂いが流れてきて。それが、ゲーム画面に戻ると、一気に寂しくなった。五人目の学生は眠くなってきた。
(そういえば、日時聞いてなかったな。今日じゃないのかも)
五人目の学生は、一旦ログアウトして友達に連絡してみることにした。操作をしようとした途端、ドカンと大きな音がして、激しく地面が揺れた。音質からみて、リアルの方から聞こえた音のようだ。フルダイブ型は、過去に事故を起こした。五感をゲームだけに没入させてしまうと、リアルが火事でも気がつかない。とても危険だ。そこで、現在ではある程度大きな外界の変化は、感知できるように改良されている。
(地震か?急いでカプセルから出なきゃ)
箱型のゲーム機は、カプセルと俗称されていた。最新式だと、環境が危険な時には自動で蓋が開く。しかし五番目は富裕層ではなかったので、手動で開閉操作を行うしかなかった。
(あれっ?開かない?)
焦りと試行錯誤で時が過ぎてゆく。また大きな音がした。あたりが急に暗くなる。五番目の意識は薄れて行った。
五番目の学生は、ゲーム内の姿で目を覚ました。目の前には、和風の男女が立っている。友達のアバターではない。事前にスクショを見せて貰ったので、確かだった。おかっぱの少女が、指輪を嵌めた手を延ばしてきた。ちりりんと鈴が鳴る。
「因果を辿って参りました」
「え?はあ?」
カナコは学生の目を覗き込んだ。それからハヤセの方を向く。
「ハヤセ、どう思う?」
ハヤセも学生に顔を近づけてじろじろと見る。
「なんだあんた。不躾だな」
「んー?融合はしてないみたいだねぇ」
「融合?なんの話だ?不正はしてないぞ」
「へえ?意外だねえ。荒っぽいなあ」
ハヤセは糸目でへらへら笑って二歩飛び退がった。
「なんなんだよ」
学生は口の中で呟くと、そっぽを向いてしまった。
「大学生角井康祐、待ち合わせていた人たちは、とっくにこの世から卒業してしまいましたよ」
「なんだこいつ。こわいな」
「ご覧なさい」
風景が塗り替えられた。あの日の地震が再現される。五番目の学生は、運が悪かったのだ。地震が原因でカプセルが故障した。通常であれば、工具を使って物理で開ける事が出来る。しかし、一人暮らしの学生は、閉じ込められていることに気づかれなかった。カプセル内の空調も切れてしまった。救出された時には、酸素が足りずに、既に手遅れとなっていた。
「俺も死んでんのか。まあ予想はしてたけど」
学生は肝が座っていた。生きていたら、一角の人物になっていたかも知れない。若者特有の荒っぽさが抜ければ、平穏な一生を過ごせた事だろう。
「さあ、次の人生に旅立ちましょう」
「このゲーム自体、地震でサーバーがやられて、復旧するほどの人気もなかったから、そのまんまサ終したよ」
ハヤセの学習速度に、カナコは眼を見張った。いや、ほとんど目を剥いたと言っても良いだろう。
「さっきまでコンピューターも知らなかったくせに」
「そこは別にどうでもいいだろ」
ハヤセが苦笑いした。五番目の学生が、二人のやりとりをじっと観ている。
「ほらほら、早く次行った方がいいよ」
ハヤセは追い払うような仕草をした。
「俺、彼女もいた事ない」
「それも次でいいだろ」
ハヤセは投げやりである。カナコは言わずにはいられないのか、規定で告げる事になっているのか、
「それは解りません。私達二人とも、管轄外です」
と述べた。
「なんだよ、分かりにくい言い方だな?」
「次の人生がどうなるかは、知ることが出来ないのさ」
「ああ、そうなんすか。別にいいや」
学生は、今生に遺憾は数々あるが、後生については全く気にしていない。
「場所取りにこだわってるのかと思いましたが」
カナコは穏やかに話しかけた。学生はいくらか気を鎮めて、カナコの言葉を聞き始めた。
「命を終えたことに気がついていなかったのですね」
「いや、こだわりなんかないよ。やりたかったことはあるけど、だからってこの世に縛られるほどじゃない」
「では、出発しましょうか」
「お願いします」
五番目の学生がカナコに連れられて出発した。ゲーム空間がきえて、扉を出る。扉の外は船着場だった。
「へぇっ」
ハヤセの声が裏返る。
「本当にサッパリ未練がないんだねぇ。見上げたもんだ。いや、潔い」
「そうなんすかねえ?」
学生は、ピンと来ていない。多くの人々が、暗い連絡通路を通ってくる。生前の未練によって、道の長さが決まるのだ。案内人に託されてすぐ船着場に到着する魂を、ハヤセは初めて見た。
カナコは、学生の魂を船に乗せた。
「それじゃ、一人、お願いします」
「あいよ、カナコちゃん」
渡し船が出発し、二人は現世へと戻って行った。




