↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『大国主神、昭和五十五年に生まれ直す 〜失われた三十年を始まる前に叩き潰す〜』  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/10

第9話 荷は道を選ぶ

 薬は、届いて初めて薬となる。


 小槌薬業の帳面にそう書かれた翌朝、大阪の空は低く曇っていた。


 道修町の通りには、いつも通り背広姿の男たちが行き交っている。


 薬箱を積んだ小さな車。


 伝票を抱えた若い社員。


 電話のベル。


 判子の音。


 古い町は、今日も薬を流していた。


 だが、流れはいつでも滑らかとは限らない。


「若旦那、東京行きの荷が止まりそうです」


 番頭の野口が、帳場に駆け込んできた。


 小槌清吾は、急配札に目を落としていた顔を上げる。


「どの荷だ」


「東都医科大学の加納先生宛てです。試験用の薬液に近い調整液と、消毒用品の一部。三橋理工商会を通す予定のものです」


 清吾の眉が動いた。


 東京。


 加納。


 三橋。


 その名に、真名彦が奥の座敷で小さく声を上げた。


 泣き声ではない。


 何かに反応したような、短い声だった。


 清吾は一瞬だけ奥を見た。


 それから野口へ向き直る。


「止まる理由は」


「いつもの路線便が、夕方発にずれます。途中で積み替えが入るので、東京着は明日の午後になるかもしれません」


「遅いな」


「はい。先方は明日の朝から試験に使いたいと」


「国鉄の小荷物は」


「間に合うかもしれませんが、駅まで持ち込みが必要です。梱包も変えた方がいい。液体なので、扱いを間違えると面倒です」


 清吾は黙って伝票を受け取った。


 量は多くない。


 金額も大きくない。


 大口の荷ではない。


 普通の帳面なら、後回しにされる。


 だが、急配札を挟めば意味が変わる。


 これは、東京の研究室と町工場をつなぐ荷だった。


 届かなければ試験が遅れる。


 試験が遅れれば、部品の改良も遅れる。


 部品の改良が遅れれば、医療に届く日も遠のく。


 薬の町から出る小さな荷が、東京の工場の刃物の音につながっている。


 清吾は、急配札を一枚取った。


 届け先。


 東都医科大学、加納健一。


 経由。


 三橋理工商会。


 中身。


 調整液、消毒用品。


 急ぎの理由。


 翌朝の試験に必要。


 代わり。


 なし。


 誰が運ぶか。


 そこだけが空欄だった。


「野口さん」


「はい」


「駅へ持ち込む。梱包を二重にする。漏れた時に外へ出ないようにして、割れ物扱いに近い形にする」


「承知しました」


「それから、港南運送の水野さんに電話してくれ」


 野口は少し驚いた。


「水野さんですか」


「あの人は国鉄の小荷物と路線便の両方に顔が利く。どの便が本当に早いか、こちらだけではわからない」


「手数料を取られますよ」


「取ってもらう」


 清吾は即答した。


「ただで急がせたら、次は雑になる。きちんと払って、きちんと運んでもらう」


 野口は小さく笑った。


「若旦那、その言い方、だいぶ板についてきましたな」


「うるさい」


 清吾は伝票の端を指で叩いた。


「薬は、道を間違えると薬でなくなる」


      ◇


 港南運送の大阪営業所は、道修町から少し離れた倉庫街の一角にあった。


 看板は古い。


 壁には雨の染みがある。


 中には段ボール箱、木箱、紐で縛られた包み、布で覆った機械部品が積まれていた。


 電話は鳴りっぱなしである。


「水野さん、三番にお電話です」


「またか。今度は何や」


 水野勝次は、机の上の伝票を押さえながら受話器を取った。


 四十代半ば。


 肩幅があり、声が大きい。


 運送屋らしく荒っぽい口を利くが、荷物を見る目は細かかった。


「はい、水野。……ああ、小槌さん。薬? 東京? 明日の朝?」


 水野は眉を寄せた。


 手元の時刻表に目を走らせる。


 路線便。


 国鉄小荷物。


 駅持ち込み。


 積み替え。


 東京側の受け取り。


 ただ早い便に載せればいいわけではない。


 荷は、出す時より受ける時の方が詰まりやすい。


 東京に着いても、誰が取りに来るのか。


 研究室までどう運ぶのか。


 駅の荷扱いで止まらないか。


 中身が液体なら、雑に積まれないか。


 それを考えなければならない。


「小槌さん、その荷、どれくらいの大きさです」


 水野は聞いた。


「重さは。割れるんか。漏れたら危ないんか。いや、危ないかどうかやなくて、漏れたら使えんのかを聞いとる」


 受話器の向こうで清吾が答える。


 水野は紙に殴り書きした。


 東京。


 薬液に近い調整液。


 消毒用品。


 翌朝試験。


 三橋理工商会。


 加納。


「普通の路線便やと明日午後や。間に合わん。国鉄小荷物なら、今日の夕方前に駅へ入れれば、明日の朝に拾える可能性がある。ただし東京側で誰が受けるか決めておかんと、そこで腐る」


 水野は言い切った。


 荷物は勝手に目的地へ歩いていかない。


 運ぶ人間。


 受ける人間。


 待つ人間。


 その三つが噛み合わなければ、早い便も遅い便になる。


「東京側の受けは三橋さんにしてもらえますか。大学へ直接より、商社が受けた方が早い。大学は門で止まることがある」


 水野は受話器を肩に挟み、別の紙を引き寄せた。


「あと、荷札を赤にしてください。目立つように。中身を書く時は細かく書きすぎんでええ。けど、上積み厳禁、液体、割れ物、至急。この四つは大きく」


 近くの若い社員が、感心したように見ている。


 水野はそれに気づき、睨んだ。


「何見とる。時刻表持ってこい」


「はい」


 水野は電話を切った後も、しばらく紙を見ていた。


 明日の朝。


 東京。


 薬。


 小さな荷だ。


 だが、こういう荷ほど面倒で、こういう荷ほど止めてはいけない時がある。


 その時、営業所の奥から赤子の泣き声が聞こえた。


 水野の妻が、奥の部屋で娘をあやしている。


 名は湊子。


 生まれてまだ数か月。


 港の子と書いて湊子。


 水野が海と陸の荷を扱う仕事をしているから、妻がそう名づけた。


 湊子は、トラックのエンジン音がすると泣き止む妙な子だった。


 港の汽笛にも反応する。


 荷台の揺れの音にも、目を丸くする。


 今日も、営業所の外でトラックがエンジンをかけると、泣き声がふっと弱まった。


 水野は奥をちらりと見た。


「お前も急かしとるんか」


 赤子は答えない。


 ただ、小さな手を空に伸ばしていた。


      ◇


 その日の午後、小槌薬業の帳場では、梱包が始まった。


 調整液の瓶を一本ずつ包む。


 隙間に詰め物を入れる。


 外箱をさらに油紙で巻く。


 赤い荷札をつける。


 上積み厳禁。


 液体。


 割れ物。


 至急。


 野口は慎重に紐を結んだ。


「若旦那、昔の薬箱みたいですな」


「昔の方が、こういうところは丁寧だったのかもしれん」


 清吾は急配札を箱の控えに挟んだ。


 その横で、千代が真名彦を抱いている。


 赤子は、赤い荷札をじっと見ていた。


「この子、赤い札が気になるんやろか」


 千代が笑う。


 清吾は冗談で返そうとして、やめた。


 真名彦の目が、あまりにも静かだったからだ。


 まるで、その小さな箱の向こうにある東京を見ているようだった。


「野口さん」


「はい」


「荷を出したら、三橋さんへ電話を入れる。三橋さんには東京側で受けてもらう。加納先生には、三橋さん経由で届くと伝える」


「承知しました」


「それから、運送代と手数料は別に記録する」


「試験費用に乗せるんですか」


「相談だな。だが、急ぎで運ぶなら、急ぎの費用がかかることは最初から見せる」


 千代が頷いた。


「ただで急げは、薬にも人にも毒や」


 清吾は母を見た。


「おふくろ、それ、帳面に書いておく」


「書かんでええ」


「いや、書く」


 清吾は本当に書いた。


 ただで急げは、薬にも人にも毒。


 野口が横で笑いをこらえていた。


      ◇


 荷は、野口が駅まで運んだ。


 水野の手配で、駅の荷扱いを知る男が待っていた。


 その男は箱を見て、紐の締め方を確かめ、荷札を読む。


「きれいに作ってありますね」


「薬問屋の荷です」


 野口が答える。


「明日の朝、東京で拾いです。途中で寝かせないでください」


「それは荷物次第です」


「荷物は寝ません。寝かせるのは人です」


 男は一瞬きょとんとし、それから笑った。


「水野さんの受け売りですか」


「ええ。たぶん」


 野口も少し笑った。


 箱は、台車に載せられ、駅の奥へ運ばれていった。


 野口はその背中を見送った。


 薬問屋で働いて長い。


 これまで、荷を出すことは何度もあった。


 だが、ここまで一つの荷の行き先を気にしたことは少なかった。


 箱がどの便に乗るのか。


 どこで降ろされるのか。


 誰が受け取るのか。


 いつ開けられるのか。


 そこまで考えて、初めて急配なのだとわかった。


 店に戻った野口は、急配控に一行書いた。


 荷は出して終わりではない。


 受け取られて初めて届く。


 清吾はそれを見て、何も言わずに頷いた。


      ◇


 東京では、三橋理工商会の三橋が電話口で背筋を伸ばしていた。


「はい。明日の朝、駅で受け取ります。ええ、こちらで大学へ運びます。加納先生には伝えておきます」


 電話を切ると、三橋はすぐに別の番号を回した。


 東都医科大学。


 研究室。


 加納は、試験装置の前で部品を眺めていた。


 電話が鳴る。


「加納です」


「三橋です。大阪からの荷、明日の朝に私が受け取ります」


「本当ですか」


「ただし、大学に直接入れると手続きで止まるかもしれないので、私が持ち込みます。朝一番で駅へ行きます」


「助かります」


「助かるではなく、費用がかかります」


 三橋はわざとそう言った。


 加納は一瞬黙り、それから苦笑した。


「はい。わかっています。急ぎの費用は研究費に入れます」


「それを最初に言っていただけると、こちらも動きやすい」


「覚えておきます」


 三橋は受話器を持ったまま、少し表情を緩めた。


「それと、加納先生」


「はい」


「明日、大国製作所にも一部持っていきますか。試験液の性質を、工場側にも見てもらった方がいいかもしれません」


「それはありがたいです」


 加納の声が明るくなった。


「水では安定しても、薬液に近いものでは乱れる。そこを現場と一緒に見たい」


「では、大学で分けた後、大国さんへ回します」


「三橋さん」


「はい」


「運ぶだけでなく、順番まで考えてくださってありがとうございます」


 三橋は少し照れた。


「商社の仕事ですから」


 電話を切った後、三橋は手帳を開いた。


 駅。


 大学。


 大国製作所。


 受け取り。


 分配。


 費用。


 確認。


 そこまで書いてから、彼はふと思った。


 自分は物を右から左へ流しているだけではない。


 どこで止まるか。


 誰が待っているか。


 どの順番なら次の仕事が進むか。


 それを見るのが、商社の仕事なのかもしれない。


 大きな商社ではない。


 世界を相手にしているわけでもない。


 だが、小さな商社にも、小さな国の血管を整える役目がある。


 三橋は、手帳の端に小さく書いた。


 荷は、道を選ぶ。


      ◇


 翌朝、東京の駅は人であふれていた。


 通勤客。


 学生。


 荷を抱えた男。


 新聞を売る声。


 構内には、朝の湿った空気と鉄の匂いが混じっている。


 三橋は予定より早く着いた。


 荷扱いの窓口で、控えの番号を出す。


 しばらくして、赤い荷札のついた箱が出てきた。


 上積み厳禁。


 液体。


 割れ物。


 至急。


 三橋は、まず箱の角を見た。


 潰れていない。


 紐も緩んでいない。


 外側に染みもない。


 ほっと息を吐く。


「これで全部ですか」


「はい」


「ありがとうございます」


 三橋は箱を抱えた。


 思ったより軽い。


 だが、その軽さに反して、箱の意味は重かった。


 この箱を待っている人間がいる。


 加納。


 大国製作所。


 そして、まだ名も知らない患者たち。


 駅の外に出ると、朝の東京の空気が顔に当たった。


 三橋はタクシーを使うか迷った。


 費用はかかる。


 だが、遅れれば試験が遅れる。


 迷っている時間がもったいない。


 彼は手を上げた。


「東都医科大学まで」


 タクシーが走り出す。


 三橋は膝の上の箱に手を添えていた。


      ◇


 東都医科大学の研究室では、加納が待ちきれずに廊下へ出ていた。


 三橋が箱を抱えて現れると、ほっとしたように近づく。


「無事ですか」


「見たところは」


「開けます」


 研究室の机の上で、箱が開けられた。


 梱包は丁寧だった。


 瓶は一本も割れていない。


 中身も漏れていない。


 加納は、まるで手術前の器具を確認するように、一つ一つを見た。


「助かりました」


「小槌薬業さんと、港南運送さんのおかげです」


「港南運送?」


「大阪側で便を選んでくれた運送屋さんです。普通の路線便なら午後だったそうです」


 加納は少し黙った。


 自分は、薬が届くものだと思っていた。


 注文すれば届く。


 伝票を書けば届く。


 だが、実際には違う。


 誰かが便を選び、誰かが梱包し、誰かが駅へ運び、誰かが受け取ってここへ持ってきた。


 そのどれかが止まれば、試験は始まらない。


「見えていませんでした」


 加納が呟く。


 三橋が聞き返す。


「何がですか」


「部品と薬液の間にある道です」


 三橋は頷いた。


「私も、昨日少し見えました」


 加納は瓶を手に取った。


「今日の試験記録に、輸送条件も書きます」


「輸送条件?」


「届いた時間、梱包の状態、保管時間。液体ですから、状態が変わる可能性もあります。そこまで見ておかないと、試験の条件が揃わない」


 三橋は驚き、それから笑った。


「また記録が増えますね」


「必要な記録です」


 加納は真剣だった。


「研究室だけで完結していると思う方が、間違いでした」


      ◇


 その日の昼前、三橋は小分けにした調整液の一部を持って、大国製作所へ向かった。


 徹は旋盤の前にいた。


 岩男は、拡大鏡を手に部品を見ている。


「三橋さん、どうしました」


「大阪から荷が届きました。加納先生が、工場側でも見てほしいと」


 徹の顔が変わった。


「薬液に近い試験液ですか」


「ええ」


 岩男が手を止めた。


「水じゃねえやつか」


「はい」


「見せろ」


 三橋は慎重に瓶を出した。


 岩男は瓶を透かして見た。


 徹も横から覗く。


「これが流れるのか」


「加納先生は、これで流量を確認すると」


 岩男は小さく唸った。


「見た目は水みてえだが、動きは違うんだろうな」


「そう言っていました」


 徹は仕事帳を開いた。


 試験液、到着。


 大阪、小槌薬業。


 港南運送経由。


 三橋受け取り。


 加納研究室。


 大国製作所へ一部共有。


 徹はそこまで書いて、手を止めた。


 これは、加工記録だけではない。


 部品がどう使われるか。


 薬液がどう届くか。


 誰が運ぶか。


 そこまでが、同じ仕事の中に入ってきている。


 岩男が低く言った。


「徹」


「何だ」


「仕事帳、工場の中だけ書いてりゃ足りねえな」


 徹は顔を上げた。


「親父もそう思うか」


「思う。こいつがいつ、どこから来て、どう扱われたか。そこが変われば、結果も変わるかもしれねえ」


 三橋が静かに聞いていた。


 町工場の老人が、輸送と試験条件の話をしている。


 昨日までなら、考えられなかった。


 大きな声で改革を叫んだわけではない。


 ただ、小さな荷が一つ、道を選んで届いた。


 それだけで、人の見方が変わり始めている。


      ◇


 その夜、水野家では、湊子が眠っていた。


 大阪営業所の奥の小さな住まいである。


 外では、夜のトラックが一台、エンジンをかけている。


 湊子はその音に合わせるように、眠ったまま小さく息をした。


 水野の妻が、布団の横で洗濯物を畳んでいる。


 水野は帰ってくるなり、帳面を広げた。


「また仕事?」


「今日の荷を書いとく」


「伝票なら会社にあるでしょ」


「伝票には、なぜ急いだかまでは残らん」


 妻は少し驚いた。


 水野は鉛筆を走らせた。


 小槌薬業。


 東京行き。


 薬液に近い調整液。


 翌朝試験。


 路線便では不可。


 国鉄小荷物。


 東京側、三橋受け。


 荷札赤。


 上積み厳禁。


 液体。


 割れ物。


 至急。


 それを書き終えてから、しばらく考えた。


 そして表紙に文字を書く。


 急ぎ荷控。


 妻が覗き込む。


「そんな帳面、前からあった?」


「今作った」


「急に?」


「急にや」


 水野は湊子を見た。


 赤子は、トラックの音が遠ざかると、少し眉を寄せた。


「この子が生まれてから、変な荷が気になるようになった」


「変な荷?」


「小さいのに、止めたらあかん荷や」


 妻は笑った。


「それ、前からあなたの仕事じゃないの」


「そうやけどな」


 水野は頭を掻いた。


「前は、早く運べと言われたら腹が立った。今も腹は立つ。けど、何で早いのか聞いたら、道が変わることがある」


「道が変わる?」


「路線便か、駅か、車か、誰が受けるか。荷はな、勝手に届かへん。道を選んでやらなあかん」


 妻は、少しだけ真面目な顔で頷いた。


「湊子の名前みたいね」


「何が」


「港は、船が勝手に集まる場所じゃないでしょう。帰る場所で、出ていく場所で、荷を渡す場所」


 水野は目を瞬かせた。


「お前、たまにええこと言うな」


「たまに余計よ」


 湊子が、眠ったまま小さく笑った。


 その内に宿る宗像三女神の一柱の御魂は、まだ目覚めきってはいない。


 だが、海の道、陸の道、人の道が交わる音に、確かに反応していた。


 荷は道を選ぶ。


 道は人を選ぶ。


 そして人は、誰かの必要に応じて動き出す。


      ◇


 東京の夜。


 大国家の二階で、誠は眠っていた。


 夢の中で、光の線が見える。


 東京の大国製作所。


 まつ乃弁当。


 南東京信用金庫。


 片倉医院。


 大阪の小槌薬業。


 港南運送。


 三橋理工商会。


 東都医科大学。


 線は、町の中だけではなくなっていた。


 東京と大阪を結ぶ細い線。


 薬と部品と人の判断が通る線。


 それはまだ一本である。


 だが、一本あるということは、増やせるということだった。


 大国主神は、その線を見つめた。


 国を滅ぼすものは、外から来る敵だけではない。


 届くべきものが届かないこと。


 急ぐべきものが急げないこと。


 大事な小口が、大口の陰で消えること。


 現場の理由が、伝票の数字に潰されること。


 それらが積み重なれば、国は静かに弱る。


 ならば、荷にも縁を結ぶ。


 物と人。


 出す者と受ける者。


 道と時間。


 急ぐ理由と、払う金。


 そこを結ばねばならない。


 誠は夢の中で、小さく息を吐いた。


 食。


 医。


 金。


 工。


 そして運ぶ道。


 ようやく、国の毛細血管に血が流れ始めた。


 遠く大阪では、真名彦が薬草の匂いの中で眠っている。


 さらに別の場所で、湊子がトラックの音に包まれて眠っている。


 神々はまだ赤子だった。


 だが、それぞれの家で、それぞれの大人たちが動き始めている。


 それでいい。


 神が歩くより早く、人の仕事が道を作る。


 昭和五十五年。


 小さな薬箱が、大阪から東京へ届いた。


 ただそれだけのことだった。


 だが、その箱が通った道には、やがて日本の物流を結び直すための最初の印が残っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。