第6話(5/19大幅改稿)
上層へと続く縦穴の絶壁を、俺は獣のような勢いで駆け上がっていた。
一時的なバフが切れた今、空気を蹴ることはできない。だが、細胞が再構築された両脚と【跳躍】のスキルがあれば、僅かな岩の出っ張りすらも強固な足場に変わる。
壁を蹴り、瓦礫を飛び移り、邪魔な魔物を鎌の破片で切り裂きながら、何かに取り憑かれたように上を目指す。
肺から血の味がする。全身の骨が軋み、筋肉が断裂の悲鳴を上げている。
本来なら何日もかけて踏破する距離を、休息すら取らずに一気に駆け上がるなど自殺行為に等しい。
だが、俺の足を動かしているのは、もはや体力ではない。
晴香がくれた温かいコーヒーの記憶と、胸の奥で黒く燃え盛る天狼への復讐心。それだけが、今の俺を突き動かす絶対的な動力源だった。
(待っていろ。必ず……そこへ行く)
暗闇を切り裂き、ただひたすらに上へと跳躍を続ける。
* * *
一方その頃——ダンジョン第1階層。地上への出口である『ゲート』の真ん前で、天狼聖はカメラに向かってひどく沈痛な面持ちを作っていた。
「……みんな、本当にごめん」
天狼は自身のメインチャンネルのドローンカメラに向かって、声を震わせながら語りかける。
彼の輝かしい白銀の鎧は、意図的に泥と自身のナイフでつけられた浅い傷によって、激しい死闘を物語るように「偽装」されていた。
「突如として現れた規格外のイレギュラー……グリム・ウィーバー。俺は必死に戦ったが、奴の力はあまりにも理不尽だった」
『天狼くん……無事でよかった』
『イレギュラー相手じゃ仕方ないよ! 生きてるだけで奇跡だ!』
「仲間たちが、俺を逃がすために盾になってくれたんだ。……荷物持ちの九朗でさえ、最後は身を呈して俺を庇ってくれた」
嘘八百だった。
実際には、天狼は魔法が効かないと知るや否や、九朗を力任せにバケモノへ投げ飛ばして囮にし、自分だけ一目散に逃げ出したのだ。
だが、安全圏であるこの上層のゲート前に到達した彼は、瞬時に「この悲劇を最高のエンタメに変える」という下劣なシナリオを思いついた。
「俺は誓う。あいつらの犠牲は絶対に無駄にしない。この悲しみと怒りを力に変えて、俺は必ず仇を討つ……ッ!」
天狼がわざとらしく涙を拭う仕草を見せると、コメント欄は感動と悲しみに包まれ、凄まじい勢いで同情のスーパーチャットが飛び交い始めた。
(くくっ、チョロいぜ。これなら新しいパーティのスポンサーもすぐに見つかる。あの無能なポーターも、最後くらいは俺の金稼ぎの役に立ったってわけだ)
内心で舌を出して嘲笑いながら、天狼は悲劇のヒーローを完璧に演じ切っていた。
だが——。
次の瞬間、同情とスパチャの嵐だったコメント欄の空気が、唐突に『異様なもの』へと変化した。
『……え?』
『おい、天狼の後ろ』
『嘘だろ。死んだって言ってなかったか?』
『生きてたのか!? は!? どうやって!?』
「……あ?」
自分の背後を指摘するコメントの数々に、天狼は怪訝な顔をして振り返った。
そこには——。
幾重にも重なったバケモノの返り血と、真っ黒な泥に塗れ、全身から禍々しい死臭を放つ『オレンジ色のスーツ』を着た男が立っていた。
その手からは、ポタポタと赤黒い血が滴り落ちている。
下層の魔境を自力で突破してきたとは到底思えないほど、足音ひとつ立てずに。
「な……」
天狼の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
幻覚か? いや、違う。そいつは確かに、数時間前に自分が魔物の餌として突き落としたはずの、あの無能なポーターだった。
そいつは、極限の殺意を宿した真っ暗な瞳で天狼を見下ろし、血に濡れた口をゆっくりと開いた。
「幽霊でも見たような顔ですね、天狼さん」
一切の感情が籠っていない敬語。
ドローンカメラが世界中に生配信しているその画角の中で、地獄の底から這い上がってきた死神は、滑稽な悲劇のヒーローに向かって冷酷に言い放った。




