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第6話:死の掟と、冒涜的な喰らい合い

 ——ズガァンッ!!


 鈍く、暴力的な破砕音が、薄暗い洞窟の奥深くまで響き渡った。

 九朗の腹部を、グリム・ウィーバーの巨大な右鎌が容赦なく貫いていた。初心者用の安っぽい革鎧など何の役にも立たず、まるで濡れた紙屑のように引き裂かれている。

 巨大な刃は九朗の身体を完全に貫通し、背後の分厚い岩盤ごと彼を深く縫い留めていた。


「が、はッ……!」


 口から大量の赤黒い血が、ごぼりと溢れ出す。

 熱い。痛いという次元を超え、内臓を直接灼熱の鉄で焼かれているような絶対的な苦痛。視界が急速に狭まり、カメラが遠ざかるように意識が遠のき、全身から一瞬にして体温が失われていく。

 間違いなく、致命傷だった。人間の脆弱な肉体において、内臓を完全に破壊されれば数分と命は持たない。


 キリキリキリッ……。


 怪物が、獲物をじっくりと楽しむような不快な摩擦音を鳴らした。

 複数の赤い眼球が、死にゆく九朗の顔を至近距離で覗き込んでくる。怪物の口元からは強烈な腐臭を放つ猛毒の粘液が垂れ落ち、九朗の頬をジュッと音を立てて焼いた。

 もうすぐ、頭から丸かじりにされる。

 天狼の用意した悪辣な筋書き通り、ただの使い捨ての囮として、誰にも知られず最も無惨な死を迎える。


(……俺は、こんな所で……)


 薄れゆく意識の中。

 九朗の脳裏に浮かんだのは、死への恐怖でも絶望でもなかった。

 ただ一つ。かつて家族を理不尽な暴力で奪われ、泥水を啜りながら耐え続け、そして今日もまた天狼のようなゲスな連中に自分から全てを奪おうとされている「この狂った世界」への、純粋で真っ黒な【憎悪】だけだ。


(奪われて、たまるか。ただ死んで、たまるか……!)


 パッチテストの際、ギルドの医師が冷酷に吐き捨てた警告が脳裏をよぎる。

『異なる因子の複数摂取は、一時的に凄まじいバフがかかるが、直後に肉体が破裂して確実な死を迎える』

 どのみち、内臓を破壊された自分は数分以内に死ぬ。ならば、その『一時的なバフ』を使い、このバケモノの目玉の一つでも道連れにしてやる。


 九朗の濁りかけた瞳に、暗い炎が再び燃え上がった。

 彼は血塗れの右手を力なく伸ばし、自らを貫いている怪物の鎌の関節——そこに生々しく露出していた、怪物の黒い筋繊維と体液が滲む部分を、素手で力任せに掴んだ。


「……てめえも、道連れだ……ッ!!」


 九朗は、自らを貫く鎌に体をさらに深く押し込みながら、怪物の肉片に向かって、狂犬のように食らいついた。

 ブチィッ! と、硬い繊維を引きちぎる生々しい音が響く。

 鉄錆とヘドロを煮詰めたような、おぞましい味。九朗は口内に溢れた怪物の血と肉を、咀嚼すらもせずにそのまま喉の奥へと飲み込んだ。


 ——それは、確実な死と引き換えに力を得る、冒険者社会の禁忌だった。


 イレギュラーの血肉を飲み込んだ瞬間、九朗の体内で『新種ドラゴンの血』と『グリム・ウィーバーの因子』が劇的に衝突した。


「ガ、アァァァァァァァァァッ!!」


 鎌で貫かれた傷など比較にならないほどの、文字通り「破滅」の激痛。

 全身の血液が沸騰し、骨が内側から粉砕されるような錯覚。九朗の全身の皮膚の下で、無数の爆竹が破裂しているかのように血管が次々と弾け飛ぶ。両目から、鼻から、毛穴という毛穴から、おびただしい量の鮮血が噴き出す。

 システムが定めた「死のルール」。細胞崩壊が始まり、九朗の肉体はドロドロの肉塊に変わろうとしていた。


 網膜のARコンタクトが、狂ったように真っ赤な警告ポップアップを大量展開する。


『警告:体内因子の深刻な衝突を確認』

『細胞崩壊率:40%……60%……80%……』

『生命維持不可。肉体の完全崩壊まで、残り——』


 だが。

 九朗の意識が完全に消滅しようとした、まさにその境界線。


『——ステータス【 ERROR 】の深層ロジックの稼働を確認』


 視界を埋め尽くしていた警告の赤いアラートが、唐突に激しいノイズに塗れ、漆黒のウィンドウへと反転した。


『対象の因子【グリム・ウィーバーの変異種】を捕捉』

『——因子の強制捕食、及び細胞の再構築アップデートを実行します』


 直後、崩壊しかけていた九朗の肉体に、常識を覆すありえない現象が起きた。

 弾け飛んだ血管が、裂けた皮膚が、ドス黒い粘体——怪物の持つメタマテリアル因子と融合しながら、恐るべき速度で編み直されていくのだ。

 細胞が崩壊する速度を、細胞が再構築(進化)する速度が完全に上回った。

 死の掟すらも食い破る、圧倒的な【捕食】と【再生】。

 ギルドの医師が「器が空っぽの失敗作バグ」と断定した能力。それは、決して解析不可能な新種の血が引き起こした、他の生物の因子を根こそぎ奪い取り、自らの肉体を強引に最適化する「悪魔のスキル」だった。


「ア、ァ……ガ、ァ……ッ!」


 九朗の全身から、凄まじい高熱の蒸気が噴き上がる。

 彼を貫いていた鎌の傷口から、黒い筋繊維のようなものが無数に伸び、逆に怪物の鎌を捕食するように、生き物のように絡みついていく。


 ピギャアァァァァァァッ!?


 グリム・ウィーバーが、初めて「恐怖」の悲鳴を上げた。

 単なる無力な餌だと思っていた小さな人間が、突如として自分を侵食し、喰らう「捕食者」へと変貌したのだ。異界の生態系の頂点に立つ怪物にとって、それは本能的な死の恐怖だった。

 怪物はパニックに陥り、九朗を貫いていた鎌を強引に引き抜こうとする。

 だが、抜けない。

 九朗の両腕が、万力のような——否、先ほどまでのただの人間ポーターとは比較にならない、異常な膂力で鎌を掴んで離さないのだ。


「逃がすかよ……。てめえの力、全部、俺が喰らい尽くしてやる……!」


 蒸気と血塗れの顔を上げ、九朗は怪物を睨みつけた。

 その瞳は、深淵のように暗く、底知れない飢餓感に満ちていた。

 怪物は恐怖のあまり、無理やり自らの鎌の関節を切り離し(自切)、九朗の体を振りほどいて後退した。


 ドサリと、九朗の体がヘドロの泥の中に落ちる。

 しかし彼は、もう死にかけの弱者ではなかった。

 腹部に開いていたはずの致命的な大穴は、黒いメタマテリアル繊維によって完全に塞がり、傷跡一つ残っていない。天狼に背後から斬られた脚の深い傷も、すでに完全に癒着している。


 そして何より——彼の「両脚」が、異常な変容を遂げていた。

 怪物の驚異的な機動力の源である『因子』の特徴を色濃く引き継いだのか。九朗の太ももからふくらはぎにかけての筋肉が、爆発的なエネルギーを圧縮した鋼のバネのように、異様な密度と黒い光沢を帯びて膨張している。


『細胞の再構築アップデート完了』

『最適化された新規スキル【跳躍リープ】が解放されました』


 九朗は、泥の中からゆっくりと立ち上がった。

 足元に広がる自身の血だまりを黒いブーツで力強く踏みしめながら、彼は手元のなまくらなショートソードを低く構える。

 全身の血液が滾っている。溢れんばかりの力が、肉体の内側で暴れ回っている。


 狩られる側から、狩る側へ。

 極限の死地で未知の覚醒を遂げた最弱の冒険者が、今、静かなる反撃の時を迎えた。


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