第4話(5/19大幅改稿)
「……あ、が……ッ!」
泥水の中に倒れ伏したまま、俺は声にならない絶叫を上げた。
千切れる。全身の筋肉が、骨が、神経が、内側から引き裂かれるような激痛。
グリム・ウィーバーの肉を喰らったことで得ていた『一時的な超強化』が、完全に途切れたのだ。
空気を硬質な壁のように蹴り抜くほどの、あの規格外のあふれ出る『因子』はもう微塵も残っていない。
残されたのは、限界を超えて酷使された反動と、鉛のように重い疲労感だけだった。
「ハァッ……ハァッ……」
血反吐を吐きながら、必死に泥水を掻いて立ち上がる。
最悪の気分だった。だが、絶望はしていない。
自分の身体を確かめるように拳を握り込んでみると、指先には確かな『力』が宿っていた。
(……基礎スペック自体は、底上げされたままか)
【ERROR】の深層ロジックである『細胞の再構築』による肉体の最適化は、一時的なものではなく永続的な変化だった。筋肉の密度も、視神経の鋭さも、以前の脆弱なポーターだった頃とは比べ物にならない。
それに、システムから獲得した【跳躍】のスキルも失われてはいない。空気を蹴るような理不尽な真似はもうできないが、純粋な脚力強化スキルとしては十分に機能するはずだ。
だが——。
ズズンッ……ズズンッ……。
暗闇の奥から、地鳴りのような足音が響いてきた。
ここはダンジョンの『下層』。上層の魔物とは次元が違う、真のバケモノたちが棲まう魔境だ。グリム・ウィーバーの死臭と、大量に流れた血の匂いに引き寄せられ、周囲から無数の悍ましい気配が接近してきているのが分かった。
バフが切れ、満身創痍の状態で、強敵が蔓延る下層を駆け上がらなければならない。
文字通りの、地獄のサバイバルだ。
『ピロリンッ』
その時、静寂と暗闇に包まれた俺のAR視界に、ひときわ派手な通知音が鳴り響いた。
頭上の穴から一緒に落ちてきたらしいサブチャンネル用のドローンカメラが、泥だらけの俺の顔を執拗に映し出している。
『おい、嘘だろ!? バフ切れたぞ!』
『あんな高いところから下層に落ちて生きてるのかよ!?』
『でももう動けなさそう……終わったな』
『うわ、暗闇の奥からなんかデカいのが来てるって! 逃げろ!』
無責任な視聴者たちのコメントが、滝のように流れていく。
そして、それに混じるようにして、見たこともない額の数字が画面いっぱいに弾けた。
『【500,000 ゼニー】おい、もう終わりかよ!? もっと暴れろ!』
『【10,000 ゼニー】南無阿弥陀仏。いい見世物だったぞ』
スーパーチャット。
俺の死の淵での足掻きを、安全圏から酒でも飲みながら楽しんでいる連中の、悪趣味な「投げ銭」だった。
彼らにとって、俺の命を懸けた死闘も、今から始まる地獄すらも、ただの無料のエンターテインメントに過ぎないのだ。
「…………」
俺は、視界を埋め尽くす極彩色のコメントと投げ銭の嵐を見つめ——。
「……うるさい」
泥に塗れた顔のまま、心底軽蔑したように吐き捨てた。
そして、ARの表示設定を操作し、邪魔なコメントウィンドウを視界の端へと乱暴にスワイプして追いやる。
金を積まれようが、同情されようが、知ったことか。
俺は画面の向こう側の連中を楽しませるために生き残るわけじゃない。
そもそも、今日俺が天狼のパーティに同行したのは、奴が「今日の配信で囮役をこなせば、お前が背負ってる借金のうち百万ゼニーを肩代わりしてやる」と持ちかけてきたからだ。
だが天狼は、俺を力任せにバケモノへ投げ飛ばして囮にし、自分だけ逃げ出した。俺の命を買っておきながら、約束の代金を踏み倒して。
俺をこんな地獄に突き落としたあのゲス野郎から、俺は血の代金をきっちりと取り立てに行かなければならない。
——グルルルルルッ!!
暗闇から、巨大な三つ首の魔獣が涎を垂らしながら飛び出してきた。
俺はグリム・ウィーバーの死骸から鋭利な鎌の破片を拾い上げると、再構築された肉体に鞭を打ち、スキル【跳躍】の力で大地を力強く蹴り飛ばした。
「這い上がってやる」
最弱の荷物持ち(ポーター)による、絶望的な下層サバイバルが幕を開けた。




