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第3話:一縷の望みと絶望

 冒険者ギルド本部、地下四階——『特殊医療区画』。

 一階の煌びやかなロビーとは打って変わり、無機質なコンクリートの壁に囲まれたその場所には、鼻をつく消毒液と、消しきれない血の匂いが深く染み付いていた。

 薄暗い待合室のパイプ椅子に腰掛けているのは、およそ三十人の男たち。多額の借金を抱えて首が回らなくなった者、スラムでヤクに溺れた者、あるいは裏社会から逃げてきた荒くれ者たち。皆、目の焦点が合っておらず、貧乏揺すりや舌打ちの音が絶え間なく響いている。

 ここは、一発逆転の力を求めて「新種ドラゴンの血」の特別パッチテストに応募してきた、命知らずの底辺たちの溜まり場だった。

 九朗もまた、汚れたオレンジスーツを脱ぎ、ペラペラの検査着姿でその最後列に静かに座っていた。


「——静かにしろ、ゴミ共」


 重い鉄扉が開き、白衣を着たギルドの専属医師が姿を現した。

 神経質そうな細いフレームの眼鏡を押し上げ、クリップボード片手に集まった男たちを値踏みするように見渡す。彼の背後には武装したギルドの警備兵が二人控え、さらにその後ろの医療用カートには、禍々しい赤黒い液体が満たされた太いシリンダーが幾つも鎮座していた。

 あれが、ただの人間を『超人(冒険者)』へと変えるための触媒——『ドラゴンの血』だ。


「これより、特別アレルゲンパッチテスト及び、適合者への『血の注入』に関する最終説明を行う。耳の穴かっぽじってよく聞けよ。てめえらの安い命に関わる話だからな」


 医師は冷ややかな声で告げた。


「今回使用するのは、海外の深層領域で新たに発見された『未解明の成分』が多く含まれる新種の血だ。適合率は極めて低く、これまでの臨床試験での成功例は一割にも満たない。拒絶反応が出れば、最悪の場合は精神崩壊、あるいは全身の血管が破裂してショック死に至る」


 その言葉に、待合室の空気がピリッと凍りついた。

 荒くれ者の一人が、青ざめた顔で声を震わせる。


「お、おい……聞いてねぇぞ! 死ぬかもしれないなんて……!」

「嫌なら今すぐ帰れ。ただし、同意書にサインした時点でてめえらの戸籍はギルドの管理下にある。逃げれば違約金として、生きたまま解剖台に乗ることになるがな」


 医師の冷酷な宣告に、男は口をパクパクさせて黙り込んだ。


「……だが、それ以上に絶対に守らなければならない『掟』が一つある」


 医師は眼鏡の奥の目を細め、地を這うような低い声で続けた。


「いいか? 仮に今回の血に奇跡的に適合し、冒険者になれたとしても、絶対に『他のドラゴンの血』や『強力なモンスターの肉』を口にするな。……我々の肉体は、一つの因子ルールしか許容できない構造になっている。もし異なる種類の血や因子を体内に複数取り込めば、一時的に凄まじい身体能力のバフがかかるが……直後に因子同士の猛烈な反発が起き、細胞が内側から崩壊する。間違いなく肉体が原形をとどめないほどに破裂して『死ぬ』。文字通りの消滅だ」


 一時的な力と引き換えの、確実な死。

 医師はシリンダーを指差し、鼻で笑った。


「過去に、一時的な力に目がくらんで『他の血』を盗み飲みした馬鹿が何人もいたが……そいつらは皆、数秒だけ超人になった後、清掃員がモップで肉片を片付ける羽目になった。これは絶対のルールだ。ゆめゆめ忘れるなよ」


 凄惨な死の描写に、待合室の何人かが生唾を飲み込んで震えた。

 しかし、九朗の瞳に揺らぎはない。彼は手元の『免責同意書(死亡時のギルドの責任を一切問わないという誓約)』に、迷うことなくペンを走らせていた。

 復讐を果たすための力が手に入るなら、命の危険など安いものだ。むしろ、確実な死のリスクがあるからこそ、自分のような「不適合者(空っぽの器)」にも一縷の望みがあるのだと九朗は理解していた。


「次、井藤九朗。……おい、聞いてるのか」

「はい。よろしくお願いいたします」


 九朗は静かに立ち上がり、同意書を提出して処置室へと足を踏み入れた。


     * * *


 処置室は、手術室のように眩しい無影灯に照らされていた。

 中央に置かれたリクライニング式の処置椅子に座らされると、まず腕の皮膚に微量の血を塗布する『アレルゲンパッチテスト』が行われた。


「……ひどい傷跡だな。ポーター上がりか」

「はい」

「以前も適合試験を受けて、落ちた記録があるな。不適合者の分際で、死に急ぎたいのか?」

「……ええ。お金が必要なので」


 九朗が淡々と敬語で返すと、医師はつまらなそうに舌打ちをしてタイマーを見つめた。

 かつてのテストでは、血を塗られた皮膚がわずか数秒で赤黒く爛れ、「不適合」の烙印を押された。

 だが——今回は違った。

 一分が経過しても、九朗の皮膚は正常なままだ。痛痒さすらない。


「……ほう。アレルギー反応なし、適合だ。新種の血ならお前の空っぽの器にも入るらしいな。運のいいヤツめ」

「……!」


 九朗の心臓が大きく跳ねた。適合した。自分に、スキルを得る資格が与えられたのだ。


「これより本番の『血の注入』へ移行する。暴れるなよ」


 医師の事務的な声を聞きながら、九朗は太い革のベルトで処置用の椅子へと厳重に縛り付けられた。腕、脚、そして胴体。身動き一つとれない状態にされる。


「打ち込むぞ」


 ——ブスリ。

 太い注射針が、首筋の太い静脈に深く突き立てられた。

 シリンダー内の赤黒い液体が、ポンプの圧力で一気に九朗の体内へと押し込まれる。


「……ぐっ、がぁぁぁぁぁぁぁぁッ……!!」


 直後、声にならない絶叫が九朗の喉を引き裂いた。

 熱い。痛い。

 直接注入された『新種ドラゴンの血』が、煮えたぎるマグマのように血管の中を駆け巡る。心臓が破裂しそうなほどのスピードで脈打ち、全身の細胞一つ一つが異界の因子によって強制的に侵略され、作り替えられていく凄まじい苦痛。

 眼球が焼き切れんばかりに充血し、革ベルトが千切れそうなほど全身の筋肉が痙攣する。

 視界が真っ赤に明滅し、意識が暗い泥の底へと急速に沈んでいく。


(……死ぬのか? 俺は、ここで……)

(……いや、だめだ。死ねない。……あいつらを、殺すまでは……絶対に……!)


 薄れゆく意識の中、脳裏にフラッシュバックするのは、瓦礫の下で冷たくなっていた家族の手の感触だ。

 泥水を啜り、頭を踏みつけられ、それでも今日まで生き延びてきたのは、この瞬間のためだ。

 九朗は奥歯が砕けるほど強く噛み締め、己の精神力だけで、侵食してくる異界の因子を強引に押さえ込んだ。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 不意に、激痛の波がスッと引き、冷たい汗にまみれた九朗の網膜のARコンタクトレンズから、軽快な電子音が鳴り響いた。


『ピピッ——生体スキャン完了。異界因子(ドラゴンの血)への完全適合を確認しました。ステータスを更新します』


(……適合、した。俺は、ついに力を……!)


 拘束ベルトを解かれ、全身を濡らす脂汗を拭うことも忘れ、九朗は荒い息を吐きながら虚空のステータス画面を睨みつけた。

 ついに手に入れた力。家族の無念を晴らし、天狼のような上位冒険者たちを理不尽に蹂躙できる強大なスキル。

 一体、どんな能力が発現したのか——。


『所有スキル:【 E R R O R 】』


「…………は?」


 九朗の口から、間の抜けた声が漏れた。

 何度瞬きをしても、表示は変わらない。文字化けしたような不規則なノイズが走るその文字列は、間違いなく【ERROR】と表示されていた。


「チッ……なんだこれは。どういうことだ」


 傍らでモニターを見ていた医師が、忌々しそうに舌打ちをしてコンソールを叩いた。


「どういうことですか……? 先生、俺のスキルは……」

「……黙れ」


 低い、威圧的な声が処置室に響き渡った。

 部屋の奥の暗がりから姿を現したのは、高級なスーツを着こなした冷酷な顔つきの男——千葉ダンジョン支部を統括する支部長だった。この貴重なパッチテストの様子を自ら視察していたのだ。


「バグ体質め。先生のデータによれば血そのものへの適合は確認できたが、お前の体が低スペックすぎて、取り込んだ因子をスキルとして正常にシステム出力できていない。つまり、システム上は冒険者だが、能力はゼロ。ただの一般人と同じだ」

「そんな……能力が、ゼロ……?」

「ああ。貴重な新種の血を無駄にしやがって……完全な失敗作(不良品)だな。目障りだ」


 支部長の冷酷な宣告が、九朗の脳天をハンマーで殴りつけた。

 スキルがない。能力はゼロ。

 激痛に耐え、命を懸けた結果が、システムの【ERROR】という理不尽なバグ。

 九朗の手から、たった今掴みかけたはずの復讐の希望が、無惨にもちぎれ飛んだ。


「……そうですか。分かりました」


 数秒の沈黙の後、九朗は感情を完全に殺し、震える拳を隠すように強く握りしめながら立ち上がった。

 力が手に入らなかったのなら、仕方がない。自分は永遠に空っぽの器だ。またポーターとして、オレンジスーツを着て泥水を啜りながら、別のチャンスを待つしかない。


「ありがとうございました。それでは、俺はこれで——」

「待て。どこへ行く気だ」


 処置室を出ようとした九朗の背中に、支部長の氷のような声が突き刺さった。


「言ったはずだぞ、血には適合したと。つまり、お前はたった今から『ギルド正規登録の冒険者』だ」

「……ですが、俺にはスキルがありません。能力ゼロの人間が、モンスターと戦えるはずがありません」

「そんなことは知ったことか。お前の体には、何千万という価値がある貴重な新種のドラゴンの血が流れているんだぞ? ギルドは慈善事業じゃない。投資した分は、てめえの命をすり減らしてダンジョンで稼いで返せ」


 九朗は足を止め、ゆっくりと振り返った。

 それは、実質的な死刑宣告だった。

 スキルを持たないただの人間が冒険者としてダンジョンに潜れば、待っているのは「確実な死」だ。


「ポーターの仕事は今日でクビだ。明日、ギルドの指定するパーティの探索に『新人冒険者』として同行しろ。拒否権はない。逃げれば違約金として、てめえの血を一滴残らず抜き取って回収する」


 支部長はそれだけ言い捨てると、傍らの医師に顎でしゃくり、カルテに『Fランク・スキルなし(負債あり)』と書き殴らせた。


 絶望。

 九朗の足元が、音を立てて崩れ落ちていく。

 ポーターとしての惨めな日常すらも奪われ、理不尽な借金を背負わされ、丸腰のまま怪物の巣食う死地へと強制的に放り出される。


「……承知いたしました」


 だが、九朗は決して取り乱すことはなかった。

 深く頭を下げた彼の表情は、機械のように冷たく凪いでいた。


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