第3話(5/19大幅改稿)
圧倒的な力で両鎌を粉砕されたグリム・ウィーバーは、後退りしながらけたたましい奇声を上げた。
それは怒りではない。本能的な『死の恐怖』から来る悲鳴だった。
バケモノは理解したのだ。眼前で冷ややかに見下ろしてくるこのオレンジ色の獲物が、自分よりも遥かに凶悪な捕食者であるということを。
「逃がすかよ」
俺が一歩踏み込んだ瞬間、バケモノの腹部が異様に膨れ上がった。
そして、俺に向かってではなく、自分自身の足元の岩盤に向けて、大量のドロドロとした体液を勢いよく吐き出した。
ジュウウウウウッ!!
凄まじい化学反応の音と、鼻が曲がるような有毒ガスが立ち込める。
(——自爆技か!?)
いや、違う。俺を道連れにするための【狂乱・溶解床】だ。
強酸の体液は、分厚い洞窟の岩盤をたった数秒でチーズのようにドロドロに溶かした。地鳴りと共に、俺たちが立っていた広大な足場そのものが完全に崩壊する。
「チッ……!」
視界が反転し、強烈な浮遊感が内臓を押し上げる。
床が抜けた。
大量の岩石の破片と共に、俺とグリム・ウィーバーは、光一つ届かない真っ暗な大穴——魔物が蠢く未知の『下層』へと、真っ逆さまに落下していった。
ヒュオオオオオッ! と、耳元で風が咆哮を上げる。
自由落下。完全に足場を失った空中戦。
これは俺にとって、致命的に不利な状況だった。どれだけ【ERROR】で筋力を最適化しようが、踏み込むための『地面』がなければ、その爆発的なスピードを活かすことはできない。
——ギシャァッ!
逆に、バケモノにとっては絶好の狩場だった。
グリム・ウィーバーは落下しながら口から極細の鋼糸を吐き出し、周囲を落ちていく巨大な岩の破片に次々と巻き付けた。
糸を命綱にして空中で自在に姿勢を制御し、振り子のように加速しながら、無防備な空中の俺へと突っ込んでくる。
(やられてたまるか……ッ!)
俺は落ちてきた瓦礫を蹴って軌道を逸らし、間一髪でバケモノの突進を躱す。
だが、空中での機動力の差は歴然だ。次から次へと迫る死の軌道を前に、躱すだけで手一杯になり、確実に追い詰められていく。
(もっとだ。もっと力を——!)
俺はバケモノの突進を躱したすれ違いざまに、奴の関節の隙間に手をねじ込み、強引に『脚の神経束』を引きちぎった。
そして、迷うことなくそれを自らの口へと放り込み、生きたまま噛み砕いて飲み込む。
『——警告。高濃度因子の連続摂取を検知』
『【細胞の再構築】を継続します』
心臓が再び、バコンッ! と異音を立てた。
空中で俺の身体が内側から燃えるように熱くなる。細胞がバケモノの因子を貪り食い、新たな『構造』を俺の肉体に書き込んでいくのが分かった。
『因子を解析中……』
『新規スキル【跳躍】を獲得しました』
「……なるほどな」
システムログが視界に流れた瞬間、俺は直感的に「その力」の使い方を理解した。
本来、【跳躍】とはただ脚力を爆発的に強化し、高く飛ぶだけのスキルに過ぎない。
だが、今の俺には致死量ギリギリのバケモノの『因子』による一時的な超強化がかかっている。
そのあふれ出る膨大な因子を足裏に極限まで高圧縮して展開すれば、空気を硬質な壁のように「蹴る」ことが可能なはずだ。
——ギイィィッ!
俺が逃げ場を失ったと確信したバケモノが、トドメを刺すべく、上空の岩から一直線に飛びかかってくる。
「もらった」
俺は空中で身体を捻り、足裏に因子を集中させた。
そして、何もない虚空を——全力で踏み抜く。
ドァァンッ!!
空中で爆発でも起きたかのような轟音と衝撃波が弾けた。
俺は重力から完全に解放された。見えない足場を蹴り出した俺の身体は、落下スピードを上回る超音速の弾丸と化し、一直線にバケモノの頭上へと跳び上がった。
「な——ギ、ヂッ!?」
下へ落ちていくはずの獲物が、一瞬にして自分の頭上に現れた。
バケモノの複眼が、あり得ない現象に驚愕で見開かれる。
「地獄へようこそ」
俺は落下エネルギーと【跳躍】の推進力を乗せた右足を、バケモノの脳天に向けて無慈悲に振り下ろした。
メチャァッ! という生々しい破砕音と共に、硬質な頭蓋骨が粉砕され、中枢の魔石ごと脳髄が完全に叩き潰される。
ビクンッ、と一瞬だけ痙攣したバケモノは完全に絶命し、ただの巨大な肉塊と化した。
ドォォォォォンッ……!!
直後、俺たちはすさまじい地鳴りと共に、下層の泥水と瓦礫の山の中へと激突した。
土煙と泥の飛沫が舞い上がり、視界が泥水で真っ暗に染まる。
俺はバケモノの死骸の上で、ゆっくりと息を吐き出した。
生きて、勝ったのだ。
だが、安堵したのも束の間だった。
「……あ、が……ッ!」
突如として、全身の筋肉が千切れるような激痛が俺を襲った。
パッチテストの医者が言っていた『数分間のバフ』。
死の淵を覆し、バケモノを蹂躙することを可能にしたその異常な力が、今、プツリと音を立てて途切れたのが分かった。




