第24話
千葉ダンジョン第八階層、通称『廃墟エリア』。
かつての文明がダンジョンに飲み込まれたような、崩れかけたコンクリートの建造物が乱立するその場所に、異質な光の壁が展開されていた。
外界との物理的接触、および一切の通信を遮断する違法魔導具——『空間封鎖結界』。
「……天狼さん、これは一体どういうことですか!? PR撮影というのは……!」
結界の中心部。瓦礫の上に乱暴に突き飛ばされた晴香は、怯えた顔で目の前の男を睨みつけた。
彼女の周囲には、ギルドの職員など一人もいない。代わりにいるのは、全身から血の匂いと安い酒の悪臭を漂わせた、ガラの悪いならず者の冒険者たち五十人だ。
誰もが下劣な笑みを浮かべ、手にした武器を弄りながら晴香を値踏みするように見つめている。
「ごめんね、晴香ちゃん。君にはちょっとだけ『悲劇のヒロイン』を演じてもらいたいんだ」
天狼聖は、いつもの爽やかな笑みとは対極にある、醜く歪んだ笑い声を上げた。
「今からここに、借金とプレッシャーで頭がおかしくなった『狂暴なポーター』が君を襲いにやってくる。そこに居合わせた僕たち『白銀の天剣』が、必死に君を助けようとするが……哀れなことに、ポーターは凶悪なモンスターの群れを引き連れて自滅する。どうだい、世界中が涙する最高の筋書きだろう?」
「なっ……まさか、井藤さんを……っ! そんなこと、ギルドが許すはずありません!」
「許すさ。何せ、支部長本人がこの計画に『出資』してくれているんだからね」
天狼の言葉に、晴香は絶望で顔を青ざめさせた。
ギルドという組織そのものが腐敗し、九朗を殺すための盤面に加担している。
「さぁ、そろそろ主役の登場だ。ドローンの準備をしろ! 結界の通信ポートを一つだけ開けておけ。俺の専用回線を通じて、この『悲劇』を全世界に配信してやるんだ」
天狼の指示を受け、部下の一人が結界のシステムを操作し、意図的に『配信用の抜け穴』を開く。
*
「——来たぜ、天狼のダンナ。監視網に引っかかった。たった一人で、一直線にこっちに向かってきやがる」
ならず者たちを束ねるPK部隊のリーダー、ゲイルが下卑た笑いを浮かべながら報告した。
「馬鹿な野郎だ。罠だと気づいてねぇのか? それとも、そこの女を助けに来た英雄気取りか? どっちにしろ、この結界の中に入っちまえば、五十人の魔法と矢の集中砲火でただの肉塊になるだけだぜ」
五十人の悪党たちが一斉に武器を構え、廃墟の入り口へと魔法の照準を合わせる。
逃げ場のない密閉空間。そこへ足を踏み入れた瞬間、全方位からの飽和攻撃で文字通り『蜂の巣』にする算段だ。
どんなに素早い冒険者であろうと、面制圧の暴力の前には為す術がない。それは揺るぎない戦術のセオリーだった。
——ズンッ。
重い足音を響かせ、俺は結界の入り口へと足を踏み入れた。
土煙の中から現れた俺の姿を見て、五十人のならず者たちが一斉に視線を向けてくる。
隠れる必要も、奇襲をかける必要もない。俺は堂々と彼らの殺意のど真ん中へと歩み出た。
「井藤、さん……! だめ、逃げてっ!!」
晴香さんの悲痛な叫び声が、冷たい空間に響く。
だが、俺は歩みを止めなかった。完全に封鎖空間の中に入り込んだ瞬間——背後で光の壁が重々しい音を立てて閉じ、退路が断たれた。
「ヒャハハハハ! バァカめ! 自分で檻の中に入ってきやがったぞ!」
「やれェ!! 五億ゼニーの的当てゲームの始まりだ!!」
ゲイルの号令が飛ぶ。
直後、数十人の魔法使いたちが放った炎や氷、雷の奔流が、無数の矢と共に俺の視界を埋め尽くした。
全方位からの飽和攻撃。着弾までコンマ数秒。まともに受ければ一瞬で消し飛ぶ死の嵐だ。
だが、俺は最初から、奴らの立ち位置と魔法の弾道を計算していた。
頭上でブーンと耳障りなローター音を立ててホバリングするドローンカメラ。その向こうで、天狼がほくそ笑みながらカメラアングルを調整しているのが目に見えるようだった。
だが、俺は慌てない。
敵の射線が交差し、互いの魔法が同士討ちを誘発する立ち位置へ半歩ズレながら、ARコンタクト越しにスキルを起動した。
「——【発光】」
全身の皮膚から、爆発的な超高輝度の閃光を放つ。
ARの減光フィルターによって俺の視界は保護されているが、薄暗い廃墟に目を慣らしていたならず者たちの網膜は、一瞬にして焼き切られたはずだ。
「ぎゃああああッ!?」
「目、目がァァァァッ!?」
狙いを失った魔法や矢が、明後日の方向の瓦礫を吹き飛ばし、互いの誤射による爆発音と悲鳴が連鎖する。
視界を奪われ、大混乱に陥った奴らのど真ん中へ、俺は踏み込んだ。
ドンッ!!
全身に漲るオーガとハウンドの因子——一時的な『現地調達バフ』の奔流に身を任せ、床を蹴る。【跳躍】と組み合わせた俺の踏み込みは、音速の壁を容易に突破した。
「シィッ——」
短い呼気と共に、最も近くで目元を押さえていた大男の背後へと回り込む。
太もものホルスターから『特殊機巧双短剣』を抜き放ち、その刃の峰を男の首筋……ではなく、鎧の継ぎ目である鳩尾へと滑り込ませた。
グリップのトリガーを引く。
ドガァァァァンッ!!
火薬の爆燃エネルギーが短剣の推進力となり、その「峰」が大男の肉体を容赦なく打撃した。分厚い胸甲を力任せに割るのではなく、関節の接合部をピンポイントで突く。ポーターとして培った解体知識の応用だ。
男は白目を剥き、悲鳴を上げる間もなく後方へと吹き飛んでいった。
「な、なんだ!? 何が起きて——」
隣にいた男が慌てて声を上げるが、その時には俺の身体はそこにはない。
ドンッ!!
ドガァァァァンッ!!
「ひっ……!」
ドンッ!!
ドガァァァァンッ!!
一歩踏み込むたびに空間が圧縮されたかのように景色が流れ、すれ違いざまに確実に一人ずつ無力化していく。
殺しはしない。だが、二度と武器を握れないよう、腕の腱や足の関節といった「人体の構造的弱点」だけを的確に峰打ちで破壊する。
無駄な因子やスタミナは消費しない。最小限の動きで、最大限の効率をもって『荷物を片付ける』ように、俺は動き続けた。
「ば、バカな……! 魔法を撃て! あたらなくていい、周囲一帯を吹き飛ばせェ!!」
ゲイルが半狂乱になって喚く。
視力を取り戻しつつある魔法使いたちが、パニック状態で無差別に詠唱を始める。
だが、遅すぎる。
俺を狙った範囲魔法が発動するより早く、その懐へと滑り込む。
「隙だらけだ」
氷の魔法を放とうとした男の腕を、杖ごと峰打ちで叩き折る。
雷の魔法を練り上げていた女の腹部へ、体幹を固定した鋭い前蹴りを突き刺すと、女は軽々と瓦礫の壁まで吹き飛び、意識を失った。
「ひ、ヒィィィィィッ!! ば、化物だッ!!」
誰かが悲鳴を上げ、尻もちをついた。
開始からわずか数十秒。陣形の外縁にいた三十人以上の前衛が、一人として命を落とすことなく、しかし完全に戦闘不能となって地面に転がっている。
残されたのは、後方にいたゲイルと、天狼の側近数名のみ。
逃げ場のない結界の中で、彼らの顔面から一気に血の気が引き、武器を握る手がガタガタと震えているのが見えた。
*
「……嘘、だろ……」
安全圏からその様子をドローンカメラで撮影していた天狼は、端末を握る手が震え、落としそうになっていた。
B級上位冒険者である彼の目から見ても、九朗の動きは完全に規格外だった。
ただ速いだけではない。五十人からの全方位攻撃を、最小限の動きと【発光】による目くらましで完全に無力化する、異常なまでの戦術眼。
その顔は恐怖で引き攣り、全身から嫌な冷や汗が噴き出していた。




