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第20話

『……本当にやるのね? タイミングの計算は私が完璧にこなすけど、もし一瞬でも発動が遅れれば、乾の反撃をもろに喰らってミンチになるわよ』


 通信機越しに響く詩音の声は、かつてないほど張り詰めていた。


「ああ、頼む。奴の視界と直感を完全に破壊する」


 俺は短く答え、姿勢を極限まで低くした。

 前方に立つS級冒険者・乾顕宗は、全身から異常なほど濃密な因子のオーラを立ち昇らせ、血まみれの口元を吊り上げている。周囲には無数の『血の刃』が浮遊し、俺のわずかな挙動すら逃さぬよう切っ先を向けていた。

 真っ当に動けば、一歩踏み出した瞬間に串刺しだ。


「どうした? さっきまでの勢いがねぇな。もう音を上げるのかよ!」


 乾が吠え、大地を蹴った。

 砲弾のような突進。それに合わせて、空中に浮かぶ数十本の血の刃が一斉に俺へと殺到する。全方位からの死の包囲網。


『——今ッ!!』


 詩音のシグナルが網膜に表示された、まさにその瞬間。

 俺はスキル【跳躍】を発動すると同時に、もう一つのスキル——【発光】を最大出力で起動した。


 カァァァァァンッ!!!


「なっ……!?」


 薄暗い地下坑道の中で、太陽が爆発したかのような極大の閃光が弾けた。

 ルミナス・ジェリーから奪った『発光』スキル。単体ではただ光るだけの無意味な弱スキルだが、暗闇に慣れきった乾の瞳を、そして彼が本能的に研ぎ澄ましていた『気配察知』という野生の直感を、強烈な光の暴力が強制的にショートさせた。


 だが、俺の真の狙いは「目くらまし」ではない。

 光が弾けたコンマ一秒後、【跳躍】の超加速によって俺はすでにその場から消失している。しかし、網膜を焼かれた乾の視界には、「光を放った瞬間の俺の姿」が強烈な残像として焼き付いていた。


「シィッ!」


 俺は暗闇の中で【跳躍】を連続発動し、軌道を急激に変える。

 そして踏み込むたびに、詩音の完璧な計算によるコンマ数秒の【発光】を断続的にオン・オフさせた。


 閃光。移動。閃光。移動。

 暗闇の中で、ストロボライトを焚いたように次々と「俺の残像」が空間に焼き付けられていく。

 一つ、三つ、八つ——。


「チィッ!! 姑息な真似を……ッ!」


 乾は舌打ちし、周囲に展開していた血の刃を全方位へと乱れ撃つ。

 だが、刃が貫くのはすべて「コンマ一秒前の俺が放った残像」ばかりだ。音速の機動力と、強烈な明滅による視覚破壊。二つのスキルが融合した多重残像攻撃の前に、乾の誇る『狂化・迎撃特化』のカウンターシステムは完全に空回りしていた。


(——捉えた)


 血の刃の弾幕にわずかな隙間が生まれた瞬間。

 俺は本物の肉体を乾の死角——真横へと滑り込ませた。


「そこかァッ!!」


 乾の野生の勘が俺の気配を察知し、丸太のような豪腕が横薙ぎに振り抜かれる。

 だが、それすらも詩音の予測の範疇だった。


『九朗様、予測回避ルート! そのまま踏み込んで!』


 俺は飛んでくる乾の拳をダッキングで紙一重で躱し、乾の懐へと完全に潜り込んだ。

 両手の『特殊機巧双短剣タクティカル・トリックダガー』を逆手に構え、残るすべての『爆発加速薬莢』のトリガーを引き絞る。


「これで——終わりだッ!!」


 ズバァァァァァンッ!!!!


 両手から放たれた超加速のクロス・スラッシュが、乾の分厚い胸の筋肉を十字に斬り裂いた。

 肉を断ち、骨を削る確かな手応え。大量の鮮血が、乾の胸部から滝のように噴き出す。


 俺はそのまま全力で後方へと跳躍し、距離を取った。

 乾のスキル【狂血】は、流した血の量に比例して反撃の血刃を生み出し、ステータスを底上げする。これほどの深手を負わせたなら、直後に飛んでくるカウンターの威力は即死級のはずだ。


 俺は呼吸を荒げながら双短剣を構え直し、来るべき反撃に備えた。


 しかし——。


「…………ッ」


 胸を深く斬り裂かれた乾は、ふらりとその場に立ち尽くしたまま、動かない。

 噴き出した大量の血が空中で蠢き、無数の凶器へと変貌していく……かに見えたが、それらの血は突如として重力に従い、パシャパシャと地面に崩れ落ちた。


「……乾?」


 俺が眉をひそめた、次の瞬間。


「ククッ……アッハハハハハハハハッ!!!!」


 乾が、腹を抱えて狂ったように笑い出したのだ。

 その笑い声はダンジョンの壁をビリビリと震わせるほどに大きく、そして純粋な歓喜に満ちていた。


「最高だ……! 最高じゃねぇか!! オモチャの手品かと思いきや、まさかこの俺の直感ごとブチ抜いて、ここまで深い傷を入れやがるとはな!」


 乾は胸の巨大な十字傷から血を流し続けながら、満面の笑みで俺を指差した。

 そこに敵意や殺意はない。あるのは、極上の宝物を見つけた子供のような、無邪気すぎる狂気だけだった。


「お前、名前は?」


「……九朗です。ポーターの」


「そうか九朗! 覚えておくぜ。今日はただの退屈しのぎのつもりだったが、思いのほか極上のメインディッシュになりそうだからな。ここで喰い潰しちまうのは勿体ねぇ」


 乾は自身の傷口を手で無造作に押さえつけると、血の海に背を向けた。


「もっと足掻け! もっと血を啜れ! お前がそのオレンジの服に似合うだけの『本物の化け物』になった時、今度こそ命懸けの殺し合いをしてやるよ!」


 乾は一度だけ肩越しに振り返り、獲物を狙う猛獣のような瞳で俺を射抜く。


「死ぬなよ、九朗。俺がお前を殺すその日までな」


 それだけ言い残すと、乾顕宗は高らかに笑いながら、暗い迷宮の奥へと姿を消していった。

 足音が完全に聞こえなくなるまで警戒を解かなかったが、やがて彼の気配が完全に消え去ったのを確認すると、俺はようやく短剣を下ろし、深く息を吐き出した。


『……去ったわ。乾のバイタル反応、完全にロスト』

「……ああ。なんとか、生き延びたな」


 全身の筋肉が軋み、冷や汗がどっと吹き出す。

 勝ったわけではない。向こうが「今日のところは満足した」から見逃されただけだ。

 だが、この死闘——最凶のS級冒険者から逃げずに一矢報いたという事実は、俺の中に確かな自信と、新たな戦術『ストロボ・リープ』という強力な武器を刻み込んでいた。

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