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第19話

 血塗られた第5階層の最深部。

 張り詰めた空気を最初に切り裂いたのは、俺だった。


「シィッ!」


 スキル【跳躍リープ】の発動。

 音速の踏み込みが、血の池を爆発させたように撥ね上げる。俺の身体はブレて消失し、次の瞬間にはS級冒険者・乾顕宗の懐へと潜り込んでいた。


(まずは一撃。どれだけ硬いか、試させてもらう)


 両手に握った『特殊機巧双短剣タクティカル・トリックダガー』の刃が、乾の無防備な脇腹を捉える。

 防御の素振りすら見せない乾に対し、俺は容赦なく刃を振り抜いた。


 ガィィィィンッ!!


「……ッ!?」


 俺は驚きにわずかに目を見開いた。

 音速の踏み込みを乗せた斬撃。並の装甲ならバターのように両断するその刃が、乾の極限まで鍛え上げられた分厚い筋肉の表面で、火花を散らして完全に止められていたのだ。

 切り傷一つ、ついていない。


「アッハハハッ!! いいスピードだ! だが軽い! そんなんじゃ俺の血は一滴も拝めねぇぞ!!」


 乾が満面の笑みを浮かべながら、俺の顔面を掴もうと右腕を伸ばしてくる。

 その速度とプレッシャーは、これまでの敵とは次元が違う。


(なら、これでどうだ……ッ!)


 俺は即座に双短剣のグリップに仕込まれた『爆発加速薬莢ブースト・カートリッジ』のトリガーを引き絞った。

 ダァァァンッ!! という爆音と共に、超加速された漆黒の刃が、その脇腹を浅く切り裂いた。


 だが——俺の背筋に、尋常ではない悪寒が走った。

 乾の脇腹から漏れ出した鮮血が、地面に落ちるよりも速く空中で静止したのだ。

 直後、液体だったはずの血がカキンッと金属のような硬質な音を立てて『真紅の槍』へと変貌し、至近距離から俺の顔面へと射出された。


「ちっ……!」


 俺は首を捻り、紙一重で血の槍を躱す。

 頬を鋭く掠め、一筋の血が流れる。だが、驚愕すべきはそこではなかった。


「アッハハハッ!! いいぞ、ようやく俺の血が流れた! もっと深く抉ってみせろよ!!」


 乾が歓喜の声を上げながら、俺を追撃しようとさらに踏み込んでくる。

 その速度が、先ほど高台から飛び降りてきた時よりも、明らかに一段階跳ね上がっている。


「くっ……!」


 俺は咄嗟に双短剣を交差させ、乾の豪腕を受け止めた。

 ドゴォォォンッ!! という、生身同士の激突とは思えない爆音が響く。俺はまるでダンプカーに撥ねられたかのように吹き飛ばされ、血の池を数十メートルも滑るように後退した。


「……重い。完全に規格外だ」


 痺れる両腕を振って感覚を確かめながら、俺は眉をひそめた。

 【跳躍】と【発光】によって強化された俺の物理耐性をもってしても、骨が軋むほどの圧倒的な膂力りょりょく


『九朗様! 気をつけて! 今の攻撃で、乾のバイタルサインが異常な急上昇を見せてる! 筋繊維の密度、心拍数、アドレナリンの分泌量……すべてがさっきの1.5倍に跳ね上がってる!』


 通信越しに響く詩音の声は、かつてないほどに焦燥していた。

 俺は目を細め、前方に立つ狂人を見据える。

 乾の脇腹には確かに深い裂傷が刻まれている。だが、そこから流れる血は次々と空中で硬化し、彼の周囲に無数の『血の刃』として浮遊し始めていた。


「アッハハハッ!! 痛ぇな! だが最高だ!! もっとだ、もっと俺を楽しませろォ!!」


 乾は、自身の傷口から流れる血を舐め取りながら、さらに狂気的な笑みを深めた。

 血を流すたびに彼の筋肉は異様な音を立てて膨張し、周囲に浮かぶ『血の刃』の数も際限なく増殖していく。


『間違いない……! あの男、ダメージを受けるほど身体能力が底上げされるスキルを持ってる! おまけに流血量に比例して、自動迎撃用の血刃まで増えて……!』


「……なるほど。斬れば斬るほど速く、強く、凶暴になる。完全な『カウンター』というわけか」


 俺は冷静に現状を分析した。

 俺の戦闘スタイルは、音速の機動力で相手を切り刻む『物理・速度特化』。対して乾の能力は、斬撃を受ければ受けるほど反射的にスペックが上昇し、流血による全方位からの自動反撃を行う『狂化・迎撃特化』。

 相性は最悪だ。俺が手数を増やせば増やすほど、乾のステータスはバグのように肥大化し、いずれ俺の速度を上回って完全に殺される。


「どうした? さっきまでの勢いは終わりか? なら、今度は俺から遊んでやるよ!」


 ドンッ!! と、乾が足を踏み込んだ。

 音を置き去りにしたような踏み込み。俺が誇る音速の【跳躍】に匹敵するスピードで、乾が肉薄してくる。

 それと同時に、乾の周囲に浮遊していた無数の『血の刃』が一斉に俺へと降り注いだ。


「シィッ!」


 俺は【跳躍】を連続で発動し、雨のように降り注ぐ血の刃を紙一重で躱していく。

 だが、回避した先には必ず、先回りした乾の豪拳が待ち構えていた。


「遅えな! そんなもんかよ!!」

「……ッ!」


 俺は双短剣のグリップに仕込まれた『爆発加速薬莢ブースト・カートリッジ』のトリガーを引く。

 ダァァァンッ!! という爆音と共に、超加速された斬撃が乾の拳を弾き返す。

 だが、刃が乾の拳を切り裂いた瞬間、その傷口から飛び出した血が「棘」となって俺の肩を貫いた。


「っ……」


 俺は痛みを完全に遮断し、後方へと大きく跳躍して距離を取った。

 肩から流れる血。呼吸はわずかに乱れている。対する乾は、全身に数カ所の傷を負いながらも、そのオーラは先ほどよりもさらに巨大に、凶悪に膨れ上がっていた。


『ダメ……! 九朗様のスピードに、乾の動体視力が完全に適応し始めてる! 次に近づいたら、反撃の血刃を避けきれない! 撤退して! 今の九朗様じゃ、あのバケモノとは相性が悪すぎる!!』


「……同感だ。真正面からの殴り合いなら、確実にすり潰される」


 俺は肩の傷口を軽く押さえながら、静かに息を吐いた。

 絶体絶命の死地。誰もが絶望する圧倒的な力の差。

 だが、俺の奥底で燃え上がるのは恐怖ではなく、『熱』だった。


「真正面からの物理攻撃が駄目なら……それ以外から崩すまでだ。視覚、直感、そのすべてをバグらせる」


 俺の視線が、旧坑道の暗闇と、自らの両腕へと落ちる。

 俺はルミナス・ジェリーから奪ったばかりの『地味なスキル』を思い出していた。


「田井中。俺の移動に合わせて、視覚破壊の最適タイミングを計算しろ」


『——えっ? ……ま、まさか、アレを戦闘に使う気!?』


 意図を察したのか、通信越しの詩音が息を呑む気配がした。

 それは、理論上は可能でも、タイミングをコンマ一秒でも間違えれば俺自身が隙を晒して死ぬ、極めて綱渡りな戦術。


 俺は双短剣を構え直し、深く腰を落とした。

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