第18話
ARウィンドウ越しに見えるゲイルの顔は、驚愕と恐怖で完全に固まっていた。
俺が特殊迷彩ドローンのレンズを正確に見つめ返していることに気づき、彼らの拠点にパニックが広がっているのが傍受した音声から手に取るようにわかる。
『ひっ……! り、リーダー! あいつ、こっちが見えてるんスか!? 特注ドローンだぞ!?』
『うるせぇ黙れ! 偶然だ! ただカメラの方向を向いただけに決まって——』
インカム越しにゲイルが部下を怒鳴りつけようとした、そのタイミングに合わせて。
「——上質な『的』のデリバリー、感謝いたします」
俺はドローンのマイクに向かって、砂嵐混じりの通信機越しに響くよう、感情を抜いた声で語りかけた。
画面の中のゲイルたちが、心臓を鷲掴みにされたかのようにビクッと肩を震わせる。
「おかげで、新調した装備の良いテストができました。……それで、次の獲物はどこですか? 依頼主の天狼さんから、随分と奮発した額を前払いされているのでしょう? まさか、この程度の余興で終わりではないですよね?」
『な、なんだと……?』
通信機越しに、ゲイルが息を呑む音が聞こえた。
俺が天狼からの依頼であることを知っている事実に、画面越しの奴らの顔面からさらに血の気が引いていくのが見えた。
俺は血だまりの中で一歩前へ進み、決定的な一言を投げかけた。
「どうしました? もし手持ちの的が尽きたのなら、次はそちらが俺の『的』になる番ですが」
もはや疑いようのない殺意の通告。
『……撤収だ!!』
映像の中で、ゲイルが通信機を叩き割りながら絶叫した。
『機材は全部捨てていけ! 逃げるぞ! こんな案件、聞いてねぇ! Aランク級の群れを数十秒で挽肉にする奴を、どうやって俺たちで処理しろってんだ! 天狼のクソ野郎……完全にハメやがったな!』
パニックに陥った部下たちが、カメラ機材やライフルを放り捨てて逃げ支度を始める。
無様に尻尾を巻いて逃げるネズミたち。だが、俺は追撃のために高台へ跳躍しようとして——ピタリと動きを止めた。
——空気が、ひしゃげた。
いや、空気だけではない。ドローンのマイクが拾う「音」すらも、強烈なノイズを発して歪んでいる。
ドロリとした、ひどく生暖かい「何か」が高台の迷宮通路を覆い尽くしたのが、画面越しですら明確に伝わってきた。
それは、濃密すぎるほどの血の匂いと、呼吸すら困難になるほどの『殺気』。
『……おいおい、急いでどこへ行くんだよ、ネズミ共』
ARウィンドウの映像。逃げようとするゲイルたちの背後にある薄暗い通路の奥から、這いずるような足音が聞こえてきた。
現れたのは、一人の男だった。
ボサボサに伸びた赤茶色の髪。ギルドが支給するARコンタクトや電子機器など一切身に着けず、ただ無造作に羽織っただけの黒いレザージャケット。一見すればスラムの浮浪者だ。
だが、その男を見た瞬間、ゲイルたちが肺の空気をすべて吐き出して座り込みそうになるのが見えた。
『い、乾……顕宗……!?』
『あ? なんだ、俺の名前を知ってんのか』
男——乾顕宗は、首をゴキリと鳴らしてゲイルを見下ろした。
その双眸は、飢えた獣のようにギラギラと血走っている。
『『赫血』の乾……!! な、なんでアンタほどのS級冒険者が、こんな中層にいるんだよ……ッ!』
ゲイルの歯の根が合わず、カチカチと鳴る音がインカム越しに響く。
特S級に匹敵する戦闘力を持ちながら、極度の戦闘狂ゆえに協調性がゼロであり、ギルドの命令を平気で無視する盤外の化け物。それが、S級冒険者『乾顕宗』だった。
『なんで、だと?』
映像の中で、乾はニタリと、頬が裂けそうなほど深く笑った。
『決まってんだろ。最高の「血の匂い」がしたからだよ。……だが、テメェらじゃねぇな』
乾はゲイルたちを一瞥すると、ひどく退屈そうに鼻を鳴らした。
『テメェらから漂ってんのは、恐怖と小便の臭いだけだ。俺が欲しいのは、もっとヒリつくような、極上の殺意の匂いだ。……邪魔だ、失せろ』
『ひっ……!! 逃げろォォォッ!!』
映像が大きく乱れた。ゲイルたちは文字通り転がるようにしてその場から逃げ出したらしい。
逃げ惑うネズミたちの背中を見送ることもせず、乾はゆっくりと高台の崖縁へと歩み寄ってきた。
そして、眼下に広がる惨状——大量の魔獣の死骸と血の海、そして俺を見下ろす。
俺は血の池の中心に立ち、遥か上から見下ろしてくるその男を静かに見つめ返していた。
「……掃除屋の仲間というわけではなさそうですね」
俺は、両手に握った『特殊機巧双短剣』の刃を下げたまま、声をかけた。
だが、俺の内心では本能が激しく警鐘を鳴らしていた。ただの殺気ではない。肌を突き刺すような、純度100パーセントの暴力の気配。これまで蹂躙してきた有象無象とは比較にならない、紛れもない『本物』だ。
『九朗様、警戒して。あの男は天狼が雇ったPKじゃないわ。ギルドのデータベースと照合……該当した。S級冒険者、乾顕宗。生体スキャンを常に意図的にオフにしてて、私の索敵アルゴリズムにも引っかからない完全な「イレギュラー」だよ』
(S級……なるほど。どうりで、立っているだけでこれほどのプレッシャーを放っているわけだ)
俺が油断なく刃の切っ先を男へ向けたのと同時に、乾が高台から飛び降りた。
重力など存在しないかのように、ドスッと鈍い音を立てて血の海に着地する。
「ククッ……アハハハハッ!!」
乾は、周囲に散乱するオーガやハウンドの残骸を見渡し、そして俺の姿を舐め回すように見つめて、腹の底から歓喜の笑い声を上げた。
「お前だ。お前がこの匂いを作ったんだな。いいスピードだ。いい殺気だ。最近流行りの『死の配信』を見た時から、一度『味見』してやりてぇと思ってたんだよ」
乾の口から飛び出したのは、俺の口調とは正反対の、ひどく野蛮で暴力的な言葉使いだった。
「……味見ですか。俺の狩りに魅了されるのは結構ですが、生憎とお持ち帰り用の肉は用意していませんよ。お引き取り願えませんか?」
「ツレねぇこと言うなよ。俺にとっちゃ、ただの退屈しのぎだ」
乾は両手を広げ、自身の首筋を爪でガリッと引っ掻いた。
そこから一筋の赤い血が流れる。
だが、その血は地面に落ちることなく、空中で意思を持ったかのように蠢き、瞬時に硬質化して一本の鋭い『血の刃』へと変貌した。
「強すぎて誰も俺に傷をつけられねぇ……だから少し期待してんだ。お前が俺の退屈をぶち壊せる『本物』かどうかってな」
轟ッ!!
乾が吠えた瞬間、彼の全身から噴き出した濃密な『因子』のオーラが、周囲の血の海を波立たせた。
純粋な殺意ではない。だからこそ恐ろしい。底なしの力を持つ化け物が、眼前の玩具が「壊れるか壊れないか」を弄ぶような、圧倒的な暴力のプレッシャー。
「安心しろ、いきなり首は刎ねねぇ。だが……『味見』の途中で壊れちまうかどうかは、お前次第だ。さあ、死に物狂いで足掻いてみせろ!」
狂喜に満ちた戦闘狂の叫びが、地下迷宮に響き渡る。
俺は一筋の汗を流しながらも、両太ももに構えた双短剣のグリップを強く握り直した。
「……迷惑な話ですが。やるしかないみたいですね」
復讐鬼の冷徹な殺意と、戦闘狂の沸騰する狂気。
決して交わることのない二つの異常性が、血塗られた第5階層で真っ向から激突しようとしていた。




