第16話
地下深く、廃線となった旧地下鉄のトンネル網。
その最奥に位置する、鼻を突くような機械油と火薬、そして因子圧縮特有の臭いが立ち込める空間。そこが、ギルドの監視の目が行き届かない非合法の兵器工房——通称「地下のガンスミス」の拠点だった。
「……おいおい。ここは迷子のポーターが来る場所じゃねぇぞ。命が惜しけりゃ、とっとと地上に帰りな」
油まみれの作業台の奥から、義眼と無骨なサイボーグ義手を持った白髪の老職人が、俺のオレンジ色のボロスーツを見て鼻で笑った。
この店には、因子を極限まで圧縮して放つ違法改造の大型ライフルや、ドラゴンの甲殻すら粉砕する重厚なパイルバンカーなど、物騒極まりない武器が所狭しと並んでいる。どう見ても、丸腰で貧相な底辺ポーターが冷やかしに来ていい場所ではなかった。
「俺は客です」
「客だぁ? お前のその薄汚い懐に、うちの兵器を買えるだけのゼニーが——」
老職人がシワだらけの顔を歪め、手元のスパナを威嚇するように振り上げた、その瞬間だった。
作業場に設置されていた大型モニターの電源が唐突にオンになり、画面がノイズと共に真っ黒に染まった。スピーカーから、甘く、それでいて冷徹さを孕んだ少女の声が響き渡る。
『——その薄汚い口を閉じて。私の九朗様に、二度とそのような無礼な口を利くなら、あなたの店鋪の『裏帳簿』と『違法改造の全データ』を、今すぐギルドの審問会に全送信するわよ。それとも、あなたのその義手の制御OSをハッキングして、自分の首をへし折らせてあげましょうか?』
「なっ……!? てめぇ、何者だ! 俺の店のスタンドアロン回線にどうやって……っ!」
老職人の顔から一瞬で血の気が引いた。外部から完全に物理遮断されているはずのシステムが、まるで赤子の玩具のように乗っ取られている。
それは、裏社会で噂にだけ聞く「姿なき幽霊」——世界中のあらゆるセキュリティを無力化する神の如きハッカーの仕業に他ならなかった。
「無駄話は結構です。時間は有限ですから」
俺は怯える老職人を冷たい目で見下ろし、自身の端末から老人の裏口座へ、前金として「一千万ゼニー」を無造作に即時送金した。
「金に糸目はつけません。俺の『牙』になる、最高の一品を出してください」
着金通知のけたたましいアラート音を聞き、老職人はゴクリと生唾を飲み込んだ。
ただのポーターではない。この小柄な青年の背後には、裏社会の頂点すらも手玉に取る「化け物」がついている。老人は態度を急変させ、店の奥にある重厚な金庫へと向かった。
「……お客さんの戦闘スタイルは?」
「近接物理です。足の速さには自信がある。機動力を活かしたい」
「なら、こいつらは重すぎるな」
老人はパイルバンカーやメタマテリアル大剣を横に退け、厳重にロックされた黒いジュラルミンケースをカウンターに置いた。
「これだ。ギルドの安全基準を完全に無視した、俺の最高傑作の一つ……『特殊機巧双短剣』だ」
ケースの中には、艶消しブラックで塗装された二振りの短剣が収まっていた。
刃渡りは約三十センチ。だが、通常のナイフと決定的に違うのは、その「柄」の部分だった。まるで拳銃のような引き金がついており、柄の底部には弾倉が組み込まれている。
「ただの刃物じゃねぇ。グリップに専用の『爆発加速薬莢』を装填できる。斬撃の瞬間、対象の肉に刃が触れたタイミングでトリガーを引けば——」
「弾薬の爆発的な推力が刃に乗り、切断力を何十倍にも跳ね上げる……」
俺は一振りを手に取り、その重心と冷たい金属の感触を確かめた。
「ご名答。ただし、反動がイカレてる。並の冒険者じゃ、一発撃ち込んだ瞬間に自分の手首が砕け散るか、肩の関節が吹っ飛ぶ代物だ。……扱えるか?」
「えぇ。今の俺の踏み込み速度には、これくらいの反動がないと威力が釣り合いませんから」
俺はグリップに空の薬莢を装填し、店の隅にあった頑強なテスト用ダミー(装甲車の外装材)に向かって踏み込んだ。
「シィッ——!」
黒い疾風が吹き荒れる。
音速の踏み込みと共にダミーの首筋に刃を当て、その瞬間にトリガーを引く。
——ドガァァァァァァンッ!!
火薬の爆音と共に、爆発的な推進力を得た漆黒の刃が、分厚い装甲材をまるで豆腐のように抵抗なく「両断」した。
凄まじい衝撃波が店内の空気を揺らし、老職人が「ヒッ」と短い悲鳴を上げて腰を抜かす。
だが、俺の手首はピクリともブレていなかった。変異種を喰らい、【ERROR】によってメタマテリアル化して再構築された俺の肉体は、この規格外の反動すらも完全にねじ伏せていたのだ。
『……っ! ああっ……すごい、すごいわ九朗様! その圧倒的な暴力、無駄のない殺意! やっぱり私の九朗様が世界で一番美しい……っ!』
スピーカー越しに、詩音のゾクゾクと震えるような、狂気に満ちた恍惚の溜息が漏れ聞こえる。老職人がその異様な熱量に顔を引きつらせ、後ずさりするのが見えた。
「良いですね。それと、この鞘の構造は?」
「あ、ああ……それは、電磁ロック式だ。太ももや腰に装着して納刀すると、『ガキンッ』って自動で強固なロックがかかる。激しく動いても絶対に抜け落ちねぇ。抜刀する時は、グリップのスイッチを親指で押し込めば……」
俺が太ももに専用のシースを巻きつけ、ダガーを押し込む。
ガギィンッ!! という、重厚で心地よい金属音が響き、刃が完全に固定された。
そしてスイッチを押した瞬間、電磁ロックが解除され、バネの力でダガーが手のひらへと瞬時に射出される。圧倒的な速度の抜刀術を可能にする、殺し合いに特化したギミックだった。
「気に入りました。これを二振りともいただきます。次は防具ですね」
俺は老職人が並べた最新鋭のタクティカルギアを物色し始めた。
上着は、モンスターの強靭な糸と最新の防弾繊維を編み込んだ、アッシュグレーの軽量タクティカルジャケットを選択した。耐衝撃性と防刃性に優れ、機動力を全く阻害しない。
だが、老職人がセットの下半身用——運動性能を極限まで高める最新鋭のタクティカルパンツを出した時、俺は首を横に振った。
「下は要りません」
「は? いやいや、上がどれだけ高機能でも、あんたが今履いてるその泥まみれの『オレンジ色のズボン』じゃ、暗闇の中で目立ちすぎるぜ? まるで『俺を狙ってくれ』って言ってるようなもんだ」
「それでいいんです」
俺は自身の履いているオレンジ色のズボンを指差した。
「目立つからこそ意味があるんですよ。このオレンジ色は、底辺のポーターとして俺をゴミのように扱ってきた連中に、俺の存在を、俺の怒りを嫌でも直視させるための色です。……ただ、このままだとすぐに破れてしまう。これと同じ色、同じデザインで、最高級の防刃メタマテリアル繊維を使って一着仕立ててください」
その言葉に、老職人は絶句した。
わざわざ自身の居場所を敵に晒すような、底辺の象徴である「オレンジ色」を最高級素材で作れというオーダーは、被弾リスクを最小限に抑えるという実戦の基本から完全に破綻しているからだ。
だが——俺の「復讐へのこだわり」と血みどろの覚悟を感じ取ったのか、老人は震える声で「……分かった。一時間で仕上げてやる」と頷いた。
* * *
ズボンの仕立てを待つ間、俺は薄暗い工房の片隅にあるオイル塗れの木箱に腰を下ろし、購入したばかりの双短剣の手入れを行っていた。
新しいタクティカルジャケットは信じられないほど軽く、関節の可動域を全く邪魔しない。しかし、俺はどこか物足りなさそうに眉をひそめた。
「……軽いですね。血の匂いも、泥の重みもない」
『ふふっ。九朗様ったら、すっかり戦場の匂いじゃないと満足できない体になっちゃって』
ARコンタクトの専用回線越しに、詩音が甘く囁く。
『大丈夫だよ。すぐに、その新しいジャケットも、九朗様の嫌いな奴らの血と臓物でドロドロに汚してあげるから。……ところで、九朗様。さっきから、興味深いデータが私の網に引っ掛かってるの』
「天狼の動きか」
『ご名答。あの金髪の雑魚、やはり隠匿した裏金の一部を裏社会に流し込んで、九朗様を確実に殺すための『掃除屋(PK部隊)』をダンジョンに雇い入れたみたいだね』
俺の手が止まる。双短剣の刃に反射した俺の冷たい瞳が、スッと細められた。
「掃除屋……。冒険者同士の直接的な殺し合いはギルドの規律違反だが、連中はどうやって俺を処理するつもりなんだ?」
『彼らの手口は陰湿。直接手を下すのではなく、大量のモンスターや、エリアボス級の強力な個体を標的の元へと誘導し、『不運な事故』を装って殺害する……。そして、標的が無様に食い殺される姿を録画し、依頼主に納品するの。天狼は、九朗様がモンスターに泣き叫びながら殺される映像を、全世界に配信し返すつもりなんだね』
詩音の言葉を聞き、俺の喉の奥から、乾いた低い笑い声が漏れた。
「……なるほど。あいつらしい、どこまでも底の浅い逆恨みだ。自分が逃げ出した恐怖を、今度は俺に味わせようというわけか」
『九朗様が、あんなちっぽけな恐怖に屈するわけがないのに。……九朗様、どうしますか?』
詩音の提案は極めてロジカルで、安全な選択だった。
だが、俺は即座に首を横に振った。
「いや、放っておけ。むしろ好都合だ」
『……九朗様?』
「ちょうど新しい武器のテストをする『的』が欲しかったところだ。わざわざ向こうから、俺を殺すための強力な格上モンスターをデリバリーしてくれるんだろう? ならば、その罠を有り難く利用させてもらうまでだ」
それを聞いた通信越しの詩音は、一瞬の沈黙の後、耐えきれないほどの快楽に打ち震えるような吐息を漏らした。
『あぁ……っ! 九朗様、九朗様っ……! そういうところ、本当に……好き。最高に狂ってて、美しいわ……! ええ、そうだよ。九朗様はただ玉座に座って、連中がせっせと運んでくるエサを新しい牙で蹂躙すればいいの。彼らが連れてくる獲物の座標も退路も、すべて私が完全にハッキングして、九朗様だけの完璧な「テスト環境(狩り場)」を作り上げてみせるから……!』
詩音の狂熱的な忠誠の誓いを背に受けながら、俺は立ち上がった。
ちょうどその時、老職人が血相を変えて奥の部屋から飛び出してくる。その手には、最高級の防刃メタマテリアル繊維で編み上げられた、鮮烈な「オレンジ色のズボン」が握られていた。
「で、できたぜ……! 俺の職人人生で、こんな悪趣味なオーダーを受けたのは初めてだ!」
「十分です」
数分後。
店を出て地下鉄の暗闇を歩く俺の姿は、以前の「ただのポーター」とは完全に別物だった。
上半身はアッシュグレーのタクティカルジャケット。下半身は鮮烈なオレンジ色の防刃パンツ。そして両太ももには、凶悪な牙である二振りの『特殊機巧双短剣』が鈍い光を放ちながら鎮座している。
それはまさに、底辺から這い上がった「復讐の化身」の完成形だった。
「準備は整った。次はどこで狩るか、田井中」
『ええ、私の九朗様。……千葉ダンジョン第5階層、未踏破エリア。掃除屋たちが、九朗様のための『極上のエサ』を誘導し始めてるわ』
暗闇の中で、俺のオレンジ色のズボンが不気味に浮かび上がり、俺の顔には三日月のような酷薄な笑みが張り付いた。
重厚な電磁ロックの鳴る『ガキンッ』という金属音が、静寂の地下通路に冷酷に響き渡った。




