第14話
千葉ダンジョン・第3階層『廃棄坑道』。
薄暗い岩肌が剥き出しになった迷路のようなエリアを、俺は音を立てずに進んでいた。
普段なら、この階層は駆け出しから中堅の冒険者たちで賑わい、あちこちから戦闘の喧騒が聞こえてくるはずだ。しかし現在、俺の周囲にはただの一人も冒険者が存在しなかった。
『右折して三十メートル先のゲート、電子ロック解除したよ。そこから先は未踏破の旧坑道。ギルドの監視カメラも完全にループ映像に差し替えてあるから、誰にも見られないわ』
右耳のイヤホンから響く詩音の声に従い、俺は分厚い鉄扉を押し開けた。
本来ならギルドの許可がなければ入れない封鎖エリア。だが、詩音のハッキングにかかれば、ダンジョン内のあらゆるゲートが俺のためだけの「VIP通路」へと早変わりする。
他の冒険者と遭遇するリスクも、モンスターの横取りでトラブルになるリスクも皆無。これ以上ないほど快適な狩場だった。
「……見事な手際だな。本当にギルドのセキュリティを裏口から掌握しているとは」
『ふふん。九朗様が褒めてくれるなら、国家の防衛システムだってハッキングしてあげる。……あ、ストップ。標的が近いよ』
詩音の声が、わずかに冷酷なオペレーターのトーンに切り替わった。
『前方、二十メートル。行き止まりの広間。……ギルドのレーダーには映ってないけど、空間の温度がそこだけ不自然に低い。おそらく、天井付近を浮遊している空戦型のイレギュラー。九朗様、見える?』
「いや……坑道が暗すぎて、肉眼では何も見えない」
俺はサバイバルナイフを逆手に構え、目を細めた。
どれだけ目を凝らしても、そこには漆黒の闇が広がっているだけだ。普通に歩いていれば、暗闇から突然降ってきた触手に捕食されていただろう。
『大丈夫。私のアルゴリズムが割り出した座標データを、九朗様のARコンタクトに直接転送する』
直後、俺の視界(ARコンタクト)上に、暗闇の宙を丸く囲む「赤いターゲットサイト」が浮かび上がった。
何もないはずの空中に、傘と無数の触手を持つ巨大なクラゲのような輪郭線がハイライトされている。
『体長約三メートル。浮遊性の軟体型。……発光器官を完全にオフにして闇に溶け込んでる。九朗様が近づいたら、強烈な光で目を眩ませてから麻痺毒の触手で絡め取るつもりね』
「了解した。……十分だ」
俺の全身の筋肉が、爆発的なエネルギーを帯びて収縮した。
相手がどれほど狡猾な罠を張っていようと、「そこにいる」と分かっていれば、ただの的でしかない。
俺は床を蹴り飛ばした。
「シィッ!」
スキル【跳躍】の発動。
音速の踏み込みが、旧坑道の空気を切り裂く。俺の身体は弾丸のように宙を舞い、ARコンタクトが示す「空中のクラゲ」の傘の真上へと飛び上がった。
「ギュイッ!?」
頭上を取られたことに気づいたイレギュラー——『ルミナス・ジェリー』の変異種が、咄嗟に強烈なフラッシュを放とうと発光器官を明滅させる。
だが、遅い。
俺は重力に身を任せながら、傘のド真ん中にある中枢(急所)に向かって、渾身の力でナイフを突き立てた。
「ギュルルルルルルルッ!」
ゼリー状の肉を裂き、確かな手応えがナイフに伝わる。
一瞬だけ眩い光を放ちかけた巨大クラゲは、発光を未遂に終わらせたまま、体液を撒き散らして床に墜落した。
俺は着地と同時に触手の隙間を縫い、痙攣する中枢を容赦なく何度も抉って、完全に絶命させた。
戦闘開始から、わずか三秒の出来事だった。
『……すごい、すごいすごいっ! 完璧な挙動、無駄のない殺意! やっぱり私の九朗様は最高……!』
「お前の目が優秀なだけだ、田井中。位置が分かっていなければ、俺が首を噛みちぎられていた」
興奮して早口になる詩音を宥めながら、俺は倒れ伏したイレギュラーの死骸に歩み寄る。
そして、その喉元の肉をナイフでえぐり出し、躊躇うことなく自らの口へと放り込み、咀嚼して飲み込んだ。
『深層ロジック展開:【ERROR】』
『獲得因子:ルミナス・ジェリー(変異種)』
『獲得スキル:【発光】』
ARコンタクトに表示された文字列を確認し、俺はべたつく口元を手の甲で拭った。
……発光。身体の一部から強烈な光を放つスキルだろうか。正直地味だが、戦闘における「目眩まし」や、暗所での探索に使えそうだ。
狙い通りだ。バフが切れた状態でも、詩音のナビゲートで安全に奇襲をかければ、格下のイレギュラーをノーダメージで狩ることができる。
そして獲得したスキルで自らを強化し、次の中型イレギュラーを狩る。この果てしない食物連鎖の頂点に立つことこそが、俺の復讐への最短ルートだった。
「これで、俺も目眩ましが使えるようになった。次も探してくれ、田井中」
『了解。……いくらでも見つけてあげる。世界中をハッキングして、九朗様の餌箱にしてあげるからね』
最強の暴力と、最強の眼。
お互いの狂気が完全に噛み合った二人は、圧倒的な効率でダンジョンの裏側を蹂躙し始めた。
* * *
一方その頃。
地上、東京。豪華なタワーマンションの一室で、物が手当たり次第に破壊される激しい音が響いていた。
床には叩き割られた高価な酒瓶や、粉々になった高級モニターが散乱している。
「ふざけやがって……! ふざけやがってぇぇぇっ!!」
血走った目で荒い息を吐いているのは、上位冒険者パーティ『白銀の天剣』のリーダー・天狼だった。
彼の手元のスマートフォンには、昨日からネット上で爆発的に拡散され続けている「オレンジのポーターの蹂躙劇」の切り抜き動画が映し出されている。
コメント欄は九朗への熱狂と、彼を囮にして無様に逃げ惑い、挙げ句の果てに恐喝されて泣き叫ぶ天狼への『嘲笑』で埋め尽くされていた。
『天狼ダッサww』『Bランク(笑)』『もう冒険者やめろよ』
数年間かけて築き上げた『人気上位冒険者』という彼の虚栄のメッキは、たった一夜にして完全に剥がれ落ちていた。スポンサーからは契約打ち切りの連絡が相次ぎ、信者だった視聴者たちも次々と手のひらを返して九朗のファンへと寝返っている。
「俺は、選ばれた存在なんだぞ……! スキルすら持たない、ただの底辺のゴミの分際で、俺の……俺の人生をぶち壊しやがってぇぇっ!」
天狼はスマホを壁に力任せに投げつけ、ギリッと歯を食いしばった。
このままでは終われない。あのオレンジ色のゴミを、この世から消し去らなければ、自分のプライドが許さない。
「……そうだ。あいつは調子に乗って、またダンジョンに潜るはずだ。今のあいつは『ただのポーター』じゃない。ただの目障りな虫だ」
天狼は震える手で予備の端末を取り出し、裏社会と繋がる暗号化通信アプリを起動した。
ギルドの規律など知ったことか。自分の全財産を投げ打ってでも、ダンジョン内で『不運な事故』を装って気に入らない冒険者を処理する連中——『掃除屋(PK集団)』を雇う。
「……千葉ダンジョンで、あの生意気なオレンジのポーターを跡形もなく処理しろ。あいつが二度と、あんな生意気な目付きができないように、徹底的に!無様にだ!」
豪華なタワーマンションの一室で、天狼の逆恨みによる悪意が静かに胎動を始める。
九朗と詩音が最強の共犯関係を築き上げたのと時を同じくして——九朗を物理的に抹殺するための陰湿な『罠』が、静かにその口を開こうとしていた。




