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第13話

 翌朝。

 俺が安アパートの硬いベッドで目を覚ますと、六畳一間の景色は一変していた。


「……何をしている」

「おはよう、九朗様。最高の朝だね」


 部屋の壁際に、どこから持ち込んだのか、数台のハイエンドPCと六つの大型曲面モニターが要塞のように鎮座していた。床には極太のLANケーブルや電源タップが這い回り、むき出しのサーバーラックが不気味な青い光を放っている。

 その要塞のど真ん中で、詩音はキャスター付きのゲーミングチェアにあぐらをかき、栄養ドリンクの空き瓶を片手にキーボードを叩いていた。

 一晩中徹夜していたらしく、目元にはうっすらと隈ができているが、その瞳は異様なほどの活気と熱を帯びていた。


「とりあえず、ギルド本部の深層サーバーにある『九朗様のパッチテストの生データ』を引っこ抜いてきたよ。それと、グリム・ウィーバーの生体データもね。……それで、分かったことがあるの」

「……分かったこと?」


 俺は上体を起こし、警戒を解いてモニターを見た。

 俺にとって、自らの身体に宿る【ERROR】の真の性質を知ることは、復讐への第一歩だ。


「うん。九朗様の【ERROR】……『異界の因子を喰らって自身の肉体を再構築する力』。これは確かに最強のバグだけど、一つだけ明確な『制限リミット』がある」

「制限……?」

「そう。なんでもかんでも食べて無限に強くなれるわけじゃないってこと」


 詩音はキーボードを叩き、モニターの一つに複雑なDNA螺旋と波形データを表示させた。


「ダンジョンにいるスライムやゴブリンみたいな『通常種(雑魚敵)』。あいつらをいくら食べても、九朗様は成長しない。ただの一時的な空腹が満たされるだけで、能力やスキルの獲得は一切発生しないの」

「……なぜだ」

「通常種が持っている『因子の濃度』が低すぎるから。九朗様の深層ロジックを強制起動させて細胞を書き換えるには、もっと強烈で、濃密なショック……つまり、『高濃度の因子』が必要なの」


 詩音はくるりとチェアを回転させ、俺を真っ直ぐに見つめた。


「九朗様が能力を吸収し、成長の糧にできるのは……同種を喰らい合って異常進化した『イレギュラー(変異種)』以上の強力な個体だけ」

「イレギュラー……」


 俺は、自らの腹を貫いたあの醜悪な化け物——グリム・ウィーバーの姿を思い出した。

 確かに、ただの雑魚を狩り続けて際限なく強くなれるのであれば、それはもはや生物としての枠組みが崩壊する。強大な力を奪うには、それに見合った強大なリスク(高濃度の異界因子)を喰らう必要があるということか。


「……理にかなっているな」

「でしょ? でも、ここに大きな問題がある。イレギュラー個体っていうのは、文字通り『異常』だから、ギルドの標準的な生体スキャンレーダーには正常な波形として映らないの。ステルス能力を持っているからこそ、九朗様もあの日、不意打ちを受けた」

「ああ」


 俺の瞳が鋭く細められる。

 イレギュラーしか喰らえないのであれば、それを能動的に狩りに行かなければならない。だが、ギルドのレーダーすら欺くイレギュラーを探し出すのは、広大なダンジョンの中で砂金を探すようなものだ。

 しかし。

 詩音はふふっと、この世の全てを見下すような悪魔的な笑みを浮かべた。


「でも、それはあくまで『無能なギルドの標準システム』の話。相手が物理的に存在して移動している以上、空間の因子流マナ・フローの微細な乱れや、空気の変位は必ず発生してる」

「お前……まさか」

「私が誰だと思ってるの? 九朗様の、一番有能な『道具』だよ」


 詩音の指が、目にも留まらぬ速さでタイピングを始める。


「ちなみに、狩り場は九朗様のホームグラウンドである『千葉ダンジョン』に設定してあるよ。あの日イレギュラーが出た『東京アビス』は今、トップクランや本部の監視の目が厳しすぎるし、何より基礎レベルが高すぎてソロのレベリングには不向きだからね」

「妥当な判断だ」

「でしょ? すでに千葉ダンジョン内にある四万基の監視ノードの『生のセンサーデータ(Rawデータ)』にバックドアを仕掛けた。ギルドのポンコツフィルターをバイパスして、ノイズの中から『イレギュラー特有の微弱な空間異常』だけを抽出する、私専用の索敵アルゴリズム……」


 ターンッ! と、ひときわ強くエンターキーが叩かれた。

 中央の巨大モニターに、千葉ダンジョンの複雑な三次元マップが投影される。

 そして、そのマップの浅層——第3階層の入り組んだ廃坑エリアで、一つの『赤い光点』がチカチカと点滅を始めた。


「……捕まえた」

「第3階層、か」

「うん。ギルドのレーダーには『何もいない空間』として処理されてるけど、私の目にははっきりと見えてる。光学迷彩か何かを持った、小型のイレギュラー個体」


 俺はマップを見つめながら、自身の現在のステータスを冷静に分析した。

 あの時、第7階層で強大なグリム・ウィーバーを蹂躙できたのは、あくまで捕食後の『一時的な超バフ』が残っていたからだ。バフが完全に切れた今の俺にあるのは、最適化された強靭な肉体と【跳躍リープ】のスキルのみ。

 いきなり中層のイレギュラーに挑むのは自殺行為に等しい。まずは浅層に隠れ潜むイレギュラーを確実に狩り、能力を一つずつ積み上げていく必要がある。


「……ちょうどいい獲物だ。今の俺の足なら、浅層の敵は振り切れる」


 俺は小さく息を吐き、壁に立てかけてあった手入れ済みのサバイバルナイフを手に取った。

 そして、淀みない動作で、黒いアンダーシャツの上に血と泥で汚れた『オレンジ色のスーツ』の上着を羽織る。


「行くの?」

「ああ。身の丈に合った餌の場所が分かったんだ。迷う理由はない」

「ふふっ、最高」


 詩音は恍惚とした声で笑うと、デスクから小さな黒いデバイス——特注の小型イヤーモニターを俺に投げ渡した。


「つけて。通信の暗号化はミリ秒単位でローテーションさせるから、絶対に誰にも傍受されない。これからは、九朗様がダンジョンに潜っている間……私がずっと、耳元で案内ナビゲートしてあげる」

「……」


 俺は無言でイヤホンを右耳に装着した。

 直後、イヤホンの奥から、ノイズ一つないクリアな詩音の声が響く。


『マイクテスト。……聞こえる? 私の九朗様』

「ああ。明瞭だ」

『ふふっ……ギルドの監視カメラの死角ルート、環境制御システムのハッキング、そして獲物の最適捕捉ルート。ぜんぶ、私が完璧に敷いてあげる。九朗様はただ、私が指し示した獲物を……その狂気で、蹂躙して喰らい尽くすだけでいいから』


 詩音の甘く、そして冷酷な声が、俺の脳内に直接響き渡る。

 冷徹に復讐へ燃える俺と、異常な天才ハッカー。

 二人による完全な共犯関係が結ばれた瞬間だった。


「ナビゲートを頼む、田井中」

了解アイ・コピー。さあ、初陣を始めようか』


 俺はドアノブに手をかけ、新たな『獲物』を喰らうため、朝日が昇る地上へと歩き出した。

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