出発
エレベーターが上がっていく中、私は悩まされていた――虫如きにここまで悩まされる男はそういないであろう、と。虫はほとんど機械に似ていると思う。あの硬い殻や飛び出た触覚など姿からしてそうであるし、行動の形式はまさしく機械的だと聞いた所がある。螳螂は配偶者に身をささげ、蜜蜂は躊躇なく自己を身代りに巣を生かし、蟻だって補欠要因の為に巣の2割は働かないと決まっている。もはやシステムと言っていい。自己というものを喪失している。あの時自分が踏みつぶしていた芝と変わらぬのである。それを人間と同等に扱う自分が嫌になった。と、同時に人間が同等に見られたことに嫌になった。
エレベーターを上がりきるとどこからかほっとした気持ちが芽生える。安心とともに緊張が解けると腕に妙な心地がした。気のせいと思う程に些細だが今となっては無視しがたい例の違和感である。嬉々として見やると彼がまだ腕に居てくれた。先ほどまでは左腕 に居た彼が次は右腕に張り付いている。対岸に移ったなど思いもしないことで見落としていたかもしれぬ。
私は彼の生死を確かめ、再び腕を動かし彼をうろちょろさせると、急いでエレベーターに乗り込んだ。彼を生かすのに使命すら感じていたせいか二度手間など気にならなかった。
蟻を見ていると、ふと神の心地はこんなものかと考えてみた。人間は神の体を這う蟻であると。元居た地に戻りはしない肌の上を彷徨い続けるのかと。行列から外れては孤立するだけだと。上を目指す彼には魅力があると。
確かにキルケゴールは絶望の先で神に自己を委ねることを説いた。かといって絶望のない絶望も説いた。2つがこの蟻を中心に私の頭の中でゆらめくのである。罪の意識がないのなら蟻は神という概念を持たないというのが昨今の通説であるが、運命の極まったところでいう神の意志や奇跡を蟻が影響を受けないとは思い難い。ヤスパースのいう超越者に近い者を言ってるのかもしれぬが彼の罪意識ありきの思想ではなくもう一次元ほど下げた低俗な話をしている。ただ、蟻に価値観があるかないかを言いたいのである。
神が人間を見る、人間が猫を見る、猫が虫を見る――私が今現在この蟻を見ていると、それらは全て同じ行為に思える。到底打ち勝つことのない上位の者に対する影響とはそういうものではないか。ややこしいのは神が非実在で人間の中にのみ存在するものであることである。そういう転回をさせて貰うと蟻にも神はいる――その時はふと思ったのであった。
集団から外れて孤立して天を目指す彼を私は単独者として見ていたのである。蟻だって絶望を経験している。ふと動きが止まることがあるがそれがそうでないかと思う。
程よく隣のエレベーターが先に着いていたらしく次は人と出会うことがなかった。子連れがエレベーターに乗り込むのを扉越しに感じたぐらいである。慌てることもなく蟻を監視できた。判然として一匹の蟻は蠢いている。この愉快な蟻を数十秒後には地に差し出すと考えると何やらもやもやしてくる。彼のあるべき所を感じ名残惜しいとは感じなかったが、しかし、そこに帰れるか心配になったのである。
蟻はマーキングをすることで巣の場所を覚えるとテレビで見た覚えがある。皆のよく知る蟻の行列をインクで遮ると混乱が起こるのはこの為であるらしい。道を失った蟻にはこの小さな団地とて私達が知る世界というものぐらい広い。ほっぽり出されて帰れる訳もな かった。
突如として不可解なことが起こった。蟻が急に私のコントロールを受けず一方向に向かって動き出したのである。一方向といっても蟻のとっての方向ではなく、無論今までの天に向かう行為ではなく、私がどう掌を返しても私にとっての前方へ進むのである。狂っ たように見えたが落ち着く頃には蟻は上方向を無視して指先をうろちょろするだけになった。指先は湿気がふれている。先にはホールのドアがあり、外は闇が広がっている。
私は驚きを胸に秘めつつ慎重に歩を進めた。突飛な行動に落としやしないかと一層よく見据えた。まるで彼は外の世界に向かいたいようである。疎らな雲の波を縫って地表とは離れて進んでいく飛行船を思い起こされる。蟻が親指の曲りを通った時など地球の丸みまで連想された。実に力強い蟻である。彼が帰れるかの心配など吹き飛んでいた。
ここまでの経緯に暫し冥加を感じながら私は別れの場へと向かっていった。気分はやけに粛々していたと覚えている。そこは洞穴を想起させるくらいに暗い。街灯は上手く隠れてしまい頼りにならなかった。闇と判然のつかないくらいに薄れたホールの灯りで蟻を確 かめるしかなく、しゃがみ込むとその光もじめじめとした地に自分もろとも吸い込まれてしまうようである。
途端に黄泉の穴に片手を突っ込んでいる気分になった。蟻を彼岸へ送るのであると戸惑ったが、彼はすんなりと地に落ちる。あっけないので手を確かめるがもう彼はいない。が、彼の存在が暗い芝の中に見えた。その時に何か干渉波のような者を感じた。蟻と繋がったというか彼の意志を感じたのである。何とも説明しがたいが、とにかく見えない蟻が困難な中をしっかり歩みだしたのが分かったのである。そして、闇の中にいる自分が存在するのも対比でより濃くわかった。
2つの蟻のことはとても似ている。エンポリオ少年は幸福の名のもとに外道となるプッチ神父にうちかった。仲間から能力を受け継ぎ野望を打ち砕いた。その未来の先に新世界にかつての仲間はいない。縁のある者は死に絶え真に孤独となった訳であり、そうであり ながらも物語が完と記される前に旅人に言った言葉が「僕の名前はエンポリオです」なのであった。
自分自身の意志というのが大事であると思う。運という神の領域を含め限界に近づくなら意志や継続が物を言うし、自己対自己であれ自己対他者であれ迷いというのは意志と意志の相違に基づくのだろうと思う。それを踏まえて覚悟というのは運命を直視し感じ取り そこで意志を正しく歩ませることである。しかし、繋がりをなくしては霧中の妄想でしかない。闇の中の戯れである。そう、蟻を見てその夜思ったのである。
ホールで耽っているとふと右手に違和感がある。とんだ間抜けな夢想をしたなと呆れて見ると彼ではなく蚊がいた。蚊は私の血を吸うわけでもなく張り付くだけである。蚊はホールで血を吸うために飛び回るのだ。私は彼をさっと空中に反した。




