第九話 小さな準備
郊外のカフェに入った二人は、窓際の席に向かい合って座った。
注文を終えると、義隆が笑った。
「こういう店、久しぶりだな」
「私は初めてかも」
「高校の頃は、こんなところ来なかったもんな」
「だって私たち、放課後は部活ばっかりでしたから」
「そうだったな」
二人で笑う。
その笑顔を見ながら、梓はバッグの中を意識していた。
さっきコンビニで買ったもの。
のど飴と――小さな箱。
今は必要ない。
たぶん、今日だって必要になることはない。
それでも、買っておいた。
もしものために。
……いや。
本当は「もしも」を想像してしまった自分を、梓自身が一番よく分かっていた。
「梓?」
「え?」
「なんか嬉しそう」
「……そう?」
「うん」
義隆が笑う。
梓は少しだけ目を伏せた。
「だって……」
「ん?」
「こうやって義くんと話してるの、嬉しいから」
今度は、ちゃんと言えた。
義隆は一瞬だけ驚いた顔をして、それから柔らかく笑った。
「僕もだよ」
「……ほんと?」
「ああ」
その一言だけで、梓の胸が温かくなる。
五年前とは違う。
今は、少しずつ自分の気持ちを言葉にできる。
そして――焦らなくてもいい。
バッグの中の小さな箱は、今日のためではない。
いつか二人が、本当にそういう関係になったとき。
お互いの気持ちを確かめて、その先へ進むことになったとき。
そのときのために。
ただ、それだけ。
梓はバッグのファスナーをそっと閉じた。
「……義くん」
「ん?」
「今日、楽しいね」
「ああ。まだ始まったばかりだけどな」
義隆がそう言って笑った。
梓も笑う。
そのとき、テーブルに注文した飲み物が運ばれてきた。
梓はカップを手に取り、一口飲む。
「……おいしい」
「本当に?」
「うん」
昔は分からなかった味。
昔は知らなかった時間。
そして、昔は想像することもなかった未来。
バッグの中の小さな箱は、そんな未来をほんの少しだけ先取りしたものだった。
――いつか。
その「いつか」が来たとき。
今日の自分を思い出して、梓はきっと笑うのだろう。
「……ふふ」
「どうした?」
「ううん。何でもない」
梓は首を振った。
今はまだ、この時間を楽しもう。
焦らなくてもいい。
五年ぶりに再び始まった恋なのだから。
二人の距離は、これからゆっくり近づいていけばいい。




