第五話 昔みたいに
義隆はベッドに腰を下ろしたまま、スマートフォンの画面を眺めていた。
梓から返信が来ている。
『はい。私もまた会いたいです。今度は、ゆっくりお話ししたいです』
「……うん」
自然と頬が緩む。
今日は本当に不思議な一日だった。
五年ぶりに会ったのに、話し始めると高校時代に戻ったような感覚があった。
ただ一つ。
少しだけ気になっていることがある。
梓は、ずっと自分のことを「先輩」と呼んでいた。
昔もそうだった。
付き合っていた頃でさえ、なかなか呼び方を変えられなかった。
義隆は少し考えた。
「……そういえば」
高校時代、一度だけ。
帰り道に梓が恥ずかしそうに言ったことがあった。
『……義くんって呼んでもいいですか?』
そのときの梓の顔を、なぜか今でも覚えている。
「……懐かしいな」
義隆は小さく笑った。
そして、メッセージ欄に指を置く。
少しだけ考えてから、文字を打った。
『そういえばさ』
送る。
梓からすぐに既読がつく。
義隆は続けた。
『いつまでも「先輩」っていうのも、なんか変だよね』
そこで一度止まる。
そして。
『昔みたいに「義くん」って呼ぶ?』
送信。
義隆はスマートフォンをベッドの上に置いた。
「……まあ、これくらいなら」
深く考えたわけではない。
昔の恋人だったから、というより。
五年ぶりに会った梓との距離を、少しだけ昔に戻してみたかった。
それだけだった。
一方――。
「…………」
梓は画面を見たまま、完全に停止していた。
『昔みたいに「義くん」って呼ぶ?』
「…………」
呼吸を忘れる。
「…………え?」
もう一度読む。
『昔みたいに「義くん」って呼ぶ?』
「…………」
梓の顔が一気に赤くなる。
「……えっ」
スマートフォンを両手で握る。
「義くん……?」
声に出した。
自分で言っただけなのに、胸が跳ねる。
「……義くんって呼んでいいの?」
五年間。
ずっと心の中では呼んでいた。
でも、実際に口にすることはなかった。
それを。
向こうから提案してくれた。
「……ずるい」
梓は枕を抱きしめる。
「そんなこと言われたら……」
嬉しくないわけがない。
むしろ。
嬉しすぎる。
梓は返信欄を開いた。
『はい!』
打つ。
「……子供っぽい」
消す。
『ぜひ』
「……なんか固い」
消す。
『……いいの?』
入力したところで、指が止まる。
「…………」
これが一番、自分の気持ちに近かった。
いいの?
本当に?
昔みたいに呼んでも。
また、あなたの近くに行っても。
そう聞きたい。
でも、そんな気持ちまで文字にしたら、五年間隠してきたものが全部ばれてしまいそうだった。
梓は少し悩んだあと、最後に一言だけ付け加えた。
『……義くん』
送信。
「…………!」
送った瞬間、梓はスマートフォンを伏せた。
「言っちゃった……」
頬を両手で覆う。
「義くんって……送っちゃった……」
高校時代以来。
いや。
もしかしたら、本人に向かって呼ぶのは、別れて以来初めてかもしれない。
すると。
スマートフォンが震えた。
「ひっ……!」
梓は驚いて飛び上がった。
画面を見る。
義隆からだった。
『うん。じゃあ、俺は梓って呼ぶ』
「…………」
梓の目が大きくなる。
「……梓」
今度は、自分の名前。
義隆が呼ぶ。
想像するだけで、胸がいっぱいになる。
梓はしばらく画面を見つめていた。
そして、ゆっくり笑った。
『……うん。私も読んでほしかった』
送信。
五年前。
二人の間にあった呼び方が。
今夜、もう一度戻った。
ただそれだけのことなのに。
梓にとっては――
止まっていた恋が、確かにもう一度動き出した瞬間だった。




