VS 山姥(1)
その日、瑞鶴は、進路指導室で午後6時から面談を行います、と野間に呼び出されていた。
すでに周囲は暗い。だが、こんな遅い時間に呼び出されるなんて何事だろうと訝しく思う気持ちよりも、もしかしたらあの話かも知れない、という思いのほうが強かった。期待と不安が入り混じった甘いような気持ちで、瑞鶴は進路指導室のドアをノックした。
「大西です」
「はい。どうぞ〜」
という野間の声に、進路指導室のドアを開くと、
「瑞鶴、お帰り。遅かったね」
瑞鶴の母親がそこにいた。
*****
大西瑞鶴は母子家庭で育った。瑞鶴が物心ついた時には、既に父親はいなかった。幼少期に何回か母親に父親のことを聞いたことがあったが、何度目かには平手打ちされた。それ以来、父親のことを話題にしたことはない。瑞鶴は賢い子供だったし、母親の気に入らない話題さえ出さなければ打たれることもなく、それなりに幸せな生活であったといえた。
だが、その生活は母親の再婚で唐突に終わる。パパと呼んで欲しいといって瑞鶴の前に現れた男は、一緒に暮らし始めて1周間で瑞鶴に手をあげた。母親も味方ではなかった。男と一緒になって瑞鶴を打ち据えた。そのうちに母親が妊娠すると、男が瑞鶴の体をいやらしく触ってくるようになった。母親に相談すると、おまえがパパと呼ぶ言い方がいやらしいからだ、と殴られた。
*****
「ママ、なんで?」
「なんでって、ここは瑞鶴のお家でしょ?」
瑞鶴が周りを見渡すと、確かにそこは瑞鶴が今治に来る前に住んでいたアパートだ。
「久しぶり?」
「毎日会ってるじゃない?」
「……」
今朝も母親に見送られて登校したのを、瑞鶴は思い出した。なぜかすっかり忘れていた。
「今日は瑞鶴の大好きなラザニアだよ。早く手を洗っておいで」
「は〜い」
見慣れた洗面所で手を洗い、見慣れたダイニングに戻ると、母親がエプロンを外して椅子に座るところだった。テーブルには出来立てのラザニアが置かれていた。瑞鶴も椅子に座ると、2人で手を合わせた。
「「頂きます」」
出来立てのラザニアをスプーンで口に運ぶ。
「あちち」
「冷ましながら食べないと。この水を飲みなさい」
母親が水を勧めると、瑞鶴は素直に水を飲んだ。その様子を母親は満足げにみつめた。
「美味しい」
「そう、良かった」
母親がにんまりと笑った。
「そうそう。今日の個別懇談で野間先生が言ってたわよ。瑞鶴は成績がいいから、推薦も視野に入れて行きましょうって。野間先生っていい人ね」
「そうかな?」
「そうよ」
瑞鶴は気になっていたことを思いきって尋ねた。
「あの人は?」
「あの人って誰?」
「……パパ」
「もう別れたわ」
「……ほんと?」
「本当よ。あの男よりも瑞鶴のほうが大切だからね」
*****
「なあ、瑞鶴、遅うない?」
シェアハウスでは飛鳥と明奈が瑞鶴の帰りを待っていた。瑞鶴が面談のために学校に行くといって外出してから、すでに2時間が経過していた。先程から瑞鶴のスマホに連絡を入れているが既読がつかない。飛鳥が腕組みをしながら呟いた。
「何かあったのかも知れない」
「嫌な予感がすんねん。学校行ってみよ」
2人は今治銀座のシェアハウスからせとうち青雲高校への約1kmの道のりを飛ぶように駆け抜け、正門を通る時間ももどかしく、柵を乗り越えて敷地内へと入った。
進路指導室へと急ぐ2人の目の前に奇妙な光景が現れた。瘴気水を製造するプレハブの側で甲高い音を立てて乱舞する6機のドローンと、その中心には瑞鶴の肩を抱きかかえる、夜目にも白い長い髪の女。
瑞鶴はこれまで明奈と飛鳥に見せたことのない笑顔で楽しそうに話していた。明奈と飛鳥が近づいても2人のほうに顔をむけようとせず、白髪女に話かけるのを止めようともしない。
「…瑞鶴、もう8時過ぎやで。帰らへんの?」
躊躇しながら明奈が声をかけると、白髪女がゆっくりと振り返った。白髪の女は野間だった。野間は驚愕する2人を見て気味の悪い笑顔を浮かべると、瑞鶴に囁いた。
「ねえ、瑞鶴、魔物が2匹発生したみたい。さっきママに教えてくれたドローンを別々に動かす方法、やってみせてくれる?」
「うん、ママ」
瑞鶴が思っていた「あの話」については、短編『魔物だった私が自ら死を選ぶまで』をお読みいただければと。




