今治銀座のシェアハウス
7月の終わり。まるでぬるま湯のように暑い午後に、大西 瑞鶴は年季の入ったスーツケースを引きずりながら今治駅の改札口を出た。
ひっつめ髪だが可愛らしい顔立ちの少女だ。きちんとお洒落をすれば美少女になるだろう。少しサイズの小さなジャージが瑞鶴の均整のとれた姿形を覆っていた。
瑞鶴と同年齢と思われる金髪の少女が「大西様」と大きく書かれたA4の白い紙を掲げて、改札口をみていた。目があうと、少女はぱっと表情を明るくした。
「大西さん? あ、やっぱり!」
高い声がよく通った。
「……大西みつるです」
対照的に、瑞鶴の声は小さく低かった。
「紺原明奈ですぅ。よろしくなー!」
短い沈黙のあと、明奈はスーツケースに視線を落とす。
「荷物、そんだけだけ?」
「……うん」
「……そっか。ウチもそうやったわ」
瑞鶴が見る明奈の表情には、暗い影はまるでなかった。
「ほんなら、ウチらの家に行こか。そんな遠くないし」
「うん」
今治駅の東口を出ると、強い日差しが容赦なく降り注いだ。2人は建物の作る日陰の中を進んだ。
「学校あるんは、駅の反対側やねん。ウチら、通信制やけど、たまに行かんとならんねん」
道幅の広い、やや閑散とした大通りをしばらく歩く。途中、殺人的な日差しを避けるため小道にそれたりしながらも、2人は今治銀座商店街の入り口へと辿り着いた。明奈が右手で商店街を指し示した。
「ここが今治イチの繁華街、今治銀座でぇ〜す」
「……」
瑞鶴が目を向けると、幅の広いアーケードが、まるで美術の教科書の遠近法のお手本のようにずうっと先まで続いているのが見えた。瑞鶴は引き込まれるような感じがして、ちょっと目眩がした。だが、今治銀座は目の錯覚を利用したアトラクションではない。
そのまっすぐに続く人気のないアーケード街を腰の曲がったお婆さんがキャリーケースを引きながらゆっくりと歩いていた。
お婆さんは誰の邪魔にもならず、ゆっくり、ゆっくり、悠々と歩いてゆく。
「驚くのはまだ早いで!!」
商店街に入ってしばらく歩く。
アーケードは全体的に清潔感があり、ゴミは落ちておらず、常に人の手入れが行き届いているのがわかる。
路肩に軽自動車2台が駐車していたが、まるで圧迫感を感じない。軽自動車なら6台は余裕ですれ違えそうだ。これがいいのか悪いのか、瑞鶴には判断がつかない。きっといいことなのだろう。
多くの店舗はシャッターが降りていたが、その合間合間で、レトロな雰囲気のお店や、お洒落な雰囲気のお店が健気に営業していた。
「この観音様な、24時間営業なんやて。このへんで24時間営業なんは、あとスイーツショップくらいやな」
瑞鶴は聞き間違いかと思った。コンビニはないのだろうか。
観光案内をしながら歩いていた明奈の足が、シャッターの降りた店舗の前で止まった。間口が4mほどの、奥行きのある古い作りの建物であった。瑞鶴は悪い予感がした。
「じゃーん。ここがウチらの家やで〜」
以前は何か商売をやっていたのであろう、アーケードに面した1階部分は今はシャッターが降ろされてはいるが、シャッターを上げれば間口いっぱいに大きく開く作りになっていた。
建物の隣はやはりシャッターの降りた店舗、反対側は空き地だった。
好むと好まざるとに関わらず、瑞鶴は今日からここに住むことになるのだ。
「古民家? いや、昭和レトロ……」
「せやせや、人間、前向きに考えなあかん」
そういって笑いながら、明奈は鍵を開けると、
ガラガラガラ
と大きな音を立ててシャッターをはね上げた。
「ウェルカム トゥ アワ スィートホーム!」
外が明るい光にあふれているせいか、なかが薄暗く見えた。シャッターを開けてすぐにコンクリを打った土間があった。足を踏み入れると、猛烈な暑さと湿気が瑞鶴を包み込んだ。
「暑いね……」
「エアコンないんやわ……」
土間の奥にはダイニングキッチン、トイレ、浴室があった。どの部分も汚れが目についた。ぱんぱんのゴミ袋が2袋、キッチン隅に置かれていた。さらにその奥には和室があり、その向こうは小さな庭になっていた。
庭には雑草が生い茂っていた。
急な階段を上った2階には洋室が3部屋あった。
「2階の部屋はウチらが使ってんねん」
「2階は暑いんじゃない? エアコン無いんでしょ?」
明奈は瑞鶴の目をじっと見つめた。
「1階は出るねん」
「え?」
「ゴキがでよるねん」
「……」
瑞鶴に選択の余地はなかった。
2階の空き部屋を確認すると、パイプベッドに真新しい布団が一式、置いてあった。誰かが瑞鶴が新生活を始めるために最低限の準備はしてくれていたらしかった。瑞鶴は部屋の窓を開けて換気を確保すると、スーツケースを開いた。
スーツケースの中には、いかつい、業務用のドローンが1つ、衣類に包まれて収められていた。
*****
瑞鶴がスーツケースから取り出した細々した物を片付けていると、いつのまにか時刻は夕方6時前になっていた。明奈にひと声掛けて外出し、今治銀座からほど近いスーパーで食材を購入し家に戻ると、急いで食材を切って鍋に投入した。
瑞鶴の料理の手際は良い。
毒親のせいだ。物心がついた頃から家政婦扱いされ、家事に加えて弟や妹の面倒を見させられ続けてきた。今はようやく毒親から開放されたが、手が勝手に動く。
明奈によると、今日はカレーの日であるのだという。食材に火が通る間に、米を洗って早炊きをセットしたところで、タイミングを見計らったように、明奈が2階から降りてきた。
「いや〜、ご苦労さん。いい匂い。初日からありがとね。食材いくらやった? 精算しとくわ」
明奈が生活費として日本奨学金財団から支給されるお金の管理をしていた。狭いダイニングテーブルで瑞鶴と明奈は向合せに座り、早速カレーを食べ始めた。
「お、懐かしい味やん。おいしいなぁ。なんか入れたん?」
どうやらカレーの味が明奈のお気に召したらしい。
「めんつゆ。ちょっと和風の味になるから。あと牛肉が安かったから牛肉入れた」
「瑞鶴が料理得意でよかったわあ」
いつの間にか自然にみつると呼ばれていた。明奈は人懐こい性分であるようであった。
「他の子は?」
「飛鳥っていう子がおるよ。今は外出中みたいやね」
食事中、瑞鶴はお風呂の時間や掃除当番、洗濯など、気になっていたことを訊きだした。
「ごちそうさま。お皿はついでに洗っとく。シンクに入れておいて」
そういって瑞鶴は立ち上がったが、明奈は空の皿を前にして立ち上がろうとしなかった。
「なぁ、その……カレーおかわり、ある?」
明奈が上目遣いに瑞鶴を見て言った。
*****
こうして、今治銀座のシェアハウスを舞台とした瑞鶴の新たな生活は無事にスタートした。
かのように思われた。
「ふたりとも、魔物が出た。行くよ」
さあ就寝というタイミングで、見知らぬ女の低い声で廊下から声を掛けられて、大西瑞鶴は自分の今治生活初日がまだ始まってすらいなかったことを思い知らされたのだった。
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