第七通「件名:二人だけの秘密だよ」
自室の天井は、やけに白く見えた。
灯りは消しているのに、
カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、
ぼんやりと部屋の輪郭を浮かび上がらせている。
佐久間 珠紀はベッドに仰向けのまま、
ただ何もせず時間だけをやり過ごしていた。
目を閉じても、
静けさは訪れない。
浮かんでくるのは――
あの日から繰り返されている光景ばかりだった。
教室の沈黙。
読み上げられる感謝の言葉。
そして、もう二度と会えないという現実。
胸の奥が、
じわりと重くなる。
ゆっくりと腕を持ち上げ、
枕元に置いてあったスマートフォンを手に取る。
画面は暗い。
けれど、指は迷わなかった。
通知一覧。
その中にある、見慣れた――
そして何度も見返した差出人名。
瀬戸 美月。
喉の奥が、
かすかに詰まる。
もう開くべきじゃない。
でも、また開かずにはいられない。
震える指先で、
珠紀はメッセージを表示した。
淡く光る文字列。
視界いっぱいに広がって見える。
――美月……
声にはならない。
ただ心の中で、
名前だけが落ちていく。
どうして。
何があった。
俺は、何を見落としていた。
問いは浮かぶのに、
答えはどこにもない。
スマートフォンを握る手に、
少しずつ力がこもる。
もし時間を戻せるなら。
もし、あの日に戻れるなら。
――違う。
そんな"もし"に意味はない。
分かっているのに、
考えることを止められない。
天井が滲んだ気がして、
珠紀はゆっくりと目を閉じた。
静寂だけが、
部屋を満たしていた。
*
翌朝。
教室の空気は、
昨日よりもさらに重かった。
誰もが席には着いている。
けれど、日常は戻ってこない。
視線は交わらず、
会話も続かない。
そんな沈黙を破ったのは――
美里だった。
「ねぇ山下さん、あんたが読みなよ」
突然向けられた言葉に、
珠紀は思わず顔を上げる。
「なんで急に」
戸惑いが、そのまま声に出た。
「あんた、美月とよく話してたじゃん」
責めるような響き。
けれど、その奥には
焦りのようなものも滲んでいた。
「そんなこと言ったら高石さんだって――」
珠紀が言い返しかけた、その時。
「……わかりました」
静かな声。
山下 沙希だった。
教室の空気が、
わずかに揺れる。
沙希は一度、
小さく息を吸った。
震えを押し殺すように、
ゆっくりとスマートフォンを見つめる。
そして――読み上げた。
『件名:二人だけの秘密だよ
沙希ちゃんは、可愛くて頭も良くて、本当にすごいと思ってるよ。
あのことは正直最初は驚いたけれど、事情があるんだろうし、誰にも言ってないから安心してね。』
読み終えた瞬間、
教室の空気が変わった。
「あのことって……なに?」
美里の声は、
低く、鋭い。
逃げ場を与えない響き。
沙希は数秒、
何も言わなかった。
けれど――
「……私の家は貧乏で、私が万引きしてるところを見られてしまったんです」
静かな告白。
「そして驚いて、咄嗟に殴ってしまった。罵声も浴びせました。本当に情けない話です」
ざわめきが広がる。
誰も大声は出さない。
だが、動揺は隠せない。
美里の目が、
怒りに揺れた。
「友達に裏切られて……それが無ければ美月は死ななかったんじゃないの……?」
涙を溜めたままの、
震える声。
「ごめんなさい……」
沙希は深く頭を下げた。
その姿は、
あまりにも痛々しかった。
でも――
「たらればは、後からいくらでも言えるよ」
珠紀の声が、
静かに落ちた。
視線が一斉に集まる。
「でも実際に――」
美里が言いかけた時、遮るように珠紀は言葉を続ける。
「じゃあさ、高石さんは、どうすれば瀬戸さんを救えてたと思う?」
問いかけるように続ける。
「君が言ってるのは、そういうことだよ」
教室が凍りつく。
「こうしてればよかった、とか。あんなことしたから、とか。
あとからいくらでも言える。問題は、そうなる前に救えたんじゃないかってこと。特に親友なら……ね」
美里の瞳が揺れる。
「……私は美月の親友じゃないって言いたいの?」
涙が、こぼれた。
「ごめんね。
じゃあ次、高石さんが読んでよ」
静かな声。
「本当に瀬戸さんの親友なら、協力してほしい」
数秒の沈黙。
やがて美里は――
「……分かった。読めばいいんでしょ」
小さくため息をついた。
震える指で、
スマートフォンを開く。
その横顔は、
怒りでも悲しみでもない。
ただ――
壊れそうなほど、脆かった。
教室の誰もが、
息を潜めて見守っている。
次に明かされる言葉が、
何を壊すのかも分からないまま。
静寂だけが、
重く降り積もっていった。




