白のプロローグ:Ⅱ
「……あの、ラディスさん」
「ん? どうかしたかい?」
「いや、あの……」
所属地域の変更手続きを済ませ、セレナさんに別れを告げて。そうして各々決意を新たに"機関"本部を出た私たちは今……
……レストランで食事をしていた。
「思ったよりのんびりですね!?」
「仕方ないじゃないか、馬車が出発する時間まではまだ間があるんだから」
思わず机を叩いてしまった私に、ラディスさんは落ち着いた様子で返答して魚をひと口頬張る。
確かに私だってお腹は空いていたけれど……この前、鬼気迫った様子で私たちの元へ来た時とは大違いの落ち着き方だ。
「というか、馬車は一般のものに乗るんですか? 前使った、ラディスさんの馬車は?」
「あれは"機関"からの支給品です。主様が"機関"から離れた以上、もう使うことはできないでしょう」
「あ、そうだったんだ……私、てっきりラディスさんが自分で買ったものだとばかり」
「自分で買おうかと考えた時期もあったんだけど、なんとなく買わずに貯金に回しておいたのさ。おかげで路銀はたんまりある」
ちょうど料理を完食したラディスさんは、口元を拭くと財布を取り出した。イブリスさんの手持ちとは比較にならないほどの重量感だ。曰く、これでもまだ全貯金の一部だという。
「そしてこれがイブリスと僕らとの決定的な違い……イブリスはまとまったお金も持たずに出て行ったから、行く先々でお金を稼いでその日暮らしをするのが精いっぱいだろう。馬車の利用も頻繁にはできないはずだ」
私は少し深く頷く。故郷からこの街へ出るときも馬車を使ったけれど、その乗車券は決して安いとは言えない値段だった。
「その点、僕らの手持ちならほとんどの街間の移動に馬車を使える。これならこの3日間に離れた距離もすぐに取り戻せるさ」
「……信じて、いいんですよね」
ラディスさんの言っていることはわかるし、決して疑いたいわけじゃない。けど、どうしても私の心の中には焦りが生じている。今、こうしている間にも、イブリスさんはどこか遠い街へと行ってしまっているかもしれないんだ。
「サラちゃん。僕だって彼の事を一刻も早く追いかけたいのは一緒だ。でも……体がボロボロの君たちを無理矢理連れて行ったりしたら、彼は……かなり怒り狂うだろうさ」
そんな私の不安を感じ取ったのか、ラディスさんが少し柔らかめの口調でそう呼びかけてきてくれる。
魔力をほとんど使い果たしてふらふらの私。体中怪我だらけで激しい運動を止められていたフロワちゃん(彼女はまだ完治していないけど)。私たちがそんな状態なのに追っていたら、確かに大目玉を喰らうだろう。
「……なんて。本当は追ってくるなって言われてるのに追ってきてる時点で絶対怒られるだろうけどね! ははっ!」
ラディスさんが明るい声で優しい笑顔を浮かべた。この3日間で彼も随分心の落ち着きを取り戻せたみたいだ。
「さ、2人も食べ終わってるみたいだし、そろそろ出ようか」
「……? 馬車の出発時刻まではまだ余裕があるようですが」
「少し、寄っていかないといけないところがあってね」
* * *
「ここって……」
"寄っていかないといけないところがある"。そう言われた私たちが連れてこられたのは、とても見覚えのある建物だった。
大通りからは少し外れた、それなりに大きいけれど質素な雰囲気を持つ建物。
「ルベイルさんの、宿……?」
そこは私たちが幾つもの夜を過ごした、あの宿屋だったのだ。
「あの、どうして……ってわわ、ちょっと!」
頭上に『?』マークを浮かべる私を置いて、ラディスさんはそそくさと宿の玄関扉に手をかける。
街を出る前に寄っていくというからには"機関"でやり残したことがあったとか、他にはアトミスへ行ってレオさんたちに挨拶していくとか……そんなことを予想していたんだけれど、まさかこの宿屋に来るとは思っていなかった。
「フロワちゃん、なんでここに来たか……わかる?」
「いえ、私にも全く」
「そっか……」
フロワちゃんも首を横に振る。これは実際に目にしてみないとわからなさそうだ。私とフロワちゃんは顔を合わせて互いに頷き、ラディスさんの後に続く。
「お、なんじゃ、勢ぞろいじゃな」
「相変わらず暇そうだね」
「大きなお世話じゃ」
ルベイルさんはカウンターで暇そうに読書に耽っているようだった。私たちが入ってきたのに気が付くと本を閉じてカウンターに置き、私たちと向き直るように座り直す。
いつもと変わらない様子のルベイルさん。そのいつも通りが、私の心に影を落とす。きっとこの人も、イブリスさんを忘れてしまっているのだから。
「なんじゃサラちゃん、そんな暗い顔して」
「ふぇっ!? わ、私今そんな顔してました!?」
「サラさんは感情がすぐ表情に出ますからね」
「そ、そう……?」
自分ではそんな気はなかったのだけど、瞬く間に落ち込みを見破られてしまった。そのうえフロワちゃんまで追撃を仕掛けてくる。私、そんなにわかりやすいかな……?
私が少しでも明るい表情を作ろうとしている中、ルベイルさんは微笑ましそうな表情で話を続ける。
……そしてその口から出た次の言葉は、私をこれでもかというほど驚かせるものだった。
「この面子だと……小僧の事じゃろ?」
「――!?」
得意げな顔でそう言うルベイルさん。この人が"小僧"と呼ぶ人は、私の知る限りひとりしか居ない。
「イブリスさんのこと、覚えてるんですか!?」
「ほれ、一気に嬉しそうな顔になりおる」
「あっ……」
思わず身を乗り出した私に、ルベイルさんは意地の悪い顔を向けながら顎髭を弄る。
でも、この反応。間違いない。ルベイルさんはイブリスさんの事を覚えているんだ。
「やっぱり君の記憶は消されてなかったか」
「はて、何の話かの?」
「ルベイル」
「……冗談じゃよ、冗談。用事は察しがついとるから少し待っとれ」
ルベイルさんはそう言って事務所の裏に下がっていってしまった。どうやら何かを取りに行ったみたいだ。ルベイルさんが戻ってくるのを待つ間に、私とフロワちゃんがラディスさんに迫る。
「ラディスさん、どうして……!」「主様、何故」
『……あっ』
私とフロワちゃんがラディスさんへの質問を投げかけたのは、全く同時だった。
「何故彼がイブリスの事を覚えているのか、かい?」
そして肝心の質問はラディスさんに先に言われてしまう。
実際、私たちが聞きたかったことはそれで間違いない。私はうんうんと2回、フロワちゃんはゆっくりと1回、また同じようなタイミングでうなずいた。
君の記憶は消されてなかったか……と、ラディスさんは言っていた。つまり、カイリさんはルベイルさんの記憶は消さずに残しておいたということだ。
どうしてわざわざルベイルさんの記憶だけ残しておいたのか? それなら私たちやアトミスギルドの皆の記憶も残しておいてくれても良かったのではないだろうか?
私もフロワちゃんも、その理由が気になっているんだ。
「これは……そうだね。話すと長くなるからまた近いうちに……落ち着いた時に話そう」
……最も、その答えはまだわからなかったのだけれど。
ラディスさんが言うには、どうやらイブリスさんの過去が密接に絡んでいるらしい。だから、ここで話すには時間を使いすぎるんだとか。
代わりにそれも含めたイブリスさんの過去について、近いうちに必ず話す。ラディスさんはそう言ってくれた。
「ほれ、待たせたの!」
と、私たちがしばらく話していると、ルベイルさんが何かを持って戻ってきた。
持ってきたものは小さなかごと……鉢植え? かごの方には手のひら大の箱が幾つか入っているみたいだ。
「鉢植えまで持ってきたのかい?」
「この状況じゃ。説明せんわけにもいかんじゃろ」
ルベイルさんは持ってきたものをドン、とカウンターに置くと、一度外に出てすぐに戻ってきた。どうやら表の営業状況を知らせる札を"CLOSED"にしてきたみたいだ。
……つまり、人に聞かれたくないような話なんだろう。
「さて、悲しいことに今は客がおらんからの。これで聞かれる心配はなしじゃ」
カウンターに戻ったルベイルさんが椅子にどかんと座り、改めてカウンターに置かれた物を指し示した。
かごに入っていた箱は、よく見ると見慣れたもの。イブリスさんが吸っていた煙草の箱だった。
私とフロワちゃんが目を奪われたのは鉢植えの方。そこに植えられている植物は……ひとことで言うと、"異質"だった。
茎も葉も、なにもかもが真っ白。そして植えられている土は、真っ黒。まるで世界からその空間だけ色が無くなっているかのような錯覚が私たちを襲う。
「ルベイル様、これは一体……?」
唖然とする私の隣で、フロワちゃんがこの植物の正体を聞く。
「こいつか? こいつはな……」
「……言うなれば、小僧の生命線じゃよ」





