-Quartet- Goose Penne その2
「で、どうしてそうなるんですか?」
「ふぁ?」
サラの困惑したような、それでいてあきれたような言葉に、グースから間抜けな声が返ってきた。
しかしサラの疑問も当然である。二度目の自己紹介の直後、グースはあろうことか、突然菓子や飲み物を並べて休み始めたのだ。どうやらあらかじめ用意しておいたらしい。
無論、まだお互い攻撃など仕掛けていない。戦闘が始まることもなく、今の状況に至っているのである。
「ん? ああ、君らも食う? えーと確か、そう。サナちゃんとフロアちゃんだっけ?」
「サラです。それにこの子はフロアじゃなくてフロワちゃんです」
「あら、そう。そいつはすまん。まあほら、こっちきて座りなよ。一緒にお菓子食おうぜ」
「いや、だからどうしてそうなるんですか! 敵同士ですよね私たち!?」
しびれを切らしたサラが思わず大声でツッコミを入れる。
記憶の改ざんという、恐らくは『カルテット』でもトップクラスに恐ろしい能力。それを目の前にして、どう戦えばいいのか。その考えが、この短い時間でも二人の頭の中にぐるぐると回っていたというのに。
――始まったのはまさかの菓子会だった。
「いやほら、さっきも言っただろ? 俺、フェミニストだからさ……よし、今度は間違えずに言えたな」
グースはホットケーキを一口かじって続ける。
「女の子追いかける趣味もなければ、女の子痛めつけるような趣味もないわけよ。真面目に戦ったってどうせ俺が一方的に勝つし。だからまあ、こうやってちょっと休んでもらって? それで大人しく帰ってもらう的なサムシング? そういう魂胆よ。ほれほれ、ケーキ食いなよ」
グースはケーキの乗った皿を両手で差し出し、二人を誘いこもうとしている。得物であるはずの本と羽ペンは無防備にも手放して脇に置きっぱなしだ。
シートの敷かれた床には他にも様々な菓子や飲み物が用意されている。その量は十分すぎるほどで、恐らく三人だけでは全て食べきれはしないだろう。
サラからしても、これがこんな状況でなければ飛びつくのだが……
「サラさん、受け取ってはいけません」
「わかってるよ……どう考えても怪しいよね」
二人は小声で言葉を交わしつつも動きはしない。当然である。どれだけ親切に接せられても相手は敵なのだから、罠の可能性は十分あり得るのだ。むしろ、罠でない可能性のほうが低い。
「恐らく、少しでも近づいた瞬間に攻撃されるでしょう。記憶を書き換えられるのですから、お互いに敵同士と思わされる可能性も……」
「心配すんなよ、んなこたしねぇから」
「――!」
二人の会話に、グースが再びホットケーキをかじって割り込む。
「その気があればもうとっくにやってるっての」
「その言葉を信じろとでも?」
「やんねぇよ、神に誓って。いや、悪魔が神サマに誓うのも変な話だが。理由を教えてやる」
グースが本と羽ペンを置いて立ち上がった。本を開き、羽ペンで何かを書き始める。
何かされる。フロワが大盾を構え、一歩踏み込んだ。
「おっと、動くなよ。解説中に攻撃すんのはマナー違反だぜ」
「っ!」
だが、グースから発せられた底知れぬ威圧感に足を止めてしまった。
この悪魔、緩いようだが、隙がない。このまま攻撃を仕掛けても、間違いなく失敗する。
「いいか、人の記憶ってのは結構複雑に絡みあってんだ。例えば……そのホットケーキ」
グースは自分の足元に置いてある食べかけのホットケーキを指さした。
「えーとこれ、誰が食ったんだっけ?」
「……何を。それは今貴方が……」
「それは……私、ですけど……」
「――! サラさん!?」
「……え? ま、まさか」
「ははは。うん、君の記憶を書き換えた。食ったのは俺だ。君らは一口どころか指一本触れちゃいねぇよ」
グースが羽ペンを使って本の一部を書き換えると、サラの記憶が正しいものへと戻る。
ホットケーキを振舞われる自分の姿は頭の中から消え去り、代わりに自分の目の前でホットケーキをかじるグースの姿がよみがえる。
「……!」
「とまあ、こういう比較的一時的な記憶……すぐに忘れちまうような記憶とか、新しい記憶は簡単に書き換えることができる。さっきの道の記憶を書き換えたのも同様にな。悪いねサナちゃん、実験台にさせてもらった」
「……サラです」
「ところがこれが強く根付いた記憶だと話が変わってくる」
サラの訂正など気にも留めず、グースは話を続ける。
「例えば君ら。間違いなく二人は"味方"だよなぁ? 仲が良いところを見るにそこそこ長い付き合いらしい。じゃあここで、お互いに"敵"だと思わせるよう、記憶を書き換えたらどうなるだろう」
「――! やめなさい!」
「やらねぇって、慌てんな。例えばの話だ」
フロワが再び一歩踏み出したが、グースは本を閉じてなだめる。とりあえず、その気がないのは確かなようだ。
「でだ。今だけ"敵"だと思わせても、今まで積み上げてきた"味方"としての記憶は残ってるわけ。なのに今だけ"敵"だと思ってるんだから当然違和感を覚えるよな? そうなると元の記憶が勝手によみがえっちゃうんだよ。完全に敵だと思わせるには、出会いから何からぜーんぶ書き換えなきゃいけない。お分かり?」
なるほど、確かに理屈は分かる。
昨日までは、つい数時間前までは"味方"として接していたにもかかわらず、何故か今この瞬間は"敵"だと思うことになるのだ。違和感を覚えないほうがおかしいだろう。
記憶の改ざんというのがどれほど大変なのかは知る由もないが、話だけを聞いたら難しそうな話である。
「それ程の記憶の改ざんを二人分、そんなの俺も疲れる。疲れるのは嫌だからやる気はない。はい、解説終わり。……で、どうするの? 食うの? 食わないの?」
話を終えた途端グースはまた座り込み、本とペンを置いてケーキを差し出す。
「拒否します」
「強情だなー。毒でも疑ってるのか? 入ってないって、ほら」
グースは差し出したケーキを一口、フォークで食べて見せる。確かに毒は盛られていない。本当にただ一緒にお菓子を食べようと誘っているだけのようだ。
「いいえ、私たちにはそんなことをしている暇はありません! 逃がす気がないというのなら、無理やりにでも行かせていただきます!」
「フロワちゃん!」
フロワが、ついに動いた。
大盾を構え、グースを突き飛ばそうと急接近する。
「おうおうそんないきなり……って、力強っ! イーグル・アイの言ってた通りの剛力だな……!」
グースはそれを正面から受け止めた。
辛そうな表情を浮かべてはいるが、それでもフロワと互角に押し合っている。
「えい!」
拮抗する両者に、サラの杖魔法が介入した。杖の魔石から光の球が発射され、グースへと向かって行く。
「おっと」
「ふんっ!」
「うおっ、あぶねっ」
光球に怯んだグースの隙をついて、フロワが盾を押し出した。
だがグースはすぐに横にそれてそれを回避。バランスを崩したフロワは前向きに地面に倒れてしまう。
「はぁ、しょうがねぇな」
グースの手に、見たとこもない"機械"が現れる。
「――銃!?」
それは二人が知っている……つまり、イブリスが使っているようなものとは異なる形をしていたが、確かに銃の形状だった。
グースの持つその"銃"が、フロワへと向けられる。フロワは咄嗟に起き上がり、防御しようとするが間に合いそうにもない。
「フロワちゃん! 危ない! "Saint Defender"!」
そこでサラの防壁がフロワを守った。グースはそれも構わず引き金を引く。
発射される弾丸。特筆すべきは、その連射力だ。行きつく間もなく、大量の弾丸が次々と発射される。その連射力を前にサラの防壁はすぐに崩れ去ってしまった。
「くっ、こ、この銃は……!」
だが、時間稼ぎには十分だ。サラの防壁に守られている間にフロワは立ち上がり、盾で銃弾を防ぐことができた。
「すごい連射力……こんな銃が存在するなんて……!?」
「あー、この世界にゃこういう銃は無いのか。サブマシンガンって言うんだぜ、覚えときな」
グースは発砲をやめると、二人に見せびらかすように銃を構える。
この世界には存在しない技術。異次元から訪れる悪魔だからこそ扱えるものだ。
「"ペンは剣よりも強し"なんて言うけどなぁ……そりゃ武器って意味の話じゃないんだよな。俺、能力の媒体がこんなんだからさ。本とペンじゃ戦えないだろ? いや、殴ったり刺したりくらいならできるかもしれんがね」
銃口が再び二人へと向けられた。サラはフロワに寄り添い、盾の後ろに隠れる。
グースの銃を持っていないほうの手には、お菓子の周りに置いてあったはずの本とペンが一緒に持たれていた。
「だから攻撃はこういう兵器に頼るしかないんだよなぁ。能力と武器が一緒になってるイーグル・アイが羨ましいよ」
グースは銃を降ろし、さて、と挟んで話を切り替える。
「今回はこれで勘弁してやる。だが次に攻撃を仕掛けてきたら……その瞬間、お前たちの記憶を大幅に書き換える」
グースの声色が変わった。今までのどこか緩さを感じさせるものから、ドスの効いた、低い声へと。
「書き換えるのがちょいとめんどくさいだけで、お前たち同士で殺し合いさせるくらいはできるんだぜ。さっきも言っただろう。真面目に戦ったら俺が一方的に勝つだけだ」
グースの言葉が意味することは、"もう攻撃してくるな"というお願い……もとい、脅迫。
確かに、グースが本気を出したならばとてもかなわない。二人だけではなく、恐らくはイブリスが居たとしても。
記憶の改ざんにより自滅を誘う、強力な兵器を使って一方的に蹂躙する。戦法だけでも様々なものが考えられる。
二人は逆らえない。これは決定的だった。
「さ、もういいだろ。いい加減一緒にお菓子でも食おうや。んで大人しく帰れ」
「……」
「……はい」
――最早二人には、ただその言葉に従うことしかできなかった。





