依頼、論争、喫茶店にて
「『悪魔の巣』が……この近くに!?」
『悪魔の巣』。悪魔たちの拠点がこの街の近くにある。ルツァリが語ったもうひとつの議題に、サラが驚嘆の声を上げた。
「諜報部門からの報告だ。場所は――アニ森林」
「またあの森か。悪魔たちは相当森林浴が好きみたいだな」
アニ森林。アヴェントの街近郊にある森林である。それなりに深い森であり、軽い気持ちで足を踏み入れると簡単に迷ってしまうほどの規模を持つ。
その森林はサラとラディスが初めて出会った日の緊急クエストや、奥にある洞窟でのステレオンギルドからの襲撃があった場所。イブリスたちには何かと因縁深い森だ。
「あ、アニ森林って……! 相当近いじゃないですか!?」
「ああ、恐らく『カルテット』たちも現在、そこを拠点にしていると考えられる。どうやら、奥地に以前は無かったはずの館が出現しているようでね。恐らく奴らはそこだ」
「館……? 建物がいきなり現れたんですか?」
「サラちゃん。『悪魔の巣』ってのは、空間をねじ曲げて異次元と俺たちの世界を繋げる場所だ。そのせいなのかは知らんが、たまに、全く別の場所の建物やら地形やらが移動してくることがあるのさ」
「それって……例えばこの喫茶店が、いきなりマルメールの街中に出現したりとか……」
「そんなところだな。ありえないと思うかもしれないが、悪魔の軍勢がらみはそういうのばかりだ。瘴気の影響を受けたもんだって、ありえない動きをするだろ?」
悪魔に"常識"は通用しない、というのが、悪魔を相手にするうえでの"常識"だ。
悪魔の瘴気の影響を受けた物品が異常性を持つのならば、その拠点である『悪魔の巣』は正に異常性の塊。何が起こってもおかしくない。何が起こるのか、全く予想がつかないのである。
「ルツァリ様は……その館に、主様が捕らわれているとお考えなのでしょうか」
「私だけじゃない。議会はその認識で一致している。そうでなくとも、この『悪魔の巣』に襲撃をかける価値はあるはずだ」
『悪魔の巣』となったアニ森林にラディスが捕らわれているのならば、できるだけ早く救出せなばならない。
仮にラディスがいるのが別の場所だったとしても、『悪魔の巣』を放っておくわけにはいかない。悪魔の軍勢の存在は驚異的なのだ。その拠点を潰しておくだけで十分な意味がある。
「そこでだ、イブリス」
「言うな、わかってる――緊急クエストだろ?」
「話が早くて助かる」
ルツァリが一枚の紙を取り出し、イブリスへと差し出す。
それはクエストの依頼書だった。依頼人は世界冒険者機関。そして目を引くのは、大きく押された"EMQ"と"GRQ"の二つの判子。Emergency Quest、そして、Grand Questを表す判子だ。
複数名の冒険者たちが一斉に参加する、大規模な緊急クエスト。人間による、悪魔たちの拠点への殴り込みである。
依頼書の受注者欄には既にイブリスとサラの名――フロワは冒険者ではないので名を書くことは無い――が記されている。
「明日にでも『悪魔の巣』へ襲撃をかけることになった。このアヴェントの中でも、悪魔の軍勢に太刀打ちできるような、実力派の冒険者たちに依頼書を出している。君たち三人にも、協力をお願いしたい」
「断る余地は?」
「悪いが、ない」
「……だろうな」
もう名は記されているのだから、あとはクエスト依頼書に受注印を押せば、それで登録完了だ。イブリスは依頼書を手に取り、溜息を吐く。
そして、一通り目を通して、ルツァリにつき返した。
「だが、是が非でも断らせてもらう」
クエスト拒否の言葉と共に。
「――!? イブリスッ!?」「イブリスさん!?」
「……」
サラとルツァリ、二人の驚愕の声が喫茶店内に響いた。
「イブリスさんっ! どうして断るんですか!? ラディスさんが心配じゃないんですか!?」
サラが困惑と怒りを込めた表情でイブリスに迫る。この一大事に、一体何を言っているのか、と。
「落ち着いてください、サラさん。イブリス様は……何も、考えなしで断ったわけではありません」
そんなサラを宥めたのは、意外にもフロワであった。
「で、でもフロワちゃん、このままじゃラディスさんが!」
「それは……わかっています。しかし、ここで"はい"と答えるわけにはいかないのです」
「どうして……!?」
サラはイブリスとフロワ、二人の顔を交互に見る。
二人の表情は至って真剣だ。ふざけて断っているわけではない。
「フロワはわかっているみたいだな」
イブリスは机に身を乗り出し、向かいのルツァリを睨み付ける。
「いいかルツァリ。俺は別に"受けたくないから"断っているわけじゃあない。受けるのは構わないんだ。ただ、ここに記されている名前に納得がいかない」
イブリスは依頼書をルツァリの目の前に突き出し、記されたその"名前"に指をさす。
「どうしてここに……サラ・ミディアムスの名があるんだ?」
……返事はない。イブリスは話を続ける。
「お前は今、実力派の冒険者たちに声をかけたとか言っていたが……少なくともサラちゃんはまだ修行中の身だ。『カルテット』をまともに相手にするのは危険すぎる。ましてやサラちゃんは悪魔たちが狙っている存在なんだぞ? どうして獲物をわざわざ敵前まで持っていく必要があるんだ?」
他の客に聞かれないように配慮しつつも、ドスの効いた、威圧感のある声。
押し黙ったままのルツァリの前に、クエストの依頼書がゆっくりと置かれた。
「――それはつまり、サラちゃんを囮にするってことだろ?」
イブリスはその言葉を最後に、ルツァリに問いかけるような視線を送り、黙った。
昼過ぎ。まだ賑わいながらも、皆そろそろクエストや仕事に戻ろうかという店内。一行のテーブルにだけ、ただならぬ雰囲気が漂っている。
サラの名が、わざわざ記されている理由……いや、思惑。
サラは釣り餌だ。
悪魔たちは館の中に居る。だが、異次元から出現した館なのだ、踏み入ったりしたら何が起こるかわからない。重ねて言うが、"常識"が通用しないのが"常識"なのだ。
だから、サラを近づけて、悪魔たちを外に引っ張り出す。館に踏み入ることなく、悪魔たちをたたく。それが"機関"の思惑なのだ。
だが当然、イブリスがそれを許すはずがなかった。
「何か……言ってみろよ、ルツァリ」
「イブリス……このクエスト……いや、"作戦"には、戦闘部門の者も全員が参加する」
ルツァリはわざわざ"作戦"と言い換える。このクエストは、それ程の規模なのだ。
「皆、サラのことは知っている。危険に晒すからには全力で守る所存だ。勿論、私も含めて。サラの身のことは……どうか心配しないでほしい」
「そういうことを言っているんじゃあないんだぞッ! ルツァリッ!」
ドン、と、机が思い切り叩かれる。
突如として発せられたイブリスの大声に、店内がざわついた。
「ご、ごめんなさい。ちょっとした喧嘩なので……」
「お騒がせしてしまい、申し訳ございません」
サラとフロワが、周辺の客へと謝罪をする。その間にも、イブリスとルツァリは睨み合ったままだ。
「お前は……話の分かる奴だと思っていたが、どうやら思い違いだったらしいな。いいか、俺はサラちゃんを囮にすることそのものが気に入らないって言ってるんだ。緊急クエストに参加するのは良い……だが、サラちゃんを巻き込むな。それが条件だ」
「イブリス、私だって彼女をこんな形で利用するのはあまり快く思っていない。だが」
「それが、条件だ」
ルツァリの言葉を遮って、イブリスが迫る。
沈黙。再び、二人が押し黙る。
「……わかった。こればかりは仕方がない」
――先に折れたのは、ルツァリだった。
「交渉成立だ。ペンを貸してくれ」
イブリスはルツァリからペンを受け取ると、もう一度依頼書を手に取った。そして受注者名に記されたサラの名前に横線を引っ張り、ルツァリに差し出す。
「参加するのは俺一人だ。それで受けよう。フロワは念のためサラちゃんについていてくれ」
「イブリス様、しかし私は……」
「わかってる。ラディスの事を一番心配してるのはお前だ。だが、ここは任せてくれないか」
「……承知しました。サラさんに何かあったときは……私にお任せください」
フロワは少々腑に落ちないながらも、心配そうな顔をしているサラに寄り添い、そう言った。
「サラ、そんな顔をするな。イブリスなら一人でも大丈夫だ。むしろ……引き下がってくれなくて、良かった。君を危険な目に合わせなくて済む」
「どの口が言うんだか。そんなわけで、サラちゃん。明日は俺たちがクエストに行ってる間、街で遊んでるといい。いくらか小遣いを置いていく」
「イブリスさん!」
「今回ばかりは認めないぞ」
――私もついていく。
サラがそう言うのは目に見えていた。例え囮という形でも、皆の役に立ちたいと。そしてそれを言い出したら最後、サラは決してその言葉を撤回しようとはしない。
だが、今回は、今回ばかりは、イブリスも決して折れるわけにはいかなかった。サラを真っすぐ見つめ、同行を拒絶する。
「街でフロワと一緒に大人しくしているんだ。いいな」
「……わか、りました……」
サラは萎れた顔をして、イブリスの視線から逃げるようにうつむいた。
こんな顔をさせるのは、心が痛むが……サラの、安全のためなのだ。
「……決まったようだな」
「ああ」
「イブリス、今回のクエストの概要を説明しておきたい。今一度、"機関"までご足労願えるか?」
「オッケーだ。早速行こう」
イブリスとルツァリが、席を立つ。
「二人とも、今日のクエストはもう終わりだ。あとでルベイルの宿で落ち合うぞ」
「……置いていくから、二人とも、もう少しここでゆっくりしていくといい。釣銭もとっておけ」
ルツァリが少しばかりのお金を、机に置いていく。
「えっ? で、でも、ルツァリさん!」
「これくらいはした金だ。代わりにイブリスを借りていくからね。……では、行こうか」
イブリスとルツァリが、喫茶店を出ていく。
サラとフロワは、ただただ黙って、その背中を見つめていた。
「良かったのですか?」
二人の姿が見えなくなってから、フロワが問う。
サラは何も答えず……イブリスが残していった珈琲を手に取って、ぬるくなったそれを一気飲みした。
「……サラさん?」
「う、うげ……すごく苦い……」
イブリスは珈琲をブラックで飲む。いつも砂糖とミルクをたっぷり入れて飲むサラには、かなり刺激が強かったようだ。
「でも……うん。これで……目が覚めたよ、フロワちゃん」
だが、その刺激は……萎れていたサラの表情を、前向きなものへと戻したようだ。
ただひたすら前を見据え、一度決めたことを決して曲げない、本来のサラのものに。





