(30)『メイアー=ユ・レヴァンス』
ガダリアが話してくれたヘカテーの――そして彼女の呪い『奴隷人形師』の出自は、かなり衝撃的なものだった。
ヘカテーの母親――メイアは遥か昔にヴァルゼ王国に滅ぼされた名もなき小国の王女だった。
敗戦後、ヴァルゼ王国で奴隷に貶められたメイアは時を待ち、同じく奴隷として強制労働を強いられていた他の敗戦国や祖国の民およそ数百人を率いて、当時のヴァルゼ王――ロマノフ=ヴァルゼの命を狙い王宮に攻め込んだ。
ヴァルゼ王国の歴史に於いて、奴隷たちによる初めての革命である。
第一次革命と呼ばれたその事件は、密告者の存在から王宮に待機していた兵団によってその日の内に鎮圧された。
しかし、同じくその時捕らえられた奴隷たちは奇妙なことを言い出した。
メイアは“魔女”だ、人の意思に拘わらず群衆を操る妖術を使う、私たちは操られていただけだ――――幾百の奴隷たちは口々にそう言った。
メイアは、否定しなかった。寧ろ肯定すらしてしまった。奴隷たちにそう言うよう厳命したのは彼女自身だったからだ。一人でも、少しでも、自分以外の生き残る可能性が増えるように。
しかしロマノフ=ヴァルゼは、彼女以外の全員を処刑した。
ヴァルゼ国民は、彼女は“人を操って革命を起こさせ、ただ一人生き残った魔女”だと噂した。
彼女だけが生き残ったのは、ロマノフ王自身が魔女を恐れていたことと彼女の並外れた美貌、そして彼女をも処刑すれば彼女を慕う他の奴隷たちが一気に爆発することを懸念したからだった。
そして王宮の塔上層に幽閉されたメイアにも変化が起こっていた。
彼女の姿が大衆に見えなくなって以降、巷では多くの噂や憶測が無数に飛び交った。ヴァルゼ王国は既に魔女に乗っ取られた、メイアは密かに処刑されたが死に際の呪詛はやがてこの国を滅びに導く、など様々だったが、彼女を“魔女”と見做す無数の無意識が集約し集厄し、彼女に奴隷人形師という呪いを発現させた。
「元々はヘカテーじゃなくて、ヘカテーのお母さんの呪いだったのか……!?」
「えぇ。『名前を知っている者を否応なしに操ってしまう』その強大にして絶大な能力は、メイアが自覚しない内にロマノフ=ヴァルゼを自害させたの」
ガダリアは自分の首をスッと指し示し、
「自分の首を断頭台で切り落とさせてね。革命に参加して彼女の目の前で処刑された奴隷たちと同じように」
そしてヴァルゼ王国は崩壊した。
メイアは、理想主義者だった。王権さえ崩すことができれば、ロマノフ王を殺す必要はないと考えるほどに。そして戦争などせず全世界の人々が平穏に暮らせるように、と本心から思っていた――――つもりだった。
「彼女は……自分の心に裏切られた」
無意識の内に女子供を含めた王族全員を皆殺しにしたメイアは、彼女に同情的だった牢番のヴァルゼ兵の青年に自分を解放させ、共に王国を脱出した。
「その青年との間にできた子供が、ヘカテーちゃんなのよ」
ガダリアは少し伏し目気味にそう言うと、さらに悲しげな声で続きを話し始める。
追っ手を恐れてラクスレルの近くの故郷の村に逃げてきたメイアは、そこで初めてヴァルゼ王国の異変を知った。
王族の全滅と混乱、そして上意のないまま頻発する奴隷たちによる革命でもはや国としての形すら保てないほど衰退していたヴァルゼの現状を知った聡明な彼女は、やがて気付いて――知ってしまった。
自身に宿る、呪いのことを――――。
彼女は絶望した。
愛故に命を懸けて自分を救ってくれた夫――――塗り替えられた。
犯罪者の自分を暖かく迎え、匿ってくれた故郷の村人たち――――塗り替えられた。
この世界は――自身の周囲の世界は自分の願い通りに回っているだけ。あらゆるものは嘘に塗り替えられ、疑心暗鬼なんて言葉では表しきれない恐怖が彼女を襲った。
そして彼女は、ヘカテーを産むとすぐに死を選んだ。
自分の望み通りになってしまう世界を救うため、そして彼女を病み蝕む罪悪感から逃れるために、旧くよりラクスレルの原生林に住まう高度な意思を持つ竜の卷族に全てを話し、生まれたばかりのヘカテーを託した。
そして、呪いを回避するため名前すら聞くことができなかったその竜に――――身体を破壊してもらった。
「これがその竜から聞いた、彼女の母親メイアの――メイアー=ユ・レヴァンスの壮絶な物語よ。でも悲しいことに、この呪いはメイアからヘカテーちゃんに受け継がれてしまった。メイアは、死ぬには早すぎたの」
「早すぎた……?」
「詳しくは言えないわ。私にも少し事情があるの。聞かないで貰えると助かるわ」
呪いは、その個体までだ。
代わりに永劫罪の意識に苛まれ続けるために、肉体が破壊されるまで死ぬことはない。まるで鏡を見る度に思い出させるように、年も取らなくなる。
呪いが、子供に引き継がれるなんてありえないはずだ。親に罪があろうと、子供に罪はないのだから。
「……ってあれ? ヘカテーってドラゴンに育てられたのか!?」
思わずルシフェルに振り返る。
「あはっ♪ 今さら気づいたのか、アルヴァレイ=クリスティアース。とは言っても無理はないけどね。ヘカテーは未だに育ての親がドラゴンだなんて気付いてないけどね。巧く隠していたようだし。斯く言う私もついさっき、ローアで会うまでは実際に見たこともなかったけどね~」
「ッ!?」
ローア城砦であったことがあるってことは、まさかあの異形の竜のことか……?
「貴方たち、ミーナに会ったの?」
ガダリアが少し驚いたような顔で訊ねてくる。
「ミーナ……? いや、俺が聞いたのはアイリスって…………ミーナ?」
またまた思わず視線を遣ると、ルシフェルは俺の問いを先読みしたようで、
「第四は元々ヘカテーのために記憶から引っ張ってきて作った人格だからね。育て親の記憶の人格。能力だって戦いの上ではまるで役に立たないけど、ヘカテーは喜んでくれたから」
ルシフェルは淡々と、つまらなそうにそう言った。そんなことはどうでもいいと吐き捨てるように。あるいは照れくささを誤魔化すためのようにも見えるが。
案外ヘカテーには甘いというか、優しいところがあるからな、ルシフェルは――――なんてことを考えた途端、アルペガすら射殺せそうな目で睨まれた。
「えと……ヘカテーとはどんな風に出会ったんですか?」
ルシフェルから目と話を逸らして、ガダリアに話を振る。とその途端、舌打ちが聞こえて背中を嫌な汗が伝う。
「残念だけど出会ったなんていい言い方をできるものではないわ。私は最初、あの子を殺そうとしてたもの。この剣でね」
腰に差してある刃のない剣――光影剣に視線を落とし、剣の鞘を撫でる。
「――どうしても殺せなかったの。あの子が村の人たちの言うような加害者じゃなくて、理不尽に呪われた被害者だってわかったから。当時の彼女は、私が剣を抜いただけで泣き始めるくらいのホントに小さな子供だったの。その後だったわね。彼女の親代わりだったミーナに突然襲われたのは」
「襲われた!?」
「ミーナにとっては娘も同然のヘカテーちゃんに剣を持ったまま対峙してたのだから、逆鱗に触れるより厄介だったのじゃないかしら。手が付けられなくなってあの時はさすがに死ぬかと思ったわ」
第四人格、ミーナの姿を思い浮かべる。
怒るところはまったく想像もつかない穏やかな性格にも見えたが、彼女の元となった方のミーナがアイリスと名乗ったあの異形の竜だとしたら、怒ると相当怖いだろう。
あの個体に限らず、ドラゴンと言うのは怒ると危険なのだ。ティーアでリンドヴルムに遭遇するまでは、人伝に聞いた話、程度で済んでいたのだが。
「ルシフェル……だったかしら?」
ガダリアが俺から少し視線を外して、ルシフェルにそう問いかける。
「気安く呼ぶな」
「貴女は私のことを知っていたようだけど、当時貴女はヘカテーちゃんと一緒だったの?」
「……まだ生まれてもねーよ」
「そうよね。貴女がいたら、間違いなくヘカテーちゃんごと殺していたかもしれないから」
「今すぐもう片方の腕も引き裂いてやろうか、化けモノ女」
「ガダリアさん、なんであんな危険人物を制御役から分けちゃったんですか。誰がどう見たって逆鱗状態のドラゴンより危険でしょう。色んな意味で」
「あら? 言うほど危険ではないと思うわよ? 彼女の本質なら、一人でもヘカテーちゃんのいるレインの森に戻れるはずだもの。元々私は君しか呼んでいないわけだし、もう一人の危険人物から君を守っているのよ、きっと」
「もう、一人……?」
「今の私はブラズヘルの傭兵だから、いつ君を斬って捨てるかわからないわよ? そうよね、ルシフェル」
確認するように、少し悪戯っぽい視線を向けるガダリアさんに対して、ルシフェルはフンと苛立ち気味に鼻を鳴らし、そっぽを向いてしまった。
ルシフェルが俺を守るなんてありうるのかと思ったけど、あの態度を見る限りあながち間違いでもなさそうだな。
「勘違いするなよ、お前と馴れ合う気なんかない。ヘカテーがお前を気に入ってるから、守ってやってるだけだ。私にはお前なんかどうでもいい、どうなったってどうしたって知ったことじゃないんだからっ!」
その台詞は大概素直じゃないやつの言う台詞だと思――
「――ったら殺すよ?」
背筋が凍りつく。
その次の瞬間、背後から後ろ襟を急に引っ張られて体勢を無理矢理崩された。
「用が済んだら帰るよ、アルヴァレイ=クリスティアース」
ルシフェルは俺を見下すような目で見下ろしながら、再びフンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
と、同時に空間転移魔法の薄紫色の行使光が足元から視界を塗り潰した。
その眩しさに思わず目を閉じると、その向こうからルシフェルの呟くような声が聞こえてきた。
――お前は……ヘカテーと仲良くなって貰わないと困るんだよ――




