(9)『狂悦死獄‐マリスクルーエル‐』(改稿済み)
「それじゃあ行くか……」
思わず緊張を含んだ声になってしまうが、無理もないというものだ。
これから行くのは、今までみたいな気楽――楽だったわけではないけれど――な旅じゃない。
戦場。
どんなに強くても気を抜いて、油断した奴から死んでいく。
どんなに弱くても気を抜かず、慎重に行動するほど生き残る。
緊張感の域を超えた緊迫感。
当然油断するつもりはないもののいつ死んだっておかしくない。そんな場所なのだから。
「アル、アリア」
その声に振り返ると、背後にヴェスティアが立っていた。
気配も何も感じなかった。ちなみにこのご老体、俺やヘカテーの到着前に鬼塚と打ち合ったことがあるらしい。結果は互角だったそうだが。
「ふん、こうなったら誰でも同じだねぇ。ルーナ、ヘカテーさん。それと誰だったかそこの……」
「エリアル……ですっ」
1人だけ名前を憶えられていなかった(しかもヴェスティアの学院に通う生徒で、俺の友達で、ヴィルアリアとも顔見知りで、この町在住と繋がりがこんなにあるにもかかわらず)エリアルは、苛立ちを抑えるように口元をぴくぴくとひきつらせながら、かろうじて丁寧に言い切った。
賢明な判断だと思う。
「そうかい、じゃあエリアルもだね。リィラと鬼塚にも伝えておいてくれるかい。お前たち全員、生きて帰ってこなかったら、私がこの手で殺してやるってね。覚悟していきな」
つまり望まない形で英雄になった者はめでたく2度殺されることになる。
「わかってるよ、婆さん。戦争が終わったって知らされたらすぐに帰ってくる。その時は1回テオドールにも帰るから、父さんと母さんにそう連絡しといて」
「あいよ」
婆さんは寂しげに顔のしわを歪ませると、それ以上は何も言わずに後ろ手を振って家の中に入っていった。先の大戦(これもブラズヘルが発端だったが)で送り出した知人を亡くしているヴェスティアからしたら、歯がゆい思いなのだろう。
フラムは比較的国境に近く、クィールの砦が落ちた今、次にローアの砦が落ちれば確実にこの辺りまで火の手が上がる。
「守らなきゃな……ローアさえ落ちなければこの辺りは無事で済むはず……」
この近辺の地図を頭に思い浮かべながら呟く。ある種の決意を込めて。
同時刻、マルス王国王宮――。
「かの名高い狂王、狂悦死獄も堕ちたもんやなぁ……。ウチみたいなか弱い女に気負ってるようでは底も知れる。お話にならへんえ?」
「故に我は2代目と言う」
玉座に王然と座す男は世界にも名を轟かせるマルス王国、現国王リオダラ=マルス。
薬師寺丸薬袋はその玉座の膝掛けに斜に構えて腰掛け、リオダラの頭から何の躊躇いもなく奪った王冠を手の上で弄んでいた。
「やめろ、女」
「薬袋や。薬師寺丸薬袋、覚えとき。この国を傾ける女になるさかいになぁ」
リオダラが苦々しい顔で俯く。
しかしそんなリオダラには構わず薬袋は語りかける。
「2代目ゆうても今のマリスはあんたさんどす。『狂王』と謳われたんやからしっかりせなあかんえ? ウチにとってはあんたと初代は同じにしか見えへんよ」
リオダラにではない。
元からこの場においてリオダラは発言する権利がないのだ。
彼は頭の上で飛び交う言葉に何の発言も許されない自分に対して苦々しい顔をせざるを得ない。
玉座と背中合わせに据えられるも、正面はおろか横、果てには玉座に近づいてもわからないよう巧妙に隠されたもう1つの玉座に狂悦死獄は支配者然と鎮座していた。
「笑止。その目で何を見ると言う。その目隠し帯、我の後ろでは外せばよい」
「あんたにだけは言われとうないわ。そっちこそ外したらええ」
「貴様、薬師寺丸薬袋と言ったか。見たところ貴様人でない、なれば我が呪いの影響、強く受けることになる。我が呪いを知っておきながら我に此れを外せと言う。貴様何を考えておる」
「ええから外せ、小童。首ごと咬み千切られたくはないやろう?」
「ふっ。無駄な話だ。この狂悦死獄。たとえ力及ばずとも、“櫃”より他に屈するなどあり得ん。我を下したければ、“櫃”を持ってくるより他にない。貴様もなぜそれができないのか、考えるとよい。傾国の女よ。貴様にはおそらく何もできないだろう、と我は曖昧に断言しよう」
「曖昧に断言なぁ……」
薬袋はクスクスと笑った。
「ほな、またの機会にしときます」
薬袋は笑うようにそう言って、まるで劇役者のような大仰な演技でリオダラの前で膝を折り臣下のように一礼すると、さりげなくリオダラの膝に1枚の紙片を置いた。
「……?」
不審そうに顔をあげたリオダラ王に顔を近づけ、唇に人差し指を立て、優しげに微笑んだ。
リオダラ王は表情を変えず、音を立てないよう見かけばかり豪奢な服にしまい込んだ。
「2度と会いたくはないが、楽しみにしておこう。それと我が傀儡の冠は置いていけ、また作り直すのが面倒だ」
「そら残念なことやなぁ」
王冠の中央の宝石にキスをすると、薬袋はうやうやしい手つきでリオダラの頭にそっと王冠を乗せて、ニコリと微笑んだ。
段差を下へと下りていった薬袋の姿が薄れるように消える瞬間、薬袋のいた場所が爆発した。
爆炎と爆風がその一画のみを蹂躙し、やがて炎が収束し消える。
魔法でそこを吹き飛ばした狂王は特に気にした風もなく、自分と背中合わせに座るリオダラに、
「興じろ、我が手の上で」
ただそれだけ命令する。
リオダラは一拍だけ目を閉じて、わかりました、と静かに呟くと、玉座からゆっくり腰を上げた。
「誰か」
王が呼んだ途端、扉が開き、数人の兵士が入ってくる。
「将軍に伝えろ。此度のヴァニパル・ブラズヘルの戦い、ヴァニパルに味方する!」
再び扉が閉まり、人が駆けていく足音が離れていくと、リオダラは自ら階段を降り、振り返って狂王に告げる。
「これでよいのですか?」
「当然」
「マルスの国民が死ぬかもしれません、それでもよいのですか……?」
「当然。国民がいなければ作ればよい。ブラズヘルに覇権は不要。我が国の力を周囲に刻み付ける」
「わかりました……。陛下。少しばかり失礼します。やはり家族にだけは私の口から伝えたい」
「許可しよう。だが忘れるな、貴様の理想の女を、理想の息子を、理想の娘を、理想の財産を、理想の権力を、理想の国を、理想の国民を、理想の才能を、理想の魔力を、理想の身体を、理想の理想を、貴様に与えたのは我である。そして、我の力を欲したのは貴様である。『我貴様を縛る枷であり、貴様を殺す矛である。それでも我を欲するならば、貴様に全てを与えよう』」
「恐悦至極にございます」
リオダラは一礼すると、扉を開けた。
そして薄暗い王の間を最後にもう一瞥すると、溜めるように扉を閉めた。
そして王然として廊下を歩きつつ、懐の紙片を取り出し、おもむろに開く。
「……!」
それは手紙だった。
『リオダラ王。私は貴方を救う光であり、貴方を生かす希望です。貴方が私を求めるならば、貴方がマリスから逃れたくば、貴方の全てを救いましょう。貴方の家族を、世界を、国民を。救いたいと願うなら、私とあの男双方に従いなさい。この戦いが終わる頃、あの男は既に貴方の後ろにはいないでしょうから。私を、薬師寺丸薬袋を求めなさい。貴方に光をもたらしましょう』
その文面にリオダラは思わず足を止め、手が震える。
リオダラはその手紙を仕舞い込むと、再び廊下を歩き出す。
その姿は変わらず、王然としていた。




