(19)『真っ二つ』(改稿済み)
「えっと……紙縒さんと康平さんですね」
簡単な自己紹介の後、ルーナは2人を順番に目で追いながら、指折りと共に確認する。
その仕草は初めての習い事に戸惑いつつも素直に言葉に従おうとする子供のようで、大人びた体躯や醸し出す雰囲気とのギャップがある種の可愛らしさを引き立てている。
「よろしくね」と笑顔で手を差し出す紙縒。
「よろしく」と少し緊張気味の表情で手を差し出す康平。
「ハイ……。よろしくお願いします」
ルーナは少し戸惑うような笑顔で握手を受けてから、俺に向き直った。
振り返りざまに三角形の耳がピクリ、と揺れる。多分リィラとヘカテーの事を聞きたいのだろう。
「鬼塚さんは居ないんですか?」
まさかの予想外。まず第一に筋肉の事を訊いてきたか。
「鬼塚なら、筋肉神の元にいるよ」
「筋肉神って……神様ですか?」
「うん、そうらしい」
「そんな……っ!」
俺の返答にルーナは一瞬息を詰まらせて、目を見開いた。そしてみるみる内に目元は潤み、瞬く間に涙の大洪水。正直、対応に困った。
え? なんでルーナ泣いてんの!?
「あの人はたぶん今もあっちで戦ってると思うけど……」
康平が筋肉の方角を指さしたが、ルーナは両手に顔を埋めて指と指の間からぽろぽろと涙を流しているためにその示唆が見えていない。突然泣き始めたルーナへの対応に戸惑っている俺と康平を前に、紙縒は不思議そうな顔でその光景を傍観していた。
「せめて……せめて一目だけでも!」
「ルーナは見ない方がいい、むしろ見せたくない(筋肉神の姿は目の毒だからな)」
「そんなに酷いんですか……!?」
「(筋肉神の姿は)あまりにも酷い」
なんとか思い出しリバースを食い止める。
さすがにルーナにあの変なモノを見せるわけにはいかない、というかルーナは妙に取り乱しすぎだと思う。まるであのバカが無事では済まなかったみたいな反応だ。そんなことはほぼありえないのに。
「ルーナ=ベルンヴァーユ……面倒だからルーナちゃんでいいかな。ルーナちゃん、別に鬼塚は死んだわけじゃないよ?」
「え?」
目に涙を溜めたまま即座に顔を上げたルーナは、笑ってるのか泣いてるのかよくわからない複雑な表情で紙縒を見つめた。
「「は?」」
頭の上に疑問符を浮かべたまま即座に紙縒の方に振り向いた俺と康平は話の急展開についていけないような微妙な表情で紙縒を見つめた。
「ん?」
口元に苦笑いを携えたまま予想だにしなかった2人の反応に驚きを隠しきれない紙縒はもしかして気づいてなかったの? みたいな困惑の表情で2人を見つめた。
そして次の瞬間、ため息をついた。
「康平の方はわかってたけど、アルヴァレイ……えっとレイでいいかな? それともアル? まあアルの方が言いやすいかな。アルってもしかしなくても馬なの? 鹿なの?」
もしかしなくても聞いたような表現で罵倒された。
しかも本人たちはぼやかしたつもりでも、普通にはっきりと言われるよりもむしろ深刻に傷つく。
「鬼塚さんは生きてるんですねっ、死んだ訳ではないんですねっ?」
ルーナは話題が鬼塚という世界の奇跡に匹敵する確認済み元未確認筋肉の割にかなり必死で一生懸命だった。
「筋肉の観点からなら生きてると思うよ。というか死ぬのか?」
何だかんだ世界の終わりまで死にそうにない。いえいえあくまでイメージですよ?
「よかった……」
ルーナはほっと息をつきながら安堵の表情で微笑んだ。
その顔は見ているだけで癒されるような小動物的な何かを含みつつも、女神の慈愛の微笑みをも彷彿とさせる。色々な意味で心洗われる無邪気な笑顔だった。
「あ、忘れてました」
可愛らしい仕草で口に手を当て、目を丸くした。
そして慌てたようにパタパタと手を振って、砦の裏に面した山を指さした。
「ヘカテーちゃんとリィラちゃんはあっちにいます。2人に言われて場所を知らせに来ました」
先に言って欲しいなそういうことは。
心配なんかしてた訳じゃないんだからね! 大丈夫だってわかってたんだから!
いやいやそういうことじゃなく。
「2人をここに呼んだ方が速いだろうな。ルーナ、リィラさんとヘカテーは今何やってるんだ?」
「えっと……『アルヴァレイのバカ』」
「……は?」
心臓が止まるかと思った。いや、たぶん数秒間止まったんだろう。
ルーナが笑顔で毒づいた。
その言葉は無邪気な笑顔とは裏腹にアルヴァレイの心臓どころか思考までもを停止させるに十分すぎる程の破壊力を誇り、精神崩壊の寸前まで心を蹂躙した。
その破壊力は出会ったばかりの康平にすら遺憾なく発揮され、瞬く間に轟沈。そんな風に見える表情だっただけだが。
ハートブレイカー、ルーナ。
恐ろしい二つ名だった。
「『アルヴァレイってホントどうしようもないくらいダメなんですよね』とか」
死にたい。
いっそ死にたい。
むしろ殺してください。
「ってヘカテーちゃんとリィラちゃんがアルヴァレイさんのこと話して……ってどうかしたんですか? アルヴァレイさん。頭を抱えてしゃがみこんだりして、あっ……頭でも痛いんですか? 大丈夫ですか!?」
「今感じてるのは頭痛じゃなくて、生き返った心地だよ」
さっきまで死んでました。間違いなく死んでました。精神的にね。
そうか……。
言ってたのはヘカテーか。それなら1も2もなく納得できる。恥も誤解も陰謀も、ヘカテーの前では大量生産の嗜好品にすぎないのだから。
ていうかいつもは『さん』付けなのに裏では呼び捨てかよ、ヘカテー。
「じゃあ行ってきます」
ルーナはたかたかと森に向かって歩き出す。俺たちの目を心配して、森の中で"変わる"つもりなのだろう。
その時だった。
森に入るまであと十歩程度の距離まで歩を進めたルーナの姿がぶれたように見え、次の瞬間――まるでその姿が幻のようにかき消えた。
あまりにも唐突で高速の出来事に、当然俺の頭はついていけなかった。紙縒と康平もそうなのだろう。隣で呆けている。俺は無意識の内に思考を停止し、能天気にルーナの姿を目で追おうとしてか、視線を周りに泳がせていた。
度重なる大きな音にようやく疑問を抱き始めた後に、その視界の端に映る土煙を見つけた。
何かが通った跡のように木々は薙ぎ倒され、まるで森の入り口のように大きく開いている。
「え……?」
土煙は辺りにもうもうとたちこめて、俺たちの視界を遮り、襲撃の事実の認識を甚だしく阻害していた。
ヒュッ。
赤い色の何かが土煙から飛び出し、3人の視界を横切り、地面に叩きつけられて転がった。
その赤い布に白い斑点が飛び散ったように見えるそれは動く気配を見せなかった。
いや、それは次の瞬間には別の見え方に変わっていた。
白い布におびただしい赤を塗りたくったようなそんな姿。
その布の下に見えるのは少し長めの黒髪で、しかしその塊は、元の長さの半分ぐらいしかなかった。瞬きをする間もなく、布の下から染み出してくる赤色の水溜まりはその塊を中心に円のように広がった。
「あかんなぁ。あかんよ、少年。今逃げるのだけは許すわけにはいかないんよ。ウチかてこれは予想外やったけどなあ、形あるものはいつか壊してやりたなるやろう?」
聞いたような声と共に土煙の奥から現れた人影。
その声は、衝動にも似た何かを含んだ凶悪な脅迫に満ち、世界を根本から否定するような声色は聞いた者に苦痛と恐怖の念を植え付けるような、禍々しい悪意の棘を容赦なく突き刺してくる。
「薬師寺丸……薬袋ッ……?」
「なんや少年、また可愛ええ女の子連れとるなぁ。あの子らがおるのに浮気はあかんえ? 悪ぶるのは子供ォの証言うしなぁ。あまり子供子供してるのは同い年の子ォから嫌われますえ?」
土煙の中から現れた薬袋。
だらりと下げたその手はいまだ鮮血を滴らせる肉塊の、足首の辺りを掴んで引きずっていた。
「ルー……ナ?」
死んでいた。
ピクリとも動かなかった。
誰の目から見ても明らかだった。
身体が上下真っ二つに裂かれて生きていられる生物など、いるはずがないのだから。




