(8)『襲撃』(改稿済み)
「……レイ。……きろ…ヴァレイ……」
遠くからリィラの声が聞こえてくる。彼女がこんな慌てたような声を上げるなんて珍しい。
何か……あったのか……。
だめだ、頭が重い……。瞼が開かない……。
リィラは何を言っているんだろうか……。
「起きろ、アルヴァレイ!」
ゴッ!
腹部に鈍痛を感じ、リィラの声を言葉として認識した瞬間、霧が晴れるようにスッと目が覚めた。しかし何故か、身体がだるい。空気を吸い込んだ鼻腔の奥でわずかに甘い香りがする。
そして次の瞬間目に飛び込んできたのは、同じベッドの隣に横たわるリィラの姿だった。
どうやらなかなか目を覚まさない俺にシビレを切らしたらしいリィラが腹に蹴りを入れてきたらしいな。なんて乱暴な。もう少し手段を選んで欲しいものだ。
「ようやく起きたな……」
リィラは不自然に声を潜めていた。
「なんで隣で寝てるんですか?」
「お前は少しぐらいこの状況を把握するよう努めろ」
言われてようやく、俺は自分の置かれている状況に気がついた。
「腕が……」
頑丈なロープか何かが、後ろ手に俺の手首に食い込んでいた。縛られているのだ。
おそらくリィラも同じ状況なのだろう。苦々しげに眉を吊り上げ、こっちを睨みつけるような視線で射抜く。
なんとか可動する首だけを動かすと、部屋の中の様子が少しだけ見えた。
部屋の向かいのベッドにはルーナが同じように縛られて転がされていて半べそかいている。そしてその隣には、身体を縛っていた金色の鎖をそのまま流用されたかのように拘束されたヘカテーが猿ぐつわを噛まされて呻いている。いや、あれはまだ目を覚ましていない感じだ。おそらく猿ぐつわのせいで呼吸が苦しく、喉から音が漏れているのだろう。
「コレ、いったい何があったんですか?」
なんとなくの状況を察しつつ、リィラに倣って声を潜める。そしてリィラはまさに想像通りの答えを返してきた。
「この船が襲われた」
「いったい誰に……?」
「おそらくヴァニパルの対立国、ブラズヘルの軍艦だろう。私達がこんな有様だからな。ほぼ無抵抗のまま交戦は終了。船は乗っ取られて、進路を変えたようだな」
リィラは眉を歪めて、目を伏せた。悔しそうに眉を歪め、口の中で何かを毒づいている。
「で、でもブラズヘルは何のために? この船は別に軍艦じゃないし、軍需物資を運んでいるわけでもないのに! なんでこの船を……」
リィラはわからんといった風に無言で首を振った。
『人質です』
唐突に頭の中にヘカテーの声が響いた。
「ヘカテー、起きてたのか」
『アルヴァレイさんが"コレ、いったい何があったんですか"って言った辺りで起きました。それでアルヴァレイさんとリィラさんの話を聞きながら、船の中にいる人類たちの頭の中の覗いてみたんですけど……。どうも手当たり次第にヴァニパル関係の一般人を攫ってヴァニパルを兵糧攻めしようとしてるみたいです。ちなみに甲板で鬼塚さんも縛られちゃって身動きが取れないそうです』
「あいつは何をやってたんだ……」
俺たちも人のことは言えないけどな。というかさすが優秀だな、ヴァニパル軍。あの鬼塚を取り押さえたのか。
などと思っていると、ヘカテーが次いで報告をしてくる。
『それも聞きました。変なしゃべり方する女にお酒を呑まないかと誘われたみたいです。アルコール度数、百パーセントを1樽飲み干して酔いつぶれてたそうですよ』
「アホか、アイツはっ。アルコール度数百パーセントって言ったら純アルコールだぞ!? どうして何も考えずそんなものを口にするッ!」
リィラは舌打ちを交え、ここにいない本人を罵倒する。
というか、1樽か……。生きてるだけで凄いよな、ソレ。
「とりあえず、どうするかな……」
「悪霊、お前そのぐらいの鎖切れるだろう」
『だから悪霊は私じゃないって言ってるじゃないですか……。私にこの鎖は切れません。そういうものですから』
「このあとどうなるのか、わからないか? ヘカテー」
『それについてはまだわかりませんけど……拠点に連れていかれて幽閉か、悪ければ士気高揚のための暇潰しの道具扱いでもされるんじゃないでしょうか、普通』
「ブラズヘルは非情な軍事国家だからな。前線の手前までならありえない話ではない。先の戦時は酷い有様だったと聞いている」
バン!
突然扉が勢いよく開き、黒づくめの悪趣味な鎧を着た男が入ってきた。
事前に男の入室を察知していたらしいヘカテーとこういう荒事にも慣れているらしいリィラは瞬時に狸寝入りの体勢を取ったが、元々一般人の俺は身を強張らせるだけに終わる。
男はそんな俺にチラッと目を向けてきたが、興味なさげに頭を振ってヘカテーとルーナの横たわるベッドに歩み寄る。そして下卑た笑いを浮かべながら2人を見て、おもむろに紙の札束を取り出した。
「お前らは後でたっぷり可愛がってもらいな、ヒヒ」
血走るような視線を涙目でおびえるルーナに向け、その太ももをついと指でなぞる。
「ルーナに触るな!」
「ヘッ、凄むなよ、ガキ。お前にゃどうせ関係ないことだぜ」
男はヘカテーとルーナの足にその紙札を針金でくくりつけ、再びヒヒヒと下卑た笑い声を残して、部屋を出ていった。
「ヘカテー、アイツが何を考えてたか読み取――」
思わず言葉を途絶えさせる。狸寝入りを解いたヘカテーの肩が震えていたからだ。たぶん怒りで。
「ヘカテー……?」
『ふざっけないでよっ、人間の分際で!』
頭の中に丁寧さの崩れたヘカテーの叫び声が響いた。やかましいが、顔を青ざめて怒りを露にする彼女に何も言えない。だってあの男の言動が何を示すのか、なんとなく想像できるだろう。
「ヘカテー、落ち着け。一応確認させろ。その紙札はどういうことだ?」
俺が声を抑えてそう言うと、ヘカテーは唇をぶるっと震わせて、
『札のない2人は広場みたいな所で殺し合わせて、それを嘲笑うつもりなのよ……。自軍の士気を挙げるためにね。ブラズヘルには盗賊崩れの悪趣味な奴しかいないのね。それで、それでこの札は……この私を人間の分際で私を慰安婦にしようとしてるのよ……!』
ヘカテーは猿ぐつわの向こうからふーっふーっと荒い息を漏らしながら、必死に冷静さを取り繕うような調子でそう叫ぶ。当然、俺たちの頭の中で。
『札なしは無様な優越感を得るために、札ありは捻じ曲がった性欲を満たすためだけに、私の身体をそうやってつ、つか、使って……あははははははははっ……』
「落ち着けヘカテー! もうわかったから何も考えるな!」
女の子にとっては想像してしまうだけでも酷な所業だ。
「となると、現地で様子を見つつ行動した方が良さそうだな」
リィラがなんか信じられないこと言ってる。
『え、ちょっと待って。私は? ほったらかし? 助けてくれないの?』
「今動くのはたぶん簡単だが、今捕まってる人たちも助けなきゃいけないからな。お前は1人でも逃げられるだろうが」
『殺してもいいの?』
「相手は下種の卑劣漢だ。遠慮が入る余地がない」
「相手が腐ってても人殺しは控えてください」
2人は強い。殺さずに収めることも出来るぐらいには。
しかし、考えたくもないがその『札あり』が既に囚われていたとしたら、その人を助け出すことも出来るはずだ。それならこの船の中で鎮圧するよりも到着後、そこもまとめて制圧するほうがいい。
ルシフェルの強さなら造作もないだろう。本当なら俺に力があればよかったのだが。
「ヘカテー、いざとなるまで俺たちを待っててくれないか?」
『他の人も助ける気なんですか?』
「できればね」
『アルヴァレイさん、弱いのに?』
「……無謀なのはわかってるけど、面と向かって言われると傷つくな……。ダメか?」
『ううん……わかりました。アルヴァレイさんを待ってます。で、でも。いざとなったらどうすればいいですか……?』
へカテーはそう呟くように言うと、涙を浮かべた上目遣いで俺を見つめてくる。
「まあ、死なない程度に」
そうきっぱりと言ってやると、ヘカテーもヘカテーで口の端を歪めるように微笑んだ。怖ぇ。
バン!
船が何処かに停泊してから数分後、勢いよくドアが開いた。中に入ってきたのは屈強そうに見える兵士たちだった。さっきの男とは違って、ブラズヘル正式軍用黒色鎧を着ている。
「こいつらが船の護衛の奴らか? 薬袋1人にやられてんじゃねえか」
「それにしても、ガキばっかだな。お、こいつは、って札なしかよ、誰だここ分別した奴。頭おかしいんじゃねえのか?」
「こいつ少しは強そうだからじゃねえ? 鎧着てるし」
あまりリィラを挑発しないほうがいいと思いますよ、おふたりさん。
「縛っちゃえば同じさ。薬袋の姐さんが作ったこの薬縄の強度は大陸一だ。こんな何処の誰かもわかんねえ傭兵崩れに何とかなる代物じゃねえ。まして他の連中はガキだぜ、まだ」
ぶちっ。
「すまんな、アルヴァレイ」
後でどうやって切ったか教えてください。
じゃらっ。
「ごめんなさい、アルヴァレイさん。ちょっと人間の分際でガキ扱いする人たちに教えてあげなきゃいけないので。どっちが上で、どっちが下なのかを」
ヘカテーはこれまで鎖を解こうと奮闘していたらしい。2人は目の前の兵士たちが『てめえら』の『て』の字を言う前にその意識を奪っていた。
文字通り、瞬く間に。瞬いたら、ことは済んでいた。
「薬師寺丸薬袋」
「ん? なん……誰だそれは?」
「今、『薬袋の姐さん』って言ってましたよね。さっき色々覗いてた時度々出てきてたから覚えてた。敵の幹部の1人みたいね。私たちを眠らせたのも薬袋っていうソイツ」
「殺すか」
「殺しましょうか♪」
「お楽しみのとこ悪いけど、やっちゃったのは仕方ないから、早く俺とルーナの縄をほどいてくれ」
「自分でやればいいんじゃないんですか?」
「できるかっ!!!」
人外にできることが人にできるとは限らない。それどころか、基本的には人にはどうにもならないだろう。そんな当たり前のことすらわかっていないヘカテー=ユ・レヴァンスさんだった。
「まあ、いいです」
ヘカテーが俺の後ろに回ると、その縄の結び目に指をかけた感触が伝わる。
ぶちっ。
ちなみにヘカテー。それは一般的には解くではなく、千切ると言う。




