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旧き理を背負う者‐エンシェントルーラー  作者: 立花詩歌
第2章『ティーアの悪霊』
36/121

(11)『ヘカテー=ユ・レヴァンス』(改稿済み)

「……まだ、まだ出ないで……ヘカテー」


 ルシフェルの身体がびくんと大きく揺れた。口からはだらしなく涎をたらし、目からは涙があふれている。ここまで来ると演技のレベルではなかった。


「やだ……また閉じ込められるのはイヤだっ!」


 声がか細くなる。既に『ティーアの悪霊』の面影は無かった。

 無言でルシフェルを見下ろしていた俺は、そこでやっと気がついたように鬼塚に駆け寄った。


「大丈夫ですよね」

「おい、小僧。心配している台詞ではないな」


 心配するわけがない。鬼塚の肩からは血が溢れ出し、床に血だまりを作っていた。

 しかし、流れている血の量はかなり多いが、本人の様子を見るとたいした傷ではなさそうだった。

 ただ、できるだけ早めに手当てしないとどうなるかはわからない。一応、医者の生まれである俺はその程度のことまでは診ることができる。


「あいつはどうなった?」


 鬼塚は痛みを感じさせないようなはっきりとした声で言った。

 あいつというのはルシフェルのことだろう。


「わかりません……」


 アルヴァレイはルシフェルのほうに顔を向ける。

 ルシフェルはまだ床に倒れている。


「……!」


 俺はルシフェルの方に身体を向けなおし、剣を再び握りなおす。

 ルシフェルは静かになっていた。震えることも悶えることもなく、ただ床の上で身を小さくして止まっていた。

 その瞬間、ルシフェルは立ち上がった。


「ふう」


 ゆっくりと息を吐いて、静かになったルシフェルはチラッと俺たちを見た。

 雰囲気が違う。

 どこがどう違うのかわからないが、何かが決定的に違っていた。

 ルシフェルは無言のまま直立していた。


「まったく、ね。私もあんまり人のことばっかり言えないなあ」


 はぁ、と再びため息をつくルシフェル。俺は身構えた。

 次の瞬間、ルシフェルは、腰を落とし、姿勢を低くし、両手を地面についた。

 鬼塚と俺に隠しきれない緊張が走る。


「外に出るのも久しぶりだけど、とりあえずごめんなさい」


 まごうことなき、土下座だった。


「は?」


 鬼塚が間抜けな声を上げる。かと思ったら、それは自分の声だった。

 頭を地に近づけたまま、微動だにしないルシフェル。

 まだ演技の可能性はある。これまでにルシフェルの性格が悪いことは重々承知しているからだ。

 しかし、ルシフェルの姿とはあまりにも外れた、正反対の姿に動揺を隠し切れない。


()()()()()が取り返しのつかない迷惑を掛けたようなので、私から謝ります。だからごめんなさい」

「ルシフェルだと? むぅ。貴様は悪霊ではなくまた別の人格なのか?」


 鬼塚はゆっくりと立ち上がりながら、生涯最高と思われる冷静さと真面目さでもって、それに向かって問いかけた。

 その言葉にピクリと動いたそれはおもむろに顔を上げた。


「ある意味では合っていますが、ある意味では違います」

「ぬ? 意味がわからんぞ。小僧、翻訳して俺に教えろ」


 簡潔にまとめろと言うならともかく、翻訳も何も同じ言語だ。


「えーっとそうですね。この建物の南西に筋肉の神様がいるので、会ってきてみてはどうですか、と言ってます。鬼塚さん、先に行ってきて良いですよ」


 棒読み万歳。


「なるほど! ふははははははは!」


 鬼塚が爽やかな笑顔で走っていった。

 邪魔者排除。鬼塚がいるとまとまる話も壊されかねない。

 というかあの人、肩の方は大丈夫なのだろうか。


「とりあえず、このままじゃルシフェルと区別がつかないですよね……」


 そよ風が森の木々の葉を揺らすような音がした。そして、その音が大きくなり、小さくなり、その姿は変わっていく。

 髪の色は赤から白銀に。

 瞳の色は赤から金に。

 身長が伸び、表情も大人びるよう育ち、身体全体を包む空気はどことなく暖かさを感じさせる。

 優しげな表情の、いわゆる美少女だった。


「説明、させてください」


 その上目遣いに一瞬剣を下ろさないように、口で鉤爪の紐を締め、うなずいた。


「その前にひとつだけいいですか?」


 その少女はどこからか金色の鎖を取り出しながら、上目遣いでアルヴァレイを見つめてそう言った。


「私の身体を縛ってください」






 廊下を爆走。ここは何処だ? どうやら、迷った。

 いやそんなことより筋肉神よ、待っていろ。


「ナンセイは、ナンセイとは何処だ?」


 ひたすら廊下を走り続けたが、何処にもナンセイとは書かれていなかった。

 『ナンセイ』とはどこかで聞いたことのあるような響きだが、如何せん何処で聞いたかすら覚えていない。意味も皆目わからん。よくわからん以上は足で探すしかあるまいよ。

 とは言え。


「ぬぅ……迷ったか」


 おのれ灰色ばかりで面倒な城め。

 しかし、筋肉神とはさぞや強いものなのだろうな。

 俺の筋肉ならば勝つことなら造作もないが、ふはは。耳が鳴るな。


「その前に一仕事やっておかねば」


 さて、どの部屋だったか。いや、ここは何処だ?





「山に登ったからだと思いますが、間違いなく言葉を勘違いしてますね」

「どうかしました?」


 おっと、声に出てしまった。


「別に。なんかそう言わなきゃいけないような気がしただけ」


 何で、こんな長い文を突然口に出すなんてどうかしてる。

 今のはなんだったんだろう。

 目の前には金色の鎖に身体中をがんじがらめにされた少女が静座している。

 金色の鎖はその少女の後ろ手の両手首に絡みつき、這うように腕を上がって肩を回り、胸の辺りで交差して、肌に食い込みながら足まで二重螺旋のように脚に下り、その両手足首を足の付け根と固定するように身体全体を拘束していた。今のその状態では立つことはおろか、身体の向きを変えるのも困難だろう。

 俺の保身のために言っておくが、その縛り方は少女の指示で、俺がしたのは言われたとおり少女の柔肌に鎖を這わせただけだ。

 少女を椅子に座らせると、テーブルを挟んで向かい合う位置に俺も腰を下ろす。

 そして、その少女に向き直り、直視しづらいためテーブルの上に視線を落とす。

 その場所はその少女の座る側のテーブルの端であり、そこに目を遣るとちょうどその少女の上半身が視界に入ってくるわけで、つまり俺の考えが及ばなかっただけで、それは必然だったわけで。

 胸の辺りで交差した鎖が2つの膨らみをこれでもかというぐらい強調してしまっているわけだった。

 俺が思わず目を逸らすと、どうかしましたか、とその少女は心配そうな顔で覗き込んでくる。また上目遣いだった。


「何でもない……」

「そうですか? えっと、では。まず私はヘカテー=ユ・レヴァンスって言います。最初に言っておきますが、ルシフェルと違って何の力も無いただの神族の可愛い女の子ですから」


 自分で可愛いって言いやがった。

 しかし、外見を見ただけではあながち嘘でもない。

 というか、今さらだけどシャルルといいヘカテーといい世俗から離れた奴らはなんで可愛い女の子ばかりなんだろう。まだ2人しか見ていないから、偶然かもしれないけれど。


「アルヴァレイさんは『旧き理を背負う者(エンシェントルーラー)』って知ってますか?」

「エンシェントルーラー?」


 聞いたことのない言葉の響きだった。

 もちろん聞いたことなんてない。

 話がずれていないか、心配になるがとりあえず先を促すことにする。


「知らないはずです。私もルシフェルに聞くまで知りませんでした。迷惑のお詫びに私が知っていることを全てお話します。ちょっとだけ長くなりますが」


 ヘカテーは一拍おいて、再び口を開く。


「2000年とちょっと前、世界は大きく変わりました」


 ヘカテーはそう語り始めた。

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