(3)『退屈で人を嗤う』(改稿済み)
悪魔の山・ティーア上腹『悪霊の居城』――。
その最上階の大広間の豪奢な椅子に座る少女、この城の主ルシフェル=スティルロッテはこのところずっと退屈していた。
「飽きた」
激しい虚脱感と共に放たれる幼い声。
その手にあるのは女の子を模した布製の人形と、蠕虫を模した細長い木製の玩具。数時間ほどそれを絡ませてみたりして遊んでいたのだが、暇潰しとも言えないほどつまらない。それでもやることがないよりはいくらかマシだった。
ルシフェルは右手の親指を犬歯に押し当てて指の腹に刺し傷を付けると、
「我が与えし仮初めの形よ。汝の名は我が得たり、その魂は我が返する。己が意思による自由を許す。次なる我が宣言にてその形代を廃し、真の姿へ返り咲け」
紡いだ詠唱と共に人形の背に血で魔法陣を描く。そして魔法陣が発光し効力を持ったのを確認すると、口角をつり上げるように笑って、
「許す」
ブチブチィッ。
人形を力任せに引っ張り、上下に分かれるよう引き裂いた。
その瞬間、ルシフェルの目の前に10代前半の少女が現れた。その姿は引き裂かれた人形とよく似ていて、人形と同じく村娘のような服も着ている。
その少女は『ひぃっ』と悲鳴をあげた。
「アハッ、人の顔見るなり悲鳴あげるなんて性格悪いね~」
「も、申し訳ありません、ルシフェル様! どうかお許しを!」
ブルブルと震えながら額を床に擦り付ける少女を冷ややかな目で見下し、
「アハッ♪ アハハ♪ おっかしいねぇ。私、お前に私の名を呼んでいいって許可してたっけ?」
愉快そうに笑うルシフェルに指摘された少女はハッと息を呑んだ。
「ごめんなさいッ! ごめんなさいッ!」
「アハハハハハハッ♪」
必死に謝る少女の様子を見て、ルシフェルはカタカタと玩具を振り回して、さも楽しそうに笑う。
「ねぇねぇ。今私ヒマなんだよね~。退屈だからなにか面白いことしてよ!」
ルシフェルの無邪気な物言いに少女がわずかな希望を覚えて顔を上げた瞬間、
「お前、ワームと交尾したことある?」
鼻と鼻の先がくっつくほどの至近距離で邪悪な笑みを浮かべたルシフェルに、少女は目を見開いて硬直した。
「ねぇ……ある?」
少女の反応を長々と楽しむようにもう一度訊くルシフェルの前で、ガクンッと脱力したようにうつむいた少女は肺から空気を絞り出したような声で、
「あり……ません……」
とそれだけ呟いた。
「アハッ♪ そんな怖がらなくてもいいのに~。まだ聞いてみただけだってば♪ どうせ交尾させるんだったらもっとエグい奴の方が見てて楽しいし。残念ながら今ここにある手持ちはワームだけだからさぁ。しかもソイツ肉食わないし、食べるの岩石だしぃ? ホントタイミング悪いよねぇ」
言い方こそ明るいが、言っていることは耳を塞ぎたくなるほど残酷な内容ばかり。少女は芯から震え上がり、身がすくんでしまって動けなかった。
「あ、ワームと追いかけっこってどう? 逃げきったら村に戻ってもいいけど、捕まったら死ぬよ~ってヤツ」
ルシフェルの言葉に再び少女の心にわずかな希望が生まれる。逃げ切れればいい。その希望から思わず手をぎゅっと握る仕草、それをルシフェルが見逃すわけもない。
再び『きひっ』と奇妙な笑い声と共に再び口角をつり上げたルシフェルは目の前の弱者に残虐な言葉を叩きつける。
「アハハハッ♪ 私のワームは『穿潜虫』! 土を掘る速さなら誰にも負けない世界最速の地中生物だけどねぇ♪」
ルシフェルの期待通りの表情を浮かべた少女は這って部屋から逃げ出そうとする。
『ティーアの悪霊』ルシフェルは、人が希望から絶望に塗り変わる瞬間の表情をこの世の誰よりも溺愛する性格破綻者。それを見るためなら命を含む人としての全てを奪うことにすら罪悪感を微塵も感じない異常者。そしてそれができるほどの力を持つ人外。その性格は螺子以上に螺子曲がり、人という材木に加工と称して深い傷を負わせる存在だった。
「アハッ、逃げろ逃げろ♪ 我が与えし仮初めの形よ。汝の名は我が得たり、その魂は我が返する。己が意思による自由を許す。次なる我が宣言にてその形代を廃し、真の姿へ返り咲け!」
ルシフェルは木製の『蠕虫』を床に放り投げる。
「ほらほら、絶望の悲鳴をあげて逃げなきゃ逃げなきゃ♪ 早くしないと死んじゃうよ? きひっ、くひひっ、アーハッハッハァッー! 『許す』」
ルシフェルがピッと指差した床と絨毯を突き破って、ずるりと全長2メートル程の『穿潜虫』が鎌首をもたげる。その先端についた口の周りに円上に生えた短い触手がヌルヌルと薄茶色の粘液を絨毯の上にばらまいている。
「いや……やめ……か、帰して……お母さんのところに帰して……」
「まったくこの子を出すと毎回下が汚れるし壊れるし……あれ? まだいたの? アハッ♪ 勇気あるね。じゃあその勇気に免じて私がいいことを教えてあげるよ」
少女はルシフェルの言葉に瞳を輝かせることもなく、その心は既にこの世界に希望というものがあったことすら忘れていた。
「牝として気に入られたら死にはしないかもね♪」
「いやあああああああっ!」
罪もない少女の悲鳴が響き渡り、『穿潜虫』は少女に襲いかかった。
「はぁ……なんか飽きたなぁ……」
『穿潜虫』の爪に何度も引っ掻き傷を負わされながらも必死に逃げ回る少女から目を離し、ルシフェルは広い窓から景色を眺める。何度も見た景色、既にこのティーアにも飽きてきていた。
「何処かに移ろうかな……」
ピクッ。
その瞬間、耳が聞き慣れない音に反応した。いや、音じゃない。何か自分と同種の、自分に限りなく近い何かの気配を感じた。
「もしかして……」
パキンッ。
自分と同じ異種の気配で嬉しさのあまり腕を振るうと、近くにあった燭台に当たり真っ二つに折れてしまった。
「……面白そうなのは間違いないけど、何だろう、コレ」
感じたことのない感情。感覚。
疑問が気に入らない。ルシフェルはそれだけの理由で、振り返りざまに半分に折れた燭台を槍のように投擲する。燭台は部屋の中を矢のように飛び、尻餅をついて震える少女の目の前で『穿潜虫』を串刺しにし、そのままの勢いで反対側の壁面にそれを縫い留めた。
ルシフェルは震える少女に歩み寄ると、
「お前、コレが何かわかる? 近くに何かがある。それだけでなんかいい気分になれる。何かはわからないけど、あるってわかっただけで気分が落ち着く。気が楽になる。お前、この感覚を知ってる?」
少女は震えながら、ルシフェルの拙い言葉に合う答えを必死に探す。混乱して、半ば真っ白になった頭の中からルシフェルの言葉を斟酌する。
「……あ……安心感」
乾いた唇からかすれた声で絞り出された答えに、ルシフェルはきょとんとした。
「安心感……安心感ね。コレが……安心感。なんで安心感が? ま、いいや。もーお前に興味なくなったし、望み通り元の村に帰してあげるよ♪ 代わりにあとちょっとだけ傀儡として働いてもらうよ」
パチンッとルシフェルが指を鳴らし、気がつくと少女は山の麓に立っていた。
混乱したまま周りを見回して、ルシフェルの姿がないことに安堵する。そして我に帰ったようにティーアを見上げると、痛む手足を引きずるように森の中を歩き始めた。今まで囚われていた悪魔の山に背を向けて。




