(21)『暴虐の魔女』(改稿済み)
周りの森が後ろに流れていく。
ルーナに乗っていると、まるで風になったような気分になる。
こんな事態じゃなければ、十分楽しんでいたんじゃないかとも思う。シャルルが一緒じゃないと怖いが。
ていうかこのスピードで走ってるともろに皮膚が冷たくなって痛いんだけど!?
今までシャルルと乗った時はこんなことなかったのに……シャルルが魔法で力場でも張ってくれていたのだろうか。
――ん? 今の……。
「止まって、ルーナ!」
ガガガ、ガグン。
「っ痛ェッ!」
さすがベルンヴァーユは止まるのも早いな。
バランスを崩して落ちちゃったよ。
「つつつ……」
軋んで痛む腰をかばいつつ、なんとか立ち上がると、さっき視界の端に飛び込んできたものを確認しに来た道を戻る。
そしてさっき見えた通りのものが、俺の目の前に広がっていた。
「うっ……げぇっ」
思わず吐きそうになり、近くの木に手をつき体重を預ける。
そして吐き気をこらえながら、全ての事情を知ったような気がした。
そこにあるのは、まさに惨劇。
この世の地獄にも成りうるような、凄惨な光景だった。
周囲の木々はくまなく赤く染め上げられ、わずかに残った食い残しが、それが人だったことを示している。ここで、この場所で、何人もの人が獣に食い荒らされたのだ。そして、そこには猟銃やら斧やらが投げ捨てられたように落ちている。
よく目を凝らすと、一番近いところに落ちているごつい猟銃、木がはめ込まれた肩当ての部分に人の名前が彫られていた。
――――ガスク、と。
戦慄する。
そして、ガスクさんはルーナに興味を持っているようだった。
これは推測だが、ガスクさんはベルンヴァーユであるルーナを盗もうとしたのではないだろうか。
ベルンヴァーユは一度主と決めたものに従う習性があり、賢いためそれ以外の人を乗せようとしない。そのことを知らない人が意外と多いのだ。
ガスクさんもそういう無知ゆえに行動を起こしたのだろう。
おそらくシャルルを、元来親が子供を守るために用いる監視用の使い魔で尾けさせて黒き森に住んでいることを知り、酒場で人を集めてここまでやってきたのだ。そして、運悪く数多の動物たちに食い殺された。たぶんこの地獄から運良く生還した者がいて、そいつがこのことをエルクレス軍に報せたのだ。
これなら全て筋が通る。
王立騎士団が出てきたのも、討伐令がこの森の危険と見なされた生物ほとんどが対象にされたからではないのか。
あるいは、これを機に未開だった黒き森の内情を把握し、国土として管理できるだけの情報を調査するつもりなのかもしれない。
正直、そんなことはどうでもいい。
動物たちの肩を持つわけではないが、推測通りの出来事があったなら、ガスクさんたちのことは自業自得。
そうでなくとも、不用意に黒き森に入ったのだ。こうなったっておかしくない。そもそもそういう意味で恐れられ遠ざけられていた森なのだから、弱肉強食の摂理上仕方のないことだと言える。それは討伐令も同じことだ。
しかしシャルルが危ない。これは俺にとって堪えがたい事実だった。
「行くぞ、ルーナ」
血まみれの猟銃。
持っていけば何かの役に立つかとは思ったが、あからさまな武器を持っていくとトラブルを引き起こす気がする。それにいざとなれば俺にはちゃんと武器があるしな。
惨劇から目を背けつつ、俺はルーナの角に手をかけて、素早く上がる。
ルーナはブルッと身体を震わせて、俺の座る位置をわずかにずらして安定させると、再び地を蹴って走り出した。
走り出してから数分後、ルーナが足を止めたのはハクアクロアの裾にあった小さな高台の崖の上だった。
崖下には草の生えていない、まるで池が干上がったような小さな窪地があり、その外側には周りを取り囲むようにまた木々が、黒き森がずっと向こうまで広がっている。
ただ、その雄壮な景色への感動も次の瞬間には俺の意識から吹っ飛んでしまった。
何だよ、コレは……。
眼下の光景が信じられない。何なんだ、なんでこんなことになってるんだよ。
「何だよ……コレ……」
その窪地のちょうど中央、そこにシャルルは立っていた。いや、それはシャルルではない。シャルルだなんて信じられなかった。シャルルだなんて……信じたくなかった。思いたかったんだ……その時のそれはあくまでもシャルルのようなもの、だったのだと。
「八ツ裂キニ! 八ツ裂キニ! 八ツ裂キニィ! 全ブ殺セ! 皆殺セ! 全部! 全部! 行ケ! アイツラヲ全部喰イ殺セ!」
シャルルの皮を被った何かは吐き出すようにどす黒い言葉で叫び散らす。シャルルにいつも寄り添うようにいたはずの森の動物たちですら、距離を置くほど邪悪な存在感。息ができなくなったように錯覚するほどの凶々しさ。
その場は、肌を突き刺すような凶悪な殺意に支配されていた。その殺気に心を食い潰された動物たちは、叫び声に翻弄されるように倒れ伏す人間たちの鎧をやすやすと踏み砕き、生きたまま食い荒らしている。
悪意の狂宴。殺意の奔流。
こんな時にばかり無駄に頭が回り、まるで観察者のごとく目の前の光景を言葉で表現しようとしてしまっている自分がいた。
身体が動かない。
シャルルもどきから際限なく振り撒かれる殺意に身がすくみ、まるで金縛りにでも遭っているようだった。
ガクガクと、足が震え。
カチカチと、歯がぶつかり合う。
わずかに生き残っているらしい数人の騎士たちは窪地の端、俺のいる崖の真下に追い詰められたまま、倒れ伏す仲間が惨たらしく食われる様を黙って見ていた。いや、彼らも動けないのだ。
信じられないほど酷い光景に俺と同じように身がすくみ、恐怖で身体が自由に動かない。
「シャルル、なんで……シャルル……」
シャルルが怖いんじゃない、目の前で人が死んでいくからだと必死で自分に言い聞かせる。そうしないとすぐにでも叫び声をあげて、全速力で逃げてしまいそうだったのだ。
しかし、見てしまった。
動物たちに群がられ、生きたまま肉を引きちぎられながらも必死に仲間の方へ手を伸ばす人の姿を。
その凄惨な光景を路傍の石でも見ているような虚空に満ちた目を、死に物狂いな断末魔の悲鳴を虫の声のように聞き流しているシャルルを、見てしまったのだ。
「ダメだシャルル……」
動物たちは絶命した肉塊から離れ、残っている数人の騎士たちの周りに集まり始める。騎士たちは剣を抜いてはいるものの、その手の中で柄と鎧がカチャカチャと音を立てる。恐怖で震えが止まらないのだ。
グォオオオオオオオォォォォッ!!!
アルペガが大気を震わせて吼えた。
その瞬間、一人の騎乗士が隊を離れ、動物たちの包囲網の隙をついて窪地の外に向かって走り出した。たった一人で。
「来るなっ、来るなぁっ!」
まだ若い女の声だった。
震える声で泣き叫びながら、この地獄から逃がれようとしている。仲間の騎士たちが呼び掛ける声も聞こえていなかった。
その瞬間――何が起こったのか理解できないほどの刹那を経て気がつくと、
グシャッ。
あまりにもあっけない音と共に、女騎士の乗っていた騎獣の頭が宙を舞っていた。
ベチャッ。
と生々しい音がして、騎獣の頭が地面に落ち完全に動きを失った。
そこでようやく、俺は結果から類推しうる事実のみを理解した。
窪地の中央にいたシャルルが女騎士の行く手を遮るような位置まで一瞬の内に移動して、一度の挙動で騎獣の頭を抉り取ったのだ。
当然、平常時のシャルルには出来ないような異常で残酷な所業だった。
頭部を失い、力なく崩折れるように倒れた騎獣。不幸にも、同時に地に投げ出された女騎士の右足はその胴体の下敷きになっていた。
「ぎゃああああああああっ!」
つんざく悲鳴。
しかし、それは逃げようとした女騎士の悲鳴ではなかった。シャルルが女騎士の足止めに向かったのとほぼ同時に、追い詰められたまま残っていた騎士たちを周りを囲っていた猛獣たちが襲ったのだ。




