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旧き理を背負う者‐エンシェントルーラー  作者: 立花詩歌
第1章『黒き森の魔女』
22/121

(20)『森の闇』(改稿済み)

「はぁはぁ……はぁっ……はぁっ……」


 まだいくらも走った気がしない。それなのにもう息が切れ始めていた。北側通用門までですらまだまだ遠いのに、俺の体力はすでに限界だった。七年もの間一日も休むことなく、鍛えてきたのに。努力も鍛練も、全ては大して役に立たないモノだったのか? こんなことなら、シャルルに空間転移魔法テュアシュトラーセを教わっていた方が良かったんじゃないのか?

 今となっては、シャルルが言葉だけで発動できると言っていた、古い空間転移魔法テュアシュトラーセの言葉すら憶えていない。たかが数メートルだと笑ったあの時の俺をぶん殴ってやりたい。

 せめて馬車か騎獣でもあれば、と思って通りのあちこちを見回したが、それらの姿は何処を見てもなかった。


「はぁっ、はぁっ……」


 スピードががくんと落ちる。限界が来たのだ。

 感覚だが、おそらくまだ5キロも走っていないだろう。それからすぐ足が引き攣りそうになって立ち止まってしまった。肩で息をし、両手を膝に突っ張ってようやく身体を支えているような状態だった。

 もしかしたら、シャルルはとっくに逃げているのかもしれない。

 ハクアクロアに入れば、王立騎士団の騎獣は慣れない山道で格段に性能が落ちる。シャルルが森を捨てていれば、ルーナの足に追いつける騎獣なんていないはずだ。詳しくはわからないが、アルペガだって高位の飛獣。地上でもそれなりの速さは出るだろうし、空だって飛べる。王立騎士団といえどもそう簡単にやられないはずだ。戦おうとさえしていなければ、逃げるだけなら、やり方次第でなんとかなるはずなのだ。

 そう、戦ってさえいなければ。

 でも――もし戦っていたら?


「逃げててくれ……頼むから」


 頭に血を巡らせている内に、少しだけ呼吸が落ち着いてきた。脚もさっきほどつらくはない。また走れそうだった。

 袖口で額の汗をぬぐうと、再び北に、黒き森(シュヴァルツヴァルト)に向かって俺は走り始めた。





 俺が黒き森(シュヴァルツヴァルト)に着いた時、日も完全に落ちきって、辺りはもう真っ暗になっていた。とはいえ、元よりトイフェルブラットのせいで日光が遮られ、森全体が暗いのだが。

 黒き森(シュヴァルツヴァルト)の中はまるで何も起きていないかのように静かだった。普通の感覚なら、この静けさに納得して道を引き返してしまいそうなほどに。

 だが今の俺にとって、この森は今、()()()()()()()()()

 いくら黒き森(シュヴァルツヴァルト)といえども自然状態の宝庫である森なら聞こえてくるだろう虫の鳴き声や風が草葉を揺らす音すら聞こえなかったのだ。不自然に思わない方がおかしい。

 周りを警戒しながら、木々の間をまっすぐ進む。暗い道だが、目は既に闇に慣れきっていて、歩く分には問題なかった。


「酷いな……」


 立ち止まって周りを見回す。前に上から見たような、ほんの少し木々が開けた内の一つなのだろう。月の光が射し込む小さな広場には倒れた木々の残骸や折れた剣の破片があった。古いものではない。ここで確実に戦闘があったことを裏付けている。

 焼けている木。表面が巨大な爪痕に抉られている木。折れた剣の刃先が突き刺さっている木。丸ごと潰されている木まである。

 辺りには、鉄のような生ぐさい臭いがうっすらと残っている。あまり考えたくはないが間違いなく血のそれだ。

 しかし、そんな状態にも(かかわ)らずあるだろうと覚悟していた動物の死骸や人間の死体はなかった。

 今通っている道から外れたところまで見たわけではないから、もしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも直接目にすることはなかった。

 ルーナの背に乗って来た時の何倍もの時間をかけ、途中どっちに進んだらいいのか迷いつつも奥に入っていくと、運良くシャルルの家のある開けた丘に出た。

 途端に思わず言葉を失った。

 そこにはシャルルの家はなく、あるのは叩き折られた木材や瓦礫の山を初めとする小屋の残骸。それとかろうじて騎士甲冑に包まれているもののその鎧から突き出ているはずの手足や頭部のない肉塊や、大蛇や熊の(むくろ)だった。

 今までに感じたことのない激しい吐き気と頭痛に苛まれながらもその中を歩き回ると、見覚えのある白い巨塊を見つけた。今回の討伐対象だった可能性大の飛獣アルペガだ。

 それに寄り添うようにもう一つ。近寄って呼吸と脈を確かめるが、既に2頭とも完全に息絶えていた。

 身体中に剣や槍を突き立てられた痕があるから、たぶん死因はこれだろう。白く立派だった毛皮は固まりかけた血の色でどす黒く染まり、魔弾を受けたような火傷もあった。焼け方が不自然なのは、おそらく木製の槍か何かを突き刺し、それごと燃やしたのだろう。そこはそれ、魔弾を弾く毛皮の対処の仕方も手慣れている。さっきの鎧もそうだったが、こうなってくると討伐令の話もほぼ確実に推測通りだろう。


「シャルルは?」


 森の入り口同様、周りは不自然なほど静かで、いくら見回しても動くものは何もなかった。少なくとも今見える中にシャルルの姿はない。小屋の残骸も覗けるところは全て覗いたが、人らしきものは見当たらなかった。

 アルペガの最後の一頭も、そしてルーナの姿も見当たらない。少なくとも、この惨劇の跡地では。

 この丘には人側の死体がたくさん横たわっているが、アルペガ三頭の討伐隊にしては数が少なすぎる。色々な規定も詳しくは知らないが、討伐対象もさることながら内情もよくわからない黒き森(シュヴァルツヴァルト)にこの程度の人数で来るとは思えない。

 たぶん残りは逃げたか、まだ何処かで戦っているかのどちらかだ。でもどちらにしても俺はシャルルの元に行かなきゃいけない。なぜなら今、シャルルの友達は俺しかいないんだから。

 もう一度周りを見回す。

 目を閉じて耳を澄ませても、何の音も聞こえなかった。でも確かに俺は感じていた。ここの空気に含まれたピリピリとした緊張感。おそらくこれが殺意なのだと一瞬で理解させられる、本能に直結した感覚。少なくともいるのだ、この森に。シャルルも、王立騎士団の討伐隊も。

 ただの直感だが。

 とりあえずシャルルがどこにいるかを探さなければならない。動くもの、人でも動物でも生存者がいれば方向ぐらいはわかったのだろうが、今はそれもない。

 となるとやはり高いところに登ってみるしかないのか、と無駄に険しくそびえるハクアクロアに恨めしげな視線を送る。

 そして唐突に初めてハクアクロアに来た時のことを思い出した。


「その手があったか……いやでもな……」


 これから俺がやろうとしていることは、はっきり言って危険以外の何物でもない。それにうまくいくかも判らない危険な賭け。

 重要なのはまず()()()が生きているだけでなく健在であること。そして、俺の周りに余計な奴らがいないこと。

 この二つが最低条件。

 騎士団側の方もシャルル側の動物たちも殺気立っているだろうからだ。

 それでもそれぐらいしか方法は思いつかない以上、試してみるしか手はない。

 大きく息を吸い、口に指をくわえる。

 ――そう、いつかシャルルがやったように。


 ピィーッ!

 周りの森の中に音がこだまし、やがて吸収されて消えるまで、俺は丘の上で目を閉じて耳を澄ませた。


「ダメか……な……」


 この策が失敗したとなれば、すぐにこの場を離れなければ自分の身が危ない。

 今の音を聞いた討伐隊の騎士や目的の獣以外が聞いていたら、殺されてもおかしくない。空気すら殺気に満ちている戦場だ。敵か味方かの区別がつく保証はどこにもない。

 俺は地面に下ろしていた鉤爪と短剣の入った袋を拾い上げ、急いで丘の上から駆け下りる――その時だった。

 ()()は地面を(えぐ)りながら、俺の目の前で急停止した。

 姿を現した、闇夜に紛れるような漆黒の毛並みを持つ生きる突風。残像すら見えるほど目立つのは、目の後ろに血のように広がる赤い毛並み。


「ルーナ、お前無事だったか!」


 シャルルの家族であり、高速を誇る騎獣、ベルンヴァーユのルーナだ。

 見たところ怪我はないようだった。

 まあ、矢どころか放たれた魔弾よりも速く走りかねないベルンヴァーユに傷を負わせるなんて偶然の悪戯でしかないのだが。

 俺がルーナの背になんとかよじ登ると、ルーナは何故か低く鳴いた。


「ルーナ。俺をシャルルのところまで連れていってくれ。頼む」


 ところがルーナは走り出すどころか、足を動かそうとすらしなかった。ルーナは首だけを曲げて、背中にまたがる俺の方を振り返る。その目は動物とは思えないほどの憂いを帯び、何かを訴えているように見えた。

 よくわからないが、今は気にしている暇はない。


「頼むよ、ルーナ」


 俺が首のところを撫でると、ルーナはもう一度低く鳴き、ブルブルッと首を振って、勢いよく走り出した。走るなら走るでもっと分かりやすく教えてくれ、ルーナ。今のはホントに落ちるかと思ったから。

 方向は森の奥、ハクアクロアの方向だった。俺を乗せたルーナはあっという間に森の中に入り、振り返るとさっきまでいた丘はもう見えなくなっていた。

 ルーナは迷いも無く、ただ一つの場所に向けて走っているようだった。

 大切な家族、シャルルの元へ。

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