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ステラヒーローズ  作者: えいえい
第一章 幼少期編

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第8話 二重生活

 看護師の仁科は、三〇二号室の男の子のことで首を傾げることが増えていた。とにかく、よく眠る子なのだ。


 担当になって十日ほど経った頃には、仁科もそれをはっきりと感じるようになっていた。朝の検温で起こせば素直に体温計を受け取るが、朝食を半分ほど食べると、また布団に潜ってしまう。昼の回診で医師が足首を診ている間も瞼が落ちかけ、昼食の盆を下げに行くと、大抵枕を抱え込んで寝息を立てている。


 骨が折れた子供はよく眠るものだし、ダンジョンの中に長く居た患者は、しばらく体がだるいと訴えることが多い。医師に相談すると、同じ答えが返ってきた。


「魔素の数値は少しずつ下がってるからね。体が治ろうとしてるんでしょう。夜は眠れてるの?」


「巡回の時は、いつもぐっすりです」


 そう答えながら、仁科は小さく首を傾げた。夜にあれだけ眠っている子が、昼もこれほど眠れるものだろうか。


 その日の午後、シーツを替えに病室へ入ると、結人はやはり枕に顔を埋めて眠っていた。起こさないよう、まず枕のカバーから替えようと手を伸ばした時、指先が中の硬いものに触れかけた。


 その瞬間に、結人が跳ね起きた。


 ギプスの足を引きずるようにして、両腕で枕を抱え込む。寝ぼけた目を大きく見開き、仁科の顔と枕を見比べたまま息を詰めている。


「ごめんね、起こしちゃった」


 仁科は手を引っ込めて、少し笑った。


「それって君の宝物なの?」


 結人は枕を抱えたまま、小さく頷いた。施設の子供には、自分だけの物が殆どないと聞いたことがある。仁科はそれ以上は聞かず、シーツの端だけを替えて部屋を出た。


   * * *


 結人は、昼の回診の時にベッドの脇で医師が仁科に「魔素のせいもあるでしょう」と話していたのを、眠ったふりをしたまま聞いていた。魔素の数値を調べられていると思うだけで、胸の内側が冷たくなる。夜のことが、いつか数字に出てしまうのではないか。


 仁科が病室を出ていくと、結人は枕のカバーの中の三つの石と鷹野のナイフ、それに探索者証を握りしめた。心臓はまだ速く打っている。


「どこに隠そう‥‥」


 昼間の病室は、夜よりもずっと危ない。看護師も医師も掃除の人も、ノックと殆ど同時にドアを開ける。引き出しの奥も、いつ開けられるか分からなかった。


 目を閉じると、スキルの画面の隅の『インベントリ』という見出しが浮かんだ。開いても空の枠が並んでいるだけで、何に使うのかも分からずにいた画面だ。ステラヒーローでは、手に入れた道具はみんな持ち物の画面に仕舞われていた。


 結人は石の一つを握ったまま、空の枠に意識を重ねてみた。掌の中の硬さが、ふっと消える。慌てて目を開けると、手の中は空っぽで、瞼の裏の枠の一つに小さな石の絵が収まっていた。


「‥‥!入った!」


 残りの石もナイフも探索者証も、同じように枠に収まった。もう一度意識を向けると、石は掌の上に戻ってくる。結人は何度か出し入れを繰り返してから、ようやく息をついた。


 これなら仁科がどれだけ枕を叩いても何も見つからないし、毎晩、探索者証を枕に隠さなくても済む。枠の数は多くないが、石とナイフと探索者証くらいなら仕舞っておける。


 その夜は、昼に受けた採血の跡がまだ肘の内側で疼いていた。一時の巡回をやり過ごすと、結人は掛け布団の中で歯の間から押し出すように言った。


「変身」


 苛立ちをそのまま言葉にしたような声でも、体の芯に入る火はいつもと変わらない。熱が落ち着くのを待ってインベントリに意識を向けると、リーゼの手にも、仕舞った石とナイフと探索者証がちゃんと出てきた。


 変身する時に手に持っていた物はその場に落ちてしまうのに、インベントリに入れておいた物だけは、どちらの体にもついてくる。


 抜け出す夜を重ねるうちに、結人はリーゼの体の扱い方を少しずつ覚えていった。


 初めのうちは、伝わってくる経験に体を預けているだけだった。剣を振れば剣がひとりでに正しい線を描き、跳べば脚が着地の形を先に作ってくれる。それはそれで気持ちがいいのだが、自分で動かしているという手応えがない。


 ある夜、結人は柱の根元で岩鼠を待ち構えながら、わざと自分の考えで剣を振ってみた。右から来ると思ったので、右へ踏み込んで斬る。ところが体は左へ流れようとして、二つの動きがぶつかった。足がもつれ、結人は無様に草の上へ転がった。


 鼠に脛を噛まれかけて、慌てて盾で殴りつける。それでも何度か繰り返すうちに、ぶつかる回数は減っていく。自分が「こう動きたい」と思った線と、リーゼの体が知っている線とが、少しずつ重なり始める。重なった瞬間の剣は、体に任せていた時よりもずっと速かった。


 その手応えを覚えた次の晩は、一時の足音が遠ざかるのが待ちきれなかった。布団を跳ねのけるように起き上がり、勢いのまま口を開く。


「変身っ!」


 思ったより大きな声が出て、結人は慌てて両手で口を塞いだ。廊下の気配を窺い、足音が戻ってこないのを確かめてから、熱に包まれていく体の中で小さく肩をすくめる。


 困ったのは、背の高さだった。


 六歳の結人の頭の位置で岩棚の下をくぐろうとして、リーゼの額を岩の出っ張りにぶつける。それを三晩続けてやった。髪を束ねた結び目の重さにも、なかなか慣れない。振り向くたびに毛先が頬を打ち、そのたびに結人は自分の髪に驚いた。


 怖いものも、まだたくさんある。


 岩壁の暗がりには二度と近づかなかったし、柱の上から苔の塊が落ちてくるたびに、少女の声で悲鳴を上げた。岩鼠と向き合う時でさえ、赤い目に睨まれた最初の一瞬だけは、膝の裏がすっと冷える。


 鷹野には、何度か柱の陰で出くわした。


「灯りくらい持て。下の層は、ここほど明るくない」


「柱に印を付けるなら、帰る方向に向けて刻め。行く方向に刻むと、帰りに迷う」


 どれも一言か二言で、鷹野はいつも離れたところから、結人の方を見ずに言う。それだけ言うと、槍を担いで去る。初めは鷹野の姿が見えるだけで膝が固まったが、何度目かには、固まる前に声が出るようになった。


「‥ありがと。灯り、今度買う」


 言い慣れない言葉が、言うたびに口に馴染んでいく。


   * * *


 昼間の結人は、相変わらず殆ど眠っていた。それでも目が覚めている時には、仁科に自分から話しかけるようになっていた。


「ダンジョンの、下の方って、暗いの?」


 検温の数字を書き留めていた仁科は、ペンを止め、驚いたように結人を見た。


「下に行くほど暗くなるんだって。前に入院してた探索者さんが言ってたな。だから一番大事なのは灯りなんだって。剣より先に、まず灯り」


 仁科は笑って、結人の額に掛かった前髪を指でよけた。


「探索者になりたいの? まだまだ先の話だけどね」


 結人は返事をせずに、布団を顎まで引き上げた。灯り、と頭の中で繰り返す。鷹野も同じことを言っていたのだ。


 外へ出てから窓へ戻るまでの十分を、結人は一晩に一つずつの用事に使うことにした。


 ある夜の帰りには、写真を撮った。二度目に窓口の前に立つと、宮原は結人の顔を見るなり、ほっとしたように息を吐いた。


「よかった、ちゃんと生きてた。あの晩、説明も聞かずに飛び出していくから心配してたのよ」


 正式な探索者証を作るために窓口の脇で写真を撮られ、小さな画面に映ったリーゼの顔を覗き込んだ宮原が、感心して唸る。


「写真映えする顔ねえ。うちの証明写真で、こんなに綺麗に撮れた人、初めて見たかも」


「変じゃない? その写真」


「変なわけないでしょ。自信持ちなさい」


 褒められているのは自分の顔ではないのに、頬が熱くなる。気だるさが指先に届き始めていたのを口実に、結人は礼もそこそこに窓口を離れた。


 次の夜の帰りには、初めて魔石を売った。買い取りの窓口に三つの石を並べると、係の人は一つずつ機械に載せて、手元の画面に数字を打ち込む。第一層の岩鼠と苔の魔物の石は、一つ数百円にしかならないという。合わせた額は探索者証に記録され、窓口で言えばいつでも引き出せるのだそうだ。


 病院の窓へ走りながら、結人は画面に出た数字を頭の中で何度も数え直した。修理には何万円も掛かると仁科は言った。この数字を何十回積み上げれば、そこに届くのだろう。


 それでも、先に買わなければならない物があった。何晩か通って石を売った額が千円を超えた夜、結人は帰り道に支部の向かいの二十四時間営業の店へ寄った。


 狭い通路の両側に、棚が天井まで並んでいる。灯りや水筒や縄の束、刃物を研ぐ道具、見たこともない形の留め具。奥のカウンターには「端末修理承ります」という札が下がっていて、壊れた通信機らしい箱がいくつも積まれていた。


 結人はその札にしばらく目を留めてから、レジの横の籠に入った一番安い腕時計を手に取った。黒いゴムのバンドに、数字が光る小さな画面が付いている。


「それ、直ぐ壊れるよ。潜るなら、もう少し丈夫なのにしな」


 レジの男に話しかけられた途端、結人の声は喉の手前で止まった。これしか買えない、という言葉が出てくるまでに、随分長い間があった。その間ずっと、視線は時計の画面に落としたままだった。


「ううん、これでいい」


 男は肩をすくめ、値札を剥がして時計を差し出した。結人は代金を払うと、男の顔を見ないまま店を出た。


 それからは、腕の時計を見ながらダンジョンの中を歩けるようになった。四時半に青ざめることは、もうない。変身を解く前には時計を腕から外してインベントリに仕舞い、次の夜、変身してから取り出して巻き直す。細い子供の手首に、大人の時計が残ることもない。


   * * *


 その頃から、帰りがけにロビーを通るたびに視線を感じるようになった。


 長椅子の探索者たちが、結人が通りかかると話をやめる。囁き声は、鋭くなった耳には嫌でも届いた。


「なあ、あの子だろ。毎晩一人で潜ってるっていう」


「アイドルか何かじゃないの、あの顔」


「あれで探索者かよ。顔で食っていけそうなのにな」


「一人で大丈夫なのかね。まだ子供みたいな顔してるけど」


 自分のことを言われているのだと分かるまでに、しばらく掛かった。施設では、顔のことで何かを言われた覚えがない。前髪で隠した目元を見る者も居なかったし、見られないように俯いて歩いてきた。


 自動扉の脇のガラスに映る少女の顔を、結人は歩きながら盗み見た。勝ち気に吊り上がった目尻と、細い顎の線。何度見ても、自分の顔だとは思えない。


 気だるさが膝の裏に届き始めたのを感じて、結人は病院へ戻ろうと足を速めた。


 ロビーの奥の長椅子で、大学生くらいの三人の若い男が、こちらを見て何か言い合っていた。一人が顎で結人を示し、残りの二人が笑う。その目は、さっきまでの囁き声とは違う熱を帯びている。


 結人は気づかないふりをして自動扉を抜けた。背中に貼りついた視線は、扉が閉まるまで離れなかった。

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