第26話 十連
『デイリーミッション達成:ダンジョンに30分滞在』
視界の隅にその一行が浮かぶと、結人は岩鼠の魔石を拾う手を止めてDPショップの画面を開いた。手持ちが、ちょうど100DPを越えている。『ガチャチケット』の行をタップすると、見慣れた文字が浮かび上がった。
『ガチャチケット×1を獲得しました』
チケットの絵の隣で小さな数字が『10』に変わる。
初めてのチケットを使ったあの土曜の夜から、月水金土の討伐の晩を十回重ねた。暦はいつの間にか三月に入っていて、今夜はその最初の水曜だ。
この二週間と少し、結人は討伐の晩ごとにミッションを五つ全部こなして、100DP貯まるたびにチケットに換えてきた。浄化のミッションで作った真っ白な魔石も、その晩のうちに砕いている。それでもレベルの数字は2のままで、次の数字まではまだ遠いらしい。
魔石は単発にチケットは十連に。そう決めて、榊から渡される岩鼠の魔石は貯まるたびに単発の召喚に使った。けれど、討伐の晩に一回か二回ずつ引いたガチャはどれも青い星ばかりだった。
古びた木の匙に片方だけの革の手袋、どこの扉に合うのかも分からない鍵。鍋の蓋の仲間のような品が増えるたびに、インベントリの枠は一つずつ埋まっていき、空いている枠の数が心細くなってきた。枠を広げるには、500DPも要る。チケット五枚分だと思うと、どうしても踏み切れなかった。
チケットにだけは一度も手を付けていない。召喚のボタンの上で親指が迷った夜も、何度もあった。そのたびに目を閉じて、ゲームの画面の上の方で光っていた、一度もタップできなかった十連のボタンを思い出したのだ。
十連なら、二人目の仲間が来てくれるかもしれない。リーゼの隣に並んで戦ってくれる誰かが。
今夜はそのボタンをタップできる。
「榊さん!」
魔石を掴んだまま振り返ると、岩に腰掛けて手斧の刃を拭いていた榊が顔を上げた。
「どうした?また嬉しいことか?」
「うん! チケットが十枚貯まったの! 十連が引けるの!」
「ジュウレン?」
榊は手斧を膝に置いて首を傾げた。結人が毎晩、目を閉じては一人で唸ったり笑ったりしているのを、榊は不思議そうに眺めているだけだ。ガチャというものが何なのかは、まだよく分かっていないらしい。
「十回まとめて引くとね★4以上のが一つ必ず出るの。ゲームでは一回も引けなかったんだ。ここで引いてもいい?」
榊は腕時計に目を落とした。十時半まではまだ一時間近くある。
「帰りに奥を覗く時間は残しとけよ。ほら、引いてみろ」
結人は榊の隣の岩に腰を下ろして、目を閉じた。
* * *
星空の召喚画面の真ん中で、『10連召喚』のボタンが光を強めては弱めている。『ガチャチケットを10枚使用します』という確認の枠が浮かび、結人は『はい』を選んだ。
ボタンをタップした途端、星空が一段暗くなった。
金色の細い線で組まれた天球儀が浮かび上がり、輪が回り始める。いつもの単発の時とは違って、回る輪の外側に新しい輪が一つまた一つと生まれ、天球儀は二重三重に膨らんでいった。駆動音が低い唸りから甲高い響きへと音程を上げ、星空の端から端までが細かく震える。
夜空の十か所が同時に瞬いて、十の星が一斉に尾を引き始めた。
星は一つずつ、天球儀の中心へ吸い込まれていく。一つ目は青。二つ目も青で、三つ目から五つ目までの尾も、次々に青いまま中心へ消えた。六つ目から九つ目も、見慣れた青だった。
最後の一つだけが、まだ空の高い所に残っている。
金、金、金。結人は声に出さずに、唇だけで唱えた。昇格して、虹になってくれたら。そこまで願うのは欲張りだと分かっていても、願わずにはいられない。
最後の星は他の九つより遅れて落ちてきた。その尾が、途中で揺らぐ。青い尾が根元から眩しい金色に塗り替わっていった。
「金だ!」
声が出た。思わず岩から立ち上がりかけて、結人は慌てて座り直す。隣で、榊が「おい、どうした」と身を乗り出す気配がした。
金色の星が天球儀の中心へ吸い込まれると、膨らんだ輪が一斉に弾けて、十本の光の柱が立ち上がった。九本は青白く、一本だけが金色に燃えている。その金の柱の中から、カードがせり上がってきた。裏面の星座模様が、ゆっくりと一回転する。
キャラクターだったら、と結人は思った。ゲームで一度も引けなかった十連なら、それくらいの奇跡が起きてもいい気がした。
カードが表を返す。
金色の枠の中に描かれていたのは、一振りの片手剣だった。
立ち絵が画面いっぱいに広がることはなく、名前の帯も出ない。結人の肩から、すとんと力が抜けた。
「キャラじゃなかった‥‥」
「何が出たんだ」
「剣。剣が一本」
榊に答える自分の声は、思っていたよりずっと沈んでいた。★4以上が一つ確定するとは分かっていたはずなのに、心のどこかで、キャラクターが出ると決めつけていたのだ。
溜め息をついて、結人はもう一度カードに目を戻した。
刀身の芯に、消えかけた炭火の色をした赤い筋が一本、真っ直ぐに通っている。柄に巻かれた革は、誰かの手の形に擦り減っていた。台座の星が四つ、順に灯る。
『★4 残り火の剣』 『効果:火属性の付与を受けると刀身に熱を蓄える。付与が途切れた後も、しばらく燃え続ける』 『火を絶やすな。夜はまだ長い』
効果の欄を結人はもう一度読んだ。
いつもの剣は、火をまとわせても、熱を流すのをやめれば直ぐに消えてしまう。
でもこの剣なら。
「これ、リーゼの剣だ」
呟いた途端、体の内側がかっと熱くなった。
いつもの、くすぐったいような温かさとは違う。何かが内側で跳ねて、早く早くと急かしてくる。言葉ではないのに、リーゼが目を輝かせて身を乗り出しているのが分かった。
残りの九枚のカードを、結人は一枚ずつ確かめるのももどかしく流し見た。巻いた包帯に、小さな針と糸の束、それから。
『★3 鍋の蓋』
「また鍋の蓋!」
思わず声を上げると、榊が「鍋?」と怪訝そうに聞き返した。笑いを堪えながら次のカードをめくると、ようやく少しは役に立ちそうな品が出てくる。
『★3 砥石』 『効果:刃の切れ味を整える』 『研ぎすぎには、ご用心』
九枚を空いた枠に詰め込むと、インベントリはほとんど一杯になった。結人は枠の中から金色の縁取りの絵を選んでから、いつもの剣から手を離した。いつもの剣は、地面に落ちる前に淡い光の粒になって消える。変身と一緒に現れる剣は、手を離せば引っ込んでいてくれるらしい。
右手に、ずしりと重みが落ちてくる。
目を開けると、手の中に、絵と同じ剣があった。いつもの剣より指一本分ほど刃が長く、鈍い鋼色の刀身の芯で、赤い筋だけが苔の光の中にかすかに脈打っている。擦り減った柄の革は、握り直すうちにリーゼの手に馴染んでいった。
振ってみたいという気持ちが、リーゼの方から溢れてきた。
結人はそれに任せて、岩から跳ね降りた。一歩踏み込んで剣を横に払い、返す刃で斜めに斬り上げる。手首を返して、もう一度。リーゼの足が軽やかに地面を刻み、風を切る音が洞窟に高く響く。最後に切っ先を天井へ向けて止めた時には、結人が笑うより先に、リーゼの頬が笑っていた。
榊が呆れた顔で立ち上がった。
「おい。その剣どっから出した」
「ガチャ!」
「ガチャってのは、剣まで出てくるもんなのか?」
榊はしばらく黙って剣を眺めてから、眉を寄せた。
「前から妙だとは思ってたんだ。聞かずにいたがな。お前が物置の陰で出した水筒や火打ち石も、そうやって出てきたのか」
「うん。鍋の蓋も!」
榊は額に手を当てて、長い溜め息をついた。
* * *
奥へ向かう途中の岩場で、岩鼠の群れが道を塞いだ。
苔の光の縁に並んだ赤い目は、十を越えている。その後ろには、一回り大きな影が一つ、重い足音を響かせていた。
結人は足元の地面を見下ろした。湿った岩と苔ばかりで、あの洞の灰色の粉はどこにもない。
「榊さん。試していい?」
「でかいのが居る。危ないと思ったら直ぐに下がれよ」
榊が手斧を構えて半歩横へ退くのを待ってから、結人は前へ出た。
熱を右腕へ流すと、刃に火が移った途端に芯の赤い筋が一気に明るさを増した。炎は刀身の表を舐めるだけでなく、赤い筋の中へ吸い込まれていく。剣そのものが、炉から出したばかりの鉄の色に、内側から光り始めた。
結人は熱を流すのをやめた。
剣は燃え続けていた。
刀身の芯が炎を内側から吐き出し続けている。その代わり、柄を握る手のひらがじわじわと熱い。
跳びかかってきた先頭の一匹を横薙ぎに斬り払うと、炎の弧が二匹目の鼻先を焼く。怯んだ三匹目の脇を駆け抜けざまに燃える刃で叩き落とし、左から来た一匹は盾で弾いた。右から同時に来た二匹は、一歩下がって一振りでまとめて払う。斬るたびに、刃の通った跡に橙色の火の粉が尾を引いた。
群れの後ろから、大きな岩鼠が突っ込んできた。
結人は盾で受け止めた。重い。盾の縁が軋み、踵が後ろへ滑る。燃える剣で胴を払おうとすると、岩鼠は身を捩ってかわし、黄ばんだ前歯で刃の根元に噛みついた。剣ごと腕を持っていかれそうになる。
剣は、それでも燃えていた。
噛みついた前歯の間から、炎が岩鼠の口の中へ流れ込む。岩鼠が悲鳴を上げて剣を放した瞬間、結人は『緋纏い』の炎を刃に重ねた。燃え続ける刀身を緋色の炎がさらに包み込み、剣は一本の火柱になって燃え上がる。
踏み込んで首筋へ叩き込んだ。
炎が、岩鼠の背を一息に駆け抜ける。大きな体は数歩よろめいて、焦げた毛皮から煙を上げながら崩れ落ちた。
最後の一匹が動かなくなった後も刀身の炎はしばらく燃え続け、それから細くなって、ふっと消えた。消えた後の刃は、まだ熱を持って赤く光っている。
結人は、汗ばんだ手のひらを握り直した。火が勝手に続くこの剣は、あの灰色の粉の積もった洞では、かえって危ない。使う場所は、選ばなければならない。
「火の魔法を維持しながら、あの数を捌いたのか」
腕を組んで見ていた榊が、消えたばかりの刀身に目をやった。
「人前で振るなよ。そんな剣、探索者の間でもまず見ねえ。見せたら最後、どこで手に入れたって根掘り葉掘り聞かれるぞ」
「うん。人の居ない所でだけ使う」
榊は何か言いかけて口を閉じ、それから口の端を片方だけ持ち上げた。
「まあ、いい剣だ。大事にしろ」
この頃には結人は、霞ヶ丘で宮原や鷹野に会っていたことも、帰り道に榊へ話すようになっていた。
帰りに覗いた奥の空洞は、相変わらず鉄臭かった。先週より、心持ち匂いが濃い気がする。結人がそう言うと、榊は黙って頷き、胸ポケットの帳面に何かを書き付けた。その横顔は、上からの返事を聞かせてくれた夜と同じくらい硬かった。
塀の扉の手前で、結人は残り火の剣をインベントリに仕舞った。手を離す前に、まだ温かい柄の革の窪みを、親指でなぞる。
扉を開けた榊が、思い出したように振り返った。
「そういや、来月から学校だったな」
「うん」
「入学したら、討伐の晩はもう少し早く帰すからな。学校で居眠りなんかしたら、承知しねえぞ」
結人はくすりと笑って、まだ柄の温かさが残っている右手を、そっと握りしめた。




