第22話 成長
金曜の夜、結人は消灯から一時間が過ぎるのを、布団の中で待っていた。
榊に貰った銀色の笛は、インベントリの枠に仕舞ってある。掛け布団を頭まで被ると、翔の寝息が壁の方から規則正しく聞こえてきた。水曜の夜からずっとこの時を待っていたのだ。
「変身」
囁いた途端、体の芯に熱が灯った。伸びた脚が掛け布団の端からはみ出し、リーゼの耳に部屋の寝息が一段大きく届く。
その瞬間、閉じた瞼の裏が真昼のように明るくなった。
『スキルの熟練度が一定数に達しました ステラヒーローのスキルレベルが上がりました』
『新しい機能が解放されました ・ステータスの詳細表示 ・デイリーミッション ・DPショップ ・固有スキル枠の追加 ・固有スキルの消耗軽減 』
星空の画面いっぱいに、金色の文字が並んでいる。結人は掛け布団の中で息を止めた。
スキルレベルが上がった。ゲームのステラヒーローでも、キャラクターは使えば使うほどレベルが上がった。病院の窓から初めて抜け出した夜から、結人はもう何十回も変身している。その一回一回が、スキルの熟練度として、ちゃんと積み上がっていたのだ。
叫びそうになって、結人は自分の口を両手で塞いだ。それでも喉の奥から声にならない声が漏れる。掛け布団の中でリーゼの脚が勝手に跳ね、敷布団を三回蹴った。
「ん‥」
翔が寝返りを打った。口を塞いだまま石のように動きを止め、寝息が元の調子に戻るのを待ってから、結人はようやく手を離す。
一つ一つ、全部開いてみたい。けれど、外に居られる時間は、もう動き始めていた。結人は名残惜しく画面を閉じて、窓の鍵を外した。
* * *
塀の扉の内側で待っていた榊は、結人の顔を見るなり目を細めた。
「どうした。嬉しいことでもあったのか?」
「うん! あとで話すねっ!」
言い返した声が、自分でも分かるほど弾んでいた。頬が勝手に緩んで、どうやっても元に戻らない。榊は「そうか」と口元を緩め、手斧を担ぎ直して裂け目をくぐった。
石灰の線が残る最初の曲がり角を過ぎたところで、結人はとうとう我慢できなくなった。
「榊さん! ちょっとだけ待ってて! 本当に、ちょっとだけ!」
「ん? ああ、いいぞ」
榊は手斧の柄を地面に突いて、近くの岩に腰を下ろした。結人は岩に背中を預けて目を閉じ、瞼の裏で、真っ先に『ステータスの詳細表示』を開いた。
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【名 前】神楽 結人
【変身中】リーゼ
【レベル】1
結 人 リーゼ
【体 力】 F → B
【筋 力】 F → B
【敏 捷】 E → A
【魔 力】 B → B
【スキル】 片手剣術/盾術/火魔法
【固有スキル】 緋走り/緋纏
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「すごい! 敏捷がAだよ!」
思わず声が出た。
ゲームのステラヒーローでも、キャラクターの能力の画面を眺めるのが大好きだった。英字が並んでいるだけで、そのキャラクターがどれだけ強いのかが分かる。岩壁を二歩で駆け上がれたのも、きっとこのAのおかげだ。
結人の列に目を移すと唇が尖った。
自分の欄には、FとEばかりが並んでいる。分かってはいたけれど、こうして字で見せられると、やっぱり悔しい。ただ一番下の行だけは、二つの列に同じ字が並んでいた。結人の体で、リーゼに負けていない所が一つだけある。
結人がその一行を何度も見返していると、体の内側が柔らかく温もった。言葉ではないのに、「あんた、やるね」とリーゼに褒められた気がした。
固有スキルの欄では、見慣れた『緋走り』の隣に、知らない名前が増えていた。固有スキルの枠が一つ増えて、そこにこの技が入ったのだ。読んだだけで、右腕の奥が熱を持った。
一番上の【レベル】は、1のままだった。上がったのはスキルのレベルの方で、結人自身のレベルではないらしい。
そういえば、と結人は目を開けた。岩に腰掛けた榊は、手斧の柄に顎を載せて、退屈そうに洞窟の奥を眺めている。
「ねえ、榊さん。榊さんのレベルって、いくつ?」
「レベル? 何の話だ?」
榊が眉を上げた。
「うん。あたしは、まだ1なんだ。榊さんは強いから、きっとすごく高いよね? 十とか、二十とか!」
榊は答えずに、困ったように頭を掻いた。それから、結人の顔をまじまじと見た。
「ゲームじゃないんだから人間に、レベルなんてもんはねえよ」
「え?」
「探索者にはスキルがある。剣を振り続けりゃ剣のスキルが育つし、魔物を狩り続けりゃ体もそれなりに強くなる。けどな、強さが数字や字で見えるなんて話は、聞いたことがねえ」
結人は自分の手を見下ろした。瞼を閉じれば、今もあの一覧が浮かぶ。
「じゃあ、みんなは自分の強さが見えないの?」
「ああ、見えねえ。だから探索者は、怪我をして、しくじって、自分がどこまでやれるかを体で覚えるんだ」
榊はそこで言葉を切り、声を落とした。
「‥もしかして、お前には見えるのか?」
結人は小さく頷いた。
榊は長い息を吐いて、いつもの声に戻った。
「だったら、そのことも誰にも言うな。俺以外にはな。それと、数字が低くても気にすんな。俺の知ってる一番強かった奴も、最初は誰より弱かった」
「うん!」
結人は胸の中で、自分の列のFを思い出した。今は一番下でも、ここから上がっていけばいい。そう思うと、悔しさが少しだけ、楽しみに変わった。
画面を切り替えて『デイリーミッション』を開くと、目の前に五つの行が現れた。
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デイリーミッション(報酬:各20DP)
・魔物を5体討伐 0/5
・魔物を10体討伐 0/10
・魔石を3つ回収 0/3
・ダンジョンに30分滞在 0/30
・魔石を直接浄化して1体討伐 0/1
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ミッションをこなしてDPを貯め、隣の『DPショップ』で品物と交換する。ゲームと同じ仕組みだ。結人は急いで、ショップの画面を開いた。
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DPショップ
・ガチャチケット 100DP
・インベントリの枠の拡張 500DP
・フレンドガチャのアイテムの売却
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息が止まった。
ミッションを全部こなせば、毎日ガチャチケットが一枚貰える。チケット一枚で、ガチャが一回引ける。ゲームのステラヒーローでも、毎日一回だけは無料でガチャが引けた。お金のない結人は、その一回だけを楽しみに眠っていた。それと同じことが、この体でもできるのだ。
毎日、ガチャが一回引ける。
「――やったぁっ!」
気がつくと、結人は岩から跳ね起きて、両手を突き上げていた。リーゼの体は勢い余って天井近くまで跳び上がり、着地した拍子に、手近な小石をつま先で蹴飛ばす。
「おわっ」
飛んできた小石を首を傾けて避けた榊が、腰を浮かせて声を上げた。
「何だ、何があった。大丈夫か」
「大丈夫! 聞いてっ! ガチャが毎日引けるようになったんだよ!」
「ガチャ? 何だ、そりゃ」
何をどう説明すればいいのか分からなくて、結人は嬉しさに任せて、その場で何度も跳ねた。榊は目を瞬かせていたが、やがて髭の生えた口元をほころばせた。
「よく分からんが、そうか。よかったな」
榊は理由を聞かずに、結人が跳ね終わるまで黙って見ていた。
* * *
第一層の奥、岩壁に黒い焼け跡が残る広い場所の手前で、岩を掻く音が重なり合っていた。
苔の光の縁に灯る赤い目は、水曜の夜よりさらに多く、十を越えてまだ増え続けている。
「水曜より増えてやがるな」
榊の声が低くなり、手斧が肩から下りた。
「結人。無理だと思ったら、直ぐに俺の後ろに来い。いいな」
「うん。でも、大丈夫だから見てて!」
盾を構え、剣に火をまとわせる時と同じように、熱を右腕へ流そうとする。その時、視界の隅に、新しい技の名前が浮かんだ。
『緋纏い』
名前を読み終える前に、胸の火が両腕へ流れ込んだ。
剣の根元から切っ先までを橙色の炎が包み込み、左腕の円盾でも、焼き付けてある炎の紋様の上に本物の炎が燃え上がる。火は剣と盾の表に貼りついたまま、いつまでも消えなかった。
先頭の三匹が、同時に跳んだ。
結人は燃える盾を真正面から叩きつけた。ぶつかった岩鼠の灰色の毛に、炎が一瞬で燃え移る。悲鳴を上げて転がった一匹が隣の一匹にぶつかり、その毛にも火が移った。返す剣で三匹目を薙ぐと、刃の通った跡に橙色の弧が残る。
左から来た一匹を盾の縁で弾き上げ、宙に浮いた胴を剣で払う。右の一匹は、跳びかかってきたところを燃える盾ごと岩壁へ押しつけた。
視界の隅で何かの文字が瞬いたが、読んでいる暇はない。受けるたびに火が移り、斬るたびに炎が尾を引く。洞窟の暗がりは結人を中心にして赤く塗り替えられ、岩壁に映ったリーゼの影が、炎と一緒に大きく揺れていた。
最後の一匹を盾で叩き落とした時、鼻の奥を、鉄臭さが刺した。
焼け跡の向こうの暗がりから、岩を掻く音が、もう一度湧き上がってくる。今度は、さっきよりずっと多い。
「奥からも来やがるぞ」
榊が結人の隣に並んだ。手斧の刃が、苔の光を鋭く撥ね返す。
「結人、俺の後ろに来い!」
「榊さんの後ろは、あたしが見る! 一人じゃないんだから!」
榊は一瞬だけ目を丸くし、それから苦笑いして、結人と背中を合わせた。
「生意気言いやがって」
奥の暗がりから、灰色の波が溢れ出した。
先頭の何匹かが、横から榊に跳びかかる。榊は振り向きもせずに手斧を一閃させ、二匹をまとめて岩壁へ叩きつけた。その横を抜けようとした一匹を、結人の盾が焼き払う。
次の瞬間、盾の下を潜った一匹が、結人の左の籠手に食らいついた。牙が革に深く食い込み、骨まで響く力で腕が締め上げられる。
「くっ!」
振り払うより早く、榊の手斧の柄が岩鼠の頭を叩き落とした。
「大丈夫か!」
「平気平気! ありがと!」
「足元にも気をつけろ。あいつら、低い所から来るぞ」
痺れの残る腕に、力を込め直す。背中合わせになった二人の周りを、赤い目が取り囲んでいた。
数が多すぎて、一匹ずつ斬っていてはいつまでも終わらない。
結人は榊の前へ一歩出て、剣を腰の脇に寝かせた。刃の炎が細く圧し縮められ、芯の色が緋に変わる。
『緋走り』
振り抜いた切っ先から、緋色の三日月が走った。
炎の弧は灰色の波の真ん中を薙ぎ払い、群れを二つに裂いて、奥の岩肌に新しい焼け跡を残した。焼かれた岩鼠が次々に転がり、炎の明かりが洞窟の奥まで一瞬だけ照らし出す。
結人は息を整えて、胸の真ん中に手を当てた。
陽向を助けたあの夜は、この技を撃った後、変身が解けかけるほど胸の火が細くなった。今は、胸の火は撃つ前と殆ど変わらずに燃えている。
「これなら、もう一回撃てる」
残った群れが、裂けた両側から押し寄せてくる。結人は剣を引き直した。
『緋走り』
二度目の三日月が、残りの群れを呑み込んだ。
炎が消えた後、洞窟に動くものはなかった。焼け焦げた匂いの中で、視界の隅に、さっき読めなかった文字がまとめて浮かぶ。
『デイリーミッション達成:魔物を5体討伐』 『デイリーミッション達成:魔物を10体討伐』
文字が浮かぶたびに、結人の頬が緩んだ。
振り返ると、榊は焼け跡だらけの岩壁を見上げて、額に手を当てていた。
「こりゃ、俺が火でも吹いたことにするしかねえな」
ぼやいた榊は、それでも結人の頭の上へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。代わりに、手斧の柄で自分の肩を叩く。
「助かった。今のは、俺一人じゃ手が足りなかった。それより、腕は本当に平気か?」
「うん。噛まれたのは、籠手だけだから」
榊は結人の左腕を確かめるように眺めてから、ようやく肩の力を抜いた。
* * *
倒した岩鼠から魔石を抜いている間に、回収と三十分の滞在のミッションが、続けて達成の文字を浮かべた。残っているのは、一番下の一つだけだ。
『魔石を直接浄化して1体討伐 0/1』
魔石を直接、浄化する。何のことなのか、結人にはさっぱり分からない。
塀の扉の内側で、榊が自分の分の三つの魔石を摘まみ上げた時、結人は思い切って尋ねてみた。外に居られる時間は、もう残り少ない。
「ねえ、榊さん。魔石を『浄化』するって、どういうこと?」
榊の手が、一瞬止まった。
「昔、似たようなことをやってた奴が居た。次の討伐の時に、教えてやる。今夜はもう時間がねえだろ。早く戻って、温かくして寝ろ」
* * *
布団に潜り込むのと同時に熱が途切れ、結人は六歳の体に戻った。
眠る前に、もう一度だけ画面を開く。
『DP:80』
あと20DPで、ガチャチケットが一枚貰える。残っているミッションを一つ終えれば、ガチャが一回引けるのだ。
結人は暗い天井を見上げて、榊の言った「浄化」という言葉を、何度も口の中で繰り返した。




