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ステラヒーローズ  作者: えいえい
第一章 幼少期編

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第19話 告白

 次の日、結人は熱を出した。冬の夜に裸足で外へ出たせいだと職員たちは言った。陽向はあの夜のうちに、職員に付き添われてギルド指定病院へ運ばれ、そのまま魔素の検査を受けているという。


 昼過ぎ、部屋の戸が小さく叩かれた。


 布団から顔を出すと戸口に榊が立っていた。その脇には年配の男の職員が一人付いていて、「長くならないようにお願いしますね」と言い置くと、廊下の端の方へ下がっていく。榊は中に入ってこないまま、大きな体を戸枠に押し込み、その木を指で落ち着きなく叩いていた。


 結人は掛け布団を顎の下まで引き上げた。


 ゆうべのことは夢ではない。この人は全部を見た上で、何も言わずに結人を抱えて施設まで運んだ。けれど一晩経って、大人がどう考えを変えたのかは分からない。


 ギルドに報告されるのかもしれない。どこか知らない場所へ連れていかれて、調べられるのかもしれない。リーゼのことも、スキルのことも、全部取り上げられるのかもしれない。


 榊の方も、何か言いかけてはやめるばかりで、なかなか口を開かなかった。戸枠を叩く指の音だけが、静かな部屋に続いている。


「具合はどうだ?‥‥熱、出たんだってな」


 結人は布団の端を握りしめた。


「僕、どこかに連れていかれるの‥‥?」


 戸枠を叩いていた榊の指が、そこで止まった。


「‥?どうしてだ?」


「だって見たでしょ。僕が‥変身したの‥‥」


 長いこと黙り込んでいた榊は、やがて戸枠から体を離して部屋の中へ一歩だけ入り、そこで床に腰を下ろした。そこが、結人の布団から一番遠い場所だった。


「大丈夫だ。誰にも言っていないし、どこかに連れていかれる事もない」


「正直に言うとな、俺もまだ頭が追いついてない。ゆうべは一睡もできなかった。‥けど、約束は約束だ。これからも誰にも言わない。あの姿のことは今はいい。お前が話す気になるまで俺が預かっとく」


 結人は布団の中で、詰めていた息をゆっくりと吐いた。


 榊は両手を体の前で組み、しばらく間を置いてから続けた。


「話せることだけでいい。ゆうべ、お前は何を見た?」


 結人は天井の雨漏りの染みを見上げた。チクったらお前のせいにする、大人はみんなそっちを信じる。暗がりで聞いた大河の声がまだ耳の奥に残っている。


 それでも結人は口を開いた。


「夕方、陽向ちゃんがダンジョンって怖いかって聞いてきたの。ご飯の時に大河くんが陽向ちゃんに、何かこそこそ言ってた」


 言葉がつかえても、榊は何も言わずに続きを待っている。


「夜に起きたら、大河くんが窓から帰ってきた。一人で。靴下が泥だらけで、それを布団の下に隠してたんだ。陽向ちゃんはって聞いたら、知らねえって。勝手についてきたって。チクったらお前のせいにするって」


 一度言葉が出始めると、もう止まらなかった。


「僕の時も同じだったの。スマホをダンジョンに隠されて。取ってこいって、窓から跳べって。跳べなかったらもっと遊んでやるって。僕、落ちて、足が折れて。大河くん、窓から見てて、笑って、閉めたの。‥‥誰にも言えなかった」


 最後の方は殆ど言葉にならず、結人は掛け布団に顔を押しつけて、声を上げて泣いた。


 榊は動かなかった。組んだ両手は白くなるほど握りしめられ、顔は壁の方へ背けられている。広い肩が、二度三度と大きく上下した。


「そうか‥‥」


 長い沈黙の後で、榊はもう一度口を開いた。


「あの夜にお前を運び出した後、俺も奥の空洞までは覗いたんだ。岩の山にしか見えなかった。あの時に気づいてりゃ、陽向をあんな目に遭わせずに済んだ」


 榊は組んだ両手を見下ろしたまま、しばらく顔を上げなかった。


「よく話してくれた」


 袖で乱暴に顔を拭ってから結人の方へ向き直った榊の目の縁は、赤くなっていた。


「ここから先は大人の仕事だ。今度は俺がやる」


 それから榊は、上着のポケットからハンカチに包んだ握り拳ほどの塊を取り出した。床に手をついて身を乗り出し、結人の布団の端にそれをそっと置く。


 ハンカチの端がめくれると、黒ずんだ魔石が覗く。濁った灰色の奥に白い筋が幾本も走っている。


「これもあそこで拾った。お前のもんだ」


 入院していた病室で、割れたスマートフォンと岩鼠の魔石を返された日と、同じ言葉だった。


「あの後、一人で戻って抜いてきた。ギルドには割れて使い物にならなかったって言ってある。誰にも見せるなよ」


 結人は布団から手を伸ばし魔石を両手で包んだ。冷たくて重い。あの空洞で陽向の前に立ちはだかった巨体の重さが、そのまま手のひらに残っている気がした。


「結人」


 榊が初めて真っ直ぐに結人の目を見た。


「お前はよく頑張った。あの子を守ったのは、お前だ」


 結人は魔石を両手で抱え込んだまま何度も頷いた。


   * * *


 その日の夕方、大河は職員に呼ばれ別の車で同じ病院へ検査に連れていかれた。夜には戻ってきたが、部屋には帰されず、宿直室で寝かされることになった。


 熱でうとうとしている間にも、廊下からは職員たちの立ち話が切れ切れに聞こえてくる。大河の布団の下からは、乾いた泥のこびりついた靴下が見つかったという。病院の検査でも、大河には陽向と同じくらい高い魔素の数値が出たらしい。


 翔は職員に問い詰められると泣き出し、大河が前の日から「あいつにもスキルをくれてやる」と話していたことを打ち明けたそうだ。陽向は病院で優しく尋ねられても、大河の名前と「おんぶ」という言葉を口にしただけで泣き出してしまい、それ以上は誰も聞かなかったという。


 空洞へ抜ける隙間道の出口では、宿直室から消えていた懐中電灯も見つかった。


 奥の空洞の巨大な岩鼠は、警報で駆けつけた榊が一人で仕留めたことになっていた。榊の報告によれば、駆けつける前から中で何かが暴れていて、陽向を連れ出した後に一人で戻った時にはもう手負いだったらしい。


 抜こうとした石は割れて使い物にならず、死骸は砂になって崩れた。残ったのは焦げた岩の板の欠片と、隙間道の出口の傷だけだという。


 深い層もない小さなダンジョンの奥で、何年も誰も狩りに入らないまま魔素が溜まり、あんなものが生まれたのだろう。職員たちは声をひそめてそう話し、ギルドの上の方からは外で話すなと言い渡されたのだと囁き合っていた。


 院長は一日じゅう院長室に籠もり、ワイドショーの音は聞こえてこなかった。


 その夜、廊下で「怪我しないようにね」と言ったあの職員が、結人の部屋に粥の盆を運んできた。


 職員は布団の脇に盆を置いた後も直ぐには立ち上がらず、湯気の立つ椀を見下ろしたまま、エプロンの裾を指で何度も折っては伸ばしている。


「ごめんね‥‥」


 やっと聞こえた声は、ひどく小さかった。


「榊さんから聞いたの。大河くんたちが結人くんに何をしてたか。あの時の廊下で。見てたのに、先生は何もしなかった。ただの遊びだって、思うことにしてた」


 結人は返事ができなかった。この人があの夕方のことを覚えていたのだと、それだけが分かる。


 職員はそれ以上は何も言わずに目を伏せて部屋を出ていった。粥は塩が足りなかったが、結人は最後まで残さずに食べた。


 二日後の朝、施設の前に止まった車から、児童相談所の名札を下げた女の人と男の職員が降りてくる。


 結人は、階段の踊り場から玄関を見下ろす。


 二人に挟まれて宿直室から玄関へ連れてこられた大河は、職員の手を振り払って叫んだ。


「俺は悪くねえ! あいつが勝手についてきたんだ! 中にあんなのが居るなんて、知らなかったんだよっ!」


 誰に向けた言葉でもない叫びだった。大河は最後まで陽向の名前を呼ばず、謝る言葉も口にしないまま、車の後部座席に押し込まれていった。


 結人は目を逸らさず、笑いも俯きもせずに、その背中を見送った。


 ドアの閉まる重い音がして、車は塀に沿って走り去っていく。大河は児童相談所の一時保護所に入るのだと、あとで職員から聞いた。もうこの施設には戻ってこないだろうとも。


   * * *


 大河の車が見えなくなった日の夕方、検査を終えて戻った陽向が、結人の部屋の戸口から顔を覗かせた。


「ゆいとにいちゃん、おねつもうさがったの?」


「うん。陽向ちゃんは、もう平気?」


 小さく頷いた陽向は、それから内緒話の声になる。


「あのね。中に入ったとき、あたまの中でだれかがなにかしゃべってたの。あれってなんだったのかなぁ?」


 結人の息が止まった。


 あの夜、痛みの中で最後に聞こえた声と同じ声なのかもしれない。陽向は何かを貰ったのだ。


「それとね。オレンジのかみのおねえちゃんが、たすけてくれたの。せんせいに言ったらゆめだよって言われたけど、ゆめじゃないもん」


 陽向は心配そうに首を傾げる。


「オレンジのおねえちゃん、また来る?」


 結人はしばらく考えてから言葉を選んで答えた。


「‥きっと来るよ。陽向ちゃんが困ってたら」


 陽向は満足したように笑い、小走りに自分の部屋へ戻っていった。


 その夜、ドアの横の布団は職員の手で押し入れの奥へ仕舞われていた。翔は壁の方を向いて丸くなり、年下の男の子の寝息だけが規則正しく続いている。


 大河はもうこの部屋には戻ってこないのかもしれない。廊下の足音に耳を澄ませる必要も、布団の擦れる音で目を覚ます必要もない。部屋は静かすぎてなかなか寝つけなかった。


 結人は掛け布団の中でスキルの画面を開いてみる。濃い紺色の地に金の線の枠。『FP』の欄の下にあるフレンドの一覧の一番上には『鷹野』の名前がある。


 その下に新しい名前が一つ増えていた。


『榊』


「これって、榊さんとも仲良くなれたってことなのかな‥‥?そうだったらいいな‥‥」


 声に出してから結人は慌てて掛け布団を頭まで引き上げた。その名前を口に出して呼んだのはこれが初めてだった。

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