第10話 星の値段
昼の病室で、結人は掛け布団の下に潜り込んだまま、指を折って数を数えていた。
インベントリの枠には、まだ売っていない岩鼠と苔の魔物の石が五つ入っている。時計を買った後に窓口の画面で見た探索者証の額は、その後に売った分を足しても、まだ二千円に届いていなかった。
引き出しの奥には、榊が届けてくれた石がもう一つある。半分ほど白く染まったあの石だけが、ほかの石と色が違う。どうしてなのかは分からないが、あれだけは売らずに取っておくと決めていた。
「何万円って、どのくらいなんだろう?」
仁科の言葉を思い出して呟くと、ちょうど昼食の盆を持って入ってきた仁科が、首を傾げた。
「何か数えてるの? さっきから指が動いてるけど」
「お金。貯めてるの」
「あら。お小遣いの計算? 偉いね」
笑いながら盆をテーブルに置く仁科の横顔を、結人は布団から目だけを出して見上げた。
「ねえ。ガチャって、知ってる?」
「ガチャ? ガチャガチャのこと? スーパーの出口にあるやつ」
「ゲームの方。スマホで引くやつ」
「ああ、スマホの。うちの息子がやってるわ。課金しすぎて困ってるの」
仁科は肩をすくめて、スープの蓋を開けた。
「当たるまで引きたくなっちゃうんだって。気持ちは分かるけど、ほどほどにね」
当たるまで、と頭の中で繰り返す。スキルのガチャも魔石さえあれば引けるが、石をガチャに使えば、その分だけ修理のお金が遠のいてしまう。美咲に貰ったスマートフォンを直すのが先だと、結人はもう決めていた。
* * *
その夜の帰り道、結人は二十四時間営業の店に寄った。
変身する前に、引き出しから出した美咲のスマートフォンをインベントリに仕舞っておいたのだ。同じ種類の石は一つの枠にまとまるらしく、足りない分は空の缶を引き出しに戻して空けてある。
店の奥のカウンターでスマートフォンを取り出すと、ひび割れた画面が蛍光灯の光を細かく撥ね返した。修理の札の下には、眼鏡を掛けた中年の男が居た。男は手袋をはめた指でスマートフォンを持ち上げ、裏返して角のへこみを確かめる。
「随分古い型だね。画面と、多分中の基板もやられてる。直すなら……三万円前後かな。部品を取り寄せるから、何日か掛かるよ」
直りますか、と結人は聞きたかった。けれど男の手袋の指を見ているうちに、返事の言葉がどこかへ行ってしまう。
「ゲームのデータは消えない?」
やっと押し出した声は、自分で思っていたよりずっと小さかった。
「開けてみないと分からないな。基板が無事なら、大抵残ってる。今日、預けていく?」
結人は首を横に振り、スマートフォンを受け取ってインベントリに戻した。三万円。仁科の言った「何万円」が、ようやく数字になった。
それでも、今夜はもう一つ買う物があった。灯りくらい持てと鷹野に言われ、剣より先にまず灯りだと仁科にも言われている。灯り、今度買う。鷹野にそう答えたのは、もう何日も前のことだ。前の夜の帰りに窓口で千円だけ引き出し、その札もインベントリの枠に仕舞ってある。
灯りの並んだ棚の前で値札を見比べると、探索者向けの頑丈そうな灯りは、どれも桁が一つ違った。一番下の段の隅に吊るしてあった電池付き九百八十円の懐中電灯は、点けてみると、細くて頼りない光で床に小さな丸を作った。
三万円から九百八十円を引く計算はできなかったが、これでいい、と結人は思った。灯りはガチャガチャとは違って、なければ暗い下の層には降りられない物だ。
代金を払って懐中電灯をインベントリに仕舞い、出口へ向かう途中で、結人の足が止まった。
自動扉の脇に、ガチャガチャの機械が二台並んでいる。透明な窓の中には色とりどりのカプセルが詰まっていて、片方は小さな動物の人形、もう片方は探索者の武器を模した鍵飾りらしかった。値札には三百円とある。
施設の外出で行ったショッピングモールにも、同じような機械が並んでいた。転がり出たカプセルを両手で掲げて、両親と顔を寄せて笑っていた男の子を、結人は通路の端から見ていることしかできなかった。
今なら、回せる。窓口でもう少し引き出せば、三百円くらいは直ぐに作れるのだ。
取っ手に伸びかけた指を、結人はそっと握り込んだ。三百円は、三万円から見れば小さな数字だ。それでも、ここで一回回してしまえば、次の夜にはもう一回回したくなる気がした。
「直ってから。直ったら、一回だけ」
自分に言い聞かせるように口にしてしまうと、窓の中のカプセルが、前より少しだけ近くに見えた。
店を出ると、指先へ届く熱がもう戻りきらなくなっていた。病院の窓へ走りながら、結人は三万円と三百円を、何度も頭の中で並べ直した。
* * *
次の夜、結人は第一層の奥の、背の高い岩の柱の上に居た。
岩棚に腰を下ろして目を閉じると、星空の召喚画面が瞼の裏に広がる。石を使うつもりはなかった。
灰色にくすんだ『召喚』のボタンの隣に、同じ形のボタンがもう一つ並んでいた。『10連召喚』とあり、その下に小さな金色の文字が添えてある。
『10連召喚:★4以上のアイテム1つ以上確定』
十回まとめて引けば、金色の星が一つは必ず落ちてくるということだ。試しにインベントリの五つの石を全部選んでみても、『10連召喚』のボタンは灰色のままだった。
画面の隅には、『提供割合』と書かれた小さな枠もある。意識を向けると、数字の並んだ表が開いた。
『★5 1.0%』
『★4 9.0%』
『★3 90.0%』
その下にも、アイテムの名前と細かな数字が、目で追いきれないほど長く続いていた。どれがどのくらい出やすいかを書いた表らしい。けれど数字の読み方も、数字の後ろの丸が二つ斜めに並んだような記号も、結人には分からなかった。
「提供割合ってなんだろう…九十が一番大きいから……★3が一番いいってこと?」
自分で言っておきながら、結人は首を傾げた。★3の青は、ステラヒーローではいつも外れの色だ。何かを読み違えている気がしたまま、結人は表を閉じた。
画面を閉じかけて、隅の欄が淡く光っていることに気づいた。
病室で初めてこの画面を開いた夜には『FP:0P』だった欄が、『FP:60P』に変わっている。欄に意識を向けると、説明が表示された。
『フレンドポイント(FP):フレンドとの交流により獲得。フレンドガチャ1回につき100Pを消費』
『獲得条件(フレンド1人につき1日1回):挨拶 10P/会話 10P/アイテム贈与 30P/パーティー結成 50P』
『デイリーボーナス:上記すべての達成で100P(1日1回)』
『フレンド登録:友好関係にあり、使用者が信頼する対象を自動で登録』
ステラヒーローにも、似たような画面はあった。けれどあれは、申請のボタンをタップして相手が承認し、初めてフレンドになる仕組みだった。結人は一度も申請したことがないし、誰かから申請が届いたこともない。
『フレンド』の一覧を開くと、名前が一つだけ並んでいた。
『鷹野』
「え、何で?」
登録した覚えなんてない。ボタンをタップしたことも、申請を出したことも一度もない。それなのに、一覧の一番上にあの二文字がある。
結人は説明の最後の一行を読み返した。友好関係、という言葉の意味は頭に入る。仲がいい、ということだ。使用者というのは自分のことで、信頼するというのは、信じているということだ。
「信じてるの? 鷹野を? 話したことだって、ちょっとしかないのに」
声に出してみても、まるで実感がない。鷹野は槍を持った大人の男で、今でも少し怖い。交わした言葉といえば、灯りを持てとか印は帰る方に刻めとか、短いものばかりだ。ただ一度も近づいてこないし、石もナイフもココアも、結人の手に触れないように置いていってくれる。
60Pまで貯まっていたのは、そういう短い言葉を交わしていたからなのだろう。
宮原の名前も、蒼井の名前もない。どうして鷹野だけなのかをいくら考えても、答えは出てこなかった。ただ、ココアの缶を台に置いてくれた夜のことを思い出すと、胸の内側が少しだけむずがゆくなる。
施設には、友達と呼べる相手が一人も居なかった。話しかけられるのは遊ぼうと言われる時だけで、その遊びがどんなものかを、結人はよく知っている。
欄の隣では、これまで灰色だった『フレンドガチャ』のボタンが光っていた。角には、小さな赤い札が付いている。
『NEW 新規ガチャ:初回1回無料』
60Pでは、一回分の100Pに届かない。けれど挨拶をすれば10P、話をすれば10P、何かを渡せば30P、一緒に潜れば50P。全部揃えば、さらに100P。指を折って足していくうちに、結人は岩棚の上で身を乗り出していた。
「鷹野と話すだけで、ガチャが引けるんだ」
それに、最初の一回は無料だ。結人は背筋を伸ばし、フレンドガチャの『提供割合』も開いてみた。
こちらの表には、★3と★4しかなかった。下に並んだアイテムの名前を順に追ううちに、結人の眉が寄った。
『石ころ 効果:なし』
『見ての通りの石ころ。当たると痛い』
効果の欄の下に、小さな文字でもう一行が添えてある。雑草も紙切れも同じ調子の説明で、効果の欄はどれも『なし』だった。
「何これ。ゴミがたくさんある」
声に出すと、何だか可笑しくなった。それでも一覧を下まで追っていくと、ゴミのような名前の間に、探索者が普通に使いそうな道具もいくつか混じっていた。縄、水筒、小さな砥石。その中に一つ、結人の目を引く名前がある。
『導きのランタン 効果:所持者の霊素で発光。周囲が暗いほど光量が増加』
『迷ったなら、光の強いほうへ』
これだけは、効果の欄にちゃんとした説明があった。九百八十円の懐中電灯の、細くて頼りない光を思い出す。
「これ、出ないかな」
出なくてもいい、と結人は思い直した。どうせ無料なのだから、石ころでも、自分の手で回せるなら構わない。
息を止めて、ボタンをタップした。
星空の中央に、金色の細い線で組まれた天球儀が浮かび上がる。重なった輪がそれぞれ違う向きに回り出し、低い駆動音が音程を上げていく。ダンジョンの底で聞いた時と違って、後ろには草原を渡る風の音しかない。
夜空の一点が瞬き、星が一つ、尾を引いて落ち始めた。
尾の色は青だった。それでも結人は、光が収まりきるまで目を離さなかった。
落ちてくる途中で、星の尾が一度だけ、ちらりと金色に揺らいだ。
結人は思わず身を乗り出した。揺らいだ金色は、けれど直ぐに青へ戻り、そのまま天球儀の中心へ吸い込まれていく。澄んだ音を立てて輪が弾けるように開き、光の柱が立ち上がった。
柱の中から、裏面に星座模様を刻んだカードがせり上がる。模様が一回転して表を返すと、青みがかった銀色の簡素な枠の中に、灰色の丸いものが一つだけ描かれていた。台座の星が三つ、一つずつ灯る。
名前の帯には、『石ころ』とあった。
「嘘でしょ」
金色に揺らいだのは何だったのか。カードはそのまま小さく縮み、インベントリの空いた枠の一つに収まった。
絵に意識を向けると、掌に冷たい重みが落ちてくる。目を開けると、親指の先ほどの灰色の石が、手のひらの真ん中に載っていた。表面はざらついていて、端が一か所だけ欠けている。草原の地面を探せば、いくらでも転がっていそうな石だった。
見ての通りの石ころ。当たると痛い。
「本当に、ただの石だ」
握ってみると、欠けた角が手のひらに食い込んで、説明の通りに痛い。そう思った途端、結人の喉の奥から笑いが込み上げてきた。
「当たると痛いって、それだけ?」
ショッピングモールで見た男の子のカプセルに、何が入っていたのかは知らない。それでもあの子は、カプセルを両手で掲げて笑っていた。自分の手で回して、自分の手の中に何かが出てくる。それが石ころでも、ボタンをタップしてからカードが表を向くまでの数秒は、確かに結人のものだった。
「へへっ」
捨てる気にはなれなかった。結人は石をインベントリに戻し、代わりに懐中電灯を取り出して、柱の根元の岩の割れ目を照らしてみた。細い光の丸の中に、湿った岩肌がぼんやりと浮かぶ。暗がりの奥までは届かない。
* * *
「灯り、買ったのか」
下から声がして、結人は危うく岩棚から転げ落ちそうになった。
柱の根元に、鷹野が立っている。いつものように少し離れたところで槍を肩に担いだまま、結人ではなく、岩の割れ目に落ちた細い光の丸を見上げていた。
膝が固まりかけたが、鷹野がそこから一歩も近づいてこないと分かると、直ぐにほどけた。
「安物だな。ないよりはましだが」
鷹野はそれだけ言って口を閉じ、草原の奥の、下へ続く岩の裂け目の方へ目を向けた。
「明日、第二層まで降りる。灰狼は群れで来る。盾で前を受け止める奴が居れば、俺の槍が届きやすくなる。一人で降りるよりは、こっちも助かる」
パーティー結成、50P。さっき覚えたばかりの数字が、頭をよぎる。膝の奥にはまだ怖さが残っていたが、その数字に背中を押されるようにして、結人は口を開いた。
「いいの? ついてって」
「その灯りじゃ心もとないが、俺のと合わせれば足りる」
鷹野はそこで初めて、口の端を僅かに動かした。
「真夜中の一時半。この柱の下だ」
ぶっきらぼうな声だった。結人は懐中電灯を握りしめたまま、しばらく鷹野の横顔を見下ろしていたが、やがて小さく頷いた。




