第7話
「絶対に渡さない。あんたは、俺の家族だ」
人工的な熱が、俺の胸に伝わってくる。
大企業という強大な敵が、俺たちのささやかな日常を脅かし始めていた。
だが、もう逃げるつもりはない。結衣が残したこの絆を守り抜くために、俺は戦う覚悟を決めていた。
砂利を蹴散らして去っていった高級車のエンジン音が、遠くの通りへと消えていく。
薄暗い工場には、換気扇の低い唸り声と、金属同士が擦れ合うような微かな稼働音だけが残された。
「……お父さん?」
腕の中で、アカリが不安そうに俺を見上げてくる。その人工皮膚はわずかに震え、瞳のレンズが小刻みに収縮していた。
俺はゆっくりと腕を解き、彼女の頭に手を置いた。
「心配するな。あいつらには指一本触れさせない」
「はい……」
アカリはホッとしたように微笑み、俺の作業着の裾をぎゅっと握りしめて、上目遣いに訴えかけてきた。
その小さな手を見つめながら、俺はここ数週間のことを思い返していた。
結衣を事故で亡くし、絶望の中で無気力に生きていた俺。あの日、廃棄区画で泥まみれの旧式機を拾い、気まぐれに再起動させた。それがすべての始まりだった。
目覚めたこのポンコツは、いきなり俺を父親と呼び懐いてきた。困惑しながら製造記録を調べ、設計者に結衣の名前があり、呼称設定がそれのみに固定されていることに驚愕した。
そして、彼女にアカリと名付け、不器用な共同生活が幕を開けた。予期せぬ同居人の登場によって、俺の止まっていた時間は確実に再び動き出していたのだ。
アカリが俺の作業着を掴む力が、少しだけ強くなる。
「わたし、連れて行かれたくありません。ずっと、あなたのお手伝いをしていたいです」
「ああ、分かってる。お前はここにいていいんだ」
俺は短く答え、作業台の方へと歩き出した。
霧島が法的手続きをとると言った以上、時間は限られている。大企業の法務部が本気を出せば、こんな場末の修理工場などひとたまりもない。
あいつらが強引な手段に出る前に、アカリのAIコアに隠された結衣の意図を解明しなければならない。
「アカリ、少しの間だけ端末に繋がせてくれ」
「はい。わたし、何か悪いところがありますか?」
「いや、お前の体を守るための点検だ」
丸椅子に座ったアカリの後頭部にケーブルを差し込むと、彼女はくすぐったそうに肩をすくめた。
古いモニターの電源を入れると、膨大なログデータが緑色の文字列となって流れていく。
結衣が独自に設計した特殊仕様のAIコア。その深層には、厳重に暗号化された領域が存在している。
俺は直近の動作ログと、コアへのアクセス履歴を照合し始めた。
キーボードを叩く乾いた音が、静かな工場に響く。
アカリは大人しく座ったまま、興味深そうにモニターを見つめている。
「お父さん、数字がいっぱいですね」
「ああ。お前の頭の中身だ」
「わたしの頭の中……なんだか恥ずかしいです」
アカリが頬を押さえる仕草に、俺は小さく息を吐いた。
画面をスクロールさせながら、異常なプロセスがないかを探っていく。
ふと、奇妙な一致に気づいた。
アカリが掃除中に見せる、あの謎のリズムでの失敗行動。モップを三回押し出し、二回引き、一回止まる。その直後に必ず転ぶという、あのポンコツな挙動だ。
その動作ログのタイムスタンプが、暗号化領域へのアクセス試行のタイミングと完全に一致しているのだ。
「……なんだ、これは」
俺はモニターに顔を近づけた。
画面上の二つのタイムスタンプを指でなぞると、コンマ一秒の狂いもなく並んでいた。
偶然にしては出来すぎている。
俺は過去数日分のログを抽出し、グラフ化してみた。
見事に重なっている。アカリが特定のリズムで動くたびに、暗号化領域のゲートがわずかに反応を示しているのだ。
結衣は、なぜこんな回りくどい仕掛けを施したのか。
普通ならパスワード入力画面を用意すれば済む話だ。それをわざわざ、機体の物理的な動作と連動させている。
まるで、アカリが日常生活を送る中で、自然にロックが解除されるのを待っているかのように。
「お父さん? どうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
俺は首を振り、さらに深くログを掘り下げようとした。
◆ーーーー◆
考え込んでいると、工場の入り口がガラガラと音を立てて開いた。
「宗一さーん! 頼んでたドローンのモーター、どうなった?」
派手な柄シャツを着た辰巳が、のんきな声を上げて入ってくる。
その後ろからは、タッパーを抱えたトヨも顔を出した。
「ちょっと宗一ちゃん、また昼ご飯抜いてるんじゃないだろうね。お稲荷さん作ってきたから食べなさいよ」
張り詰めていた空気が、二人の登場で一気に緩む。
「……お前らな、今は取り込み中だ」
俺が渋い顔をすると、辰巳は気にする様子もなく作業台を覗き込んできた。
「まあまあ、休憩も大事でしょ。あ、アカリちゃん、元気?」
ケーブルを外されたアカリが、ぱっと表情を明るくして立ち上がった。
「辰巳さん、女将さん! いらっしゃいませ。すぐにお茶を淹れますね!」
アカリは小走りで給湯室へ向かう。
「おい、無理するな」
俺の制止も聞かず、アカリはお盆に湯呑みを三つ乗せて戻ってきた。
しかし、その足取りがまたしてもおかしい。
トン、トン、トン、と三歩進み、二歩下がり、ピタリと止まる。
「あ……っ!」
バランスを崩し、アカリは見事に前へのめり込んだ。
ガチャン、と派手な音を立てて湯呑みがひっくり返る。
熱いお茶が床に広がり、湯気が立ち上った。
「あわわ……ご、ごめんなさい! わたし、また失敗を……」
床に這いつくばり、涙目で破片を拾い集めようとするアカリ。
辰巳は腹を抱えて笑い出した。
「あはは! 相変わらずアカリちゃんは面白いなぁ。怪我はないか?」
トヨも呆れたように笑いながら、布巾を持って駆け寄る。
「もう、危ないから触るんじゃないよ。あたしが片付けるから」
「うぅ……あなたたちに迷惑ばかりかけて……」
しょんぼりと肩を落とすアカリを見て、俺は思わず頬を緩めた。
「いいから、お前は座ってろ」
俺は立ち上がり、箒とちりとりを持ってきて破片を片付け始めた。
「すまねえな、トヨさん」
「いいんだよ。アカリちゃんが一生懸命なのは分かってるからね」
トヨは優しくアカリの頭を撫でた。
「ほら、お稲荷さん食べな。宗一ちゃんも、ちゃんと休むんだよ」
「ああ、もらうよ」
タッパーを受け取り、俺は一つ口に放り込んだ。
甘辛い油揚げの味が、疲れた頭に染み渡っていく。
辰巳も勝手にお稲荷さんをつまみながら、ドローンの話を楽しそうに続けている。
この騒がしくて温かい日常。結衣が遺してくれた、かけがえのない時間だ。
霧島のような連中に、これを壊させるわけにはいかない。
◆ーーーー◆
夕方になり、辰巳とトヨが帰っていく。
静かになった工場で、俺は再びモニターに向き合った。
先ほどのアカリの動き。三歩進み、二歩下がり、一歩止まる。
掃除の時のモップの動きと同じリズムだ。
俺は確信した。アカリのポンコツ行動は、単なるエラーじゃない。
結衣が意図的に仕組んだ「物理的なパスワード」なのだ。
特定の動作パターンを繰り返すことで、暗号化領域のロックを少しずつ解除しようとしている。
「結衣……お前は、この子に何を託したんだ?」
画面に表示された複雑なアルゴリズムを見つめる。
このリズムを完全に解析できれば、結衣の最期のメッセージに辿り着けるかもしれない。
だが、それにはまだピースが足りない。
「このリズムの法則性を解き明かすには、もっとデータが必要だ」
俺はアカリの過去の行動ログをすべて抽出し、解析ツールに放り込んだ。
プログレスバーがゆっくりと進んでいく。
少しずつだが、結衣の隠した真実に近づいている手応えがある。
霧島たちが再び動く前に、必ず答えを見つけ出してみせる。
俺は決意を新たに、キーボードを叩き続けた。




