第19話
深夜。巨大なロボットメーカーの地下搬入口。
冷たいコンクリートの壁に身を潜め、俺はインカムのノイズに耳を澄ませていた。
「第一ゲート、ロック解除に成功した。そのまま直進してくれ」
柴田先生の落ち着いた声が響く。俺は短く応じ、レンチを握り直して暗い通路へ足を踏み入れた。
薄暗い空間には、空調の低い唸り声と、頭上の配管から滴る水滴の音だけが響いている。大企業の地下施設は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。油と埃の混じった匂いが、鼻腔を突く。
「監視カメラのループ映像への差し替えは、あと三分しかもたない。急げ」
「分かってる」
壁に這う太いケーブルを避けながら歩を進める。この静寂が、やけに耳障りに感じられた。
いつからだろうか。こんな静けさが不自然に思えるようになったのは。
頭の中に浮かぶのは、あの騒がしいポンコツの姿だ。
家事を手伝おうとして洗剤のボトルをひっくり返し、床を泡だらけにして慌てふためく。トーストを黒焦げにして、申し訳なさそうにうつむく。
掃除を任せれば、俺が種類ごとに分けていた工具をごちゃ混ぜにしてしまい、大目玉を食らったこともあった。
夜中になれば、俺が作業台の奥に隠していた音の鳴らない小箱を引っ張り出し、不器用な手つきで直そうと奮闘していた。
機械のくせに、やる事なす事すべてがズレていた。
最初は鬱陶しいだけだった。あいつが失態を演じるたびに、俺はため息をついて後始末に追われた。
だが、あの無垢で一生懸命な姿に振り回されているうちに、俺の中の止まっていた時間が少しずつ動き出していたのだ。
あの独特のイントネーションで俺を呼ぶ声。生前の結衣とは微妙に違う、少し間延びした呼び方。最初はそれに寂しさを覚えたが、次第にその響きが愛おしくなっていた。
あいつがいない家は、息が詰まるほど冷たい。
「お前がいないと、静かすぎるんだよ」
誰にともなく呟き、俺は奥歯を噛み締めた。
罠だろうが何だろうが、絶対に連れ戻す。決意を新たに、さらに歩みを速める。
◆ーーーー◆
「兄貴、準備はいいか! 派手にいくぜ!」
インカムから辰巳の軽薄な声が弾けた。
「おう辰巳、しくじるんじゃねえぞ! 宗一、こっちは任せな!」
源蔵の豪快な怒声がそれに続く。
腐れ縁のジャンク屋の親父と、鬱陶しい常連客。だが、今は命を預けられる頼もしい仲間だ。
間髪入れず、地上の方から地響きのような爆音が轟いた。
外周エリアで、二人の陽動が始まったのだ。辰巳が無茶な修理依頼で持ち込んだ、装甲を継ぎ接ぎしたような派手な改造トラックを暴走させ、警備の注意を外へと引きつけているに違いない。
凄まじいスキール音と、源蔵が拡声器で警備ロボットを煽る声が、微かに地下まで響いてくる。
「馬鹿野郎ども、無茶しやがって」
俺は薄く笑い、警備ロボットの巡回ルートに隙ができた瞬間を突いて、中枢ブロックへのアクセス通路を駆け抜ける。
「宗一、聞こえるか」
今度は篠原の声が割り込んできた。柚木から送られた追加の暗号データを、外部から解析していたはずだ。
「柚木の残したログから、未完成プロジェクトの全容が掴めました」
走りながら耳を傾ける。息が上がりそうになるのを必死に抑え込んだ。
篠原の口から語られたのは、結衣が試作機に込めた真の目的だった。
単なる家事支援AIではない。家族との日常を記録し、不器用な失敗を繰り返しながらも、相手の感情に寄り添うように自己学習していく特殊なアルゴリズム。
「結衣さんは、AIコアの基幹部分に、自己進化の余白を残していました。完璧なプログラムではなく、余白があるからこそ、相手との関係性の中で成長できる。感情シミュレートの枠を超え、意図的にノイズを発生させることで、人間の不完全さを模倣する設計になっていたんです」
結衣は、残される俺のために、あえて完璧ではない「手のかかる存在」を設計したのだ。
世話を焼かせることで、俺に生きる活力を取り戻させるために。
「結衣さんは、あなたが再び孤独な絶望に突き落とされることを何より恐れていました。だから、あの子を作ったんです」
胸の奥が熱くなる。娘が託した想いの深さが、痛いほど伝わってきた。
あいつのポンコツぶりは、単なるエラーじゃなかった。俺を一人にしないための、結衣なりの不器用な優しさだったのだ。
「……結衣のやつ、どこまでお節介なんだ」
目頭が熱くなるのを誤魔化すように、俺は乱暴に額の汗を拭った。
中枢ブロックの重厚な防壁が、通路の先に見えてきた。
だが、インカム越しの篠原の声が、急に重く沈んだ。
「……ただ、残酷な事実が判明しました」
足が止まる。嫌な予感が背筋を駆け上がった。
「深層メモリに隠された結衣の最期のメッセージ。そのロックを解除する条件は……AIの完全初期化です」
息を呑んだ。
「初期化コマンドを実行すれば、メモリ領域は物理的に上書きされ、復元は不可能です。あなたとの記憶は、完全に消去されます。システム的に、他の迂回路は存在しません。メッセージを見るには、今の人格を消すしかないんです」
レンチを握る手に力が入る。金属の冷たさが、手のひらに食い込んだ。
娘の最期の言葉を知るか。それとも、今目の前にいる新しい家族との絆を守るか。
究極の選択が、重くのしかかってくる。
初期化するということは、あいつが俺と過ごした日々、失敗した記憶、一緒に食べたご飯の記憶、すべてが消え去るということだ。
ただの機械の初期化ではない。一つの命を奪うに等しい行為。
インカム越しに伝わる篠原の沈黙が、俺に決断を迫っていた。結衣の最期の言葉を知る義務が、父親の俺にはあるはずだ。
だが、その代償としてあいつを殺すのか?
不器用にしがみついてきたあの小さな手を、俺自身が振り払うというのか。
どちらを選んでも、大切なものを永遠に失う。
胃の奥が鉛のように重くなる。あいつの無邪気な笑顔が脳裏をよぎり、同時に結衣の面影が重なる。
葛藤に苛まれる中、通路の照明が突然、血のような赤に染まった。
けたたましい警報音が鳴り響く。
「宗一! 罠だ、霧島は侵入を予期していた!」
柴田先生の切羽詰まった声が耳を打つ。
前後の通路から、重武装の警備ロボットが次々と姿を現す。
無機質な駆動音が響き渡り、退路は完全に塞がれた。
「侵入者を捕捉。武装解除を命じる。抵抗すれば排除する」
機械音声が冷酷に告げる。
十数体の機械兵が、一斉に銃口をこちらへ向ける。
レーザーサイトの赤い光が、俺の胸元に無数に集まる。
絶体絶命の危機。
俺はレンチを構え、包囲網の中心で鋭く息を吐き出した。




